2.空腹の少女

――時の終わり、始まり、今、時は来たれり。

静寂を欲するか。

欲動を欲するか。

六つの宝を集めよ。

さすれば、我は汝と共に在らん。


 私が生まれたのはウルグ大陸の北部に位置するエリシーク国の王都ユリアスである。

 私は生まれてこの方、一人でユリアスを出た事がなかったのだが、馬車で四時間ほど南に下ったところに在る森へと向かっている。

 通称Lと呼ばれるリバティという仕事があるのだが、それは街の人たちの依頼を受けてそれをこなす。資格は特にない。夢多き自由人達が、己の思いのままに生きる為にお金を稼ぐ手段なのである。

 仕事に就く為に街を出たといえば聞こえはいいが、本当のところは唯の逃避である。家を失ってからずっと兄のようによくしてくれていたカルロが若くして亡くなったのだ。お葬式が昨日終わったのだが、どうもここには居たくないというのが、出て行くきっかけである。

 姉の許嫁だったカルロは、物腰が柔らかくて、嫌な事や苦しい事を全部包み込んで守ってくれるような人だった。

 凍えてしまいそうなこの季節、もう少し厚着をしてくるべきだったと後悔するがもはやどうしようもない。

 初めての一人旅という高揚感もあって、私は目的の森に来る前に近くの街に寄り道をして空腹を満たす事にした。

 当然なのだが、街を囲う塀はユリアスとは比べものにならないくらい低く、粗末なものだった。街も小さく、人々が賑やかに行き交ってなどいない。

 全ての景色が新鮮だ。

 広場には子供たちがいて、その中心には物語を語って聞かせて全国を巡回している語り師がいた。

 楽しそうなので私もその輪の中に入ってみる事にした。

「六つの宝を集めたエリック王は、空中城を呼び覚まそうとしたが、仲間であったキルケの娘の陰謀に遭い、大切なセフィリア妃の命を捧げなければならなくなった。しかし、王はその悲しみよりも、世界を救う事を選んだ。一度終わりかけた世界は、エリック王によって機会を与えられ、復興を遂げたのであった」

 ユリアスでも聞いた事のある『エリック王伝説物語』だ。

 私はこの物語が大好きだ。

 子供の頃、母が私と姉によく聞かせてくれた。

 実在する人物なのかなんて分からないけれど、仲間と力を合わせて戦うこの物語は、胸が躍り、勇気をもらえる。

この話が好きだからこそ、私はLという仕事に惹かれたのだ。

 世界各国を巡ったエリック王のように、私も世界をこの足で歩いて見て回りたい。

 人々の役に立てて喜んでもらう事も出来るこの仕事に、私は子供ながらに憧れを抱いていたのだ。

 これから新たな世界へと羽ばたいていく最初の街でこの物語を聞けた事は、どうにも運命のような気がしてならない。

 食事を目的として街に来たのだが、今すぐ森へ行かなくてはいけないと思い、私は森へと向かった。

 そう、意気揚々と森へと入ったところまではよかったのだ。

 道はいくつにも分かれていて、行き止まりだったり、元の場所に戻ってしまったりを繰り返しているうちに、今森のどのあたりにいるのか分からなくなってしまったのだ。

 つまり、迷子である。

「あーもう! 寒いし、お腹は空くし、どこなのよー!」

 森で叫んだところで誰も助けてくれはしない。

 けれど、叫ばずにはいられなかった。

 その時、がさりと草むらが動いた。

 獣でも居たのだろうか。

 腰に据えているダガーを抜き、草むらを注意深く睨む。

 がざりがざりと、音が大きくなると同時に、緊張も大きくなる。

 ごくりと生唾を飲み込んだ瞬間、草むらから大きな陰が現れた。

 思わずダガーを構えたまま、右足が引いてしまった。

「またか」

 草むらから現れたのは獣でも何でも無く、人間だった。

 年は少し私よりも上だろうか。

 このあたりでは珍しい黒髪の少年は、私を詰まらなさそうに一瞥して言葉を吐き捨てた。

 張り詰めていた緊張が一気に緩み、脱力する。

「またかって、なによ。驚かせないでよね!」

「何度来たところで、答えは変わらない。とっとと帰れ」

「帰らない!」

 私が大声で言い返すと、少年はぎろりとこちらを睨んだ。そして剣を鞘から抜き取り、切っ先をまっすぐこちらに向けた。

 私もダガーを右手に持ったままである。

 私と少年は暫し睨み合っていたのだが

「クライブ!」

 遠くから男の人の声が飛んできた。

 少年は一瞬そちらに目線を向けたが、すぐにこちらに視線を戻した。

 剣を下げるつもりはないらしい。

 男がこちらに走ってきて、少年の右腕を掴んだ。

「剣を下げろ。女性に向かって何てことをしているんだ、お前は」

「何言ってるんだ、父さんだってこないだ襲われてるんだ」

「奴らなら、とっくに戦いになってるよ」

 少年は渋々といった様子で剣を鞘に戻した。

 呆然とその様子を見ていた私も、男がこちらを振り返った事をきっかけに我に戻り、ダガーを収めた。

 この男の話し方と雰囲気は何処かで会った事があるような気がしてならない。

 きっと私はこの人に会った事がある。

「愚弟が申し訳ありません。お怪我はありませんか?」

「いえ、私は――」

 大きくお腹が鳴った。

 この緊張感に満ちた雰囲気に似つかわしくない音である。

 少年がふっと笑いを漏らした。

「クライブ、失礼だぞ」

「ロナウドも鼻が笑ってるじゃないか」

 男は申し訳なさそうにこちらに頭を下げた。

 男の顔は、確かに笑いをこらえているように見えた。

 恥ずかしい事極まりない。

「しかし、女性がこんなところに一人とは危険だ。なにかご事情が?」

「私、Lになる為にここにきたの!」

「え?」

 満面の笑みで答えると、男は今度こそ声を上げた笑った。

「どういう事情か全く分からないが、L志望という事は俺の後輩だな。外は冷える、我が家へ来ませんか? お話を聞かせて下さい」

 男は優しい表情で、不審者極まりない私を家へと招待してくれると言った。

 そして、この人はLなのだ。

 私の目が暖色を多く払った世界を映し出した。

「ロナウド、お人好しすぎる!」

「いいじゃないか。それに彼女が敵意を向けたところで、俺もお前もいるんだぞ?」

「分かったよ」

 少年の言葉はぶっきらぼうだ。

「それで、お嬢さん、お名前は?」

「私は、アリス。アリス・セファードです!」

「セファード?」

「アリスって呼んで下さい」

 しまった。

 この男、もしかして、セファードの名を知っているのではないか。

 滅多矢鱈にセファードを口にするなとカルロに言われていたのに、自己紹介などまともにした事もなく、思わず名乗ってしまった。

 どきどきしながら、ロナウドの顔を見たが、表情は先刻同様、優しいままだった。

 大丈夫。

 世間はセファードはもう滅びたと思っている。

 私はただのアリスとして、生きていきたいのだ。

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