第三章 新たなる旅立ち

1.女の子じゃない、猛獣だ

 心ならずも、旅の同行者がラスカトルに来て増えてしまった。

 船で剣を交えたサラと、ザマで出会った皐月である。

 四人で食事処へ行く最中、ダンマリを決め込んだ俺の袖をアリスが掴んだ。また余計なお節介で「仲良くしようよ」などと綺麗事を言うのだろうと察して、その腕を振り解こうとしたが、アリスの顔を見て行動に移せなくなった。

 悲しそうな、申し訳なさそうな目でアリスはこちらを見ていた。

「ごめんなさい。お姉ちゃんと一緒にだなんて、クライブは嫌だよね。船であんな事があったんだもん、当然だよ」

 常時騒がしい人間が急にしおらしくなると、どうも調子が狂う。

 アリスを直視する事ができず、目を逸らす。

「別に」

 アリスのように真っ直ぐな言葉を俺は選べない。

 自分の内面を他人に見せるのは憚られる。それが嫌いではない相手だとしても、俺には難しい。

「生き別れの姉妹の再会を邪魔するような趣味はねえよ」

 鼻をかく。

 サラと共に行くのだと決まった時のアリスの顔はこの上もなく嬉しそうだった。太々ふてぶてしい態度をとったものの、本心ではアリスが喜ぶのなら一緒に行動するくらいは構わないと思っていた。

「クライブ……うっ」

 嗚咽が俺をギョッとさせた。

 この女は顔を隠すこともなく豪快に涙を流し始めたのだ。

「おい、アリス」

 手を肩に置こうとして、やめた。

 触れてどうなるというのだ。

 どうして泣いているのかも分からないのに、もし何かをして更に泣かせてしまっては困る。

 泣かれるのは苦手だ。

 右手は宙を彷徨さまよった。

「女の子泣かしてる。悪い男やなあ、クライブは」

 後ろを歩いていた皐月とサラが追いついた。

 皐月は厭らしい目でこちらを見ている。

「違う、俺はーー」

 ーー俺は、何をしたんだ?

「さっちゃん、クライブめちゃくちゃいい奴なんだよぉ」

「あっそ」

 大きな声でアリスは言い放った。

 皐月は詰まらなさそうに、アリスを一瞥する事なく、俺たちを追い越した。

「よかったわね、アリス」

 サラはアリスの頭をポンポンと優しく撫ぜてから、皐月の隣に舞い戻る。

「クライブ!」

 アリスが泣き顔のまま、俺の胸に突撃する。

 腕を背中に回して、アリスは子供が母親に抱きつくように俺にしがみ付いた。

「ありがとう。出会ったのがクライブでよかった」

 小さな声で、アリスは言った。

 この行き場をなくした両手はどうすればいいのだろう。

 右手をゆっくり上げて、アリスの頭に触れた。

 思いの外柔らかい髪だった。

「それはよかった」

 サラの真似をするように、撫ぜてやる。

 アリスに対しては、取り繕ったりする事が馬鹿らしく思える。

 本人が馬鹿なのだ。

 こちらがどう反応しようと、アリスが受け取るのは前向きなものでしかない。

 胸に張り付いていた棘がすぅと抜け落ちていく。

「ごめん、クライブ」

「どうした?」

 穏やかに返事をする。

「鼻水ついちゃった」

 抱きついたままのアリスを俺は突き飛ばした。

「アリス!」

「きゃあ」

 怒鳴り声と同時にアリスは悲鳴を上げて、サラと皐月の方へと逃げた。

 

