第2話 元王国最強騎士

 元の場所に返す。そう告げた少年の真意を逃すまいと、赤い瞳を真っ直ぐに見つめる。


「ディア・ファーリエ……貴方はフラウノイン王国からの助けなのかしら?」

「無礼者め」


 確認の問いに、思わぬ横槍が入る。

 いつの間にいたのか、ディアの背後にメイド服を身に纏う銀の髪の少女が、ロゼを睨みつけて立っていた。


「あのような下劣な国の者と一緒にしないで下さい」

「いきなり現れて、随分辛辣な返答だこと」


 メイドの恰好をしているというのに、敬う気持ちなど一切見せない毒がの含んだ言動。

 彼の従者なのだろうかと考えていると、膝の上で眠りに落ちていたリーリエが身じろぎをし、目を覚ます。


「ロゼ様……?」


 寝起きの、ぼんやりとした瞳をロゼに向ける。

 どこか幼さを宿す瞳に、知らず苦笑が漏れた。


「リーリエ。起きたのね。大丈夫?」

「はい。ロゼ様のおかげで、大分楽になりました。ありがとうございます」


 未だに顔色は優れないリーリエだが、健気に笑みを作る。

 ロゼを気遣って、取り繕った表情を作ったのは理解できる。故に、黙って見て見ぬふりをするのが優しさなのだろう。しかし、一言釘を刺しておかないと彼女が無理をし続けるのを、ロゼはこれまで一緒にいた時間から良く知っている。


「そう。けれど、無理は禁物よ?」

「はい…………っ!?」


 小さいながらも頷いたリーリエの表情が突然青くなり、ロゼへと身を寄せてくる。

 リーリエが目を向けてしまった先にある悲惨な光景を思い描き、ロゼは優しく彼女の頭を撫でた。


「あ、あ、あの方はっ!? し、死んで……っ」

「驚いちゃうわよね、そりゃ。気にするなとは言えないけれど、今は見ないようにしなさい」

「は、はい……」


 有無を言わさず、リーリエの感情を無理矢理に飲み込ませる。

 死体となった下劣な男のことを説明したところで、余計に彼女を苛ませるだけだ。ならば、何も知らず、聞かせないほうが幾分か良い。

 しばらく震えていたリーリエは、少し落ち着いてきたのか、顔を上げると、そこで初めてディア達の存在に気が付いた。

 ディアを見、そしてフランを見た瞬間、目を見開く。


「貴女様は、メシュタル伯爵家のフラン様、ですか?」

「彼女のことを知っているの?」


 まさか、メイドの恰好をしている少女が貴族だとは思わなかった。


「はい。何度か社交界でご挨拶したことがあります。ただ、今は……」


 口にし辛いのか、フランの顔色を伺うように瞳を動かすと、彼女は厳しい視線をリーリエへと送っていた。


「元、です。なにより、気軽に伯爵家などと口にしないで頂けますか?」

「も、申し訳ありません」


 口調はきつく、ふんだんに棘の含まれた返答に、リーリエは身を縮こませてしまう。

 思わず、ロゼはむっとしてしまう。

 フランの態度にもだが、優しいリーリエを怯えさせるなど、なんたることか、と。

 ロゼは、リーリエの肩を抱くと、口角を吊り上げて睨みつける。


「うちのリーリエを怯えさせないでくれないかしら。元伯爵家令嬢様?」


 ぴくり、とフランのこめかみが動く。

 効いている効いていると、ロゼを内心で舌を出す。

 リーリエからロゼへと移った銀の瞳は薄く細められ、冷ややかな温度を宿している。


「……貴女には耳が付いていないのですか? 私は、伯爵家などと呼ぶなと言いましたよ」

「だからなんだと仰るのかしら? お前の要望を叶える理由はないわ。どうしてもというのであれば、まずは毒しか吐かない口を塞いでくれないかしら? 毒花」


 一層、室内の温度が下がっていくが、ロゼからすれば「やってやるわ掛かってらっしゃい」という気持ちだ。

 リタから「公爵家令嬢らしく」などと都度小言を口にされているが、これでも公爵家令嬢ではあるのだ。

 社交界に出なければならなかったことは多く、やたら突っかかってくる者の相手をさせられたのも、両の指では数えきれない。

 故に、満面の笑顔で嫌味を口にするなど、造作もないのだ。それこそ、そのような嫌味を言われ慣れていない令嬢が泣き出す程度には。

 いつでも来いと、満面の笑顔を張り付けていると、フランは肩を震わせながらも、息を吐き出し、己の主へと振り返った。


「ディア様。やはり、このような愚か者達を救う価値はありません。今からでも戻り、お茶にでもしましょう」


 逃げたわね、と思いつつも、ロゼは背中を刺すことに躊躇しない。


「ふん。敵わないと見るや男に頼るなんて、やはり毒花。貴女に寄り添われるお方は可哀そうですこと」


 ロゼの一刺しに、フランの震えていた肩が止まる。

 急所に入ったのかしら? などと思っていると、フランはスカートのスリット部分から覗く白い太ももに手を伸ばすと、ベルトのようなもので固定されていた短剣を瞬時に抜き、ロゼへと突き付ける。

