6.エルフ、現る

 私の目の前にいるのは、黒い髪、黒い瞳、真紅のマントを羽織る、どこかクライブと似ている男だ。柔らかそうな猫っ毛、少し長い前髪が彼の長いまつ毛に触れている。その黒い瞳を見ていると、意識が吸い込まれてしまいそうになる。けれど、彼は人間じゃない。それを示すように髪から長い耳が顔を覗かせている。

「あなたは、誰?」

 剣を抱きしめたまま、その男を真っ直ぐ見詰める。

 ロナウドの時のような、会った事があるという感覚はない。

 だけれど、どうしてだろう。

 どうしてこんなにも、彼の顔を見ていると安心してしまうのだろう。

「その剣を、守ってくれたのだね」

 彼は私と一定の距離を保ったまま、とても美しく微笑んだ。

 心臓を誰かに掴まれたみたいに苦しくて、鼓動が跳ねた。

 今すぐ彼に触れたいという衝動に駆られたけれど、足の裏から根っこが生えてしまったみたいにその場を微動だにできなかった。

 誰かが私の肩に触れた。風みたいに軽いその感触はどこか懐かしい。

 振り返ると、そこには水の塊が浮いていた。

 見詰めていると、それは次第に形を変えて、髪の長い女性の姿へと転じた。

「彼女はルーナ・ウンディーネ。ルーナ、この子の力になってあげて欲しい」

「あなたが望むなら。アリス・セファード、契約をしましょう」

 ウンディーネが私の頬を両手で包み込むようにして触れた。

 その感触は、水だ。

 少し冷たくて、それでいて優しい。

 ウンディーネはその大きな瞳で私を見た。表情を変える事なく、私に口づけした。そして顔を離すと、水飛沫をあげて弾けた。

「アリス・セファード」

 男に呼ばれて、私は再び彼に向き直った。

「ああ、君はセファードなんだね」

 一人で「そうか」と納得して、クスクスと彼は笑った。

 首を傾げていると、彼はまた優しく微笑んでこちらを見た。その笑顔があまりにも綺麗で、私はドキマギしてしまう。

「君は決して弱くなんてない。俺は君をーー。ああ、そろそろ地上に戻らなくてはいけないね。その剣の持ち主を、頼んだよ」

「あの、あなたは」

 あなたは誰なの?

 私の質問に返ってきたのは彼の言葉ではなく、先ほどと同じ光だった。

 目を開くと、そこは森だった。

 何かが立っている。

 それは夜に紛れるようにして立っていた。黒のローブから伸びる細い腕の先には剣があり、その切っ先は座り込んでいるクライブの鼻先に向けられていた。その向こう側には、あのブロンドの男が水を滴らせて立ちすくんでいる。

「レオ、あなたらしくもない。湖に飛び込んで、剣一つ奪えないだなんて」

「うるさい」

 黒のローブの正体は女のようだ。

「ああ、本当にこの森は嫌だわ」

 女が呟くと、どこからともなく、霧が舞い込んできた。

 視界がどんどん悪くなっていく。

 女が剣を収めると同時に、私はクライブの元へ駆けた。

「クライブ、剣取ってきたよ」

 剣を渡すとクライブは不思議そうに私を見た。

「お前、どうして濡れてないんだ?」

 湖に飛び込んだ私の体は、全く濡れていなかった。

 あの男はずぶ濡れだと言うのに。

「そんな事よりも、どういう状況?」

「あいつら二人ともRだ」

 霧は既に女の姿を眩ましていた。

 クライブの手が私の手を取った。

「俺から離れるな」

 クライブが立ち上がるのが分かる。

「この霧は、おかしい」

「クライブ、誰か来る」

 湖の向こう側に、人影を見た気がした。

 それはそのまま、湖を迂回する事なく真っ直ぐこちらに向かって来る。

 宙にでも浮いているのだろうか。湖の上を歩いているように見えた。

「森を騒がすのは誰ですか」

 とても小さな声だ。

 しかし、それは明瞭に鼓膜に響いた。

 湖の上に立っているのは、耳の長いとても白い女性だった。

 彼女の姿が判然すると、霧が少し薄らいだ。

 Rの二人の姿も見える。

「あなたたちの領域を汚してしまってごめんなさい。だけれど、私達には私達の目的がある。仮令エルフであろうと、邪魔をするなら容赦はしません」

 女は淡々と言葉を紡ぐ。

 エルフが女に視線を向けると、強い風が吹き、頭を覆い被していたフードが落ちた。長いブロンドの髪を一つに結った、碧眼の女。その顔は、見覚えがある。いや、見覚えなんてものじゃない。

「お姉ちゃん……?」

 女が私を見た。

「……アリス」

 私の名を呼んだ。

 女は、姉だ。私のお姉ちゃん、サラ・セファードだ。

 お姉ちゃんは後ずさった。まるで私には近づきたくないとでも言うようだ。

「サラ、容赦しないんじゃないのか」

「ーーこちらの分が悪いわ」

「クライブ、アリス!」

 森から男が飛び出した。

 ロナウドだ。

 ロナウドは、男とお姉ちゃんを睨み、そしてエルフを見て目を丸くした。しかし、足を止める事なく、私とクライブの許へと走ってきた。

 ずぶ濡れの男がお姉ちゃんの傍により、お姉ちゃんの肩を抱いた。

「サラ、出れるか」

「ええ」

「ロナウド、義弟おとうとの稽古がなっていないぞ」

 男は悪態を吐くと地面を蹴った。

 そのまま高い木の枝まで跳躍し、あっという間にその場から消えてしまった。

 しかし、霧はまだ晴れない。

 エルフは、変わらずそこに佇んでいた。

「どうして、エルフが我々の前に姿を現したのです」

 ロナウドが口を開く。

 エルフは黙ったまま、こちらを見ている。

「ねえ、あの人はあなた達の仲間なの? 湖の底にいた、黒髪の男の人!」

 雰囲気がどこか似ている。

 耳が長いという特徴も同じなのだ。同族であると考えてもおかしくないだろう。

 エルフは首を振った。

「誰のことを言っているのですか。我らの同胞に黒髪は、いてはいけないのです」

 彼女の言葉に違和感を覚える。

「その剣は、決して他者に渡してはいけません。クライブ、あなたが持っていなければならないものです」

「どういうことだ?」

 クライブは湖のすぐ傍まで歩いた。

 エルフは無表情を崩して微笑んだ。

「それは、あなたを守ってくれます」

 クライブは一歩踏み出そうとした。

 しかし、それ以上前に進めば湖だ。

 クライブがあのエルフに連れて行かれてしまうような気がして、私は慌ててクライブを後ろから抱きしめて引き止めた。

 エルフはゆっくりと後ろを向き、来た道を戻り始めた。

「待ってくれ! この剣は一体何なんだ!」

 クライブは更に前に進もうとする。

 羽交い締めにして私はその場で踏ん張る。少し引きずられたけれど、

「クライブ、行っちゃダメだよ、お願い」

 私の言葉がクライブに届いたようで、それ以上クライブは前に進もうとはしなかった。

 霧はまるでそこになかったかのように、霧消していた。

「クライブ、アリス」

 ロナウドの低い声が響いた。

「家に帰ったら、この状況をきっちりと説明してもらおうか」

 私は振り返った。

 クライブも同様に振り返ったことが気配で分かる。

 ロナウドは笑顔を貼り付けていた。

 だけれど、それは優しい笑顔ではなかった。

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