7.あの子は私を惑わす

 偉そうな御託を並べた癖に、私は甘い人間だなと自嘲する。最初に見つけた三人以降、彼らは誰もその生命活動を停止していない。

 私に倣って、リクも最初の一人以外誰も船から落としていなかった。

 ハリネズミは、弱かった。脅したり賺したりしてミラルドでは悪行を重ねている彼らだが、戦いには慣れていないようだ。これでよく船を襲ってきたものだと呆れてしまう。

「どうして俺達を襲う!」

 ハリネズミの多くが伏してようやくアオゲは甲板に出てきた。

 どうしてなどと、よく言えたものだ。

 まるで自分達には何の咎もないとでも思っているのだろうか。

 彼の問いには答えず、剣を構える。アオゲは得物を未だ手にしていない。

 私が一歩踏み出すと、アオゲが一歩退いて、私達の距離は縮まらない。

「構えなさい。あなたの仲間は戦ったわよ」

 それでも尚、アオゲは武器を手にしなかった。

 ため息を一つ吐いて手の力を緩めると、風の剣は姿を消した。右手をそのままアオゲに向けた。

 強い風がアオゲを押して、彼は後ろに転がった。

「兄さん!」

 階段から少女が一人、そしてその後ろから四人の人間が甲板へと雪崩れ込むように飛び出してきた。

 少女はバルバラだ。彼女はアオゲの傍に駆け寄って、こちらを睨んだ。

 兄よりもよほど肝が座っている。

 その後ろにいるのは、先刻のトマとマヤ、そしてアリスとクライブだった。

「どうしてこんな酷い事ーー」

「コゼット!」

 アリスの言葉を遮るようにして私は叫んだ。

 一同の前にクライブが躍り出てその剣を鞘から抜き放ち構えると、まるで見えない壁があるかのように私の呼んだ風は弾かれた。

 リクが私の傍へといつの間にか来ていたようで、私の袖を引っ張った。

「あの剣は対魔法の力があるみたいだけど、それほど強くはないよ。姉ちゃんの力なら、弾かれることはない筈だよ?」

 リクを振り返らず、私はクライブを見つめた。

 何のイメージも持たず私はコゼットに頼った。

 彼女は私の願いーーアリスの言葉を遮るというものは叶えてくれたのだ。

「この人達、いい奴じゃないけど、そんなに悪い奴じゃないんだよ」

 アリスは叫ぶ。

 彼女は見ていないのだ、操舵室の惨状を。

 否、彼女はあんなものを見なくていいのだ。

「悪い奴だよー? 船員三人殺してるよ、こいつらは」

 飄々とリクは言った。

「兄さん、それは本当なの」

 地面に座り込んだままのアオゲの肩をバルバラが揺さぶった。

 アオゲはバルバラを見る事なく、私を見ていた。

「この船はーー奴隷を運ぶ船だ。不知島から連れてきた人間を売るような奴ら、生きている価値なんてねぇ!」

 アオゲは立ち上がって叫んだ。

「奴隷?」

 何の話だ、それは。

 そんな情報を私は知らない。

 リクに視線を送ると、彼は首を横に振った。そんな情報はないようだ。

「折角奴隷船から逃げてきたってのに、あいつぁ、クサは」

 バルバラがゆっくりと立ち上がり、私を見詰めた。

 眼鏡の奥にある瞳から涙が零れ落ちた。

 あの少年は、奴隷として故郷から連れ出されてきていたとでもいうのか。だとすれば、私は、漸く自由を手に入れられた少年の話を聞かず、その未来を奪ってしまったということになる。

「あのさあ。いくら御託を並べたところで、ミラルドでの迷惑行為も、この船や他の船の人達の命を奪った事は変わりないよね? 俺達を恨むのはお門違いなんじゃないのかなー?」

