3.不覚は深く痛みを齎す
熱を帯びた手首にそっと触れる。
酔いに酔ったアオゲはバルバラを巻き込んで転倒しかけた。咄嗟に彼女をかばった際に右の手首と足首を捻挫してしまったのである。
赤と白の双子の月が港を照らす。
冬の空は澄んでいて綺麗だ。
港は夜中ですら往来は絶えない。
取っている宿は街の方だから、少しは人通りも少なくなる。
無理やり飲まされたお酒で、頭が痛い。
明日にはザマを出てラスカトルへ行かなければならない。早朝に街を出ようと考えていたが、お昼までに宿を出る事にしよう。
疲れた。けれど、どうしてだかあの騒がしい人達といると楽しいとも感じた。
故郷の里でもよく集まって馬鹿騒ぎをしたものである。厳格な父ですら、皆でお酒を飲んでいる時は楽しそうに笑っていた。お酒の味というものはまだ分からないけれど、いつか美味しいと言って飲む日が来るのだろうか。そんな日が来るのならば、里の皆と飲み明かしたいなと思う。
櫻火は元気にしているだろうか。兄のような、許嫁だ。
不意に彼に会いたいなと思った。
頬を撫でつける冷たい風が心地がいい。
「さっちゃん!」
背中が声を受け取った。
振り返るとこちらへ翔けて来るバルバラの姿があった。
手を上げようとした時、路地から人が飛び出した。
「バルバラ!」
私の厳しい声が彼女の歩を止めさせた。
飛び出した人間は突然止まったバルバラを振り返り、手を振り上げた。
懐からクナイを素早くその腕に投げつけると、それは蹲った。
バルバラに駆け寄ろうとしたが、背後に気配を感じて横っ飛びした。カンと小気味好い音が響いた。
振り返ると剣を持ったひょろりと背の高い男がいた。長い茶髪を1つに束ねたその男の目に光はない。
気配はまだある。仰いで煉瓦造りの建物に人影を見つける。
夕方の気配の正体だろう。
「こっちに来てもらおうか」
バルバラの首筋にナイフを突きつけた男が言った。
なんたる失態だろう。
いい気分になって、こんな分かりやすい男達にすら気付かないとは情けない。
「ええで。けど、その子は離してくれへんかな?」
男はバルバラを離すつもりはないようだ。バルバラを羽交い締めにしたまま、男は路地へと首を振った。
「さっちゃん、いう事聞かなくていい」
バルバラに笑い掛けて、私は路地に入った。
その路地は月明かりも届かず、道に先はないどん詰まりだった。
行き着いた奥で、私はゆっくり振り返った。
二人の男が横並びに並べる程の広さの路地だ。抜け出すのは簡単だが、バルバラを人質に取られていては、逃げるわけにも行かない。
さて、どうしたものか。
「小刀とクナイ全て捨てろ」
言われた通りに私は武器を地面に投げ捨てる。
三人の男に阻まれてバルバラの姿は確認できない。
一番背の高い男が一歩前に出た。
「こんなガキに親父さんがやられたとは、な」
どれの事を言っているのだろうか。
一週間で始末した人間は五人だ。
「大人しくしてろよ」
固く握り締めた拳がこちらへと振り下ろされ、私は跳躍して壁を蹴って男の頭を更に踏み台にしてバルバラの背後に降り立った。
右足に痛みが走る。しかし、その右足を軸にして左足をバルバラを抑える男の脛に叩きつけた。崩れ落ちた男からバルバラを解放し、彼女をトント押して路地から放り出す。
「アオゲのとこに行って」
「でも!」
バルバラは動かない。
「助け、呼んで来てや」
笑いかけると、バルバラは唇を噛んで走り出した。
「さて。卑怯な事してくれたもんやな」
四人の男を、今度は私がどん詰まりに追い込む。
武器などなくとも、問題はないのである。
髪をプツリと切って、指先に力を込める。細くてひょろひょろとした髪はあっという間に硬くなり針にようになる。
左足で地面を蹴ろうとした瞬間、背後で何かが動いた。
動き出した足を止める事なく、もう一度壁を蹴って体を反転させる。後ろには華奢な男が剣を持っていた。先刻剣を振り下ろした男だ。
「!」
三本の髪を投げつけるが、全て剣に叩き落とされた。その動きがあまりにしなやかで、背筋がひやりとした。
左足で着地し、そのまま男に向けて走る。男は無防備にも剣を地面に向けている。再び髪を針に変えて構えた。
地面に向いていた切っ先が、弧を描いて振り上げられる。
身を引いてそれを避けながら髪を投げるが、またもやそれは斬り伏せられた。
背後の男達は動かない。
刀が欲しいとちらりと後ろを見たが、小刀はすでに背後の男の手の中にあった。奪い返して攻撃しようにも目前の男の動きは早い。
「余所見はいけないね、皐月」
思いがけず傍で発せられた声が私の顔を上げさせる。
男の顔が、目と鼻の先にあった。
お腹にずしりと何かが刺さる。
男の顔がゆっくりと離れると共に、私はその場に崩れ落ちた。
痛みの元凶に手を当てると、ぬるりとした感触がした。
「あとは好きにし
男が背を向けて路地から出て行く。
膝を地面につけたまま、私は男が去るのをただ見送ることしかできなかった。
背中をドンと押され、私は地面に伏した。
横っ腹を蹴り上げられ、私は仰向けになる。
嗚呼、星が瞬いてる。
貫かれたお腹に痛みが走った。
誰かの嗚咽が聞こえる。
足が、そこにあった。
視界が霞んで行く。
突然に足が消えた。
遠くで誰かの声がする。誰の呻き声なんだろう。
視界は真っ暗だ。目を開けることすら億劫に感じる。
「しっかりしなさい」
女の声だ。
体が浮く感覚がする。
誰かが、私を抱きしめている?
嗚呼、これがお迎えというものなのか。優しくて温かい感覚が心地よくて、私は脱力した。
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