第9話 フラウノイン王国王女
ディアや令嬢達と共に転移した先は、石造りの広間だった。内装の造りは先程までいた転移の間に酷似しているが、向こう側よりはやや狭い。内装にその程度の差しかないため、転移したという実感が薄く、ロゼとしては期待外れだ。
ただ、そのように思っていたのはロゼだけだったようで、リーリエを筆頭に、令嬢達は無事に転移できたことに安堵していた。
安心していたのも束の間、激しい轟音が耳に響く。
「ひっ」
驚くリーリエや令嬢達。
何事かと音の発生元へと視線を巡らせれば、ディアが出口の扉を破壊しているところであった。
こちらの事情などお構いなしの自由過ぎる行動に、ロゼは思わず半目になる。
「貴方のご主人様は、少し奔放過ぎない?」
「それのなにか問題が?」
心底不思議そうにフランが首を傾げ、主従揃って協調性がないとロゼは疲れたように小さく息を吐き出す。
とはいえ、さっさと歩いて先に行ってしまうディアには慌てたのか、フランが慌てて追い掛ける。
姿の見えなくなったディアに、リーリエが慌てたように声を掛けてきた。
「ロゼ様。私達も早くファーリエ様を追い掛けませんと」
「大丈夫よ。どうせ先で待ってるわ」
態度がどうあれ、ロゼ達を気に掛けているディアが、彼女達を置いていくことはないだろう。
ロゼ達がゆっくりとしていようと、待ってくれているはずだ。
「……そうでしょうが」
説明したところでそわそわと落ち着かない様子のリーリエ。頭で理解していても、不安が拭えないのだろう。
随分と懐いたものだと思いながらも、この場所に居続ける意味もない。
リーリエ達を伴い、ディア達の後を追う。
石造りの通路を通り、階段を上る。しばらくすると光が差し込み、導かれるままに上っていくと、地上へと繋がっていた。
緑生い茂る大地を踏み、ロゼは周囲を見渡す。
「森、ね」
「森、ですね」
ロゼとリーリエは、互いの認識を確かめ合うように言葉を交わす。
周囲を覆うように木々が集まり、豊な緑が辺り一面を支配していた。
捕らえられていた牢獄と比較すれば、自然豊かなこの地に足を踏み入れただけでも、開放感が心を満たす。
ロゼ同様、令嬢達も手を取り合い、捕らわれの身から脱出できたことを喜び合う。
ロゼの傍へと近付いてきたリーリエにも、笑顔が浮かんでいた。
「やっと、脱出することが叶いました」
「ふふ。そうね。そのことは素直に喜びましょう。けれど、気を緩めては駄目よ? 牢から脱したとはいえ、この場所がどこかも分かってはいないの。最後まで、頑張りましょうね?」
「――はい!」
元気に返事をするリーリエに微笑みを返し、周囲を警戒するディアに近付く。
「貴女達はとても運が良い。このように穏やかな環境の時に地上へ出られるとは思ってもいませんでした」
「……? どういうことかしら?」
ディアの言葉に、ロゼは首を傾げる。
穏やかな天候なら理解できるが、穏やかな環境とは一体どういうことなのか。
ロゼの疑問へディアは淡々と答える。
「周囲を確認したところ、ここはフラウノイン王国の国境沿い近くのようです。ただ、未だこの地はザンクトゥヘレ。運が悪ければ、嵐の中、はたまた身を焦がす煉獄の中か。どうあれ、貴女達が歩くには厳しい環境でしょう」
「……笑えない冗談だこと」
ザンクトゥヘレの環境変化がどこまでのものか、ロゼには理解が及ばない。だが、数の暴力すら薙ぎ払うディアが厳しいというのだから、脆弱なロゼ達では耐えきれないのは明白だ。
誘拐されたのは運が悪い。だが、ディアに出会い、環境すら味方に付けたのは、確かに運が良かった。
このままいけば問題なく帰れそうだと安心したのも束の間、ディアが恐ろしいことを平然と告げてくる。
「はい。とても運が良い。ただ、いつまでここが森のままであるとは限りません」
「つまり?」
「しばらくすると、森は枯れ果て、不毛な大地へと変化するやも。もしくは、大洪水のように辺り一面水が押し寄せるか。どうあれ、厳しいでしょう」
「――全員可及的速やかに移動するわよ!」
あほかー! 厳しいどころで済むか馬鹿ー!!