 ラスカトルを出て丸一日、俺達は歩く羽目になる。

 あの街はライセンス持ち以外には非情な土地だ。

 現在皐月はライセンスを持っていないとはいえ、扱いは別格だった。

 馬車で向かう筈だったのだが、俺とアリスは乗車拒否をされたのだ。

 悪びれずに馬車に乗ろうとする皐月を俺は引き摺り下ろした。

「一緒に歩こうよ、ね、さっちゃん!」

 底抜けに明るく笑うアリスの顔を見た皐月は、あからさまにげんなりとした。

 出会った時の皐月は、胡散臭い笑顔を貼り付けてはいたが親切ではあった。本性は今なのだろう。分厚い猫をもう一度被ってもらいたいものである。

「なんでうちまで歩かなあかんねん。目的地で待っとったるやん」

「監視役なんだろ、お前は」

「お前って言われるの嫌いやわ」

「どうなんだ、サラ」

 ふんとそっぽを向いた皐月を無視してサラに向きなおる。

「そうよね、何かあったら本部からイチャモンつけられて面倒ごとを押し付けられちゃう気がするわね」

 サラは困ったように笑って「皐月」と不貞腐れたくノ一に呼びかけた。

 静かに振り返った皐月はサラを見てから、俺とアリスへと一視軸を戻した。

「しゃあないなあ」

「うん、しゃあないのよ」

 サラは皐月の言葉の真似をしたが、イントネーションまでは上手に真似られていない。皐月は楽しそうに笑う。

 随分と態度が違うものだ。

「じゃあ皆で歩こう!」

 アリスは一人ではしゃいだ。

 丸一日歩かなければならないこの状況の何が楽しいのだか理解できない。

「うるさい、アリス」

 アリスと出会ってから、俺は溜息を吐く事が増えた気がする。

 今まで家族で過ごしてきた中で、誰かに振り回されることなどなかったのだ。

 時折街に出たとしても、深く関わる人間などいなかったから、いつだって自分のペースでいられた。

 調子を狂わされるのは、本来ならば嫌いだ。

 だというのに、アリスという人間は、心底厭だとは思えない。

 きっとアリスが馬鹿だからなのだろう。

「とろとろ歩いてたら置いてっちゃうんだからね!」

 前を行くアリスが体ごとこちらを向いた。

 歩みを止めるつもりはないようで、飛ぶ様に後ろ歩きをしている。

「おい、アリス。転ぶから前向け」

「大丈夫だもんーー」

 言った矢先にアリスはつまずいた。

 手を伸ばしても届かない。

 皐月が振り返ることなく、避ける。

 ああ、転んだなと思った時、サラが振り返ってアリスを抱きとめた。

「ありがとう、お姉ちゃん」

「うん」

 船での出来事はまるでなかったかのようだ。

 サラは甘い。

 少しは馬鹿な妹を叱ってくれてもいいと思う。

 えへへとアリスは俺に向かって笑いかけた。

「ばーか」

 声には出さずに、口だけでアリスを罵った。

 何を言われたのか直ぐに察したようで、アリスは頬を膨らませて、勢いよくこちらに走ってくる。

 ずいと顔を近づけて、アリスは俺の目を直視する。

「なんだよ」

 睨めっこでアリスに負ける訳にはいかない。

 口を真一文字にしてアリスの視線に迎え撃つ。

 突然アリスは俺の頬を両手で引っ張った。

 思いがけない行動に驚いて、無意識のうちにアリスの頭をひっぱたいた。

「いたあーい!」

「こっちの科白だ、馬鹿!」

 頭を抱えながら叫ぶアリスに俺も叫び返す。

 女の子には手を上げてはいけないとロナウドに言われたが、もはやこいつは女の子などという可愛い部類に入れてはいけない。

 猛獣だ。それも珍獣である。

「行こう、クライブ」

 目の端に涙を溜めながら、アリスは手をこちらに差し出した。

 その手を取ってやるべきなのだろう。

 しかし、それはなんだか気恥ずかしい。

 否、アリスの思惑通りに行動するのが癪なだけなのだ、きっと。

 アリスの目を見てから口角を上げて、俺は歩き出した。

 手を差し出したままのアリスを通り越して、既に歩き出したサラと皐月を大股で追った。

「もう照れ屋なんだから」

 小走りで隣まで来たアリスは楽しそうに言った。

「照れてねえよ、ばーか」

 アリスの方へ顔は向けず、前を向いて呟いた。

 隣で笑うアリスを俺は無視した。

 

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