白と赤

 サブマシンガンを乱射した。

 一部の箇所を除き、ほとんど人間の身体をしているのだ。未知の機巧は見る見る倒れてゆき、屍の山を作った。

 そう、白い血こそ流してはいるが、それは屍であった。

 サブマシンガンの弾は、すぐに尽きる。それを捨て、両手にハンドガン。ひたひたと迫ってくる未知の機巧に向け、撃ちまくる。

 やがてそれらもスライドロックすると、両腿の剣を抜いた。

「苦しい」

「痛いよう」

 姿勢を低くし、呻くような声を踏み越え、その群れへと突き入った。廊下の幅は、四メートル。

 突き、払い、薙ぎ、跳ね上げ、かわし、回り、斬りまくった。一瞬で、十体ほどを沈黙させた。それでも、まだ多くの敵がこの狭い廊下にひしめき合っている。

 薄く、斬られた。しかし、怯むことはない。薄い唇から細く排熱を行い、その一体の首を刎ねた。

 剣で別の一体を串刺しにし、手を離す。突き出されてくるナイフにむしろ突進し、掌に突き通った刃を折り、それが飛び出したままの手の甲で裏拳。後ろ足で突き立った剣の柄を跳ね上げて回収し、また両手で剣を振るう。


「なんということだ。素晴らしい」

 この争闘の背後で、村田が感嘆の声を上げている。無論、黒猫はそれに受け応えをすることは出来ない。

 未知の機巧。まだ、二十二体残っている。あまりに激しい戦いに、黒猫の身体が熱暴走オーバーヒートを起こしかけている。

「性能限界を、超えるか。何がお前を衝き動かすのだろう」

 村田の興奮した声が、造られた人間の呻きを塗り潰し、叫びに混じった。

「五十体だ。五十体の、強化人間だ。それを、お前は相手にしているのだ。何のために、お前は戦うのだ。何のために、お前は抗うのだ」

 黒猫の自律制御システムに、熱が侵入を始めている。



 ——何のため。脅威を、排除するため。

 そのために必要ならば、この世の全ての機巧を壊し、全ての強化人間を殺し尽くしてやる。

 それで、博士が助かるなら。

 たとえ、この身が動かなくなろうとも。

 いや、違う——?

 分からない。何が、どう違うのか。

 分からないが、殺せ。

 ただ殺せ。殺せ。

 わたしは、黒猫なのだから。

 そのために、造られたのだから。



 なお剣を振り、斬り、突いた。

 黒猫の全身は、真っ白に染まっている。

 消火栓。

 すぐ脇にあるそれを拳で破壊し、激しい水流を呼んだ。未知の機巧はそれで怯んだが、無論、それで殺すことなど出来るはずもない。排熱のための時間をかせぐ牽制の意味と、黒猫の身体を強制的に冷やす目的がある。

 激しく吹き出す水流を突き抜け、また黒猫が突進する。べっとりとこびりついた白い血は洗い流され、もとの黒髪が濡れている。

 その飛沫を斬るように、また剣、剣、剣。多少の傷は気にしない。位置を変え、身を捻り、ひたすらに斬ってゆく。やや、剣筋が荒くなっている。正確に急所を突いたり、喉を裂いたりすることが困難になっているので、肩口から斬り下げたり、脇腹を跳ね上げるように斬った。途中、消化器を脚で跳ね上げてサッカーボールのように蹴り飛ばし、それをぶつけて頭部を破壊したりもした。

 全身、傷だらけになっている。

 眼の前の一体。踏み込み、ナイフを突き出してくる。

 それを蹴り飛ばし、さらに腕に脚を絡めて引き倒し、逆手に翻した剣で喉を刺す。


 大きく、排熱。そして、吸気。

 対象、全て沈黙。


 振り返る。

 既に、村田の姿はなかった。

 危険を排除するため、部長を殺害しに来た。そのはずが、かえって危険が大きくなっているのかもしれない。

 部長が言っていたこと。それに危害を加えれば、全ヴォストークが、平賀博士と自分を狙うようになる。それが真実であるのか否かは、検証のしようがない。ヴォストークは、ネットワークに接続している限り、自らの意思では行動しない。与えられた自由時間においてはその規制が意図的に緩められているから、学習のため思い思いの行動を取ったりもするが、それも、そう指示されているからである。そして、特公行で生産されたヴォストークにとっての最高指揮者は、部長である。それが殺害されれば、特公行の機能自体が一時的に麻痺する。その状態でヴォストークが平賀博士や黒猫を狙いに来るとは考えにくい。


