本棟へ

 武器と、黒猫を持ち込む。そのために、斎藤は手引きをした。サクマミレニアム社の警備システムは万全のはずであるが、IDを使用することて上手くいった。

 だが、どこかで、計画が露見していたらしい。上手くいったのは、招き入れられたのだとも考えられる。


 斎藤が、銃弾に倒れた。

「俺、死ぬのか」

 黒猫に止血処置をしてもらいながら、苦痛に声を震わせた。

「いいえ、死ぬことはないと判断します」

「そうかよ。こんなに痛ぇのに。くそ、もっと優しくしてくれ」

「斎藤。よくやってくれた。あとは、私たちだけでやる」

「やるのか」

 計画は、露見していることであろう。黒猫がほんとうの休眠状態に入ってしまっていれば、作戦続行不可能であった。しかし、黒猫が動いているなら、成功の可能性はある。やるしかない。

「死にたくない。死ねない。あいつらと、約束したんだ」

 斎藤は、なにが何でも生にしがみつくつもりらしい。当然であろう。死ぬためではなく、誇りをもって生きてゆくため、涼の未来のため、今日ここにあるのである。


 それと引き換え、平賀博士と黒猫は、もともと、失うもののない二人である。だから、ものごとの可と不可とを判ずる天秤に載せる、自らの命の危険という分銅の質量が軽い。

 その代わり、彼らには、質量のない分銅がある。

 責任や、代償。そして、黒猫においては、自らの新たな存在理由の獲得。

 本来、質量を持たぬはずのそれらが、あたかも実体化したようになり、今この瞬間においても、彼らの天秤を、作戦続行の方へと傾け続けているのだ。


 もし、彼らが緒方によって招き入れられたのであれば、何のために、招き入れられたのか。それは、分からない。そもそも、緒方が何をしようとしているのか、知らぬのだ。

 人は、社会を維持するには、その数が多すぎる。黒猫と緒方が邂逅を果たしたとき、彼女が写し取ってきた言葉である。また、それは、斎藤も、村田としての緒方の口から、レセプションパーティーの場において、聞いている。

 平賀博士は、緒方が自らの助手であった頃、そのような言葉を幾度となく聞いている。


 量産された、強化人間。ごく一部の関節のみを機械化し、拳や脚などを強化骨格に置き換えただけの、粗末な発明。しかしそれは人の命を奪うには十分で、死を恐れることもなく、ただ前進し、軍のように死亡しても保障などを行う必要もない。なぜなら、彼らは、人でありながら、誰でもないからだ。

 ただ使い捨てられるためだけに作り出されたもの。

 黒猫らヴォストークほどの金もかからず、安上がりに。傷付けば、捨てればよい。彼らが何かを生産することは、ないのだから。

 学習の必要もない。数度の戦闘を経れば、その激しい運動に身体が耐えきれず、壊れてしまうのだ。

 そのようなものを使い、緒方は、何をしようとしているのか。

 予測は簡単である。

 人の数を、それで大きく削る。一体、何体のそれを作ったのかは分からぬが、ごく僅かなiPS細胞と遺伝子のサンプルがあれば、人間など簡単に創り出せるのだ。


 もし、この世に神がいたとして、神は緒方の行いにいかるだろうか。それとも、わらうだろうか。

 おそらく、そのどちらでもない。なぜなら、平賀博士もまた、形は違えど同じことをしているからだ。

 殺人のために使役する道具として黒猫を作り、政府にとって都合の悪い者を次々に葬り去ってきた。

 彼女には、苦痛はない。無論、痛覚を認知し、それを損傷の度合いを測るために蓄積はする。

 だが、彼女は、それで涙を流したり、その場に座り込んでしまうようには造られていない。

 ただ、前へ。

 そういうものを、平賀博士もまた創り出し、自分のために使っていたにも関わらず、神の咎めはまだない。

 もし、この世に神がいたとして、神は平賀博士の行いを、黙認しているのか。もしくは、気にも止めていないのか。あるいは、それを裁くため、時を待っているのか。

 実際のところは、分からない。



 斎藤は、研究棟の倉庫の中に運び込み、身を隠させた。

 そのあと、二人は、静かな研究棟内にその足音を響かせた。

 土曜日ではあるが、社内にはもっと人がいてもよいようなものである。

 しかし、広大な建物内を歩いても、人影はまばらであった。たまに研究員とすれ違っても、地味な作業着を着て、機巧を連れ歩いている平賀博士を見ても、特に気にする素振りはないらしい。

 やはり、おかしい。

 コートで覆い隠しているとはいえ、黒猫は明らかに武装している。それを見ても何とも思わぬというのは、やはり、今ここに黒猫が存在することは予め知られており、その上で何らかの目的があってそれを放置しているとしか思えないのだ。


