5.狼と少女

 魔女の森はデルグレイ領の最西端になるのだそうだ。

 森に入口なんてものがあるのかは分からないが、整備された道から一番森に近い場所を俺は入口なのだと思った。そこに道はなかったけれど。

 その入口で俺とサラは顔を見合わせた。

 狼が一匹、少女と寄り添って眠りこけていたのだ。

 サラは少女の傍で屈んで手を伸ばした。

 狼の鼻がピクリと動いたのが見えた。

「サラ、危なーー」

 声を出したがサラはそのまま少女の髪に触れた。

 狼の頭がサラに飛びついた。

 思わず目を閉じたが、サラの悲鳴ではなく、狼の哀れな鳴き声が聞こえてきて、ゆっくり目を開いた。右手で少女の髪を撫ぜて、左手で狼の口を塞いだサラは少女の方を見ていた。

「平和ねえ」

「そうですね」

 のんびりと呟いたサラに、俺は脱力した。

「ねえ、あなた。こんなところで寝ていたら風邪引くわよ」

 髪に触れていた手が、そのまま少女の頬へと滑り落ちる。つるりとサラの細い指が真っ白な肌を伝ったが少女はビクともせず、その指は遂に抓り上げた。

「サラ?」

 引っ張っているうちに頬はどんどん赤くなっていく。

 絶対に痛い。

 狼がサラから逃げるように後ろに飛び跳ね、距離を保ったままこちらを睨んで唸っている。

「おい、サラ。めちゃくちゃ怒ってるぞ」

 低い唸り声を響かせて、こちらを威嚇している狼から目を離さず、俺はサラの傍へじりじりと歩み寄る。柄に触れて、いつでも剣は抜ける状態だ。

「ねえ」

 警戒した様子はない。

 サラはゆっくりと立ち上がり、狼へと近づく。狼はその場を動かず、距離が縮まって行く。

 やっぱり俺にはサラが何を考えているのか何てこれっぽっちも分からない。

「これは、呪いとでもいうのかしら?」

 臨戦態勢のまま、首を傾げた。

「呪いって?」

「クライブ、この狼は人間でその子は魔法で眠らされている」

 狼は唸り声はやめて項垂れた。

 剣から手を離して、サラの隣に立った。

「あなた、話せる?」

 蹲み込んだサラに狼は哀れな声で鳴いて答えた。

 狼は少女の傍に寄って頬を舐めた。

「トノ、呪いについて分かるかしら?」

 空から小さなお爺さんが突然降ってきて、わっと声を上げて飛び退いた拍子に尻餅をついた。サラも小人も俺の失態なんてどこ吹く風で余計に恥ずかしい。何事もなかったかのように立ち上がって、鼻をかいた。

「キルケよなあ。しかしまあ、弱々しい呪いよ。儂が解いても良いが?」

 ペタペタと小人は狼と少女の傍により、「よいしょ」と言いながら、狼の毛を登ってその背に立った。動きこそ可愛いが、顔は全く可愛げのない自信満々な表情をしていた。

「うん、解いて」

 サラはいつもの感情の読めない笑顔を浮かべた。

 小人は右手を天にかざした。

 その小さな手の中に、小さな杖が現れると、「ほい」と小さく叫んで狼の頭を叩いて地面へと降り立った。サラが小人を捕まえてその頭を中指で撫ぜた。

「トノ、彼がクライブよ」

 サラの左掌にちょこんと乗った小人がじっとこちらを見ている。

 その小人は体の大きさに見合わない威圧感がある。

 直立不動で小人の視線を受け止めていると、サラが声を上げた。

「よかった、戻れたみたいね」

 振り返ると狼は既に姿を消して、男が立っていた。

 自分の手をまじまじと見つめた後、男は少女の頬を両手で包み込んだ。

「この子の呪いも、解いてもらえるんだろうか」

「ええ、もう直ぐ目を覚ます筈よ」

 安堵し、瞳に涙が浮かんだ。それは頬を伝うことはなかったけれど、彼が少女を思っている事がよく分かった。

 小人を掌に乗せたまま、サラは元狼の男へと歩み寄る。

「他にも呪いを解いてもらいたい人達がいるんです」

「うん、マイサートの人々ね? その子は、もしかして町長の娘さん?」

「はい、そうです。あの、どうして」

「私達はリバティです。町長さんに依頼されてあなた方を助けに来ました」

 サラは笑顔のままだ。

「……そうですか」

 男は一度目を伏せて、もう一度サラを見た。

「お願いします、助けて下さい」

 男は少女から離れて、頭を下げた。

 

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