6.煩い二人

 白髪の少年がいた。赤と黒の珍しい目を持つ彼はじっと立っていた。

「皐月、先に馬車に乗っていて」

 サラは少年を真っ直ぐ見つめたまま、はっきりとした口調でそう言った。表情には特に変化はないけれど、彼女の体が少し強張っているように感じた。

「分かった」

 大きく欠伸をしている若い馭者にライセンスを見せると、彼はライセンスと私を交互に見て、顎で乗るようにと指示をした。やる気のなさが全身から滲み出ている。もう一人乗るのだと告げると、彼はもう一度欠伸をした。

 馬車の中には灰色のブランケットが二つ乱雑に置かれていた。膝にかけて、窓から外に目をやる。

 サラはこちらに背を向けて、あの少年と話している。

 まさかあんな子供がロブの追っ手なのだろうか。

 いや、追っ手ならば話などする必要はない。それに少年は楽しそうだ。

 唐突にサラが少年を抱きしめた。

 目を丸くしている少年の顔が、どうしてだかはっきりと見えた。その顔が徐々に歪んでいく。

 サラは少年の体を引き剥がして、こちらに大股で歩いて来る。

 私は慌てて、窓から目をそらしてブランケットの端を引っ張った。背後うしろめたさを感じた。

 ーーどうして背後めたく感じなくちゃいけないんだ。

 声を聞いた訳でもない。見るなと言われた訳でもない。

 ただ遠くから芒と眺めただけじゃないか。

 ブランケットを弄っていると、穴が空いているのを見つけた。穴はどうやら焦げ跡のようで黒くて汚らしい。

 私が乗った扉と反対側からサラが乗り込んだ。

「お待たせ」

 私は笑って見せた。左の頬だけ少し重たく感じる。背後めたさが表情筋を支配しているのだ。

 窓の外をふと見ると、少年と目が合った。

 彼は私を睨んで、私は唯少年を見詰めた。彼から目を離せないでいると、馬車が走り出した。

 少年はどんどんと遠ざかり、あっという間に背景に紛れてしまった。

 少年の目から感じ取った感情は何とも蠱惑こわく的だ。私は少年が羨ましい。

 彼にとっての私はサラを奪い去った悪人なのだから、呑気に羨ましいなぁなどと考えるのはズレているだろう。

 手元に絶対に置いておきたいモノ、失いたくないモノを考えてみたが思い浮かばなかった。

 どんなに大切にしていたって、まぁしゃあないわ、で片付いてしまうのだ。

 サラと一緒にいれば私にもそのナニかはできるだろうか。

 サラを見る。

「どうしたの?」

 熱い視線を向けていたのかも知れない。サラと目が合った。

「これから宜しくなぁ」

 サラはこちらこそ、と言って笑った。


 ラスカトルは高い石の壁に囲まれた小さな街だ。どこの領地にも含まれない、独立した街である。

 街の中央にある大きな建物がリバティの本部だ。堀に囲まれ北側にのみ橋が架かっており、協会にはそこからしか入れない。

 ラスカトルへやって来るのは基本的にリバティだけだ。だから街には私達に必要な衣類や武器を売る店ばかりなのだ。

 橋を超えた先には警備する人間がいつもいる。

 リバティしか来ないのだから、一体何から警備するのだろうといつも疑問に思っている。

「ここに来るのも随分と久しぶりだわ」

 橋を渡る。

 サラは堀を見下ろした。水の中には怪物が放たれているという噂だ。

「仕事はどうしてたん?」

 本部に来ずとも、支ギルドからも仕事を受ける事は可能だ。

 しかし、高額の依頼は本部のみで知らされている。

「あら、お忘れかしら。私、ロブでもあったのよ」

 そうだ。

 サラはライセンス持ちでありながら、ロブの四天王でもあったのだ。

 そこでふと疑問が浮かぶ。

 ロブは屡々リバティと敵対する事がある。何故その幹部たる四天王がライセンスを持っているというのだろう。

「ロブとリバティって、仲悪いんちゃうん?」

「今の四天王は一人を除いて全員ライセンス持ちよ。私はおこぼれ的な位置付けでライセンスを頂いたけれど、後の二人は元々リバティなの」

 おこぼれ、とはどういう意味なのだ。

 ライセンスはそんな簡単に授けられるものでは無い。「ライセンスちょおだい」なんてお強請りして貰えるものでは無い。

「三年ほど前にね、皐月と同じ仕事をしていた人に命を狙われた事があったのね。去年その彼と再会して仕事を成り行きで手伝ったのよ。そしたらライセンス貰う事になっちゃって」

「なんの仕事?」

「覚えてない? 去年あったでしょう、ライセンス持ちの魔法使いが扇動した本部立て篭もり事件。内密に本部に潜入して魔法使いを殺害するっていうのが彼の仕事だったみたい」

