第8話 蹂躙
ロゼがお願いしようとすると、ディアは切れ長の瞳をより鋭くして告げる。
有無を言わせぬ声音に、ロゼ達は言われるがまま部屋の奥へと下がった。
なにがあったのか。そうしたロゼの疑問は、複数の足音を鳴らし、室内へと入ってきた男達によって氷解する。
みすぼらしい姿をした男達は、剣や斧などといった武器を手に持ち、ロゼ達を下卑た笑みを浮かべてねめつけてくる。
――レヴォルグの部下には、こういった下劣な者達しかいないのかしら?
品位の低さに呆れるばかりだ。だが、劣悪な環境下で生きる者達など、この程度が普通なのだろうか。
そう考えると、一定以上の教養を見せるディアこそ、この地では異端なのか。
ちらりとディアの横顔を見れば、今まで見せていた淡々とした表情とは違い、明らかに不機嫌さが表に出ていた。
「そう簡単にここから脱出できると思ってんのか? んん?」
「貴方達は、私に敵うと思っているのですか?」
「おいおいおい? 聞いたか今の? この人数相手に、こいつは勝てるのかってよぉ? ギャハハハハ!」
百には届くまいが、数十人による下劣な笑い声というのはあまりに耳障りだ。
室内に響き反響する声に、苛立ちが募る。
「確かに。このザンクトゥヘレでお前を恐れねえ奴はいねえ。出会えば死ぬ。そんな死神みてぇな存在にわざわざ歯向かう奴もいなかったろうさ」
優越感に浸っているのか、へらへらと余裕を見せるのは鬱陶しいが、目の前の男が気になることを口にした。
「ディア。貴方、死神なんて呼ばれているの?」
「知りません」
興味なさそなげにバッサリと斬り捨てられたので、男達の態度に敵意を剥き出しにしているフランへと目配せすれば、ディアのこと故か、不機嫌そうにしながらも答えてくれた。
「そう呼ばれることもあります。ディア様はフラウノイン王国の人間には優しいですが、礼儀も弁えぬザンクトゥヘレの人間には一切の容赦をしません。相対すれば死あるのみです。ただ、言っておきますが、ザンクトゥヘレの人間であっても、相手が何もしないのであれば、ディア様は手を下しませんよ」
「つまり、絡んでくる相手が悪いと」
「当然です」
ディアの性格からも分かりきっていたことだが、大抵はこのように相手が突っかかってきたのを返り討ちにしていただけなのだろう。
一方の情報のみを信じ切るわけにはいかないが、男達の態度を見ると否定なんてできそうもない。
数を揃えてディアへの恐怖を忘れてしまったのか、口を開けば開く程調子づいていく。
「だが見ろ! この数を! 百に迫る俺達を相手に、お荷物を抱えたお前に何ができるっていうんだ!? 今まで調子に乗ってたつけだな、おい。さっくりてめえを殺して、後ろの女達を可愛がってやるよ」
「本当に、下種な男しかいないのね。この場所には」
好色な視線を無遠慮に向けて来る男達を避けるように、ディアの後ろへ下がる。
何より、これから起こる惨劇をわざわざ目にする理由もない。
下卑た笑い声を上げる男達へとディアが近付いていくと、ただ一言零した。
「――鬱陶しい」
――
それは一方的な蹂躙であった。
「ひ、ひぃいいっ!? 来るなぁああああっ!?」
初めこそ強きであった男達も、実際にディアと戦い出せば一瞬にしてその脆さを白日の元に晒した。
振るう武器はディアの両腕によって破壊され、殴り掛かろうとも拳を受け止められ、ただ握力によって拳は砕かれた。
「な、なにをやってるだお前らはぁっ!! 相手はたった一人だぞ!? こんな、こんな事があってたまるかぁっ!?」
リーダー格であったであろうディアへと突っかかっていた男は、剣を振り回しながら取り乱す。
たった一人の人間に、次々と仲間が倒されていく様を見せつけられるのは、とてつもない恐怖なのだろう。
後悔するには遅く、男が気が付いた時には、周囲の仲間は全て地に倒れ伏していた。
男の仲間を残らず狩り尽くしたディアは、ゆっくりとリーダー格の男へと近付ていく。
こつ、こつと。室内に響く足音を聞き、男は自身が口にした死神とディアを重ね合わせた。
数を揃え、調子に乗り、一体どのような存在に手を出したのか、今さらになって理解したのだ。
こ、殺されるっ。
死を実感し、ようやく男はレヴォルグの言葉を思い出していた。
『ディア・ファーリエには手を出すな。例え、この拠点から脱出しようとしてもだ』
フラウノイン王国で最強とまで謡われていた男の言葉。
このような地に堕ち、臆病風にでも吹かれていたのかと、仲間内で笑っていた己を今さらに悔いた。
手に持っていた剣は既に地面へと転がし、情けなくも地面に尻を付き、後ずさる。
「た、助けてくれぇっ。あ、あんたをどうこうしようなんて、最初から思ってなかったんだ!? こ、ここここから脱出するのも見逃す! だから、だからどうか――」
「――黙りなさい」
全てを捨て、涙を流して乞うた許しは報われることなく、男の意識はあっけなく闇へと落ちた。
――
「格の違いというのは、正にこのことね」
目の前で起こったのは戦いですらなかった。
ディアが一方的に相手を倒していくだけの行為であり、愚か者への処罰でしかない。
「レヴォルグとの戦いから理解してはいたけど、こうして数を圧倒されると、言葉もないわ」
「ディア様であればこの程度当然です。あのような屑共に負ける道理はありません」
