ソウル・サバイバー

「こいつ、一体どれほどの──」

 緒方はそれを最後まで言い切ることが出来ず、激しく引き寄せられた勢いと交差するようにして身を翻して浴びせられた踵を食らった。

 そのまま、昏倒する。


「博士。ご無事ですか」

「黒猫、大丈夫なのか」

している場合では、ありませんので」

 片腕の自由が効かないらしい。足も、少し引きずるようにしている。なにより、排熱量が普通ではない。

 いのちを、燃やしているのだ。

「無理するなよ、おい」

 斎藤が、手を添えてやろうとする。

 その黒猫の身体が、消えた。

 起き上がろうとしている緒方に、後ろ向けに回した脚を見舞った。

 緒方は吹き飛び、転がった。

 黒猫は、壇上へ。

「上がって来い、緒方」

 緒方が、首をもたげてそれを見る。

「そこでは、博士に危害が及ぶ」

 起き上がり、笑った。

「健気だな。どこまでも、産みの親を守ろうとするか」

 歩き、黒猫の方へ。


「その激しく損傷した身体で、どうしようというのだ。とっくに、活動限界は超えているであろうに」

 黒猫は、小首を傾げた。どうする、というのを質問してくる意味が分からないのだ。

 どうするのかは、決まっている。

 突進。

 拳で、脚で、緒方を沈黙させようとする。しかし、どれも勢いがなく、緒方に簡単に受け流されてしまう。

「やめろ、黒猫──」

 平賀博士の悲痛な叫びが、ホールに響く。



 ──いいえ、博士。

 やめることは、出来ない。わたしも、あなたも。

 わたしたちは、今、そのためだけに存在しているのだから。

 戦って、戦って、戦って。

 殺して、殺して、殺す。

 そして、壊す。

 奪ってはならないものを、奪おうとする者を。

 守らなくてはならないものを、苛むものを。

 わたしは、黒猫。

 そのために造られ、そのために、今、ここにある。

 わたしは、黒猫。

 わたしは、黒猫。


 ただ、あなたのために。



 黒猫が、緒方を押している。活動限界も損傷の具合も全く気にしない無理な運動を、緒方が捌き切れなくなっているのだ。

「相討ちを、狙っているのか──」

「いいえ」

 黒猫が、身を低くする。

 地に片手をつき、身体をふわりと逆さにして。

 そのまま二本の脚で、続けざまに緒方の顔面を蹴った。

 手で跳躍し、よろめく緒方を追う。

 鋭い刃物のような踵落とし。

 開いた両脚を地にぺったりと付け、そのまま旋回。

 緒方が、転ぼうとする。

 その重力による勢いを、頭部を踏みつけることで加速させた。

「──終わりだ」

 機械関節の、唸り。

 強化骨格の頭部を破砕すべく、渾身の力を。

 その黒猫の身体が、振り払われた。

 大柄な緒方の身体が旋回し、黒猫の胴体に向け脚を放った。

 それをまともに受けた黒猫はその身体を宙に投じ、物理の初歩的な法則により、平賀博士のすぐ側の床に叩きつけられた。


「黒猫、黒猫──」

 うっすらと開いた黒猫の瞳が、平賀博士を映している。

「もう、いい。やめてくれ。お前が死んだら、私はどうすればいいんだ」

「博、士」

 白い血でぬめる手を、そっと取る。

「お前が、こうしてくれた。それで、私の魂は救われた」

 黒猫は、じっと平賀博士を見つめた。その頬に、滴。

 平賀博士が、涙を流している。

「博、士」

 なんだ、という穏やかな眼を、平賀博士は黒猫に向けた。

「失血の度合いが、危険です。早々に、治療しなくては──」

「私の心配はいい」

 実際、平賀博士の傷は深い。強化人間どもと乱闘を繰り広げたときに受けた傷が、重いらしい。

 脇で見守る斎藤が見てもはっとするほど、平賀博士の顔色は悪いのだ。

「黒猫」

 手を握る平賀博士の力が、やや強くなった。

「生きろ。死ぬな。お前には、いのちがある。そしてお前は、こころを手に入れた」

「こころ──」

