第7話 脱出
「――行きますよ」
「……以前もそうだったけれど、貴方には説明というものが欠如しているわね」
「……?」
ディアとロゼが話し合った翌日。気になることでもあったのか「少し様子を見てきます」と、通路の奥へと消えていったディアが戻ってきて放った一言目がこれである。
何故そのような指摘を受けているのか分からないというように、首を傾げる姿は幼い子供のようだ。女性的な見目も合わさり、どこか愛らしさすらある。
こんな場所でなかったら、さぞモテるでしょうね。
黄色い悲鳴を上げて騒ぐ女性達が目に浮かぶようだが、今はそのようなお気楽なことを言っていられる状況ではない。
ため息を吐きつつ、ロゼは言葉の意味を理解しようと試みる。
「行きますというからには、ここからの脱出なのでしょうけど、何か状況が変わったのかしら? ただ、抜け出すだけなら、レヴォルグが許さないでしょう」
「ええ。この拠点内から人の気配がかなり減りました。確認した限り、レヴォルグもいません。以前にように拠点を出たフリという可能性もありましたが、今回はそれもない。相手の思惑はどうあれ、私を邪魔する者はいませんので、この機に抜け出します」
「最初からその説明をして欲しかったのだけどね……」
「貴女達は黙ってディア様の言葉に従えば良いのです。考える必要はありません」
ディアの後ろに控えていたフランから、清々しいまでの辛辣な言葉が飛んでくる。
相手をしても良いが、せっかくこの辛気臭い牢屋から脱出する機会に恵まれたのだ。それをフランの相手をして棒に振るなど愚かでしかない。
出かかった言葉を飲み込み、ロゼは令嬢達へと振り返り、声を掛ける。
「――ようやく、捕らわれの身から脱する機会を得られたわ。早々にこのような場所から脱し、今日はそれぞれの自室で、柔らかいベットの上で寝ましょう」
令嬢の反応は頷いたり、返事を返したりと様々だが、一様に明るい。寝床や食事など、低水準の生活に気力も体力も擦り減っているが、どうにか歩くだけの気力は残っているようで一安心である。
それは、フランの傍にいるリーリエも同じだった。寧ろ、ここに来る前よりも顔色は良く、ロゼに向ける笑顔にも陰りはない。
「ロゼ様。私は問題御座いません。ファーリエ様が私達を御守り下さるのであれば、何も心配する必要などないのですから」
「そう、ね?」
言葉と共にディアへと向けられる視線には、確かな信頼の色があった。
それも当然。生まれた時から患っていた持病をディアが治してみせたのだ。気を許すなというのが無理であろう。だが、頬を染めてディアを見つめているのが、ロゼにはどうにも気掛かりだ。
いやー、うん。まさか、ねえ?
少しばかり問い詰めたくなるが、フランの時同様ぐっと堪える。
ちょっとした不穏な気配を感じつつも、ロゼは令嬢達と牢屋を出る。
全員が牢屋から出たことを確認したディアは、特に何を言うでもなく背を向けると歩き出す。
「愛嬌がないというか、事務的というか。もう少し愛想を振りまいても良いと思うのだけれど」
「あのように冷静な対応も、とても素敵だと思います」
「分かりますか、リーリエ・フォーゲル! そう。言葉少なくとも、ディア様の背中は語ってくれているのです。私達を護る、と!」
「はい。わかります。黙って付いて来いという態度は、男性らしく、とても頼もしい」
「そうなのです! それでいて、思わず見惚れてしまい程の美しい顔立ち。切れ長の瞳に見つめられるだけで、私は何度のこの胸を射抜かれたか……。ああ、神が作りたもうと最高傑作は、ディア様にほかならないのです」
恍惚とした表情でディア愛を語り続けるフランに、これまた珍しくどこか興奮した様子で同意するリーリエ。
止まることのない会話の応酬に、敵地だということも忘れ、静かにさせることもできずにドン引きである。
しかも、数人の令嬢も恐る恐ると言った様子ながらも、嬉々として話に混ざるのだから手に負えない。
『初めは怖い方だと思っていたのですが、わたくし達への対応も丁寧で、とてもではありませんが、このような場所で育ったとは思えませんの』