 リクが私の手を掴んだ。

 冷え切ったその手の感触が、私の悩みをどこかへと吹き飛ばしてくれた。

 後悔なんて私らしくもない。

「生きている価値があるかないかを決めるのはあなたではないし、私でもない。あなた達は、やりすぎた。私達ロブにその悪行が届く程に」

 私はただ、仕事をすればいいのだ。

 こんな感情は、私には必要ない。

 きっと、あの子の所為だ。彼女がいると、私は調子が狂ってしまうのだ。

「シャンテ、力を貸して欲しい」

 私の声に反応するように、シャンテーー水の精霊ウンディーネは姿を現した。

「あら、私の歌が必要?」

 鈴のような声でシャンテは笑った。

 そして、その美しい声で歌い始める。

 海の水が幾つ物玉となり、宙に浮いた。

 腕を振り上げ、アオゲ達を見つめたまま、一気に振り下ろした。するとその玉は勢いよく彼らに飛んでいく。今度は、あの剣では弾けない筈だ。

 クライブはトマとマヤの前に立ちふさがり、その剣で水の玉をどうにか防ぐが、全てを防ぐ事はできない。腕や足にあたり、彼は蹌踉よろめく。

 アリスは仁王立ちで、アオゲとバルバラの前に立った。

 水の玉はアリスを避けるようにしてどこかへ飛んで行ってしまった。

「……シャンテ?」

 あれはアリスが何かをした訳ではない。

 水が彼女を避けたのだ。

「駄目よ、サラ。妹ちゃんをあなたは厭うてはいないもの」

 私に力を貸してくれる精霊達はセファードの家にいた者達だ。

 私が本当にアリスに殺意を持っていればきっと力になってくれるのだろうけれど、私はその決意ができていない。誰を呼んでも、きっと駄目だ。

「アリス! 何のために精霊様と契約したんだ、魔法使え!」

 片膝をついたクライブが怒鳴る。

「そんな事言われても困るよ! 魔法なんて使った事ないもん」

 アリスは仁王立ちのまま叫んだ。

「あれ、妹なんでしょ? やりにくいなら、俺が始末するよお」

 リクの手が私から離れる。

「大丈夫よ、リク。コゼット、お願い。私は今戦わなければならないの」

 指先をピクリと動かす。

 私は大丈夫だ。ちゃんと戦うことができる。

 私の手の中に剣が現れる。

「ちょっとコゼットどういうつもりよ?」

「これは、サラが決めるべきことでしょう」

 シャンテは呆れたようにコゼットを一瞥したが、コゼットはふわりと微笑んだ。

 私が剣を構えると、クライブが立ち上がり剣を構えた。

 私が走り出して直ぐ、クライブも床を蹴った。

 大きく振りかぶったクライブの腹に一太刀入れようかとも思ったが、私は彼の振り下ろした剣を防ぐことにした。

「どうして簡単に人の命を奪えるんだ!」

 鍔競りになると、クライブは眉間にしわを寄せて声を張り上げる。

 嗚呼、彼は正義というものを信じているのだ。

 きっとその心は美しいのだろう。

「世の中っていうのはね、綺麗なものばかりじゃないのよ」

 身を引いて剣を斜めにすると、クライブは勢い余ってつんのめった。

「世間知らずの坊や」

 剣を振りかぶる。

「お姉ちゃん、駄目!」

 遠くで声がする。

 振り下ろされる剣。

 こちらを振り向こうとするクライブ。

 全ての動きがゆっくりと、鮮明に私の目に映る。

 剣がクライブの背に当たろうとした瞬間、クライブを水が包んだ。

 世界が動きを取り戻す。

「……シャンテ?」

 リクの隣にいる水の精霊を睨むと、彼女は肩を竦ませた。

「私じゃないわよ」

 アリスを振り返る。

 彼女の後ろに、ウンディーネがいた。シャンテではない。

 そうか、あの森で、アリスはウンディーネと契約していたのか。

 水から剣が飛び出して、私は慌てて飛び退いたが、切っ先が腕を掠めた。

「お姉ちゃん」

 直ぐ後ろからアリスの声がする。

 私は水から解放されたクライブに向き合ったまま、剣は未だ手の中にある。

「どうしてロブなんかにいるの。私達の家を襲ったのはロブだよ。ロブのナスカって人なんだよ?」

 私は漸く妹を振り返った。

「くだらない」

 ナスカさんは、私に優しくしてくれた。

 彼女が主犯だなんてありえない。

 私は、あの日家を襲った奴らと対峙しているのだ。

 あれらはリバティだった。

 切っ先をアリスの鼻先に突きつけるが、彼女は怯まない。私には、妹を斬る覚悟などないと思っているのだろう。

「カルロが調べてくれたの。カルロ、ずっとお姉ちゃんに会いたがってた。息を引き取るまでずっと」

 レオが言っていたのだった、カルロはもういないのだと。

 あの雪の日に、抱きしめてくれたカルロの姿が脳裏を過る。

 ナスカさんは、時々よくわからない謝罪を私にした。

 あれは、どういう意味だったのだろう。

 本当に、七年前の出来事はナスカさんの仕事だったというのだろうか。

 私は後ずさりした。

「ナスカさんが」

 私の居場所はロブだ。

 けれど、もしナスカさんが主犯なのだとしたら、クリスさんがそれを知らないわけがない。仕事だとすれば、指示を出したのはクリスさんかテッドだ。

 クリスさんは、どうして私を助けてくれたの?

「姉ちゃん」

 傍で声がした。

 私の周りを木の葉がぐるぐると舞っている。

 そのままふわりと私の足が浮いた。

「ナスカは、裏切るような人じゃない」

 体が宙に浮いて、そのまま私は海の中へと落ちた。

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