4.レオの元カノはあの子

 早朝、私とリクは宿を出た。

 フードのついた漆黒のローブを私は羽織る。リクにはニット帽を被せて私のそれと同じ黒のポンチョを着せる。そして今日はコンタクトを装着させた。

 雪は降っていないものの、冬の朝は冷える。

「姉ちゃん、寒くない?」

「大丈夫よ、ありがとう」

 リクが手をこちらに差し出す。それに触れると彼はぎゅっと私の手を握りしめて、歩き出した。彼は立派な紳士だ。

 一隻の船の前に、見るからに堅気ではなさそうな人間達が列をなしている。リクは小さな声で、「あれだよ」と呟き、一直線に向かっていく。

 ハリネズミの一団はあの中にいるのだろうか。

「姉ちゃん、ハリネズミのリーダーは彼奴あいつだよ。つんつん髪の頭の悪そうな男。肩に眼球の刺青を入れていて、アオゲって呼ばれてる」

 背の高い肩幅の広い、赤毛の男である。

「親しい人間からはヴィムって呼ばれてる。どこかに赤毛のおさげの女の子がいると思うんだけど、彼女はバルバラっていって、アオゲの妹だね」

「名前までよく調べたわね」

「レオが一度ハリネズミに潜入してるんだ。バルバラは、うん、レオの元カノってやつ。それでアオゲと揉めて脱退。あ、悪く思っちゃ駄目だよ? 時期的にはちょうど良かったし、抜ける為にいい口実だったと思う」

 あの男は一体何をしているのだ。

 リクにこんな弁解までさせるなんて、情けないにも程がある。

 列に並び、銀貨を一枚渡すと、何も言われずそのまま船の中に通された。

 通常、ミラルドから出航する船は、前もって乗船券を購入しておかなければならない。しかし、ならず者達ばかりが集まる予約なしの船が月に数度出航するのである。密入国は大凡だいたいこういった船の横行によってなされる。船長自体、資格を持っているのか謎だ。

 船の地下は食堂となっているようだ。

 甲板にいたところで、刺すような寒い海の風に晒されるだけだ。私たちは食堂の隅ーーアオゲ達の一団の斜め後ろに座った。

「もうコンタクトとっていい?」

「リクはハリネズミと接触してないのね?」

「うん。レオから聞いただけだよ。俺、ただの道化師だから」

 にこにこと微笑んで、リクは鏡も見ないでコンタクトを剥がした。

 缶を叩く鈍い音が食堂に響く。

「出航しましたよー」

 やる気のなさそうな声を、随分と細い男が叫んでいる。

 通常は出港前に知らせるものだが、どうもこの船はやる気がないようである。

「私としては、リクの髪も瞳も綺麗で好きなのだけれどね」

 彼は生まれつき肌が白い。太陽に長時間浴びることすら許されない体である。風の精霊シルフの加護を得てから、彼は太陽の許での営みを可能にした。そのオッドアイも先天的なものである。

「姉ちゃんが好きだっていってくれるなら、俺はこの髪も目も好きになれるよ」

 誰になんと言われてもね、とリクは言った。

 生まれ故郷である神ノ島にリクは一度も訪れた事がない。

 この先、いつかリクが本当の意味で自分を認められるようになった時、共に彼の故郷を訪れたいと思う。勿論、リクが望めばの話だけれど。

 アオゲは声が大きい。その図体と相反して、彼の声は高い。

 いつの間にか、アオゲの隣には華奢な少女が座っていた。赤髪のおさげ、彼女が妹のバルバラだろう。俯いた彼女の表情は伺えない。

 大人しそうな彼女はレオとどんな風に会話をしたのだろう。

「バルバラはいい女だってレオは言ってたよ」

「人の心を読むのはやめなさい」

「ハハ、俺にそんな能力はないよ。姉ちゃんはレオと仲がいいものね」

「よくないわ」

 リクは楽しそうに、ごめんと言って笑う。

 リクにもクリスさんにも言われる事だが、仲は決してよくない。

 レオは揶揄からかうけれど、本心を私にぶつける事はない。大事な局面で、彼は私を避けるのだ。

「珍しくレオが、バルバラはハリネズミから出させたいだなんて優しい人みたいな事言ってたよ」

 そう、と私は口の中で言葉を吐いて、バルバラを見た。

 その群れの人間達は酒を飲んで大騒ぎしているが、バルバラは肩を丸めて下を向いているばかりである。

 レオはもしかすると、本当に彼女に惚れていたのかも知れない。だとすれば、あの連中とは住む世界の違う少女だ。

「リク、この寒い海に人が落ちたらどうなると思う?」

「仏様になるんじゃないかな。落としちゃえばいいって事?」

「落としちゃ駄目って事。でも海のど真ん中で、仕掛けるわ」

「了解」

「リク、温かい飲み物もらってくるわね」

 立ち上がろうとした時、ブロンドの髪の眼鏡を掛けた青年がこちらを見ていた。

「おや、君ーー」

 彼の視線はリクを捉えていた。

「とっても綺麗な目をしているね」

 学者然とした出で立ちの青年は、一見優しそうな目をしている。

 けれど、本心は誰にも悟らせまいとするような佇まいにも感じた。

「ありがとう、おじさん」

「うわあ、酷いなあ。まあいいや。おじさんはトマって言うんだ。スラグから来ていてね。ねえ、君。その美しい瞳はあまり人に晒さないほうがいいよ。邪な人間に利用されてしまうかも知れないからね」

「え?」

 ぽかんとリクは青年を見上げる。

 あのーーと私が口を開くと、青年は私に顔を向けた。

「僕はスラグ王立大学で教鞭をとっているもので、妙な推察をしてしまったようだ。余計な事を言ってしまったようだね」

「教授!」

 ショートカットの眼鏡を掛けた女性が叫びながらこちらへと掛けてくる。

 そして到着するや否や、肩から下げている鞄から本を取り出し素早く丸めて、青年の頭をはたいた。

「マヤくん」

 青年は大げさに痛がり、女性を振り返った。

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