2.お人好しと馬鹿は紙一重
冷たい海風が吹く石畳に、男が正座をする。
行き交う人が好奇の目線をこちらに向ける中、アリスとクライブは堂々と惨めな男の前に立ちはだかっていた。
アオゲは派手にパブで飲んでいた。
私が「ちょっといいかな」と言って彼を外に連れ出すと、アリスはアオゲの両腕をむんずと掴んで、「私のお財布!」と叫んだのだった。ちらりとこちらを盗み見するアオゲに、私がにっこりと微笑んでみせると、彼はアリスの手を振りほどいて逃走を図ったのだが、クライブに足を引っ掛けられて手を大きく広げて地面に突っ伏したのだった。そして今、彼はおでこを真っ赤にさせて正座をさせられているという訳である。
「私のお金、使っちゃったの?」
今にも泣き出しそうな声でアリスは言った。
「馬鹿言え! あんな大金全部使える訳ぁないだろう。お前、ボンボンだったんだな、俺ぁ騙されたぜ」
「そんな事どうでもいいでしょ! 早く返して」
懐から財布を取り出し、アオゲはポンとアリスの足元に投げた。
「反省の色が見えへんようやけど?」
アリスの後ろから、私はぽそりと口を挟む。
アオゲの姿は目の前の二人に阻まれてはっきりと見えない。彼からも私は見えないのだろうけれど、声は届く。
「申し訳御座いませんでした」
「わっ、土下座なんてしないでよ、こんな街の真ん中で」
ここはザマの真ん中ではない。どちらかというとどん詰まりの端っこである。
アリスは財布を拾い上げる事なく、アオゲに近寄って膝をつき、彼の頭を上げさせた。ちゃっかりクライブが財布を拾い上げ、中身を確認している。
彼の後ろから覗き込むと、金貨がそれはそれは沢山詰め込まれていた。
「ホンマにボンボンやん」
「なんでこんなに持ってんだ」
私とクライブはほぼ同時に呟いた。
金貨五枚あれば一家族が一ヶ月生活できると言われているというのに、十枚は超えた枚数が入っている。小さな買い物で金貨など出されたら店も迷惑だろう。
アオゲの小さな心臓はこの大枚を見て竦み上がり、手を伸ばせなかったのだろうと思う。
「兄さん、何をしているの」
後ろから声がかかる。振り返らずともその声の主の正体はすぐにわかった。
私は振り返りながら、彼女の名を呼んだ。
「バルバラ」
「さっちゃん! 嘘みたい、私あなたに会いたくてザマに来たのよ」
バルバラは私よりも背が高い。彼女の胸に抱きしめられた。なんだかとてもいい香りがしたような気がする。彼女の背をポンポンと叩くと、熱い抱擁から解き放たれた。
「あんたの兄さん、相変わらず手癖が悪いなあ」
笑う私とは対称的にバルバラの眉毛はつり上り、キッと兄であるアオゲを睨みつけた。蛇に見込まれた蛙のように顔を上げたばかりのアオゲは固まった。
「いいんだよ、バルバラ。返してもらったから」
アリスの笑顔が、私にはお人好しというよりは阿呆面に見えた。
「バルバラには悪いが、こういう事は
「それじゃあ怖い人みたいだよ」
頬を膨らませたアリスを見て、クライブは大きく肩を落とした。傍目から見ている私ですら、溜息が出てしまいそうである。
アリスに警戒心がないと心配するクライブの気持ちが少しだけ分かったような気がした。
「あ、そうだ。クサさんの具合はどう?」
「ええ、目を覚ましたわ。私、もう駄目だと思ってたから嬉しくて」
「トマが魔法を使えるなんて思わなかった。急所が外れていて本当に良かった」
「あれは魔法じゃないだろ。人工魔法石だっけか」
「なんでもいいじゃない、そんな事! クライブってば
「はあ?」
よくわからない会話が続いたけれど、アリスとクライブの関係性がはっきりとしたように思う。
「財布は取り戻したし、宿探しに行きましょうか」
「その猫被りはなあに?」
笑顔の私にバルバラは首を傾げる。
アリスとクライブがこちらを怪訝そうに見ている。
「何のことやら。うち、早く食事したいし、そろそろ行きません?」
「それなら一緒に食べようよ。宿だって、私たちのところ空いてるみたいだからそこに泊まればいいし」
「いや、あそこは雑魚寝やし、お金持ちのお嬢様が寝るのはどうやろ」
ちらりとアリスを見ると、嬉々として「行く行く」とはしゃいでいた。
本人がいいというのなら、それでいいのだろう。
私の善人ぶった水先案内人の任も解かれるというものだ。それじゃあと私がその場を去ろうとすると、バルバラが私の手を取った。
「私、さっちゃんに会う為に来たのよ?」
バルバラはこんなにも積極的な人間だっただろうか。私の記憶の中の彼女は、もっと控えめでアオゲの後ろに隠れているような少女だった筈だ。共に過ごす人間の影響を受けたとしか思えない。
彼女たちといては、今日のケーキはお預けだ。しかし、バルバラにこうも見つめられては、嫌だとも言えない。
小さく溜息を吐いて、私は彼女の誘いを受け入れた。
さっきまでは盗人と被害者という関係だったアリスとアオゲが歓談しながら、パブへと連れ立って歩き始める。クライブは如何にも面倒臭そうにその後に続く。私の手を取ったままのバルバラが歩き出し、私もそれにつられて足を踏み出した。
歩きながら私は顔だけ振り返る。誰かがこちらを見ている気配がしたが、振り返るとその気配は群衆に紛れて消え失せた。
まあいいか。
人に囲まれているうちは、きっと刺客だろうが何だろうが手を出してくる事はあるまい。だから彼等に害が及ぶ事はないだろう。
たまにはこうして馬鹿になるのもきっといい事なのだと思う。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます