第4話 現状確認
逃げることの叶わなくなったロゼ達は、元いた牢とは別の牢で時を過ごしていた。
レヴォルグが指示したのか、ディアが殺した男の死体は連れてかれたとはいえ、再びその牢に入ろうなどとは、生理的に思えなかった。
それをいえば、牢に戻ること自体拒否したかったが。
とはいえ、牢に捕らわれた当初よりは幾分かマシだ。牢の鍵は解錠されたままになっており、なによりロゼ達を護ろうとしてくれるディアがいる。彼の隣には、ロゼ達を早く見限りたいフランもいるけれども。
それでも、いつどんな悲惨な目に合うかも分からない状況と比較すれば、十分状況は好転している。後は、フラウノイン王国の助けが来ることを待つばかりだが、そもそも、ここがどこなのか不明なままだ。
他にも、いくつかの疑問がある。知ったところで何かが変わるわけではないが、知ることもせず、ただただ状況に振り回されるだけというのは、ロゼとしては如何だ。
レヴォルグにこの借りをきっちり返すのであれば、やはり情報は少しでも多い方がいい。
ならば、と情報を知っているだろうディアとフランを見て、やはりここはディアに訊くことにする。
身元だけでいえば元フラウノイン王国の伯爵家令嬢であるフランなのだが、どうにも彼女はロゼ達に敵意を持っている。ディアの手前抑えてはいるようだが、協力的ではないのは確かだ。
であるならば、ロゼ達を護ろうとしてくれているディアに声を掛けるのは必然である。
鉄格子へと近付こうとするロゼに、傍にいたリーリエが顔を向けてくる。
「どうかなさいましたか?」
「少し訊きたいことがあるだけよ。貴女は大人しくしていなさい」
不安げな表情のリーリエに笑みを浮かべ、ロゼは鉄格子に背を預け、座っているディアに近付く。
「ディア。ちょっと貴方に訊きたいことがあるのだけれど」
「気安いですよ。下がりなさい」
ロゼの問い掛けは、彼の傍に立っていたフランの冷たい言葉によって遮られる。
ディアを心底敬愛し、ロゼ達を毛嫌いしているフランであれば、こうすることは目に見えていたが、こうも立て続けに邪魔をされると、ロゼとて苛立ちはする。
背筋を伸ばし、鉄格子越しにフランを見据える。
フランもフランで、心底鬱陶しそうにロゼを睨みつけてくる。
「敬称も付けず、呼び捨てにするとは不敬な。ファーリエ様と呼びなさい」
「お前は気安いどころか、無礼過ぎるのだけれど?」
どれだけ譲歩しても、公爵家令嬢に対する物言いではない。
「はん。だからどうしましたか? 首でも落としますか? 公爵家令嬢様?」
言葉の端々に嫌悪が滲み出ている。
ディアに関わる者を嫌っているにしても、少々行き過ぎた態度だ。ロゼ個人に恨みがあるとするならば納得もできるのだが、ロゼに覚えはない。
何かしらの事情があるのだろうが、だからといってロゼが手を抜く理由にはならなかった。
にっこりと微笑み返して、反撃をする。
「そんなことを言っていると、お優しいファーリエ様に嫌われてしまうのではないかしら?」
「っ。そんなことありません。ディア様が私を嫌うなど……」
一瞬、動揺を見せたが、直ぐに取り繕うだけ中々の胆力だ。元とはいえ貴族令嬢だったのは伊達ではないのだろう。
とはいえ、視線を動かしてディアの顔色を伺ってしまう辺り、やはり彼女にとってディア関連が弱みであることは間違いない。
話題の渦中にいるディアは、ロゼとフランのやり取りに興味がないようで、見向きもしないが。
嫌われているわけではないだろうが、関心すらない様子にフランはちょっと涙目だ。
そんな敵対者がさらけ出した隙を見逃す程、ロゼは甘くなく、どちらかと言えば非道。
「そうね。嫌うことはなさそうね。嫌うことは」
嫌味たっぷり。ロゼがねちっこい笑みを向けると、額に青筋を浮かべたフランが、頬を引き攣らせる。
「余計なことしかさえずらない口を縫い合わせてあげましょうか?」
「あらあら? それこそお前のだーいじなファーリエ様がお許しになるかしらね? ふふふ」
「…………斬り刻んで捨てるわよ?」
せせら笑うロゼに、フランの語気が荒くなる。
互いに一歩も退かず睨み合うが、ロゼとしてはフランとの口論が目的ではない。
