第10話 落城

 ネーヴィスの後ろに控えていた薄茶色の髪をした女性騎士が、優し気な笑みでディアへと話し掛ける。


「ディア君。個人的な場ならともかく、周囲の目がある際は、ネーヴィス王女殿下とお呼び下さい」

「それが決まりというのであれば従います」


 ディア君と、親し気に呼ぶ女性騎士に、ディアは素直に頷く。

 その様子から、ネーヴィスだけではなく、彼女とも顔見知りであろうことが伺える。

 一体どういう関係なのか。ネーヴィスの使者だったと言われた方が、ロゼとしてはしっくりくる程だ。


「構いませんのに……」

「駄目です」

「ユースは融通が利きませんね」


 むくれるネーヴィスを意に介さず、ユースと呼ばれた女性騎士は満面の笑顔をでもって有無を言わせない。

 近衛騎士なのだろうが、そのやり取りは仲の良い姉妹のようだ。

 そんな微笑ましいやり取りとは対照的に、軍団長であろう老齢の騎士が、一つ咳払いをし、ネーヴィスへと問い質す。


「ネーヴィス王女殿下。ご歓談中申し訳ありませんが、お伺いさせて頂きます。そちらの男性とはお知り合いなのでしょうか?」

「はい! お知り合いです!」


 邪気のない、子供のような笑顔でネーヴィスが答える。

 まさかそんな反応が返ってくると思わなかったのか、老齢の騎士は王女の普段見せぬ無邪気さに目を丸くしている。

 だが、そこは手練れの騎士だ。しっかりと気を持ち直し、渋面を作る。


「ネーヴィス王女殿下。それならばそうと仰っていただければ、こちらが警戒する必要はなかったのですがな」

「先んじて口にするのも憚れる程に、可能性は低いものでしたので。――けれど、ディアならば彼女達にも救いの手を差し伸べてくれると信じておりました」


 言葉と態度。二つを持って、最大限ディアを信用していると伝えるネーヴィス。

 微笑みにも、声音にも、彼への信頼が透けて見える。なにより、ネーヴィスの言葉が雄弁に物語っていた。

 彼女達にも、ね?

 どういう経緯かは不明だが、過去、ネーヴィスがディアに助けられたことがあるのだろうと、ネーヴィスの言動から推測する。それこそ、ロゼ達と同じように。

 ロゼ達やフランに続いてネーヴィスまでもとは。お人よしにも程がある。ロゼは助けられた身ながらも、呆れた視線をディアへと向けてしまう。


「なるほど」


 ネーヴィスの言葉に、老騎士は値踏みするように、ディアへと視線を投げる。


「では、我ら騎士団に無理を押して同行したのも、彼が理由ですかな?」


 聞き捨てならない言葉を、老齢の騎士が口にした。

 貴族令嬢達を助ける為とはいえ、何故一国の王女が騎士団を率いてやってきたのか不思議であったが、先のネーヴィスの言動からもディアの為というのならば納得ができる。

 こうして、ディアがロゼ達を助けているのを見越していたのならば、顔つなぎというのが目的なのだろう。でなければ、最悪の場合問答無用でディア達を誘拐犯として斬り捨てる可能性すらあったのだから。

 ディアの顔を見たかっただけ、というのも捨てきれない反応ではあるのだが。

 ネーヴィスは何か含みがあるような微笑みを浮かべる。


「さて、それはどうでしょう」

「やれやれ。困ったのです」


 あからさまな態度だったというのに、明言はしないネーヴィスに、老齢の騎士は短い白髪を撫でる。

 一国の王女が、自国の民でもない個人に執着していると思わせたくないための返答だろうが、ロゼからすれば今更感が拭えない。とはいえ、態度がどうあれ明言しなければ言い逃れができるというのは、公爵家令嬢として育てられたロゼとしても理解できる。

 言った、言わないの水掛け論で誤魔化すことなど、貴族間では日常的なのだ。証拠さえなければ全ては闇の中。証拠があっても権力で揉み消すこともあるのだから、貴族の世界は汚れ切っている。

 上流階級の汚れ度合いに想い馳せていると、ネーヴィスはディアへとお礼を告げていた。


「ディア。改めてお礼申し上げます。この度は、我が国の民をお救い頂き誠にありがとうございます。ぜひ、お礼をさせて下さい」

「お礼をされることはしておりません。私が勝手にやったこと。彼女達を保護してくれるというのであれば、私の役目も終わりです」

「いいえ。結果としてディアがお救いになってくれたのは事実。例え、自身のためであったとしても、救ったというのであれば、私共の感謝を受け取るべきではないでしょうか? それとも、私共の気持ちをないがしろにすると?」

「……」


 逃げ道を塞ぐようなネーヴィスの言葉に、ディアは黙り込む。

 上手な返しだと、ロゼは感心してしまう。ディアの性格を良く理解している。

 自分ではなく相手を立てろというのは、ディア相手には効果的だろう。事実、断りたそうにしているが、押し黙っているのが証拠だ。

 ディアにしては珍しく、疲れたように息を吐き出す。


「……わかりました。少しだけ、お邪魔しましょう」

「はい。お邪魔して下さい」


 不承不承といったディアとは対照的に、満面の笑顔を浮かべるネーヴィス。

 二人のやり取りを見ていると、リーリエももう少し我が儘を言えばよかったのにとロゼは思ってしまう。

 今頃、背後ではリーリエが肩を落としているのではないだろうか。

 どこか、緩んだ空気が流れていたが、不意にディアへと近付いたフランの表情を見て驚く。彼女は顔を青く染め、今にも泣き出しそうな表情で、ディアの黒いコートを弱々しく握ったのだ。


