第3話 提案
レヴォルグの言葉に、令嬢達が身を寄せ合う。
同じようにロゼへと身を寄せてくるリーリエの震えを感じつつ、ロゼはディアを確認する。
レヴォルグを相手に、一体どうするのか。見捨てるか。許しを乞うか。戦うか。
心の内を探ろうにも、動きのない表情では感情を読み取ることもできない。
本当に、一体何を考えているのかしらね、この方は。
ディアの動向を伺っていると、彼は足を前へと進める。
「貴方がここから離れたのを確認したのですが、随分と早く戻ってきましたね。元より、私を誘い込む予定でしたか?」
「さて……な。そのようなことより、早く彼女達を牢に戻してくれないかね。いつまでも淑女を立たせておくのは忍びない」
戯言を。
レヴォルグの面白みのない冗談に、ロゼが憤りを覚えていると、視界に収めていたはずのディアが一瞬にして姿を消した。
「え……?」
驚きの声を上げた時には、既に彼はレヴォルグの目の前で腕を振りかぶっているところだった。
「――――ッ!」
「ほうっ!?」
何かを掴み取るような、特殊な形をした掌底を勢いのままに打ち込む。
力任せながらも、完全に不意を突いた一撃。
まさか、英雄様相手にたった一撃で?
あまりの速さにそのような勘違いをしたが、いつの間にか抜いていたのか、レヴォルグは背負っていた大剣の刃でディアの攻撃を防いでいた。
だというのに、刃へと打ち込んだ手の平から血は流れていない。
たった数瞬の間のやり取りに目も思考も追い付かず、ただ茫然とするしかない。
だが、実際に戦う二人は平然としたものだ。
ディアがそのまま触れた大剣を掴み取ろうとすると、レヴォルグは彼を押し退ける。
「以前のように壊されては敵わないからな」
「そうですか」
興味のないディアの返答に、レヴォルグは苦笑を一つ漏らし、大剣を構える。
そこから先は、ロゼには彼らが一体どのような戦いを繰り広げているか、一切分からなかった。
ただ分かったのは、彼らの戦いが、常人では辿り着かない、超人同士の戦いであることだけだった。
――
「はぁああっ!」
隙など見せない剣撃の極致。
大剣を扱っているとは感じさせない、息も付かせぬ速さはあまりにも恐ろしい。
避けることを許さず、かといって守りに徹しようものならば、盾ごと砕くと言わんばりの剛剣だ。
だというのに、壁があり、天井もある狭い通路内で大剣を的確に振り回すのだから、相手にとってこれほどまでの脅威はあるまい。
正に、人が辿り着きし強さの象徴のような男だ。
「ふんっ」
しかし、ディアはその苛烈な大剣の攻撃を、生身の両腕を持って弾き、受ける。
まるで鋼か何かと思わせる強度に、レヴォルグは笑みを零す。
「相も変わらず硬いな、その両腕は。確か、硬化の魔導具だったか。いや、魔導具単体であれば、そこまでの硬さを誇ることもないと思うのだが」
「戦いの最中、お喋りが過ぎれば命を落としますよ」
「やれやれ、少しは付き合ってくれても良いと思うのだがね?」
「付き合う気はありません」
敵対者の言葉など耳も貸さず、鋼の如き両の腕から繰り広げられる攻撃は、あたかも巨竜の剛腕を思わせる。
大剣にも負けぬ鋼の腕から繰り広げられる突きは、一撃一撃が必殺だ。当たれば必死。かすっただけでも、肉を削ぎ、体勢を乱す人とは思えぬ力はまさに人の形をした竜そのものか。
綺麗に受け止めても体力は大きく削られ、下手に受けようものなら武器諸共貫いてくる。
恐ろしき竜人そのものか。
「ここで貴方を殺します」
「大きく出たな。だが、死なんさ。私は」
英雄の一振りと、巨竜の剛腕がぶつかり合う。
――
ロゼに伝わってくるのは、彼らがぶつかり合って発生したであろう衝撃と轟音のみだ。
動いているのは分かるが、どのように戦っているのか、ロゼの動体視力では追いきれない。
護衛であるリタの訓練を何度も目にし、模擬戦闘も観戦したことはある。だが、そんな遊戯とは比較にならない隔絶とした戦いに目は離せず、どこか呆れたような吐息が漏れ出る。
「なるほど、ね。こんなの相手では、学園も私達を守り切れないわけだわ」
人同士の戦いなのか疑ってしまう程の実力だ。いくらフラウシュトラオスが貴族の令嬢が通う学園であり、警備が厳重だったとしても、それはあくまで相手が人ならば、だ。人ならざる者に叶うべくもない。
だからこそ、不思議でならない。
これだけの力を持っていながら、私達を誘拐したのは何故?
まさか、人外魔境の戦いを演じておきながら、身代金などという俗世に塗れた回答なわけがない。
だとするならば、わざわざ貴族の令嬢達を誘拐した理由とはなんなのか。
「ディア様……」
悶々と悩んでいると、苛烈な戦いを繰り広げる主の名をフランが不安げに呼んでいた。
貴族であった彼女がどういう経緯でディアの従者となったかは分からない。
だが、この短い間にも彼女が、どれほど彼のことを慕っているのかは伝わってきた。
ロゼへと毒を吐いていた気概はどこへやら。揺れる瞳はか弱き乙女そのものである。
そうして、少女達に見守られる中、戦いは幕は降ろされた。
鋼と鋼がぶつかり合う、大きな音が通路へと響き渡ると、ディアとレヴォルグは距離を取り、立ち止まる。
動きを止めたことによって明らかになった彼らの表情は対照的だ。
社交界ならばさぞ騒がれそうな優美な笑みを浮かべるレヴォルグに対し、ディアの目は一層鋭く細まり、剣呑な光が宿っていた。
「流石だ。以前と変わらず、いや、前以上に強くなっているな。末恐ろしい限りだ」
「興味はありません」
「訊く耳は持たない、か」
再度、身構え臨戦態勢に入ろうとするディアに、レヴォルグは片手を上げて静止を求める。
「まあ、待ちたまえ。そう急くものではない。なにより、このまま私と本気で戦っていいのか? 戦いがより苛烈になれば、間違いなく彼女達は巻き込まれて死ぬぞ」
「レヴォルグ・イクザーム……貴方はっ!!」
これまで、ほとんど感情を見せることのなかったディアの声に、初めて明確な怒気が宿る。
その怒りの出所がロゼ達の身を案じてだと察し、彼が本心から彼女達を助けてくれようとしているのだと悟る。
言葉が少なく分かりづらいけど、優しい人、なのかしらね?