 その瞳には、先程までの冷たい怒りとは正反対の、燃えるような激しい怒りが宿っていた。


「その無礼な口を塞ぎなさい。殺しますよ?」

「口で負けたからと暴力に走るなど、淑女としてあまりにも情けないわね」


 逆鱗に触れてしまったか、とやや失敗を悟りつつも、ロゼの辞書に敵前逃亡はない。

 突き付けられたナイフなどものともせず、笑顔で睨みつけるのは怒りに燃える少女の瞳だ。

 一触即発。互いを睨みつけ、火花を散らしていると、慌てて割って入ってきたのは、これまでロゼに肩を抱かれていたリーリエだった。


「フラン様、お止め下さいっ。ロゼ様も、私は問題ございませんので、どうかお怒りをお納め下さい」

「むぅ。リーリエがそう言うなら仕方ないわね」


 必死なリーリエの姿に興をそがれ、矛を収める。

 元より、リーリエを怯えさせたから突っかかっただけで、彼女を困らせてまで行うべきことではない。

 とはいえ、ここまで挑発しておいて、相手が引くとも思えないのよね。

 どう納めたものかと考えていたが、様子を見守っていたディアの一言でその悩みも解決した。


「フラン、止めなさい」

「……申し訳ございません。ディア様」


 燃え盛っていた激情は一瞬で鎮火され、身を縮こませたフランはナイフを納めると、楚々とディアの後ろへと身を引いた。

 あら、案外素直。

 苛烈な性格から想像できない従順な行動に驚いてしまう。

 余程、彼のことを好いているのだろうと思っていると、当事者たるディアは何事もなかったかのように背を向け、牢の外へと歩き出す。


「行きますよ」

「ディア様っ」


 慌ててその背をフランは追い掛ける。

 とはいえ、慌てたのはロゼも同様だ。


「ちょっと待ちなさい!」


 元の場所に返すなどと言ってあっさり出ていこうとするディアに、慌てて声を掛けると、鉄格子の向こうで彼は立ち止まる。

 ロゼ達に見向きもしないまま、彼は一言告げる。


「付いて来て下さい」


 そのまま動こうとしないディアに、どうしたものかと悩ませる。

 このまま付いていくべきなのか?

 危ないところを助けてもらったとはいえ、相手がどういう意図を持って行動しているのか、真意は測れない。

 彼から敵意こそ感じない(彼の従者から敵意しか感じない)が、この場の全員の命を天秤に掛けて良いのか。

 公爵家令嬢として、彼女らの命を護らなければならない立場のロゼ。


「ロゼ様……」


 不安そうに揺れるリーリエの目を見て、一つ頷く。そして、決心する。


「はあ。もう仕方ないわね。全員立ちなさい! こんな場所早く出るわよ!」


 パンッ、と両手を合わせて音を立て、皆の意識を集める。

 俯いてばかりの令嬢達へと、揺るがぬ瞳をしっかりと向ける。

 最後に、リーリエへと微笑む。


「きっと大丈夫よ。彼は信用できる。私の直感がそう告げているわ。だから――私を信用しなさいな」

「はいっ、ロゼ様」


 出会ったばかりのディアやフランではなく、自分を信用しろと口にするロゼに、リーリエは嬉しそうに頷く。

 無論、ロゼとて彼らを信用しきっているわけではないが、信を置くべき場所は知らぬ誰かより、ロゼのほうが安心するだろうからだ。

 そうして、ロゼを先頭に牢を出ると、松明が並べられた道半ばで、ディアとフランが立ち止まっていた。


「どうかしたの?」

「下がっていて下さい」


 手でロゼを制するディアは、前を向いたまま動こうとしない。

 なにかあるのかしら。

 彼の脇から同じように先を覗こうとすると、乾いた足音と、忘れるはずのない男の声が通路内へと響く。


「――無事に目を覚ましたようでなによりだ。ご令嬢。そして、久しいな、ディア・ファーリエ。壮健そうでなにより」

「貴方はっ……」


 松明の火に照らされ、姿を現した男に感情が荒ぶる。

 クセのある茶髪に、フラウノイン王国の白い軍服を着た男。背に黒いマントを羽織った男の黄金の瞳を、ロゼは一生忘れることはないだろう。

 リタを斬った男っ。

 今にも罵倒し、殴りかかりたい衝動に駆られるが、理性を持って抑える。

 公爵家令嬢の護衛を務める程のリタを、不意打ちとはいえ一撃で倒した男だ。護身術程度しか学んでいない、か弱いロゼは叶うべくもない。

 なにより、感情に身を任せて死んだ場合、残された令嬢達や、リーリエは誰を頼ればいいのか。

 睨みつけることしかできない自身の不甲斐なさに、血が滲む程に手を握る。


「ロゼ様……」


 不安げなリーリエに手を重ねられ、冷静であらなくてはと、努めて表情を作り替えようとしていると、目の前のディアが男の名を告げる。


「レヴォルグ・イクザーム」

「は……? レヴォルグ、イクザーム? 貴方、今そう言ったの!?」


 あまりの驚きに声が裏返るが、それどころではない。

 それはここにいる令嬢達も同様で、波紋のように驚愕が伝わっていく。

 それも当然。

 ディアが口にしたレヴォルグ・イクザームとは、かつてフラウノイン王国で最も強き騎士と謡われていた騎士の名だ。

 いつ頃からか、行方を眩ませたらしく、戦いの中で死んだとの噂が濃厚であったが……。

 かつての英雄が、まさか令嬢達の誘拐を行うなど、誰が思おうか。

 レヴォルグは、騒ぐ令嬢達になど目もくれず、ディアへと告げる。


「さっそくで恐縮だが、彼女達を牢に戻して頂こうか」

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