 館内を探るため、廊下を歩く。斎藤を放り込んだ倉庫からは、まだそう遠くない。角を曲がったところで、男と行き合った。

「そのヴォストークは、これから本棟へ?」

「ええ、そうです」

 平賀博士は、適当に話を合わせた。そこから、何かが分からぬものかと思ったらしい。斎藤が言っていた、演習という言葉が引っかかっている。

「警備も、大変だな。まあ、滅多なことはないと思うが」

 警備。本棟で、なにかの警備に、ヴォストークを使用しているらしい。演習とやらと、関係があるのか。

「しかし、ほんとうに、が必要になるような事態が、あり得るのでしょうか」

 平賀博士は、どうにか情報を得ようとした。

「分からん。分からんが、念のためだ。もし、が必要になるようなことがあれば、会社は吹っ飛ぶぞ」

「確かに」

 それ以上鎌をかけるのも妙だと思い、平賀博士はそれで切り上げた。

「まあ、滅多なことはないだろう。しかし、念のためだ。頑張ってくれ」

「分かりました」

 そのまま、通り過ぎようとする。

「ところで」

 研究員が、呼び止めてきた。

「見ないヴォストークだな」

 平賀博士は、背が冷たくなるのを感じた。政府の鹵獲品。新型。様々な言い訳を頭に浮かべ、切り抜けようとした。

 しかし、製造番号シリアルにアクセスされれば、すぐそれがサクマのものでないことが露見する。

「ああ、これは——」

 答えの出ぬまま、取り繕おうとする。

「初めてお目にかかります」

 黒猫が、無表情で、一歩進み出た。

 研究員が、その場に崩れ落ちた。

「黒猫」

 平賀博士が仰向けになった研究員を驚いて見ると、喉が、大きく陥没していた。目にも留まらぬ速さで入った黒猫の拳が気道を損傷させ、頚椎をも破砕したらしい。

「少し、急ぎ過ぎではないか」

「いいえ」

 黒猫は、研究員の死体の襟がみを掴み、そのまま引きずり始めた。

「あのままでは、露見していました。我々には、本棟へと向かう必要性が生じており、それが最優先であると考えました」

「しかし——」

「わたしには、博士には出来ないことが、出来るのです」

 表情は、変わらない。しかし、博士は、黒猫のが分かるらしく、

「よく言う」

 と言い、苦笑した。


 来た廊下を戻り、研究員の死体を斎藤のいる倉庫に放り込んだ。中から、驚いた斎藤の叫び声が聞こえてきたが、黒猫が重い扉をぴしゃりと閉めたから、すぐ廊下は静かになった。

「本棟で、何が行われるのだろう」

 また足音を響かせながら、二人は本棟を目指した。

「職員に、尋問を行います」

「いや、待て」

 足を早めようとする黒猫を、平賀博士は制した。

「行けば分かることだ。その必要はない」

「承知しました。詳細が分かれば、対処法について検討が出来ると考えたのですが」

「いや、どのみち、検討してどうなることでもない。それほどに小さなことではないのは、先ほどの研究員の話で、明らかになった。急ごう」

「承知しました」

 黒猫は、納得した。



 本棟への連絡通路は、厳重な警備により封鎖されている。

 生体反応なし。ヴォストークである。そのことを、黒猫は平賀博士に目配せをすることで伝えたが、ものものしい武装をし、白すぎる肌をした女の身体を持つそれらが人間ではないということは、平賀博士でなくとも分かる。


 ヴォストークは、全て女の身体であった。別に設計者である平賀博士の趣味によるものではなく、理由があるということは既に述べた。そして、それ以外にも、理由はある。

 理由以前に、女しか作れぬのだ。

 iPS細胞を培養して作り出す生体部品は、全て女性のものであった。それは、おそらく、染色体と母体マザーと呼ばれる、彼女らの部品を作るもとになっている細胞が持つ遺伝子の問題なのであろう。全てのヴォストークを、女として作っているのではなく、全てのヴォストークが、女になるのだ。

 無論、必要がないので、女性器などは備えていない。だから、彼女らは、形をしたものであった。


 もしかすると、その平賀博士の娘の血液を用いた黒猫が第一号機として完成したのも、もともと彼女らが持つべきものと女性としての情報の入った血液とが符号したためであるかもしれない。

 人間の血液。それを、ほんの僅かに注入することで、彼女らには文字通り、あるいは比喩的な意味でいのちが吹き込まれる。

 平賀博士は、それを人間の遺伝子が人工的に作り出された組織を構成する遺伝子に作用し、それを僅かに書き換えるためであると考えているが、実際のところは分からない。


 黒猫が、その自分と似た境遇の、宗教用語を用いるなら隣人と呼べる存在に、無遠慮に近付いてゆく。

「静止を要求します」

 ヴォストーク同士ならば、ネットワークを介し、目の前のそれがどこの所属のどのヴォストークなのか特定が出来る。黒猫を除いた全てのヴォストークが、ネットワークに常に接続しているからだ。

 しかし、サクマのヴォストークは、目の前の黒猫が何者であるのか分からず、そのため、判断を下すことが出来ないらしい。


 ヴォストークとは、無限の可能性を秘める。平賀博士はそう思っている。連絡通路を塞ぐ二体のそれらの反応を見るだけで、まともな学習をさせてやっていないのだ、と思い、何故か少し悲しくなった。


 黒猫が、間合いに入った。

「静止を、要求します。従わぬ場合は——」

 逆手に抜いた二本の剣が交差し、通路に立つヴォストークを葬り去った。

 二体は、鏡に写したように、自律制御システムの指示を全身へと伝える神経回路の通る頸部を斬られている。

「——凄い」

 その鮮やかさに、平賀博士は思わず声を上げた。

「慣れ、です」

 剣を納め、沈黙したヴォストークから弾薬を奪っている黒猫がちょっと振り返り、言った。

「さあ、博士。行きましょう」

 連絡通路の向こうは、本棟。

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