5.なりたい私

 時間の感覚というものを、私は手放していた。

 部屋に窓はなく、ベッドの上で寝ては食べてを繰り返しいる。どれくらいの時間が経ったのだろうか。ゆっくりしたいと常日頃思ってはいたけれど、実際ただ寝続けるというのは退屈なものだ。

 仕事完了の報告の為に、あの日の翌日私は協会へ行く筈だったのだが、起き上がれずこの為体ていたらくである。

 ぐぅとお腹が鳴る。

 サラが用意してくれる食事は、実にバランスのとれたものである。しかし私にとってそれは味気ない。甘いものが食べたいのだが、世話になっている身の上で我が儘は言えない。

 サラはあまり出かけないようで、度々この部屋に入ってきては雑談をしようと試みていた。

 彼女はよく語った。

 仲間と一緒にザマに来たものの、思うところあってロブを抜けたのだそうだ。ロブの四天王の脱退は追われる身になるという事を意味するのだそうだ。それは私の里とて大して変わりはない。里の秘密を守るために、抜けた者は追われて始末される。それが重要な役割を担っていた者ならば抱える秘密も大きくなるのだから、命を狙われるのは当然とも言える。

 けれど彼女は特に臆する様子もなく、穏やかだった。

 ゆっくりと上半身を起こす。

 サラに頼んで用意してもらった薬草で作った薬は激痛を齎すがよく効くものだ。傷跡はそろそろ綺麗になっている頃合いだろう。もう痛みは殆どない。

 あるとすれば打撲の痛みだが、歩く事に支障はない。

 静かにベッドを抜け出し、部屋を出る。

 正面に一つ、右に一つ扉がある。同じような牢屋のような窮屈な部屋がきっとあるのだろう。左側に階段がある。この狭っ苦しい、世界から隔離されたような部屋は、若しかしたら地下だったのかも知れない。

 細い階段を上りきると、そこは行き止まりであった。上を見ても何の変哲もない天井だ。

 さて、どうしたものかと目の前の壁を見詰める。

 実家の屋敷よろしく、からくりがある筈だ。床や壁をこんこんと叩くと、壁の右下だけ音が変わった。そこを少し強めに叩くと、壁は音を上げて左へと動いた。

 なんて厳重なのだろう。闇医者とは聞いていたが、顧客は相当まずい人間ばかりなのだろうか。私はそこまでまずい人間ではない筈だと思う。

 先に続く部屋は埃臭かった。

 棚にはランプだの壺だのが雑に並べられ、床にも箒が転がっていたり、趣味の悪い目の飛び出した石像が置かれている。古道具屋だと聞いていたが、これでは何でも屋だ。

 出口を探すと、棚と棚の間に小さな扉がある。広さはあるのだが高さは一メートルあるかないかという低さだ。扉は引き戸のようで、私はゆっくりと左に動かした。屈んで戸を抜けると、黒い布が見えた。顔を上げるとサラがこちらを見下ろしていた。

「あら、皐月。もう動けるようになったのね」

「うん。厳重な地下室やなあ」

 立ち上がって見て、サラの身長が高い事に初めて気付いた。

「何してるん?」

「店番。バトったら二日酔いでまだ寝てるのよ」

 追われている身の上の人間とは思えない行動である。私だったらこんな大きな街で堂々と店番など絶対にしない。もっと忍ぶべきではないだろうか。この店はそんなにもお客は来ないのかも知れない。今だってお客は誰もいないのだ。

「サラ、うちラスカトルに行かなあかんねん」

「仕事の報告でしょう? ザマの支ギルドからラスカトルに報告したから急ぐ必要はないわ。体が良くなり次第、連絡してくれって」

 頭に疑問符がいくつも浮かんだ。

 一般の人間がLのギルドに行って、他人の報告などできる筈がない。しかもラスカトルに報告という事は手紙を出したという事だろうか。

 私の怪訝そうな顔が可笑しいのかサラは笑った。

「私も実はライセンス持っているの。ギルドに水晶があるのは知ってるわよね? ザマには魔法を使える人間がいないから通常は機能してないけれど、私が使えるから、水晶でラスカトルの本部と連絡を取ったって訳」

 本部同様、各街の支ギルドにも水晶は置かれているのは私も見た事はある。しかしそれが使われているところを私は今まで見た事はなかった。飾りか何かだと正直なところ思っていたのだ。

「ねえ皐月、ちょっと座らない?」

 サラはそう言ってカウンターの下から椅子を引っ張り出した。

 素直に椅子に座ると、彼女は微笑んだ。

「Rにいた頃ね、私なんだってやって来たの。正義だとかそんなものは関係なく、仕事は仕事だと割り切って。ザマである占い師に出会ったの。彼女は私に言ったわ、貴女は貴女の思う正義を貫きなさいって。私、誰かを傷つける事は本当は好きじゃない。他にも理由はあるけど、Rは辞める事にしたの。ちゃんと話もした。それでね、Lっていう道を考えたの」

 サラは滔々と語った。

 毎日のように話したとは言え、彼女は私という人間をよくは知らない筈だ。

 信用に足る人物かどうかなんて、直ぐには分からないものだと私は思う。どれほど親しくしようとも、人は利害で他人を簡単に切り捨てられるものだから。

 どうして私にそんなにも自身の事を彼女は開けっ広げに語れるのだろう。

「皐月にとっての正義って、なあに?」

 サラは唐突に質問した。

 こちらを見つめる彼女の目があまりに真っ直ぐで、目を逸らすことができない。

 私にとっての正義なんて考えた事もなかった。

 与えられた任務を正確にこなすのが忍の正義だ。

 しかしサラが言っているのはそうではない。忍としてではなく、皐月という一個人の感覚を問うているのだから、そんなものは答えにはならない。

「皐月はどうなりたい?」

 答えに窮していると、サラは改めて質問した。

 私が、したい事。

 何だろう。私が望む生き方とは何なのだろう。

 里の外に出て、多くのものを見聞きし体験して、父のような理想の頭領になることが私にとっての目標だ。では、私にとっての理想とは具体的にはどんなものを指しているのだろう。

「私はーー」

 父の言葉は人を動かす。それは頭領という立場だけが齎らすものではない。里の人達は父の人柄に惹かれて付き従うのだ。

「ーー立派な大人になりたい」

 違う、そうじゃない。そんな綺麗なことじゃない。

「いや、愛されたいんかなあ」

 なんて稚拙な答えだろう。なんて浅はかで利己的で子供じみた願望だろう。

 けれど、そうなのだ。

 里の人から愛され信頼される人間になりたいのだ。

 サラは私の愚かしい答えを笑ったりしなかった。

「うん、私もよ。ねえ、暗殺の仕事を辞めて、私と世界を見に行かない?」

 目を大きく開く。

 サラは相変わらず微笑んでいる。

 ずっと眠り続けて頭がちゃんと機能していないのかも知れない。私は今、彼女の雰囲気に飲まれてしまっているのだ。

 サラの目に吸い込まれた私は「ええで」と答えた。

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