「ディア様。行ってはいけません。お願い致します。どうか……」


 子供のように首を振り、嫌々とディアへと懇願する。

 普段彼女が見せるふてぶてしいまでの強きな態度とは打って変わった弱々しさに、目を疑ってしまう。

 だが、ディアに相対するネーヴィスは、そんなフランを見て一瞬目を見開くも、何かを察したように落ち着いた口調で語りかける。


「貴女は……。そうですか。貴女も、ディアに助けて頂けたのですね」


 安堵したかのような、優しい声音であったが、フランは全く違うように聞こえたらしい。目尻に涙を溜め、視線で射殺すかのように殺意を込めて睨みつける。


「貴女達はまた私から大事なモノを奪うというのですか!? 家も、地位も、両親さえも奪い、今度はディア様までも奪い去ろうというのですか!?」

「貴様っ! ネーヴィス王女殿下に対してなんたる――」

「――ヴェッテ。控えなさい」


 叱責しようとした老齢の騎士ヴェッテを、ネーヴィスは声のみで静止する。

 含むところはあるのだろうが、ヴェッテは異を唱えることなく引き下がった。

 そうして、未だ敵意を剥き出しにして殺意を向けてくるフランへと身体を向ける。 


「フラン・メシュタル。貴女のことは聞き及んでおります。無論、メシュタル家になにがったのかも。貴女からすれば、フラウノイン王国の王女たる私は、憎むべき者の一人なのでしょう。そのことについて、私は否定致しません。力及ばなかった私を責めるのもよいでしょう。――ですが、ディアとの関わりを絶つ気はありません。フラン。貴女がどんなに拒絶しようとも、私は私の意志を曲げはしない」

「――ッ!」


 王女の宣言。

 天上からのお告げかのように、冷たく告げるネーヴィスに感情は見られない。

 望むがままに自身の想いを語ったネーヴィスをフランはどう思ったのか。

 歯を喰いしばり、激情に身を任せるかのようにフランはスリッドから覗く白い太腿へと手を伸ばし――。


「止めなさい」


 ディアに腕を掴まれ止められる。

 荒れ狂う感情を制御できないのか、憎悪から一転、くしゃりと顔を歪め、濡れた瞳でディアを見上げた。


「ディア様。私は……」


 まるで迷子の子供のようなフランに、その瞳を真っ直ぐ見つめ返し、ディアははっきりと言葉にする。


「私は誰の指図も受けません。ネーヴィス王女殿下にも。フラン、無論貴女にもです。私のことは私が決める。ただ、一つ約束しましょう。フランが恐れている事態にはしない、と。それでもまだ、貴女は不安ですか?」

「――っ。……いえ。いえっ。ディア様にお約束していただけるのであれば、何の憂いもありません」


 何を不安に感じたのか。彼女が語ることはなかったが、ディアとの約束はフランの心へと届いたようだ。

 フランは安心したように瞼を閉じ、頬へと涙を伝わせながら、とんっと額をディアの背へと押し付けた。それを拒否することはなく、揺れ動くことなく立ち続けるディアは、フランにとって頼もしい存在であるのだろう。

 弱い心を曝け出して尚、支えてくれる人がいるというのは、とても羨ましいわね。

 公爵家令嬢として弱みを見せるわけにはいかないロゼの素直な感想であったが、そう感じたのはロゼだけではなかったようだ。

 睦まじい主従のやり取りを見ていたネーヴィスが、ぽつりと呟いたのだ。


「……少し、フランが羨ましいですね」

「何がでしょう?」


 意図は明白であったが、ディア当人には伝わらなかったらしい。

 改まって説明する気はないのか、ネーヴィスは頭を振る。


「なんでもありません。それでは、ディアの従者の同意も得られたところで――」

「馬鹿な。貴様、何を言っているのか分かっているのか!?」


 ネーヴィスが話を切り替えようとしたところで、王女の後ろで控えていたヴェッテが怒鳴り声を上げる。

 首に掛けられた銀に似た板に向かって怒気を放っている様は、狂人にしか見えない。だが、恐らくは彼が所持しているのは遠く離れた者と話す為の通信用の魔導具なのだろう。

 貴重なものであるが、騎士団をまとめる団長であれば、所持していても不思議ではない。

 ただ、問題は前線で指揮を取る騎士に連絡する程の何があったということだ。騎士として、確かな経験を積み重ねたであろう者が取り乱す程のなにかが。

 ネーヴィスも悟っているのだろう。彼女は、通信を終えて魔導具を壊さん程に握りしめるヴェッテへと、静かな声音で話し掛けた。


「ヴェッテ・レーラ騎士団長。王都で何かあったのですか?」


 名と役職を告げられ、怒りに我を忘れていたヴェッテは我に返る。

 王女へと渋面を向けたが、彼は意を決して彼女へと跪いた。


「はっ! 俄かには信じられないのですが、元王国騎士レヴォルグ・イクザームの手により王城が……落とされたとのことです」

「…………城が………………落ちたのですか?」


 ネーヴィスは信じられないと、目を開き、愕然と力の抜けた声を零した。

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