まだ確信には至らない。けれど、そうあって欲しいと願いはしても許されるはずだ。いつどうなるか分からない状況だ。頼れる存在がいるのは、悪いことではあるまい。
肌がひり付く程の怒気を真正面から受けながらも、レヴォルグは平然とディアとの会話を続ける。
「私としても、それでは困るのだよ。それでどうだろうか。一つ、私から提案がある」
「提案、ですか?」
言葉こそ丁寧だが、秘められた感情は怒気のみだ。
「ディア。君がここで彼女達を守護することを許そう。ただし、この拠点から出ることは許さない。代わりと言ってはなんだが、我々から彼女達に手を出すことはしない。どうだろう。お互いに利点のある案であり、妥協点だと思うがね?」
「信用できません。既に貴方の部下が彼女達に害を及ぼしています」
思い出されるのは、先程の下劣な男。
ディアのおかげで未遂に終わったが、彼がいなければどうなっていたかなど、想像に難くない。
もしもを想像し、今さらになってロゼはぞっとする。
そうしたディアの返答に、レヴォルグはまるで用意してあったかのようにスラスラと言葉を並べた。
「なるほど。それは申し訳ないことをした。私の部下には荒くれ者が多くてね。中には自分勝手に行動する者もいる。しかし、しばらくは私もこの拠点に滞在する予定だ。目を光らせよう。なにより、君が守護するんだ。誰が来ようとも、彼女達に傷を負わせることはあるまい?」
「勝手な要求ですね。そのようなものが通ると思っているのですか?」
これまで黙して控えていたフランだったが、ここに来て我慢の限界を迎えた。
「ディア様。このような案を受け入れる必要はありません。もとより、彼女達と関わりのないディア様が、これ以上危険を犯す必要は――」
「わかりました。その提案を受け入れましょう」
「ディア様っ!」
叱責とも悲鳴とも判断の付かないフランの叫び声が上がる。
しかし、ディアはフランを制するのみで、決定を変えるつもりはないようだ。
決意を秘めた瞳を向けられ、レヴォルグは満足そうに頷く。
「宜しい。必要な物があれば、この先の者に声を掛けてくれたまえ。できる限り用意しよう。無論、外に出る、などという要望でなければ、だがね」
役目は終わったとばかりに、背を向け去っていくレヴォルグを、ディアは姿が見えなくなるまで見つめていた。
脅威がいなくなった後、フランは今にも泣き出しそうな声を零す。
「ディア様……何故ですかぁ?」
「貴女の時と変わりませんよ。ただ、私が助けようと決めた。それだけです」
コツン、と一つ手の甲で、フランの額を軽く叩く。
たったそれだけだというのに、フランはそれが何事にも代えがたい程に嬉しかったのか、頬を赤く染め「ディア様ぁ」と熱っぽい声を漏らす。
彼に身を寄せ、潤んだ瞳を向ける姿は、従者というよりはただの恋する乙女だ。
異性にそういった感情を抱いたことのないロゼは、彼女の心境は測りえない。が、嬉しそうな彼女を見ているのは面白くなく、そこはとなく邪魔してやりたくなった。
すすすっと、幸せの絶頂たる少女を押し退け、ディアへと身を寄せる。
当然「何をするんですか!?」という悲鳴と殺気を全身に感じるが、フランの悔し気な表情を眺めると大変気分が良い。やはり、やられたならば、しっかりとやり返さなければならない。
とはいえ、フランへの仕返しだけでこのような行動を取ったわけではない。
身が擦り合うような近さで、ロゼはディアの横顔を見上げる。
綺麗な黒髪に、燃えるような赤い瞳。荒々しい戦いからは想像できない、どこか女性的で美しい顔立ちを間近で見ると、改めて驚いてしまう。彼が、レヴォルグと渡り合ったことに。
まるで女性が男装しているかのような少年に、ロゼは気になっていたことを確認する。
「あれで良かったのかしら? 貴方が彼と敵対しているのは分かったけど、私達にここまでする理由はないはずよね?」
「そうですよディア様! こんな無礼者のために貴方が身を粉にする必要はありません! さっさとどこかに捨ててきましょう!」
先程のことを余程根に持っているのか、フランの勢いは鬼気迫るものがある。
だが、ディアの返答は終始変わらない。
「私は、私がしたいと思ったことしかしていません」
だから、と彼は続ける。
「貴女達を必ずお護り致します。ええ、必ず。――私が護ると口にしたら、それは絶対です」
澄んだ赤い瞳を向けて告げられ、不覚にもロゼは照れてしまう。
公爵家令嬢として、褒め言葉など言われ慣れているロゼだが、どうにも彼の言葉は真っ直ぐに心へ響いた。
天然の女たらしなのかしらね。気を付けないと。
少々、熱を帯びる頬を抑えながら、ロゼは早足で危険人物から距離を取った。
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