『わかりますわ。わたくし、貴族のご子息様と仰られても、疑いませんもの』
『ですわよね! それにとてもお綺麗で、初めは女性の方だと思っておりましたわ』
などなど。
ロゼの背後では、見事花々が咲き誇ってしまった。
古今東西問わず、異性の話というのは下世話ではあるが盛り上がるもの。
余裕があると喜べばいいのか、ロゼとしては呆れるしかない。
「いいのかしら。あれ、ほっといて」
「構いません。拠点に残っている者達も、近付いてくる様子はありません。恐らく、レヴォルグに指示されているのでしょう」
「そういえば、これだけ騒いでいるのに、誰とも会わないわね」
足元を気にしつつ歩くディアに置いて行かれないよう付いていきながら、周囲を見渡す。
自分達の居場所をさらけ出すように騒ぎ立てているというのに、誰とも遭遇しない。拠点から全ての者がいなくなったとは考え難いことからも、ディアの言う通りレヴォルグの指示があったと見るべきだろう。
本来ならば静かにさせるべきなのだろうが、せっかく会話に花を咲かせる元気が戻ったのだ。状況が許す限り、放置するのが良いだろう。
「それで、ここからどうやって脱出するのかしら? ここがザンクトゥヘレのどこかは分からないけれど、フラウノイン王国まで歩くというのは現実的ではないでしょう。馬車でもあるのかしら?」
「ありませんよ。環境が良い時ならともかく、馬ではザンクトゥヘレを走りきるのは難しい」
「そうなると、そもそもレヴォルグは私達をどのように連れ去ったのかしらね?」
ロゼは学園から牢屋までどのように運ばれたのか、眠っていたために記憶がない。
感覚故にはっきりしたことは言えないが、いくらなんでも一日以上経っていたとは思えない。
とするならば、相当素早い移動手段が求められる。
飛竜などといった空を飛ぶ魔物を手懐けているのか、それとも、魔法を使った特殊な移動方法か。
「ここですね」
ディアが立ち止まったのは頑強な鉄扉の前だった。
人工的に削られているとはいえ、未だ岩肌が周囲を覆う洞窟の中だ。この扉の先が地上だとは到底思えない。
ディアが扉を開けようとするも、鍵が掛かっているのか開く様子はない。
鍵を探さないといけないかと思ったが、
「少し、離れていて下さい」
というディアの言葉に、ロゼは周囲の令嬢達と共に距離を置く。
ロゼ達が離れたのを察したであろうディアは、鉄扉へ向けて一突き。
耳を響かせる鈍い衝撃音と、想像もしていなかった扉を開ける方法にロゼの頬が引き攣る。
「…………誰よ、礼儀正しいとか言ってたのわ。滅茶苦茶力技じゃない」
そもそも、人の腕力で強引にこじ開けられるものなのか疑問であったが、見事に扉の中心はへこみ、全体が曲線を描いている。
捕らえられてからこれまでディアには驚かされ、自身の常識を疑ってばかりだ。
「人間技ではないわね、これは」
「もう一度」
淡々と紡がれた言葉とは違い、非情に重い一撃は鉄扉を簡単に吹き飛ばした。
扉のあった上部から、小さな砂や石がパラパラと落ちていく。
目の前で起こった衝撃的瞬間に誰もが驚いたが、当のディアと彼の従者たるフランは一切動じることはない。フランに至っては「流石ディア様です」と、褒め称えている。
「付いてきて下さい」
ロゼ達の動揺など気が付いていない様子で、ディアは部屋の中へと入っていく。
フランがそれに続くのを見届けてから、ようやく呪縛から解き放たれたロゼは、慌ててディア達の後を追う。
「ちょっと待ちなさい!」
小走りで入った室内は、ほぼ物がなく、四隅に松明が置かれているだけだった。室内は広く、令嬢達が全員入室しても余裕がある。
「集会場かなにかなのかしら?」
「集まるという意味では合っているのでしょうが、この部屋自体は別の目的で作られたのでしょう」
ディアは迷うことなく部屋の中央へと進む。ロゼもその後に続くと、室内の中央に描かれた陣に気が付いた。
「これは……魔法陣?」
大きな円に、複雑な文様が描かれた魔法陣。
部屋の状態からするに、この魔法陣がこの部屋の意味なのであろうが、では一体どういう効果を発揮するものなのかは、魔法使いではないロゼには読み取れなかった。