ロゼは内心叫びながらも、そのような焦りを表に出すことはなく、令嬢達へと指示を出す。
安堵している場合ではない。人的脅威から自然環境の脅威へと変わっただけだった。しかも、人的脅威ならディアが護れるが、自然の驚異では手の打ちようもない。明らかに危険度が増していた。
安心している令嬢達には悪いが、身体に鞭を打ってでも、進まなければならなくなった。
――
「国境は超えたようですね」
「そう。それは良かったわ……本当に」
相も変わらずディアが淡々と告げた時には、森を抜け、草原地帯へと足を踏み入れていた。
それ程歩いたわけではないが、環境の変化に戦々恐々としていたせいか、ロゼは妙に疲れたような気分になる。
「ロゼ様、大丈夫ですか?」
「はは。大丈夫よ、大丈夫。危機は去ったわ」
「危機、でしょうか?」
「気にしなくていいわ。単なる独り言よ」
不思議そうにするリーリエを誤魔化すように、ロゼは軽く手を振る。
リーリエを含めた令嬢達には、環境変化の危険は伝えなかった。教えたところで怯えるだけ。我先にと団体行動を乱されては行方不明者を出しかねない。せっかくここまで誰一人の犠牲者も出ていないのだ。下手な刺激を与えて、混乱させるわけにはいかない。
なにより、もう少しで帰れると、皆嬉しそうにしているのだ。せっかくなら、その気持ちを保ってほしかった。
ただ、リーリエはロゼの気疲れを察しているのか、心配そうに顔を覗き込んでくる。
その気遣いは嬉しくあったが、後もう少しの辛抱だ。ここで心配を掛ける意味もない。
笑顔を張り付けてリーリエをやり過ごし、ロゼは背筋も曲げず堂々と歩き続ける。
だが、先頭を歩いていたディアが立ち止まったため、ロゼも足を止める。
「どうしたの? まさか、国境を超えてまで危険があるとは言わないでしょうね?」
心底嫌だと顔を歪めるも、ディアは振り向きもせず、ただ遠くを見つめるばかりだ。
不思議に思い、回り込んで顔を見てみるも、いつもの無表情。
「なにかあった?」
「……いえ」
なんでもないと首を振るも、けれども何か気になることがあったのか、結局彼は言葉を重ねてきた。
「ただ、国境付近には外敵から国を護る為の砦か、それに近しいものがあると考えていたのですが、草原が広がるばかりでなにもありませんので、少し不思議に感じていただけです」
「ああ、そんなこと」
特別大したことのない内容に、ロゼは肩の力を抜く。
「別に不思議でもなんでもないわよ。隣国と接している国境付近ならともかく、ここはザンクトゥヘレとの境界だもの。国はなく、軍で攻めてくる相手はいないのだから、わざわざ砦を造る必要もないでしょう?」
砦を造る理由は、攻めて来る者がいるからだ。
そのような者がいないのであれば、わざわざ国庫を使って建てる意味もない。
ロゼからすれば一般常識を語っただけに過ぎず、会話内容も軽く捕らえていた。
ディアは「ああ、納得しました」と、どこか冷めた物言いで続ける。
「――貴女達にとって、ザンクトゥヘレは脅威ではない。そういう認識なのですね」
「そういう、意味ではないけれど……」
冷たく、けれど真剣みを帯びたディアの言葉に、ロゼは言い淀む。
ロゼ達フラウノイン王国の民からすれば、ザンクトゥヘレは脅威だ。そこに嘘はない。
だが、あくまでもザンクトゥヘレに踏み込めないというだけのこと。
特異な環境が猛威を振るうザンクトゥヘレを通って、他国が攻めてくることはまずありえない。
攻めてくる脅威がないのだから、防衛のための砦など建てはしない。
ある種ザンクトゥヘレそのものが強大な砦として機能しているというのが、フラウノイン王国だけでなく、ザンクトゥヘレ周辺国家全ての共通認識だった。
もしかすると、ザンクトゥヘレに住むディアからすれば、そのような態度が舐めていると癇に障ったのだろうか?
