3.希望は絶望なのか
ホームと手書きの看板の掲げられた、民家のような宿屋である。
家族で経営し、客室はたったの五部屋。
多くの花で彩られたその宿屋は、深く沈んだ空気だ。
「それで、どうして誘拐だと?」
町長夫妻の正面のソファに座った皐月とサラの後ろで俺とアリスは黙って成り行きを見守っている。
誘拐事件だと言われて来ているのだから、被害者の消えた日の事や身代金についてを聞けばいいのだと思った。けれどサラは、本当に誘拐されたのかと問うた。
夫妻は困ったようにお互いを見合った。
「分からないんです」
奥さんが、小さな声で言った。
「マイサートは特に平和な街だと自負しています。だというのに、この一週間で年頃の娘が五人も姿を消しています。うちの娘もーー」
奥さんは顔を覆った。
「犯人から連絡はありましたか?」
穏やかな口調である。
けれどサラは淡々としている。
不安に苛まれ涙する母親を目前にして、サラは表情を崩さない。
「ありません。消えたっきりです」
旦那さんは妻を気遣うように肩を抱き寄せて毅然としている。いや、毅然としようとしているとでも言うべきだろう。
「消息を断つ理由に心当たりはないんですか?」
「ありません」
皐月もサラと同様に通常通りの態度である。
隣りで立っているアリスは眉を顰め、泣いている奥さんをじっと見詰めていた。
「犯人からの連絡もーーないのですね? では、その日に何か変わった出来事はありませんでしたか?」
「ありません」
サラは「うーん」と唸って微笑んだ。
俺には彼女の笑みの理由が理解できない。
沈黙が訪れた。とても居心地の悪い空気が頭を痛くする。
「安心して下さい!」
突然の大声で全員が俺を見た。
違う、俺の隣りの間抜けな女を見たのだ。
視線が集まりギョッとしながら、声の大元である左に首を傾けると、当然のように自信に満ちた表情のアリスがいた。
「必ず、娘さんを助け出します! だから、泣かないで」
皐月があからさまに厭そうな顔をしている。
当然だ。
何の手がかりもないと言うのに、解決をあっさりと約束してしまったのだ。
「ありがとうございます」
顔を上げた奥さんの目にはまだ涙が溢れていた。
真っ直ぐに夫妻を見詰めたアリスの目には、困った顔のサラと呆れ顔の皐月と、そしてげんなりした俺の顔は映っていないのだろう。
その場でアリスを誰も叱ることはなかった。
客室へ案内され、夫妻が部屋を出て階段を降りきった音を確認してすぐである。
「アリス!」
皐月は怒鳴った。
「あんたなあ、考えなしに希望を持たすようなこと言うのやめや!」
顔がひっつきそうなほどに詰め寄って皐月は苛立ちをぶつけたが、ひるまないアリスから顔を背けて、どかりと乱暴にベッドに座った。
扉の傍の壁に背中を預けてサラは腕を組んだままだし、皐月はベッドの寝転び始めてしまった。
中途半端に部屋の真ん中に立ってしまった為、居心地が悪い。
「家族が急にいなくなっちゃうなんて悲しいじゃない。私は、目の前の人を助けられる人間になりたくてリバティになったんだもん」
ハッとしたようにサラがアリスを見た。すぐに視線を逸らしたサラと目が合ったが、それも気まずそうに目を泳がせたのちに床に落とされてしまった。
突然いなくなった家族とは、サラの事を暗に指しているのかも知れない。
「アリスは優しいなあ。けど、これでもし死んでたりしたらどうするつもり?」
寝そべったまま皐月が言った。
一度灯せば、その希望という光は人を絶望へも追いやる脅威ともなり得る。
だとしたら最初から希望なんてものはない方がいいのだろうか。
それも違う気がする。
それじゃあ救いなんてないじゃないか。
「でも俺は」
押し黙ったアリスを助けるつもりではなかった。
口から衝いて出た言葉は思いの外三人の注目を集めてしまって、少し動揺した。
「絶望して待つよりは、救いがあると思う。俺達が本当に連れ戻せばいいだけの話だろう?」
どんな状態でも、
上半身だけ起こして皐月が見ている。そしてサラも腕を組んだまま感情の読めない目でこちらを見ている。
「一旦二手に分かれてみようよ! 街の人に聞いて回るの。一週間で五人も人がいなくなったんだから、何か違うことが絶対にあった筈だよ」
アリスは似つかわしくない程の前向きな声色で提案した。
皐月は未だ呆れたようにアリスを見詰めていたが、サラが動いた。
一歩前に出たのだ。
「そうね。依頼を受けてしまったんだもの、行動しなくてはいけないわ」
皐月はサラの方に顔を向けた。こちらからでは皐月の表情は見えないが、きっともう後ろ向きな顔はしていないだろう。サラは微笑んでいた。
「じゃあ私はさっちゃんと回るから、クライブはお姉ちゃんと回ってね!」
勝手にアリスはグループ分けをしてしまう。
「なんで、うちがあんたと組まなあかんねん」
サラの事が未だ良く分からない。
どちらかと言えば、アリスが姉と組んでくれた方がいいと思う。
「さっちゃんと一緒にいたいなあって思ったの。それにクライブとお姉ちゃんにはこう見えない壁があるし。折角四人でいるんだから、もっと仲良くなろうよ」
何を言っているんだ、という思いが顔に出たのだろう。
アリスは頬を膨らませて「文句ある?」と俺に突っかかった。
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