「お前に宿る魂が、お前にこころを与えたのだ。お前は、今、生きている」

 平賀博士が、黒猫のコートの内側を探った。

「それを、大切にしろ」

 そして柔らかく手を離し、よろめきながら立ち上がった。

「博、士──」

「心配するな」

 歩きだした平賀博士が、振り返り、笑った。

「お前のせいじゃない」


「おい、博士」

「斎藤。黒猫を、頼む。武器は、転がっているヴォストークが持っている。何とか、脱出してくれ」

「──何を、するつもりだ」

「早く。お前もまた、お前があるべきところへ、帰らねばなるまい」

 妻と、涼の顔がよぎった。

「──わかった」

「巻き込んでしまった。しかし、お前がいて、よかった」

 平賀博士は、壇上の緒方の方へ、ゆっくりと歩いていく。


「博、士──」

 黒猫は、叫び声を上げたつもりであった。しかし、ほとんど発声することが出来ない。

 視界も、半分塞がれている。アイセンサーの片方が、潰れてしまっているらしい。

 斎藤が支え上げ、ほとんど引きずるようにして、平賀博士から自らの身を遠ざけてゆくのに対して、抵抗を示そうとする。

 それすら、叶わない。


「どのみち、同じことなのですよ、博士。あなたも、あの機巧も、死ぬのです」

「それでも」

 平賀博士は、緒方へと歩み寄ってゆく。

「やめることは、出来ない。私は、全うする」

「何を」

 それには、答えない。

「緒方」

 代わりに、べつのことを言おうと思った。

「お前の狂気は、この世が生み出したものなのだろう」

「この世の乱れは、半端な手段では解消されない。そのことは、博士もご存知でしょう」

「ああ」

「ならば、なぜ、私のしようとすることを、阻もうとするのです」

「緒方」

 平賀博士が、緒方の眼を見た。そこには、哀れみの光があった。

「それは、私が、人であるからだ」

 平賀博士の言う意味が、緒方には分からないらしい。

「お前は、私の、唯一のものを奪った。そのことを、私は恨みに思っている。その恨みが、私の生を意味のないものにした。今から、私は、清算する。求めるべきものではないことを求めた代償を支払って」

「何を、しようと言うのです」

「そうすることで、私の歪みは、正される」

 緒方は、気付いた。平賀博士は、手に何かを握っている。

「そして、わたしは、かけがえのないいのちに、生きてほしいと願うことが出来た」

「平賀博士。それは、何です。何を、握っているのです──」

「黒猫。彼女が、私の世界の全てだ。彼女が生きれば、私の歪んだ生は、意味のあるものになる」

 手に握ったものからぶら下がるを、引いた。

 乾いた金属音を立て、それは簡単に引き抜かれた。

 緒方が素早く間合いを詰め、平賀博士に渾身の一撃を繰り出す。無論、平賀博士には、それを避けることなど出来るはずもない。

 勢い余った緒方の拳が、平賀博士の腹を貫いた。

 赤い血。

 それが、平賀博士の口から噴き出し、緒方の白衣を濡らした。

 拳を抜くのに、一瞬、間があった。

 平賀博士は、最後の力で、手に握ったものを取り落とさぬよう、強く握り直した。

 黒猫の手を握るのとは、全く違う強さで。

 それを、ゆっくりと、掲げた。

 緒方の眼が、それを追った。


 そして、激しい爆発により、無数の破片が飛散した。




 社内は、大変な騒ぎになっていた。

 黒猫が、斎藤に支えられながら、動く方の腕で握るハンドガンで、飛びかかろうとする強化人間を撃つ。斎藤も、片手で黒猫の背を支えながら、必死で射撃をした。

 社員用の通路を使い、一階へ降り、エントランスを抜けた。抜けることが出来た。

「なんだ、これは──」

 眼の前に広がる光景。

 敵を求め、さまよい歩く強化人間。二百ほどはいるか。


 それが、一斉に駆け出す。

 なにかを、目指すように。

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