自身の主に活躍を見れて気分が良いのか、フランは形の良い胸を逸らし誇らしげだ。
対照的に今まで戦っていたとば思えない程落ち着いた様子のディアが戻ってきた。
彼の後ろに築かれた屍の山を見て、理解していながらも思わずロゼは訊いてしまう。
「殺したの?」
「いえ。気絶しているだけです。例え目覚めたとしても、相当痛めつけたので、立つのも困難ですが」
「あのような下種な者達を殺していないのですか!?」
フランでさえ驚きの声を上げる。
牢で男を躊躇なく殺したことからも、今回も手を下すとばかり考えていた。それ故に、誰一人として殺していないというのはあまりにも意外だ。
ディア本人も、あまり納得はしていない様子だったが、彼は「仕方がありません」と、諦めたように口にした。
「相手がどんな愚か者であれ、貴女達は人の死に対して忌避感を覚えていました。であるならば、貴女達の前で安易に殺す訳にはいきません」
「…………なんというか、ほんと。貴方という人物がこの地で生まれたのが信じられないわ」
理性的というだけでは語れない程、気を回すディアにロゼは何度驚かされればいいのか。
それはリーリエ達令嬢も同じで、一様に悲惨な光景を見なかったことに安堵し、ディアの気遣いに感謝した。
どれだけで下種な者であったとしても、血や肉が飛び交う光景など見ていて気持ちいいものではない。一度、牢内でそんな悲惨な光景を目にしたとはいえ、慣れるはずもない。
令嬢達の中から一歩前進み出たリーリエがお礼を告げる。
「ファーリエ様。お気遣いありがとうございます。私の身体から、皆様のことまでお気遣い頂き、感謝の念に堪えません。ぜひ、この場所を出た暁には、お礼をさせていただきたいのですが」
「構いません。私が勝手にしていることです。貴女達にお礼を言われることですらありません」
「そう、ですか……」
素っ気ないディアの返答に、どこか落ち込んだ様子のリーリエ。
気弱なリーリエにしては頑張ったようだが、はっきりと断られては深追いすることもできないのだろう。
ディアの勝手だろうとなんだろうと、お礼だと強引に攻めることもできるでしょうに。
他の令嬢達と違い、社交界に出る機会が少なかったリーリエに交渉というのは難しかったのだろう。
相手の言葉を正面から受け止めるのは美徳であるが、もう少し我が儘になってもいいだろうに。
それも、ここから出た後、今後に期待とロゼは自身の中で締め括り、ディアへと本題を促す。
「それで、転移陣のことだけど」
「ええ。先程お伝えした通り、私が先行します」
「ディア様。わざわざディア様が危険を犯す必要はありません。私が先に転移し、確認してまいります」
「何を言っているのですか。それこそ危険度が増すだけです。こちらで大人しく待っていて下さい」
「……ディア様」
不安げにしつつも、ディアの言葉には逆らえないのか、これ以上反論することはなかった。
ディアは転移陣の中心へと進み出る。
「それでは、少々お待ち下さい」
転移陣の輝きが増すと、中心に立っていたディアの姿が掻き消える。
ディアが流し込んだ魔力がまだ残っているのか、魔法陣は未だに淡く輝いていた。
転移を初めて見たロゼは、消えると理解していても目の前で起きた出来事に驚きを隠せない。
「これが転移、ね。いいわねぇ。実用化できないかしら? そうすれば、屋敷から学園に通うのも馬車など使う必要もなく一瞬なのだけれど」
「ロゼ様らしいお考えですね」
転移という、最上級の魔法を目にして考えるのが、通学の面倒を失くすことであったのが可笑しかったのか、リーリエが柔らかい笑みを零す。
これがリタであったならば、呆れた上でお小言の一つでも零すのだろうが。
ふと気が付けば、ロゼの隣では常に強きなフランが、胸元を握り、瞳を揺らして転移陣を見つめていた。
「ディア様……」
零れる主人を呼ぶ声に覇気はなく、落ち着かないのが見て取れる。
フランがディアの危険を少しでも減らそうとしていたのは理解しているが、同時に彼の強さを一番に理解しているのもフランのはずだ。故に、ディアが多少の危険に挑んでも、堂々と待っているものだと思っていたので、誰が見ても分かる程不安そうにするとは想像していなかった。
「心配?」
「当然です」
思わず質問した言葉に、フランはロゼに目もくれず返す。
「ディア様が誰よりも強いのは理解しています。だからといってわざわざディア様が危険を犯す理由になりません。なにより、私はディア様の為に少しでもお役に立ちたいのです。それなのに、私は付き添い、見ていることしか叶いません」
自身の無力さをフランは嘆く。
一人で全てをこなしてしまうディアは、誰かを頼るということがなかったのだろう。例えそれが、フランのように一身に信頼を向けてくれる相手であっても。
――……さあ? どうでしょうか。
ふと、フランとの関係を誤魔化すように告げたディアの言葉が頭をよぎる。
「お待たせ致しました」
そうこうしているうちに、転移先の安全を確認したディアが戻ってきた。
誰もが彼の無事を喜ぶ中、ロゼだけはその輪から外れて物思いに耽っていた。
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