第二章 決別は始まり 前編
1.意地悪な人
エリシーク王国とスラグ王国の国境の町ガラパス。
何度来ても好きになれない町だ。
日がな一日呑んだくれている者達、瑣末な事で諍いを起こす者達、所構わず捨てらているゴミ屑。荒んだ町である。ここの空気は重たい。
「サラ、呑んで行くか」
「行かない」
会話は続かない。否、続かせたくないのだ。
私が話したくないと全身で伝えている事に、レオは気付いている筈だ。
「あの小娘、アリスと言ったか」
私はレオを睨む。しかし彼は怯むどころか、楽しそうに目を細めた。
嫌な男だ。
昔はもう少し優しいと感じていた。一体何枚の仮面を被っていたのだろう。
「湖の中で驚いた。あの日のお前と、よく似ていた」
「もう過去の事でしょう」
「その過去から、お前は逃げ出したな」
私は歩みを止めた。
そうだ。私はロナウドが現れた事で退いたのではない。
アリスが私に何かを語りかける事を恐れて退いたのだ。
あの頃の私はもういない。何も知らない、無垢なままの妹とは違うのだ。
「知っているか、サラ。カルロ王子が逝去された」
「え?」
「は。やっぱり知らなかったのか。だからじゃないのか、妹が城を出たのは」
レオはひどく冷めた目で私を一瞥すると、一人で歩き出してしまった。
七年前、時計台から真っ直ぐに私は城へと走った。
城門の前にカルロがいた。私を見つけると、彼は走り寄って私を抱きとめてくれた。私がしっかりしなければと気を張っていたのに、カルロの優しさが全てを崩してしまった。私は、そこで漸く泣いたのだった。
隣に立っていたのが、ロナウドだった。私より少し年上のように見えた。アリスを迎えに行って欲しいと頼むと、カルロはすぐさまロナウドに命じた。
そして、私は城に迎え入れられ、ベッドに寝かされたのだ。重たい体が、柔らかいベッドに沈んで、すぐに眠りに落ちた。
目が覚めると、カルロではなくレオがいた。
そして、家を襲撃した者がリバティだと教えられた。報復に行くというレオに私はついて行った。
敵の数の多さは、私とレオを窮地に追いやった。当時の私は戦う術を持っておらず、レオは私を守りながら戦わなければならなかったのだ。
私達を救ってくれたのが、クリスさんだ。
四天王の彼は、あっという間にリバティ達を叩きのめしてしまったのだ。
私達は彼に拾われた。
当時の四天王は、クリスさんとテッドさんとナスカさんだった。一人欠けていた為、レオはすぐに昇格した。私は各地での仕事をこなしながら、レオから剣術を学び、戦う術を手中に収めていった。
ナスカさんは、私を色んなところへ連れ出してくれた。Rに入ってから、私は上手に笑うことができなくなっていたのだけれど、彼女が隣にいてくれる時だけは、笑えていたような気がする。
初めは、戦うほどに何かが欠けていく感覚が怖かった。いつ頃からだろう、その感覚すらなくなってしまった。ナスカさんに伝えると、どうしてだか、彼女は涙を流した。私を抱きしめて「ごめんね」と繰り返した彼女は、その後、仕事だと言って
連絡が途絶えた事は、組織にとっては死を意味する。
もし生きていたのだとしても、抜けたと解釈され始末されるのだ。
ナスカさんがいなくなり、私は自動的に四天王となった。
この頃までは、頭を抱えた時は、いつだってレオに相談していた。レオは優しかった。私が四天王になってからだろうか、レオとの関係が悪化したのは。
呼吸が、浅くなった。
どうしてだろう、鼓動が大きく跳ねて、私の体を揺らす。
「サラ」
乱暴に顎を掴まれた。
目の前には、レオがいる。何を思っているのだろう、この人は。感情の読めない目で私を見ている。
「なんて顔をしている。ヒトで居たいなら、Rなんてやめてしまえ」
冷たい目だ。
私はレオの手に指を重ねて、微笑んだ。
「もうヒトじゃないわ」
「その顔、嫌いだ」
レオは踵を返して歩き出した。
四天王の集まりの為にこの街へ来ているのだ。
古びたパブに私達は入った。
客はいない。
カウンターに座ると、マスターは「呑むか?」と鹿爪らしい顔で言った。いつものことだが、客商売に悉く向かない男である。
「いらないーー」
「酒だ」
私の声を遮ってレオは声を張った。
マスターは二杯酒を用意した。
「レオ。仕事なのよ、これから」
「酔わなければいい。どうせクリスもテッドも来てないんだろ?」
マスターはこくりと頷いた。
レオは煙草を一本取り出して口に咥えて私を見た。
「サラ、火」
私が黙っていると、もう一度レオは私に火を
指をパチリと鳴らすと、炎が高く舞い上がった。
すんでのところでレオは頭を引いた。
「お前なあ、俺まで燃やす気か」
「いっそ燃えてしまえばいいのに」
レオはもう一度煙草を私に突き出した。今度は小さく炎を出す。レオは煙を私の顔めがけて吐き出した。
実に嫌な男である。
「お前幾つになった」
眉を顰めると「年だよ、年齢」とレオはカウンターに肘をついて言う。
「十九。それが何」
「男はできたか」
私はグラスを呷った。
レオは女の噂が絶えない。声をかけて遊んでは捨てているような下劣な男だ。
「なんだいないのか。抱いてやろうか」
「結構よ」
隣でレオが鼻で笑ったのが分かる。
「ねえ」
私は前を向いたまま、レオに声をかける。
「どうして私達こうなっちゃったのかな」
答えは返ってこない。
沈黙が空気を重たくする。
私は何を聞いているのだろう。何を期待しているのだろう。
アリスに会ってしまったからだ。
昔を思い出すと、ろくな事がない。
「レオ、煙草一本ちょうだい」
「やめとけ」
レオは意地悪だ。
ひどい事を言う癖に、いつだって煙草を私に与えてくれない。
来訪を告げる鈴がなった。
入り口に視線を送ると、クリスさんとテッドさんがいた。
「おお、呑んでおるのか。どれ、儂も」
「テッド、お前さんは呑んじゃあいかんよ。マスター今日も裏、借りますよ」
マスターはカウンターから出て、店の奥の壁を叩いた。床が開けて地下へと続く階段が姿を現した。こんなものを作らずとも、このパブには客は他に来ないのだけれど、私はそれを進言した事はない。
「それでは黴臭い会合といきますか」
レオは悪態をついて階段を先に降りて行った。
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