一々突っかかってくるため相手をしているが、何も話す気がないフランなぞ、どうでもいいのだ。
「それで、いい加減私の話を聞いてくれないかしら?」
「絶対に嫌っ!」
でしょうね。
交渉どころではなくなり、思わず自嘲するように息を吐き出す。
売られた喧嘩を嬉々として買ってしまうのは、ロゼ自身が自覚する悪い点でもある。改める気がない辺り、尚悪い。
とはいえ、やってしまったものは仕方がない。
目の前の刺々しい毒花を一体どうやって躱そうかと考えようとしていると、これまで黙っていたディアが声を掛けてくる。
「何が訊きたいのですか?」
「ディア様っ」
主人の意向に泣き言のような悲鳴を上げる。
対して、ディアはどこか呆れたように、フランへと半眼を向ける。
「質問に答える程度構わないでしょう。なにより、耳障りです」
「うぅっ。申し訳ありません」
隣であれだけ騒げば、そりゃうるさかろう。
ディアを不快にさせてしまったとしょんぼりとするフランを見てため息を付いたディアは、ロゼへと顔を向ける。
「それで、何が訊きたいのですか?」
思い掛けず狙っていた状況に至り、ロゼは頭を切り替える。
訊きたいことはいくつもあり、さて何から訊こうかと検討する。
いくつか選択肢はあるが、まずなによりも問いただしたいのは、ここがどこなのかだ。
「ここはどこなのかしら? 眠らされている間に連れて来られて、場所の検討も付かないのよ」
フラウノイン王国内のどこかだとは思うが、さて国内のどこなのかと問われると全く分からない。
岩肌が見える牢の外装から、洞窟か何か自然物を改装した場所に見えるが、それだけでは街以外としか判断ができなかった。
一体ここはどこなのか。ディアは溜めることもなく、あっさりと口にした。
「ここはザンクトゥヘレ内にある、レヴォルグが根城にしている場所です」
「…………………………。今、貴方、ザンクトゥヘレと言ったの?」
「言いましたが?」
訊き間違えであって欲しいというロゼの願いは、ディアのあっけない一言に脆くも崩れ去る。
彼の言葉が聞こえたのだろう。俄かに牢内の令嬢達が騒ぎ出す。
それも当然だ。逆に「それがなにか?」と、なんでもない様子のディアが異常なのである。
「ザンクトゥヘレって、ここがあの不干渉魔領域だというの?」
「そうです」
「……………………………………えーまじかー」
このような言葉遣い、リタに怒られてしまいそうだが、そんなこと気にしていられない。
ザンクトゥヘレとは、フラウノイン王国に隣接する広大な土地のことだ。それこそ、広さだけならフラウノイン王国の十数倍はあるだろう。土地の周囲にはフラウノイン王国も合わせた十二の国が、円を描くように隣接している。
それだけの国が接しながらも、ザンクトゥヘレはどこの国の土地でもない。
何故なら、ザンクトゥヘレの自然環境があまりに劣悪であるからだ。
元々、魔領域と呼ばれる土地は、魔物が発生し、人々が住み着くには厳しい環境である。それに加え、天候の変化が早く、一つ一つの天候も凶悪だ。雨が降れば川が氾濫するのは当たり前。雷雨になれば、降り注ぐ雷によって森は焼ける。雪が降れば猛吹雪となり、人の足で出歩くことなど不可能な程積もる。晴れたとしても、降り注ぐ日の光が気温を上昇させ、人を干からびさせる。
あまつさえ、気が付いた時には、土地の環境そのものが数日で変化してしまう。不毛な大地が広がっていた場所に、数日で大森林が築かれることもあるそうだ。
それ故、各国から不干渉とされた魔領域。踏み込んではいけない禁域だ。
さしものロゼも、これには呆然としてしまう。嘘や冗談であってほしいが、ディアが嘘を付いているとは思えない。
これでは、例えレヴォルグ達の目をくぐり抜けられ、牢から脱出できたとしても、国へ帰る前に死に絶える可能性が高い。
「国内どころじゃない。考え得る限り、最低最悪の場所に捕らえられたものね」
「何が最低最悪。貴女達の国の方が、余程最低最悪ではありませんか。まだ、ザンクトゥヘレの方がいい」
ロゼが半ば思考停止していると、ディアに咎められて黙していたフランが、憎々し気にロゼを睨んでくる。
