死闘

「——なんだ、これは」

 本棟に再び戻ると、僅かな人の流れに従い、それらに存在を気取られぬよう注意しながら、三階の大ホールに向かった。そこで、平賀博士は、驚くべきものを見た。

「強化人間——」

 そこには、規則正しい間隔を空けて並んだ、強化人間があった。それも、十や二十ではない。全て、拘束具によって自由を奪われて、呻き声を上げている。

「二百五十体」

 自らが認識したその数を、黒猫は平賀博士に伝えてやった。

 演習。それは、強化人間の演習なのか。そうだとしたら、何のための演習なのだろうか。

 室内のあちこちに、ヴォストークの姿。

「十二体」

 それらを合わせれば、恐るべき戦闘力になる。

 ホールには、映画館のような傾斜が設けられている。その前列の方には研究員らしき格好をした人間が三十人集められており、一様に最前面の壇上に注目している。

 そこへ、人影が現れた。それが何者であるのか、平賀博士からは遠くてよく見えない。

「――村田晋作です」

 黒猫が、小声で平賀博士に言った。

 以前、斎藤と黒猫が接触を持ち始めたとき、斎藤の証言に従って黒猫が紙ナフキンに描いた似顔絵。それを立体化し、政府のデータと照らし合わせたことがある。その顔を思い出すよりも、緒方として自らの助手を務め、妻と娘を殺害した男の顔を思い出した。

 壇上の男。あれが、村田なのだ。あれが、緒方なのだ。そう思うと、全身が怒りで焼かれるような気分であった。

 個人的な恨み。それを晴らそうとすることを、留めようとはしない。

 その代償は、甘んじて受ける覚悟である。


「さて――」

 壇上の緒方が、マイク越しに、呼びかけた。

「既に、演習が始まっている。強化人間の一部を、研究棟には放ってある」

 第一研究室で襲ってきた強化人間。あそこに、あれがいたことも、演習の一部なのか。

「君達のこれまでの研究が失われるのは、いかにも惜しい。しかし、人類は、もう既にあるべき姿への変革の一歩を踏み出しているのだ。ゆえに、もう、君達は研究をする必要がない。このことは、いいな」

 研究員らは、思い思いに頷いている。

「ここにある、二百五十の強化人間。これを使えば、私の悲願は達せられる」

 平賀博士は、今すぐ緒方を射殺したい気持ちを抑え、話を聴いた。どうやら、ここにいる三十名の研究員は緒方の直属の助手のようなもので、その技術は勿論、彼の思想にも心服しているらしい。

「造りすぎても、いけない。人そのものを滅ぼすわけにはいかないからな。少なくては、ヴォストークに鎮圧されてしまう。今日の演習は、そのまま計画の実行へと繋がる。よいデータが、欲しいものだ」

 緒方が、個人端末にアクセスした。何かの操作をすると、整列していた強化人間を拘束していたものが、一斉に外れた。研究員どもが、どよめきを上げる。

「さて、解放しよう。全ての束縛から、我々を――」

 強化人間。予め埋め込まれた攻撃性と殺意のみを、むき出しにしている。痛みや報酬などにより、ある程度の学習はさせられる。しかし、これらは、それを一切施されていない、産まれたままの存在であった。

