ホールにて
──どこにも、いない。
なにを、探しているの?
身体が、うごかない。
わたしが守りたいものは、ひとつしかないのに。
あなたが守りたがっているものだけを、守っていたいのに。
それは、きっと、あなたが守れなかったもの。
わたしは、その代わりにはなれない。
だから、守りたい。
どれだけ弾丸を放っても、どれだけ敵を斬っても、そこにはたどり着かない。
むしろ、遠く離れてゆくよう。
それでも、あなたは、求めようとしている。
わたしは、あなたを、守りたい。
「黒猫──!」
平賀博士。黒猫の
手にしているハンドガンを構え、倒れた黒猫の周りに群がる強化人間どもに向けて撃ちまくった。幸い、ヴォストークは全て沈黙している。
それでも、強化人間は俊敏で、戦闘力は高い。平賀博士を囲むようにして残ったものが集まり、その本能に従って血祭りに上げようとしている。
「どけ!」
至近距離で発砲し、道を切り拓く。背中の痛みも、あたらしく受けた全身のあちこちの痛みも、気にならない。
足を取られ、転んだ。
目の前のヴォストークが握ったままのハンドガンを奪い、転んだまま撃った。
「黒猫、黒猫──」
黒髪を乱し、白い血にまみれ、倒れる黒猫に、どうにか近付こうとする。
その視界を、強化人間が塞ぐ。
これで、終わった。
どのみち、意味などない生であったのだ。それにしがみつくには十分すぎる代償であったように思う。
奪われたものは、もう戻らぬ。それを埋め合わせるようにして作ったもので、怒りや恨みを晴らす。そして、その途上で、自分も黒猫も倒れ、果てる。
むしろ、それが、あるべき姿であるのかもしれぬ。
諦念ではない。平賀博士は、ごく平明な思考で、そう考えた。
だから、眼を閉じることはない。
眼を背けてはいけないのだ。今眼の前で繰り広げられている残酷で悲しくて汚らわしい光景を作り出したのは、平賀博士自身でもあるからだ。
甘んじて、強化人間の振り下ろす鉈のような刃物を受けるつもりであった。
「てめえ、この野郎!」
必死の叫び声。眼の前の一体が、頭を砕かれ、倒れた。
「うわ、やっちまった。くそ、最悪だ」
「──斎藤」
「あんたら、最低だな。よくも、俺を放り込んだ倉庫に死体なんか入れやがったな。あんな密室に」
「済まん」
「おかげで、飛び出して来ちまったじゃねぇか」
銃創を受けているため、片手しか使えない。それでも、斎藤は、懸命に鉄パイプのようなものを振るい、平賀博士を守った。
「これでも、高校のときは、野球部でね。ホームランは打たないが、手堅くヒットを狙うような、そんな選手だった」
突進してくる一体に向け、乱暴に鉄パイプを振り下ろす。
「後ろだ、斎藤!」
平賀博士も起き上がり、銃を構え直した。それで、黒猫を狙う強化人間を倒した。
激しく旋回しながら、次々と片手殴りに強化人間を倒す。
「俺の面打ちを避けられた奴は、いねぇんだ」
「野球部じゃなかったのか」
「中学のときは、剣道もやってた」
人間とは、脆い。傷ついたそれらが寄り添うようにして、戦っている。そうして、同じように脆い強化人間を、倒してゆく。
二人は、ふと気付いた。
これが、最後の一体。
それに、斎藤が、渾身の一撃を与える。
「──ホームラン、だな」
「名選手だな、斎藤」
「まあ、補欠だったけどな」
全身を襲う痛みに耐え、肩で息をしながら交わす諧謔の類はそこまでである。
平賀博士は、黒猫に駆け寄った。
「まずい。完全に、機能停止している」
「死んだのか」
「いや、生きている。しかし、一時的に、活動を停止している。修理が必要だ。臓器などの生体部品の交換が必要かどうかは、分からん。もし、そうなれば、処置することが出来ない」
「死ぬのか」
平賀博士は、抱き起こした黒猫を、そっとまた横たえた。
「いや、凄いな、博士」
壇上。
「──緒方!」
「お久しぶりです、博士」
「貴様──」
「人の身で、よくもまあ、そこまで。素晴らしいことです」
「私の娘を、妻を、なぜ殺した」
「それについては、とても残念なことであったと思います。人の未来のため、あなたの研究を私が完成させなければならなかった。しかし、そのために、あなたの奥さんとお嬢さんをこの手にかけなくてはならなかったのですから」
