第二章 決別は始まり 後編

1.人助け

 路地から見上げる空は、細長く伸びていて肩身が狭そうにしている。夜はまだ降りてはいないが、この細い道はいつだって薄暗い。だから、後ろ暗い人間には丁度いい按配なのだ。

 後ろ手で扉をしっかりと閉めて、この窮屈な路地から大通りへと出た。この通りを真っ直ぐ南へ行けば港だ。ユグラシス大陸で一番大きな港町ザマには、ウルグ大陸からやってくる人間が大勢いる。かの大陸と違って、この大陸には王国というものがない。領主の収める大小様々な領土に分かれてはいるが、領主は国王ではない。世襲制を取る事が殆どで、実際暮らしている者からすれば別段変わりはないが、違うのだ。

 私の故郷には、王がいた。だが、エリシーク王国やスラグ王国のそれとは違うように私は感じる。彼等は人民の前に姿を見せるが、私達の王は決して人前にはそのお姿を披露することはない。平々凡々たる、否、それどころか私達の里のような隠密に生きる忍などが拝顔の栄に浴する事など、万に一つもないのだ。

 仕事終わりは、体が重い。今日のようにすんなり事が運んだとして、疲れる。甘いものが食べたいなとぼんやり考えながら、港の方へと足を向ける。

 後ろから女性の悲鳴が上がる。

 野次馬精神に則って、人々はそちらへと足を向けるが、私は喧騒には心が動かされず、歩みを止めない。

「あの」

 今日は何を食べようか。チョコレートのケーキが食べたいな。生クリームを追加してもいい。とにかく甘いものが食べたい。お汁粉に砂糖を振り掛けるくらい、甘ったるいものがいい。

「あの、すみません!」

 私の進路に突然人が割り込んだ。

 突然、ということはないのだろう。ぼうとしていた私が見ていなかっただけで、この目の前の女の子は忽然とここに出現した訳ではない。

 金髪碧眼の如何にもウルグらしい容姿の少女だ。その隣の少年は、髪と瞳は私と同じ黒だが、顔立ちはウルグっぽい。神ノ島の平べったい顔ではない。

 私より少し背の高い少女に顔を向けると、彼女はにっこりと微笑んだ。

「ラスカトルって、どうやって行けばいいですか?」

 ラスカトルはLのライセンス協会のある街だ。

 どの領土にも含まれない独立した街。リバティの街だ。

「ライセンス持ちの方……ですか?」

 そんな訳はない。ライセンス持ちなら、行き方がわからないんて事はない筈だ。

「まさか。只の一般人だよ。手紙を届けて欲しいと知人に頼まれたんだ」

 少女と違い、少年は愛嬌を振るまくということを知らないようだ。

 彼等はLではないという事は、だと私は判断し笑顔を讃えて丁寧に対応することに決めた。

「街の北側から馬車が出てますよ。けど、この時間じゃもうないから、今日はザマで泊まるのが懸命やと思います」

「だから、さっきの宿を取ればよかったんだ」

「だって、すぐに行けると思ったんだもん」

「さっきのとこはもう部屋がないから、他探すか」

「ええー! もうお腹すいたよお」

 兄妹ではないだろう。夫婦というには若すぎる。旅行ついでに頼まれごとをした人のいいカップルというところだろうか。

「食事やったら港の方がいいですよ。宿も、必要なら斡旋しますし」

「助かります! クライブやったね!」

「あ、ああ」

 少年は私を疑わしげな目で見ている。

 私はくすりと笑って、ポケットからカードを取り出す。

「皐月言います。これでもライセンス持ちなんで安心して下さい」

 二人は顔を近づけてまじまじとライセンスを凝視した。

「大丈夫、お金よこせなんて言わへんし。今は少し人の役に立つ事がしたい気分なだけやから」

 嘘ではない。

 仕事終わりは、善良な人間のフリをしたくなるのだ。

「私はアリス。こっちはクライブです。皐月さん、ありがとうございます」

 目をキラキラさせて、アリスは私を見た。

 こんなガキンチョがライセンス持ちだと、感動もするのだろう。

「宿の予算は?」

「うーん、相場が分かんなくて。寝れたらそれでいいかな」

「せやったら、安めでそこそこいい寝具のあるとこ行きましょうか」

 港へと行く途中にライセンス協会と提携している安宿がある。リバティでなくとも私の紹介であれば、安く泊まれる。過去にも数度、紹介をしている。

 こっちやで、と私は歩き出し、それに倣って二人も歩き出そうとしたのだが、アリスの「あっ」という小さな声に私は振り返る。

「お財布がない」

 ばんばんと身体中を叩きまくるアリスの様は滑稽だ。

「船の中はあったんだよ、パーカーの内ポケットにあったの」

「……疑いたくはないが、アオゲじゃないのか」

 聞き覚えのある名前が飛び出す。

「別れ際、やたらと抱擁が長かったけど」

「はあ?」

 クライブが凶悪な顔でアリスを見ている。

 ああ、これは彼女の財布をなくしたという間抜けではなく、長かった抱擁に対することへの嫉妬なのだろう。

「でも、アオゲはいい奴だよ! まさかそんなこと」

「あいつら、ミラルドでは掏摸スリもしてたみたいだけど?」

「うぅ」

 やはりそうだ、ハリネズミのアオゲの事を二人は言っているのだ。

 腕に眼球という趣味の悪い刺青を入れた無骨なあの男。大きな体に対して、小心者の彼は、確実に善人でない。だが、一度身内だと思ったものに対しての人情は人一倍で、どこか憎めない男だった、ように記憶している。

 奴隷船の船員に袋叩きにされている彼を拾ったのは確か半年ほど前だ。ナラ家に売り飛ばされかけていた妹を奪還するという、一銭の得にもならぬ割に骨の折れることをした為、よく覚えている。兄妹仲良くウルグ大陸へと渡り、後に手紙でハリネズミという団体のリーダーになったのだと知らせてきたのだ。ナラ家の使用人をしていた方が、きっとあの子は幸せだったのだろうなと私はその手紙を読んで感じた事を思い出す。

「アオゲ、こっちに来てるん?」

 あれから一度も顔を見ていない。

「知り合いなの? うん、一緒の船で来たよ。バルバラがザマに行きたいってお願いしたんだって」

「財布、まず取り返しに行きましょうか」

 アオゲには港の小さな宿を教えた事がある。土地勘のない彼の事だ、きっとそこに泊まるに違いない。あの目立つ男だ、港にいるならばすぐ目につく。

「もう少し警戒心ってものを持て」

「私だって誰彼構わず信用しないよ」

「トマみたいな怪しい奴にのこのこついてったのは誰だ」

「トマとマヤはいい人だったじゃない」

「結果論だろ」

 歩き出しても二人は声を憚かる事なく言い合っている。

 その言い争いがなんとも平和で、前を見たまま私は小さく笑った。

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