 粘るように運動の鈍くなった脚を引きずり、剣をひきずるようにして、階下へ。出勤していた僅かな職員は退避したのか、スキャンできる範囲の中に生体反応は全くない。

 ドックへ。そこでは、何体かのヴォストークが休眠スリープしていた。

 ゆっくりと、タクティカルブーツに床を踏ませながら、黒猫はそれを眺めた。

 どれも、見知った顔であった。

 自らと同じように造られた、戦いの道具。階上では、その効率化とコスト削減のため造られた、人間。

 それらを使い、なにごとかを為そうとする、部長や村田のような者。

 善悪。そういうものの見方を、黒猫はしない。しかし、この世界の全てを敵にし、滅ぼし尽くしてもなお足りぬほど、守らねばならぬと思い定めていた。

 それが、黒猫の世界の、たった一つの真実。


 涼が、笑う様。斎藤の妻が、斎藤や涼を想い、怒りを露わにする様。斎藤が、平賀博士を助けたい、なおかつ家族を危険に晒したくないと言う様。

 映画館で父を見上げ、手を繋ぐ娘。戦いの場に取り残され、泣いている少女。黒猫により死を与えられた者どもの帰りを待つであろう人。

 そういう光景や、想像の風景が、明滅した。

 今黒猫が眺めているものは、それらを打ち壊すために存在するのか。

 黒猫は、それらを打ち壊すため、存在するのか。


 壁や、床の中をスキャンする。

 ガス管を探り当て、壁ごとそれを破壊した。

 室内の、ガス濃度が上がってゆく。

「あなたは、なにか感じる?」

 休眠する一体に、語りかけてみた。無論、答えはない。

「わたしは、何も感じない」

 そっと、その真っ白な肌に触れてみた。

 暖かくも、冷たくもなかった。

「あなたは、何のために、戦うの?」

 ヴォストーク自体に、戦う目的などない。

「わたしたちは、誰かの戦いの、肩代わりをしてばかり」

 ガス濃度が、更に高まる。

 ドックの武器棚から、弾薬、散弾銃、手榴弾を取り、平時服のコートの内側に覆い隠した。手榴弾のうちの一つは手に持ったまま、いつも黒猫が任務に出動する際に使用していた通路へ。分厚い扉を開いて自らの身を通路に滑り出させ、閉めるとき、手にした手榴弾の栓を抜き、ドックの中に放り込んだ。

 通路は、途中で裏通りに出るものと、地下鉄の駅と連結しているものとに分岐する。

 どん、と凄まじい地響き。手榴弾が炸裂し、充満したガスに引火したらしい。

 裏通りへの通路を、黒猫は選んだ。

 地下でも、裏通りでも、同じだと思ったのだ。彼女が歩む道は、概ね、そのようなものなのだろう。



 深夜のことであるから、傷だらけの黒猫を目撃した者はない。大通りにはまだ民間人の通行があるが、それらが黒猫を目に止めることはなかった。影のように、ただ人は通りを行き、ただ歩いている。

 自動運転タクシーに乗り込む。搭載されているカメラのデータは政府や企業からアクセスすることが出来るため、タクシーの自動運転システムに直接自らの自律制御システムを接続してカメラを遮断し、自らの意識と同調させて運転した。


 うず高く積み上げられたビルの群れ。

 煌々と光る、街灯。

 音もほとんどなく行き交う自動車。

 全て、人が作り出したもの。

 車窓の後ろへと、流れてゆく。

 人は、道具を作る。作り、役割を与える。

 そして、何となくそれを眺める傷付いた黒猫も、それが抱えるようにしてコートの内側に忍ばせている武器も、人が、目的をもって生み出した道具である。

 消防車。消防隊員を載せたそれが、特公行本部の方へと走ってゆく。自動運転の車ばかりであり、手動運転モードが搭載されているものも緊急車両の接近に伴って自動で道を譲るように設計されているから、サイレンは無い。ただ、赤色の回転灯のみは昔からの名残で存在している。

 黒猫は、ちかちかと彼女を染めるその光に照らされながら、薄く開いた無機質な眼で、通り過ぎてゆく世界を見つめている。その血の色のためにふつうの人間よりも白い色をしている肌が、赤く照らされていた。

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