「返答に、なっていない」
平賀博士が、ハンドガンを構える。
「しかし、どのみち、人は粛清されるべきなのです。代償を支払わぬまま、力ばかりを求める生き物がその種を存続させるには、もっとコンパクトにまとまり合わなくては」
「黙れ」
撃発した。しかし、緒方は倒れない。平賀博士が、驚いた顔を見せる。
「政府は、要らない。その先鋒たる特公行は、もはやその機能を停止した」
「それが、お前の狙いか」
「いいえ」
緒方は、ゆったりと歩き出した。それに向けて、平賀博士がまた弾丸を放つ。だが、腕を払うようにして、それは弾かれた。
「──お前、まさか」
「ああ、そうです。私は、自らの身体にヴォストーク技術と強化人間技術を用い、強化しています」
「狂っていやがる」
斎藤が、杖のようについた鉄パイプに体重を預けながら、引きつった声を上げた。
「企業も、要らない。サクマの中に入ることで、政府を外から、企業を中から壊す。私は、それのみを目的としてきました」
「どういうことだ」
「政府も、企業も、そのどちらをも壊す。そこから、人が、また新たな仕組みを作ればいい。そして、人は学習する」
緒方は、平賀博士を見ることなく、言った。
「痛みは、学習には最も効果的な刺激だ。今日から人が経験する痛みは、人を新たな次元に進めることでしょう」
「何を、するつもりだ」
「つもり?」
緒方が、少し笑った。
「もう、始まっています。まずは、このサクマミレニアム社の中から。既に研究棟は強化人間によって破壊され尽くし、この本棟の中でも、暴れまわっている。首脳陣も、社長も、彼らが心血を注いだこの忌むべき技術も、今、消え失せようとしている」
発砲。しかし、結果は同じであった。ただ平賀博士の握るハンドガンの弾が尽き、スライドロックしただけである。
「黒猫は、よくやってくれました。まさか、彼女が特公行を沈黙させ、その所有する全ヴォストークを破壊してくれるとは」
横たわったままの黒猫を、壇上から見下ろしている。その様すら、平賀博士は忌々しいと思った。
「強化人間の群れは、このサクマ社内を破壊し尽くしたあと、政府中枢に向けて放たれる。そのあとは──」
民間人。見境のない虐殺が、広がる。
「彼らは、人間なのです。私は、その最も根幹にある、人間固有の特徴を、ほんの少し脚色したに過ぎない。彼らは、人であることの定めに従い、それを行うのです」
「貴様、いい加減にしろ」
「そうやって吠えても、どうにもなりません。あなたもまた、その人間のうちの一人として、私に銃口を向けたのですから」
「お前も、人の親だろう」
「だからこそです」
二人のやり取りを聴いている斎藤も、少し反応を示した。
「次の世代に、我々が受け継ぐもの。それは、殺しのための機巧や、人が作り出した人間ではない。我々は、自ら生み出したその道具を、次世代のために使わなければならない。それが、我々の責務」
「お前とは、どうしても、分かり合えそうにないな」
斎藤が、唾を吐いた。
「分かり合う?その必要はありません。人は、導かれることでしか、存在することが出来ない。安心してください。混乱が起き、政府も企業も無くなったその後に続く、口べらしのための虐殺も、ある一点で停止します」
「お前が、その身体を使い、強化人間どもを殺し尽くし、人を救うというのか」
「まあ、そうなります。そうして、残った人々を導く。そうすることでしか、人は存続することが出来ない」
「神にでも、なるつもりか」
「いいえ。私は、ただの人間です」
緒方が、白衣を翻した。
壇上から飛び上がり、平賀博士の眼の前に。
「さようなら、博士。あなたの研究は、確かに、人を次の次元へと高めるものでした」
機械関節の唸り。
それが、止まった。
どれだけ緒方が力を込めようとも、その拳を繰り出すことは出来ない。
その腕を、白く細い指が掴んでいる。
「絶対に、守る──」
黒猫。
片腕をだらりと提げ、髪からは白い血を滴らせ、大きく排熱と吸気を繰り返しながら、緒方をじっと見ている。
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