「話が、違います」

「こんなこと、聞いていません」

 研究員達は悲鳴にも似た声を上げ、壇上の緒方にすがるように言った。

「私は、君達をノアの箱舟に載せるとは、言っていない」

 緒方は、群がる研究員らを、ただ見下ろしている。

「言ったろう。君達の研究が失われるのは、いかにも惜しいと。これは、伝え残してはいけない技術なのだ」

「ですが――」

 最後列の一人が、断末魔を上げた。強化人間に取り付かれ、首を捻り切られたのだ。それを皮切りに、パニックが起きた。

 一斉に駆け出し、研究員どもを襲う強化人間。それから逃れようと、他者をおしのけて走る研究員。

「君達は、ここで死ぬ。残念なことに、人は長く自分が浸ってきた世界というものを、なかなか忘れることが出来ない。ゆえに、ここで死んでもらう」

 すぐに、研究員らは無残な姿となり、その身をホールの床にさらした。

「何ということだ――」

 平賀博士が、蒼白な顔で小さく言う。

「さて、私の可愛い強化人間達と、従順なヴォストーク。そのどちらが、人を導くに相応しいか――」

 暴れ足りぬといった具合に、強化人間は次の標的を探す。

 その視界に、ホールの中を警備している、十二のヴォストーク。

「敵対行動確認。鎮圧します」

 ヴォストークが、向かってくる強化人間に、それぞれ武器を構える。

 まさに、阿鼻叫喚。

 人が作り出したもの同士の、戦い。

 一体のヴォストークが、複数の強化人間に取り付かれ、身体中を殴られ、突かれ、噛み千切られ、沈黙する。

 別のヴォストークが放った弾丸が、強化人間を撃ち抜く。その背後から、また湧き出るようにして次々と強化人間が向かってゆく。


「これは、まずい」

 一体、これが何の演習になるというのか。

 これは、ただの、殺し合いである。

 黒猫が、文字通り猫のように身を捻った。

 飛来した弾丸から、平賀博士を守ったのだ。

 そのまま、応射する。ヴォストークも、強化人間も、黒猫の方を見た。

「博士、身を低く。這う姿勢で、安全な場所へ」

 戦うしかない。


 乱戦。

 そこへ、自らの身を躍らせた。

 サブマシンガンの三十発の弾丸を全て放ち、ハンドガンを撃ちながら接近。片手のそれを捨て、剣を抜く。

 回転しながら斬り、二体の強化人間を沈黙させる。その隙に取り付こうとする背後の一体に銃口を向け、発砲。

 スライドロック。

 手にした剣を宙に放り投げ、脚を大きく回して一体の頭部を破砕。

 ハンドガンの弾倉を捨て、再装填。

 薬室チャンバーに弾丸が装填されると同時に、落ちてきた剣を逆手に掴む。

 眼前の一体に向けて発砲し、背後の一体は自らの脇を通すようにして突き刺した。傷を広げるべく、手首を返す。

 ヴォストーク。黒猫を、狙ってきた。

 剣を強化人間の身体に残したまま柄から手を離し、肩から提げたショットガンのグリップを握ると同時に銃身を起こし、至近距離で発砲。十二の散弾が、ヴォストークの胸に風穴を開ける。

 そのまま身体を大きく回すようにして旋回。ショットガンを提げているベルトを、肩から外した。

 残弾数、六。

 まだ八体のヴォストークが活動していて、ホールの中に銃声を轟かせている。それらが襲ってくるときのために、ショットガンの弾は節約しなければならない。

 排熱。そして、吸気。


 銃身を鈍器にして振るい、強化人間どもを薙ぎ倒す。一瞬、攻撃が休まった瞬間を利用し、倒れた強化人間の胸に刺さったままの剣を抜き、それも振るった。

 軽微な損傷を、全身に受けている。

 一体が、黒猫に取り付いた。やはり、その動作は普通の人間よりも速い。

「ねえ――やめて――」

 なにごとかを呟きながら、上腕に噛み付いてくる。黒猫はそのままその一体の首に自らの腕を回し、地を蹴って身を翻らせ、跳躍。ばきりと乾いた音がし、強化人間は口から白い血泡を吹き、沈黙した。黒猫を取り押さえようと群がってきた数体に向け、身を逆さにしたままショットガンを放つ。

 そして、着地。


 あと、何体いるのだろう。スキャンが間に合わない。

 平賀博士の無事を確認する余裕もない。

 被弾。ヴォストークの放った九ミリ弾が、左大腿に。

 黒猫は、苦痛を感じない。

 痛みは、ただの情報として蓄積される。ゆえに、その表情が変わることもない。

 被弾した脚で強く地を蹴り、跳躍。

 手榴弾グレネードのピンを抜き、投擲する。

 爆発と同時に破片が飛散し、円範囲の強化人間を複数葬った。

 背後から、またヴォストーク。それの握った剣が、黒猫の右肩を斬った。

 損傷、中度。

 前のめりになる姿勢を制御し、振り返ることなく銃口を後ろに向け、ショットガンを発砲する。

 頭部を吹き飛ばされたヴォストークが、倒れかかってくる。

 その脚を片手で掴み、前方に叩き付ける。

 また、被弾。損傷、重度。排熱の必要があるが、不可能である。

 機能停止ブラックアウトまで、残り十一パーセント。

 黒猫は、なお撃ち、斬り、蹴り、跳ぶ。

 腹部に強烈な拳打を食らい、その身が僅かに宙に浮いた。

 口から、白い血が飛ぶ。

 強化人間の数は、大分減ってきてはいる。

 手榴弾を使いたいが、両手を使う暇がない。

 跳びかかってくる強化人間。

 その勢いを利用し、捉え、互いの上下の位置を入れ替えるようにして引き倒した。背を強く叩き付けたことで、強化人間の口が開いた。その犬歯に手榴弾のピンを引っ掛け、抜く。

 それを握ったまま、応戦する。

 逆手に握った剣の柄で、一体の頭部を破砕。それを突き飛ばし、前方の一体に突進する。腿を蹴り上がり、膝で顎を砕く。

 手榴弾を、軽く宙に放り投げた。その向こうには、跳びかかってくる強化人間。

 脚。それが上がり、釘を打つように空中のそれを打つ。手榴弾が歯を砕き、口の中に入った。そのまま身を廻し、胴を蹴り飛ばす。

 数対を薙ぎ倒した先で、爆発。飛んでくる破片は、掴みかかろうとしてくる一体の身体で防いだ。

 頭部に、激しい衝撃。

 ヴォストーク。その強烈な踵が、黒猫のこめかみを捉えた。

 倒れようとするその瞬間、ショットガンの引き金を引き、それを沈黙させた。


 そして、機能停止ブラックアウト

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