それも、今までの嫌悪とは違う、憎悪を宿す瞳。
ドス黒い感情で揺れる瞳を向けられたロゼは言葉を失う。そして、悟る。
元貴族の令嬢が、王国憎しと口にする理由なぞ、想像に難くない。
恐らく、貴族間の争いごとの結果、メシュタル伯爵家が負けたということなのだろう。その令嬢が、ザンクトゥヘレにいる理由も、分からなくはない。
フラウノイン王国に限った話ではないが、ザンクトゥヘレ周辺諸国における最大の罰則は死刑ではなく、ザンクトゥヘレへの追放だ。
罪人を生かしてやるだけ優しいなどとまるで温情のように宣う貴族も多いが、ザンクトゥヘレは人が住まうにはあまりにも劣悪な環境だ。
そんな地へ身一つで追放されるなど、死刑となんら変わりあるまい。
実際、どのような過去だったかは想像しかできないが、おおよそ結果に違いはないだろう。
ロゼ達が直接関わっていないとしても、フランからすればフラウノイン王国憎しと襲い掛かっても不思議ではない。
ディアが壁になってくれているが、彼女が暴走することも視野に入れておかなければならなくなった。
フランの意識をロゼに寄せ、周囲の令嬢達に向かないようにする。
その分、ロゼ一人に危険が集中してしまうが、そこはディアを上手く頼るしかない。
危険が雨のように降り注ぐわね。
全て投げ出してしまいたい気持ちを抑え、何事もなかったかのように泰然と振る舞う。
「けど、ザンクトゥヘレより、ディア様の方がもっといいのよね?」
「当然です! ディア様と比べれば、フラウノイン王国も、ザンクトゥヘレも足元に及びません。むしろ、比較することすらおこがましい。天上天下全てにおいて、ディア様こそが最高にして至高の存在。ディア様の立つ地こそが最高の土地であることは、この世の理でありましょう」
「そ、そう」
これ以上突いても敢えて竜の尾を踏みにいくようなもの。
少々無理矢理な話題転換であったかとも思ったが、予想以上の反応にロゼの頬が引きつる。
初めて会った時からそうだけど、ディアに対して異常な執着を見せ過ぎではないかしら?
一体どういう出会いをしたらここまで熱狂的になれるのか。狂気すら感じる態度に、ロゼですら言葉もない。
このまま永遠とフランのディア愛を拝聴しているわけにはいかない。
「ごほん」
改めるように咳払いを一つ。
あれだけ狂気感じる愛を語っていた者が近くにいるというのに、平然としているディアへと質問を続ける。
「それで、結局貴方達は何者なのかしら?」
細かな不明点は残されたままだが、なによりも訊かなければならないことだ。
どうしてロゼ達を助けに来てくれたのか、理由が何一つ分からない。
レヴォルグとは敵対している様子であったが、それだけとは思えなかった。
「フラウノイン王国の助けではないのでしょう? とはいえ、他国の者が私達を助けに動いたとは考えづらい。そうなると、貴方達が何者なのか、私には想像もできないわ」
肩をすくめておどけて見せる。
事実、ロゼには分からなかった。
身なりや所作から、どこかの貴族か何かだと考えてはいるが、それ以上は分からない。
フラウノイン王国とは関係ないと騙っているだけの可能性もあったが、フランの反応からしてそのようなこともあるまい。
どのような返答が来るのか。彼の答えは意外なものだった。
「私も、フランも、どこにも所属はしていません。ザンクトゥヘレに住まう者。それだけです」
「住んでいる? ザンクトゥヘレに?」
「はい」
俄かには信じられない返答だ。
全うな生物が住むには劣悪な環境であるザンクトゥヘレに人が住むなど、正気の沙汰とは思えない。というか、人が住んで生きていけるのか。
「ちょっと待ちなさい。貴方が嘘を付いているとは思えないけど、ザンクトゥヘレは人が住めるような環境ではないでしょう」
「住めないと仰られましても、物心付いた頃からこの地に住んでおります」
「…………頭が追い付かないわ」
頭痛を堪えるように、ロゼは額を押さえる。
どのようにすればザンクトゥヘレに人が住めるというのだろうか。実は環境が変わり、住み心地の良い土地に生まれ変わっていると?