ディアが魔法陣に手を掛け調べるのを見守りながらも、ロゼは考察を続ける。
ロゼ達がこの部屋を訪れた理由は、ここから脱出するためにディアへ付いてきたからだ。
先んじて調べていたためか、ディアが迷わずこの場所を目指した。ということは、何かしらの脱出手段がこの部屋にあるということだ。
だが、広いだけの室内に目ぼしい物はなく、やたら目立つ物と言えば中央の魔法陣程度。
故に、この魔法陣こそが脱出の鍵となるはずだ。そして、魔法で脱出となると、手段は色々あるだろうが、ロゼが真っ先に思い付いたのは、もっとも安直な方法だ。
ロゼも魔法陣へと近付くと、興味深げに全体を眺める。
「これは、もしかすると転移の魔法が使えるのかしら?」
「恐らくは。空間を広くしてあるのも、集まった人や物を次々に転移させるためでしょう。そして、この拠点から人が一斉にいなくなった方法も、転移と考えれば辻褄が合います。いつ環境が変わるかも分からないザンクトゥヘレを大人数で移動するのは、愚の骨頂ですから」
「そうね。それなら、私達を一瞬でこの拠点まで運べた理由も分かるけれど、どうやってこんな高等な物を用意したのかしら」
転移の魔法は、個人で発動するのすら相当難しいとされている。それこそ、高位の魔法使いでなければ、まともに扱えない。
それを、このように設置するなど、並の魔法使いにできることではなかった。転移の魔法がこれほど簡単に設置できてしまうのであれば、大陸の移動手段のみならず、国家同士の関係すら変わってくるだろう。
そんなものを、レヴォルグが用意した? まさか。彼はあくまで剣士だ。多少魔法を使えたとしても、このような高位な魔法を使えるはずもない。
そうなると、最低でもこれだけのものを用意できる高位の魔法使いがレヴォルグの仲間にいるということになる。
まだ見ぬ厄介な敵に、ロゼは辟易する。
そんなロゼとは違い、ディアは相手の戦力など気にしてなさそうだ。淡々と魔法陣を調べていると、魔法陣が淡く光りを帯び出す。
「使えそう?」
「大量の魔力が必要になりますが、この程度であれば問題ありません。このまま起動させます」
「お願いするわ。それにしても、貴方、魔法にも造詣があるのね」
一般的に魔法使いというのは、魔法の探求をする者であり、戦いに向かない者が多い。
そもそも、学者に近く、そんな者が前線で戦えるはずもない。
だというのに、フラウノイン王国で最強と謡われていたレヴォルグと同格でありながら、魔法にも精通するなど、どこまで驚かすのか。
戦士と魔法使いを両立するのは、それこそ長寿種だけであろうに。
だが、そんなロゼの驚きを、ディアは否定する。
「修めるという程のものではありません。多少、知識として得ているだけで、魔法も大したものは使えません。この転移陣に関しては、必要量の魔力を送り込めば使えるようになっていたので、簡単に調べがついただけです。むしろ、これだけ高度な転移陣を誰でも扱るようにした作成者がおかしい」
「そうなのね。逆に意外と思ってしまうのは、感覚が麻痺してきているのかしら」
ディアなら魔法を完璧に修めていてもおかしくないと思ってしまった辺り、ロゼもかなり彼のことを特別視してしまっているのだろう。それも、無意識に。
盲目的に他人を評価し、決め付けるのはよくないのだけど、それでもいいかと思わせてしまうのは、人徳なのかしらね。
どこか困ったように頬に手を添え、ロゼは苦笑する。
ロゼの視線の先では、魔力を送り込んでいたディアが、転移陣の中へと進もうとしていた。
「もう使えるの?」
「ええ。ただ、転移先は実際に飛んでみないとわかりません。レヴォルグ達が使用していたのなら、転移先が危険という可能性も低いでしょうが、罠という可能性も捨てきれません。私が先行して確認してまいります」
「そう、ね。貴方に頼り切りになってしまうのは申し訳ないけれど……」
「――皆様、部屋の奥へと下がってください」
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