5.理想通りにはならない

「また人様に無駄にご迷惑をお掛けして。あなたという人は、もう少し自分の行動を客観的に見る事は出来ないのですか!」

「暴力反対だよー」

「誰のせいですか!」

「マヤ君、大声を上げて年上の男を叱りつけるなんて、君こそ客観的にだね」

 女性は顔を真っ赤にさせ、私とリクに勢いよく頭を下げた。なんだか愛らしい人だなと思った。

「おじさん、よくわからないけど、俺、強いから大丈夫だよ?」

「ああ、そうだね。君は男の子だものね」

 リクは自慢げに笑った。

 気の緩んだ笑顔で男性はこちらに手を振って「またねー」と言い残すと、女性と二人でカウンターへと向かって行った。

 私も飲み物を取りに行こうとしたのだが、ハリネズミの人数が減っている事に気付く。リクを振り返ると、彼は笑顔を崩さず口を開いた。

「三人甲板に出て行ったよ」

 リクは実に抜かりのない子だ。

 レオとリクについて話したことがあった。ナスカさんがリクの保護者役をしていた頃のことだ。あの頃はまだレオに対して素直に話をできていた。リクはまだ仕事に駆り出されることが殆どなかったのだが、レオは彼をよく連れ回していた。子連れだと油断させられると言っていた。

「あいつは強くなるよ。でも、それは諸刃の剣だ」

「どういう事?」

「誰にでも懐くように見えて、あれは誰も信じちゃいない。そのまま力を持てば、あれは狂っていくだろう」

「大丈夫よ、レオがいるじゃない。私もいる」

「そうだな」

 殊の外柔らかく笑ったレオを見て、私は満たされた。

 当時は、レオの言っている意味を深く考える事はなかった。リクはいつも笑っているし、誰からも愛されていた。

 けれど、今はレオの話していた事がよくわかる気がするのだ。

 リクは、屈託無く笑う。彼は仔細に周囲を見ている。個人の表情や行動から心理とその後の行動まで予測する。そして、どんな仕事でもこなすのだ、その笑顔を保ったままで。

 私がしてはいけないと言った事は、少なくとも私の目の前で彼は絶対にしない。話したくないと私が思った事を、リクは深く追求したりしない。レオのように分かった上で尚続けるなど、双月が落ちてくる程有り得ないだろう。

 物分かりが良すぎるのである。

「リク、見たくない事は見なくていいし、したくない事はしなくていいのよ」

「どうしたの?」

 立ち上がったリクの手を無意識に掴んでいた。

 私の発言はあまりに唐突で、その意味はリクには届かないだろう。

「なんでもない。まだ動かないとは思うけど、様子を見に行こうか」

 触れたままの私の手をリクは握りしめた。

「俺、こうして姉ちゃんと仕事をしていきたい」

 私を見上げるリクは、いつも貼り付けている笑顔ではなかった。

 その真摯な瞳に私ははっとした。

 リクは、大丈夫だ。

 私もレオも彼の傍にいるのだから。

「うん。私もよ」

 私が歩き出すと、リクは手を解いた。


 甲板に出ると、風に吹かれたフードが頭から離れた。

 甲板には人は誰もいなかった。食堂以外の場所といえば、先頭にある操舵室らしき場所だけだ。私の足は真っ直ぐにそちらへ向く。

 中の様子はカーテンが閉まっていて伺えない。

 突然に扉を開けるのは不躾ではないだろうか。やはりノックくらいするべきか。

 私が逡巡していると、リクが「失礼しまーす」と声をかけながら扉を開いた。

 その瞬間、リクは仰け反り、その頭を超えてナイフが飛んできた。

「危ないなあ。俺じゃなかったら死んでるよ?」

 慌てて部屋に入ると、そこは惨状だった。

 床に倒れた船員が二人。その胸にナイフを抱きとめた男が一人、椅子の上で崩れていた。

「船を乗っ取る為に、殺したのね」

 ハリネズミが三人。ナイフを手にこちらを値踏みするように見ている。

 私の当初の予定では、全員をお縄にかけて、少しばかり脅してやろうというものだったが、事態はそう上手くは運んでくれないようだ。

「お前ら、なんだ!」

 なんだ、とは何なのだろう。

 心が冷え切っていくのが分かる。優しさや温情などというものが私から離れていくいつもの感覚だ。頭の中にはいくつもの道があって、選択に私はいつも迷っている。けれど、今は行くべき道にだけ光が差して歩き出すことを躊躇ためらう必要はない。

「私達はロブです。この意味が分かりますね」

「姉ちゃん、やっぱり落としちゃう?」

 私へと突っ込んできた男をさらりと避けると、男はそのまま扉の方へと前のめりで進んだ。リクがその背中をトンと優しく押すと、男は頭からつんのめった。

「うわあ、絶対痛い」

 リクは一足早く部屋を出る。

 一人がそれを追って操舵室を出て行くが私は見向きもしないで、部屋に残った最後の男を見る。その男のナイフは赤く濡れていた。他の男の持つそれは綺麗なものだった。つまり、船長らしき者はわからないが、床で倒れた二人に手を下したのはこの男なのだろう。

「あなたは、覚悟があるのよね」

 聞き取れない言葉を吐いて男はナイフを振りかぶる。

 獲物の使い方を知らない者は、時として恐ろしいものではあるけれど、あまりにも大ぶりに振られた腕を捻り上げる事は容易たやすかった。

 手首を外側に捻ると、ポロリとナイフは手から落ちた。そのまま男の頭を掴んで床にのめり込ませるようにして叩きつけた。

「誰かの命を奪うという事は、自身の命を捧げる覚悟があると見做します」

 転がっているナイフを手に取る。首の薄皮一枚を裂かれると、男は一変して震えた声で命乞いをした。

「俺は、船を奪うよう命じられただけなんだ」

「誰に」

「アオゲに、乗組員は始末しろと」

「他の船でも同じことを?」

「俺じゃない!」

「ハリネズミはまだミラルドに潜伏しているの?」

「今日は全員だ。アオゲの妹を外に連れ出すからって。頼む、助けてくれ」

「そう」

 ナイフを男の首から外す。

 頚椎を潰すようにして、私は男の首の真後ろを刺した。

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