 三日間本部を占拠された事件だ。

 ザマのギルドでラスカトルへ行くよう指示されたが、行った時にはすでに本部はいつも通りで、事件は解決済みだったのだ。

「へえ。口止めも兼ねてのライセンス授与って事やな」

「うん。その時に魔法を使ったから水晶も一緒に見せてもらったの」

 橋を渡りきると、見覚えのある後ろ姿が二つあった。

 賑やかなその男女は、やはりここでも騒いでいた。

「だから! 手紙をここに届けにきたんだってば!」

 少女は叫ぶ。

「帰りなさい。ここは一般人が入れるところではない」

 淡々と警備員はそう告げる。

 面倒臭そうにしているあたり、あの二人は随分と粘っているようである。

「手紙を渡せば、次に行く場所を教えられるって言われているんだ。このまま帰されたんじゃ困る!」

 少年がずいと警備員に顔を近づける。警備員は微動だにせず、眉を顰めた。

「あんたら何してん。一般人やって自分で言うてたやん」

 サラから離れて二人の肩を掴む。

 アリスとクライブは同時にこちらを振り返った。

 同じように目を丸くしている二人は同時に叫んだ。

「さっちゃん、なんでここにいるの!」

「怪我したって聞いたけど大丈夫なのか」

 近距離なのに声が大きいのだ、特にアリスは。

 息が合っているような合っていないような二人を目の前にすると、今の状況が深刻なのだか冗談なのだかよく分からなくなってしまう。

 二人は私の肩越しのサラを見て、今度こそ「あ」と二重奏を奏でた。

 やはり馬の合う同類の人間のようだ。

 クライブは私の一歩前に出て剣に触れた。

「何してん」

 私はクライブの頭を叩いた。

 恨みがましくクライブは私を睨んだ。

 手が少しひりひりとしている。彼も痛かったのだろう。

「お前知ってるのか、あいつを」

「知ってるも何も、一緒に来てんねん。あんたと違って、サラはライセンス持ち。ここに入る権利がある」

「ええー!」

 反対側から金切り声が上がる。私の耳は千切れそうになり頭がガンガンと響く。

 振り返る間も無くアリスはクライブの隣へと二歩で進み出た。

 二人の肩越しからサラの様子を伺ったが、彼女は驚いている訳でも警戒している訳でもなく実に自然体でそこにいた。

「サラ、知り合い?」

 二人を両手で押し退けてサラの許へと歩く。

「ええ、この間船で戦ったの」

「ふうん、そうなんや」

 サラは笑顔のまま、さも当たり前のようにそう言った。

 くるりと回って二人組と向かい合う。

「一般人とか嘘言うて、なんなんあんたら」

 サラの笑顔を真似するように、私はできるだけ穏やかに微笑んだ。

「ああ、皐月。あの二人はただ運悪く私の標的と同じ船に乗り合わせてしまっただけよ。リバティだったのかしら」

 確かに二人は頭も悪そうだし、腕も立つとは思えない。

 ザマでもあの刺客の気配に全く気づいていなかったのだから。

「さっちゃん、助けてぇ」

 アリスは今にも泣き出しそうな顔で、間抜けな声を出した。

「代金は?」

「へ?」

 アリスは顔まで間抜けになった。

「こないだは気分が乗ったから助けた。リバティ相手にタダで手を貸すほど、うちはお人好しやない。金次第や」

「だってこないだは!」

「ライセンス持ちはそのイメージ保つのも大事な仕事。けど相手がリバティなら関係ないわなあ」

 ふんと鼻を鳴らして笑うと、アリスは懐から巾着のような財布を取り出した。

 ああ、あの子はお金は持っているのだ。

 余計な事を言ってしまったなと後悔しかけたが、クライブがアリスの手を乱暴に払い退けた。

「あの女の仲間の助けなんかいらない」

「クライブ! さっちゃんはライセンス持ちなんだよ。助けてもらおうよ」

「嫌だ」

 クライブは私を睨む。

 否、サラを見ているのか。

 クライブはくるりと翻して警備員に向かい合った。

「先日までエリシーク王国に派遣されていたロナウドからの手紙だ。読んでもらえれば分かる」

「手紙は預かる。だが中には入れられない。帰れ」

「だから!」

「帰れと言っている」

 サラが歩き出した。

 私は黙したまま彼女の背中を見送った。

 明らかに自分を敵視しているクライブの横までサラは美しい姿勢のまま歩いた。

 クライブが突き出した手の中から手紙を奪い取り、サラはその封を切った。

「返せ!」

 クライブが手紙を取り返そうと腕を伸ばしたが、サラはふわりと避けながら手紙を読み始めた。

 なんとも面白い状況である。

 必死に手紙を取り返そうとするクライブと、その様子を見て慌てふためくアリス。そんな二人などまるでいないようにサラは手紙を読み続けているのだ。

 流石はサラである。

 私はやっぱりサラが好きだなと思った。

 読み終えたのか、サラは手紙を丁寧に折りたたんで警備員に渡した。

「私はサラ・セファードです。二人も中に入れてあげて」

 ライセンスを見せると、警備員はサラに一礼して、アリスとクライブを疑わしげにちらりと見て「行け」と言った。

 サラが私を振り返る。

 私は威嚇するようにサラを睨むクライブの横を通り越して、サラの隣まで翔けた。

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