問おうにも、ディアにこれ以上語る気はないようだ。
「いえ。気にしないで下さい」
何事もなかったかのように、ディアは歩き始める。
残されたロゼは、歩き出すこともできず、その背を見つめた。
何か致命的な見落としがあるような、小さな不安。けれど、何を見落としたのかが分からない。育った環境からくる常識の違いと言えば、それまでなのだが……。
心の片隅に小さなしこりを残しながらも、ロゼはそんな不安を振り払い、彼の後を追った。
――
「――止まって下さい」
草原を進んでいると、ディアの鋭い声が響く。緊張を誘発する冷たさに、令嬢達の表情が固まる。
深紅の瞳を細め、ディアは鋭く前方を睨みつけていた。
ロゼもディアと同じように前方を見たが、何も見付けることはできなかった。だが、しばらくすると黒い影が近付いてくるのが見え始める。
影は次第に大きくなり、音までも響き始める。
「あれは、軍隊……?」
距離が近付くにつれ、その姿も鮮明になっていった。
鈍く輝く銀の鎧を身に纏う、精強たる騎士の大軍。
響く音は、一糸乱れぬ行軍による足音と、金属がぶつかり合う音。それが大軍ともなれば、音だけでも脅威だ。
自分達へと迫る圧倒的な数の軍隊に、令嬢達は萎縮してしまう。
聴覚と視覚の暴力にロゼとて愉快ではない。ただ、迫る軍隊の所属は分かりきっている。
ならば、こうして先導するのも最後だろうと、進軍の騒音に負けないよう、声高に声を上げる。
「落ち着きなさい! あれはフラウノイン王国の騎士団よ。私達の味方であり、恐れる必要は何もありはしないわ!」
ロゼの言葉に、令嬢達は多少なりとも落ち着きを取り戻したが、完全に恐怖は拭い切れていない。
例え、味方であっても完全武装した集団が迫ってくれば、恐ろしいに決まっている。
慌てふためかなかっただけ十分だ。
逆に、表情を一切動かさず、堂々と立ち続けるディアは胆力からして違う。その落ち着き払った姿はとても頼もしい。
「ちっ。塵共がわらわらと群れて鬱陶しい」
ディアの後ろで殺気立つフランとは大違いである。
互いの顔が認識できる距離まで近付き、よやく騎士団が止まる。
ロゼとしては、さっさと保護してもらいたい。だが、騎士団からロゼ達の状況を見れば、見知らぬ二人が誘拐された令嬢達を連れて歩いていると見えなくもない。
しっかりと説明しなければ、止める間もなく襲ってくる可能性もある。どうあれ、殺しはしないだろうが、恩人に剣を向けさせるわけにはいかなかった。
というか、ディアが本気で反撃するほうが恐ろしいわ。
先の惨劇を自国の騎士達で再現するわけにはいかない。面倒であれ、ここはロゼが間に入って説明するしかなかった。
「ディア。私が事情を説明するから少し待ってい――てって、ちょっと待ちなさい! 何してるの貴方はっ!?」
気が付いたら平然と進み出ていたディアを慌てて静止するも、まるでロゼの声など届いていないかのように止まらない。
この状況で一体何を考えているのよー!?
どうにか止めようとその背を追い掛けていると、相手側も俄かに騒ぎ出す。
今度は何!? と、心の中で叫ぶと、騎士団側からも二人の女性が進み出て来るではないか。
この場に不釣り合いな純白のドレスを身に纏う少女。金糸のように輝く長い髪を、ドレスとは正反対に黒色のリボンでまとめている。
青く揺れる瞳は、優しげながらも、確かな強い意志を宿していた。
金の髪を飾るのは、美しい輝きを放つ宝石が散りばめられたティアラだ。
慈愛の女神のように美しき容姿は、誰もが見惚れ、恍惚のため息を漏らすだろう。
服装、容姿共に場違いな少女は、一人の女性騎士を連れてディアへと向かって歩いて来る。
「嘘でしょう……。どうしてあの方がここにいるのよ」
近付いてくる少女に見覚えのあるロゼは、頬が引き攣るのを自覚する。もしかすると、顔が真っ青になっているかもしれない。
「止まれ! 誘拐された令嬢達を連れた貴様は何者だ!?」
進み出るディアを脅威と見做したのか、はたまた金髪の女性を止めたいがためか、軍団の中から飛び出した老齢の騎士が大声で問う。
よくやったと内心喝采を浴びせたい程の対応であったが、それを制したのは他でもない金髪の少女であった。
「――控えなさい」
「ですが……っ」
「私に、二度も同じことを口にさせるつもりですか?」
「っ。失礼致しました!」
恐らく隊長格であろう騎士は、即座に跪いた。
静止する者がいなくなった少女は、ディアへと歩み寄る。
ディアを止めようにも、既に手を伸ばせば届く距離にまでディアと金髪の少女は近付いていた。
この状況下で、ロゼが口を挟むわけにもいかない。
ディアの後ろに控え、面倒事にならないよう祈るばかりだ。ロゼと同じように少女の後ろに控える女性騎士は、彼女の行動に焦ることもなく、落ち着き払っている。
主人の暴挙を見逃すとは、なんと怠慢な騎士なのか。
現実逃避と八つ当たりをない交ぜにした感情を女性騎士にぶつけつつ、ロゼは事の成り行きを見守るしかない。
最悪、私が頭を下げるだけで済めばいいのだけれど。
ディアの命だけは守ろうとロゼは覚悟を決める。
誰もが固唾を飲んで二人を見守る中、少女――フラウノイン王国第二王女ネーヴィス・フラウノインは、この場にいる者達が驚愕する行動に出た。
まるで待ちわびていたかのように、頬を朱に染め、可憐な笑顔を咲かせる。そして、触れ合いそうになる程にディアへと身を寄せたのだ。
「お久しぶりです、ディア。また、お会いできて嬉しく思います」
「貴女も変わりないようですね。ネーヴィス」
再会を喜ぶ友人のように和やかに言葉を交わす二人に、ネーヴィスの後ろで控える女性騎士を除いた誰もが驚いた。
一体どういうことか。ネーヴィス王女殿下が親しげに話す男は誰なのか、と。
そんな中、ロゼは一人額へとそっと手を添える。
「……………………頭痛い」
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