それこそ、まさかである。
それならば、各国がこぞって広大なザンクトゥヘレの土地を巡って熾烈な争いをしているに決まっている。
なにより、彼には教養がある。
元々フラウノイン王国で育ったフランとは違い、ザンクトゥヘレで育ったというのなら、それはおかしな話だ。ザンクトゥヘレに教育機関があるなんてことは、笑い話としてもつまらない。
だが、言動も所作も、並の貴族にも劣らない礼儀正しさだ。そこらのボンクラ子息には見習わせたい程に。
そんな礼儀作法を、ザンクトゥヘレで学ぶのは不可能だ。
「その礼儀作法は誰に学んだのかしら? 言っておくけど、それを独自で学んだなんておとぎ話以下の回答はないでしょうね?」
「礼儀作法と言われても分かりかねます。言葉も、所作も、昔お世話になった方に教わっただけで、私としては、意思疎通ができれば別段構いません」
「こんな場所で礼儀作法を教える奇特な人って誰よ……。というか、本人は礼儀も作法も分かっていないみたいだし…………」
どうやったらこんな歪な人間が出来上がるのか。過去が見れるなら見てみたい。
だが、問いただしたいのは彼の出生ではない。
「まあ、いいわ。気になる点は多いけれど、それは置いておきましょう。けど、それなら尚の事、貴方達が私達を助ける理由が分からないわ。ザンクトゥヘレに住んでいるだけの者が、私達に手を貸す理由はなに?」
ディアの反応から、金銭や恩賞が目的とは思えない。だが、理由がないはずがない。
ザンクトゥヘレに住まうというのなら、その暮らしは決して良いものではないだろう。
整えられた見目からは想像し難いが、明日にも困ることだってありえる。
他人などに構わず、第一に自身を大事しなければならないはずだ。例え、どれだけ強くとも、だ。
だというのに、ディアはロゼの質問に対して、不思議そうに首を傾げている。揺れる赤い瞳は、問われた意味が分からないと物語っていた。
「貴女達は、何かしらの罪を犯して捕らえられたのですか?」
「そんなわけないでしょう」
「なら、助けようとするのは当然ではありませんか?」
さも常識を語っているだけというディアの態度に、ロゼの方がうろたえてしまう。
誘拐された令嬢達を、単身乗り込んで助けるのが普通? 意味が分からないわ。
「当然だと、貴方は言うの?」
恐る恐るといった問いに、彼はなんでもないようにしっかりと頷いた。
「私はこの環境以外知りません。ですが、貴女達からすると、厳しい環境なのでしょう。生きるために殺し、奪うこともある悪辣な世界。それがザンクトゥヘレです。けれど、貴女達の世界は違うでしょう? 裏の世界を生きる私達が殺し合い、奪い合うのは必然ですが、それに表の世界を生きる貴女達が巻き込まれる謂れはありません。そうであるならば、ただ巻き込まれただけの貴女達を助けるのは当然でしょう」
「…………もう、なんというか」
言葉もないとは、正にこのことか。
表と裏。フラウノイン王国とザンクトゥヘレをそれぞれ別の世界と分けて考えているディアは、ザンクトゥヘレに関わる事柄でロゼ達が被害を受けるのはおかしいというのか。だから、助けると。
別に、ロゼとて誘拐が理不尽な行いであると思っているし、認めはしない。だからといってディアが行動を起こす理由になるかといえば、否だ。
常識を語るような態度のディアを見て分かるように、彼からすれば別段理由を語るようなものではなく、困っているから助けようと、その程度の認識しかないのだろう。
――ザンクトゥヘレなんて、劣悪な環境で育ちながらも、当然のように困っている人へと手を伸ばす。
フラウノイン王国で順風満帆に生きている人々の中で、同じようにできる者がどれだけいるのか。それも、自身よりも恵まれた環境に生まれ、育った者を助けようと手を伸ばす者が。
彼の内に確固とし存在する善性に、ロゼは感心を通り越して呆けてしまう。
「人は環境で変わるものだと思っていたけれど、それだけではないのね」
環境だけでは変わらない、確かなモノが人にはあるのだろう。
急なロゼの言葉に、ディアは益々もって不思議そうに見つめてくる。
「何がですか?」
「貴方は凄いわね、ということよ」
「……何がですか?」
意味の分からない返しに、幼子のように問い返すディアを見て、思わずロゼはくすりと笑みを零す。
もしかしたら、神様に選ばれるような英雄というのは、彼のような人なのかしらね。
眩しいモノでも見るように、ロゼは瞳を細めた。
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