邂逅と伝言

 七体の、ヴォストーク。それが、エレベーターから降りてきて、一斉にハンドガンやサブマシンガンを構えた。

 はっきり言って、勝ち目はない。その武装や戦力をスキャンするまでもなく、黒猫はそう判断した。

 だが、彼女は、戦う。

 自らに向けられるその銃口から身を隠すべく、脇に置かれたロッカーを引き倒した。

 発砲。ロッカーの薄い鉄板程度なら、弾丸はいとも簡単に貫通する。

 だが、黒猫の姿をヴォストークから隠す効果はあった。

 左上腕、左大腿にそれぞれ被弾。運動に支障なし。

 距離が空いてしまっている。銃撃戦になれば、まず勝ち目はない。

 離脱。

 ほかのロッカーも引き倒しながら、全速力で駆けた。追いすがる弾丸をかいくぐり、もと来た部長の部屋へ。そこに散らばった未知の機巧や部長の死骸を越え、窓ガラスを突き破る。

 窓枠に手をかけて半回転し、階下の部屋のガラスをも破り、乱入した。そこは、研究員が業務を行う部屋のうちの一つであった。

 ヴォストークは、追ってくるだろう。

 黒猫は、周囲を観察した。

 生体反応無し。室内は、無人。

 薬品が並べられた棚、書類が詰まれたまま文具が散乱した事務机、ホログラムの投影装置、神経質な研究員が使っていたと思われる消臭スプレー。

 武器は、ハンドガンのみ。手榴弾グレネードなどがあればよいが、この研究室にはそんなものは無い。敵到着予測時間まで、あと二分。

 行動再開。


 ひたひたと、七対のヴォストークが迫ってくる。

 足音で、それが分かる。

 黒猫は、息を殺し、それを待った。

 この部屋の前で、足音が止まった。七体とも、揃っているらしい。

 いちど、排熱。そして、また、吸気。

 扉が、乱暴に開かれる。同時に投げ込まれる、閃光手榴弾。その凄まじい爆音と閃光を、感覚センサーを一時的に遮断することで回避。

 室内に反応が無いことを確かめ、七対のヴォストークのうちの五体が突入してくる。残りの二体は、廊下を守る方に回ったらしい。

 室内は、静まり返っている。黒猫を含め、ヴォストークには生体反応はない。それゆえ、視認することでしか、互いの存在を確認出来ない。

 その室内に、音。

 部屋の天井から吊るされたテレビが、急に点いたのだ。

 五体のヴォストークが一斉にそちらに注目し、瞬時に一箇所に集まる。そのうち二体が握るサブマシンガンが火を吹き、テレビを壊した。

 ヴォストークどもが、何かに気付いたように、一点を見た。

 それは、なにかの瓶であった。複数個、宙を舞っている。

 事務机の影から伸びた黒猫の手が握るハンドガンから放たれた弾丸が、それらを撃ち抜いた。

 飛び散った薬品は、塩酸。

 それを浴びた三体のヴォストークは、視覚センサーを破壊され、混乱した。

 その混乱に向け、黒猫が別のものを投げ込む。

 それは、スプレー缶。職員が個人的に用いていた、消臭用のものである。それに、カッターナイフや鋏などが詰め込まれたペン立てが、ダクトテープでぐるぐる巻きに取り付けられている。

 また、発砲。そして、爆発。スプレー缶の破片や、文具が飛び散る。

 裂傷と熱傷を受けた五体のヴォストークとの距離を一気に詰めながら、両手に握ったハンドガンを撃ちまくる。

 三体、沈黙。

 廊下の二体が、室内に躍り込んで来た。

 仕留め切れなかった一体の頭部に刺さった鋏を銃底で激しく殴打して脳部にまで貫通させ、その勢いでもって身体を回しながら後ろ足で強烈な蹴りを放ち、一体を床に叩きつけた。

 その姿勢のまま、両手のハンドガンを、宙に放り投げた。

 即座にナイフを抜き、背後の一体のサブマシンガンの銃身を後ろ足で踏み下げて封じ、体制を戻しながら前方の一体の喉にナイフを突き刺し、手首を回して傷を広げる。もう片方の手は、殴ろうとしてきた銃身を受け止めている。

 ナイフから手を離し、落下してきたハンドガンをまた両手で受け取る。

 前後に、大きく開いて。銃口は、前後のヴォストークの眉間に。

 二挺同時に、発砲。

 そして、蹴り倒した足元の一体にも。

 標的、沈黙。


 あり得ぬことが、起きた。

 黒猫は、自身の戦闘データを再解析している。どう考えても、勝ち目などなかった。しかし、彼女は、無事である。それが何故なのかは、演算では求められない。

 部屋の中にあったピンセットで被弾した箇所をえぐり、潰れて残っている弾丸を摘出した。沈黙したヴォストークからサブマシンガンと弾丸を奪い、両腿に装備している戦闘用の短剣もホルダーごと外し、自らの腿に取り付けた。

 生き延びた。平賀博士から受けた指示を、守った。あとは、するだけである。

 戦闘モードは解除しない。館内にはまだ休眠スリープ中のヴォストークが複数体いるからだ。

 一階に、生体反応多数。騒ぎのため、人が集まってきているのであろうか。館内の地図を思考の中で呼び出し、脱出経路を確認する。また窓ガラスを突き破るわけにはいかなかった。その外には、多くの民間人が集まってきている。

 脱出するなら、待機所ドックから。まずは、この部屋を出ることだ。

 部屋を出たところで、黒猫は運動を一時停止した。

 人影。生体反応あり。武装は、二二口径一挺のみ。服装は、研究員。

「危害を加えるつもりか」

 それに銃口を向け、問うた。その研究員は、黙って両手を挙げた。敵意無し。黒猫は、銃を構えたまま、その脇を通り過ぎた。

「黒猫。博士に、伝言だ」

 黒猫の背に、研究員は語りかけてきた。黒猫が弾かれたように振り返って飛び下がり、研究員との距離を取る。

「あなたの最高傑作の力、見せてもらった。私では、このようなものを、ついに作ることが出来なかった」

「何者だ」

 黒猫が、鋭く問う。

「ただ戦うだけの道具を作ることしか出来なかった、落ちこぼれさ」

「名と、身分を名乗れ」

「それは、お前の好きな博士にでも聞け」

 両手を挙げたまま、研究員は少し笑った。恐怖や焦燥を感じているときに人間が行ういかなる反応も、確認出来ない。それが、黒猫には不思議であった。

「黒猫、か。そういえば、あのとき、部屋に猫がいたっけ」

 男は、両手を挙げたまま、近付いてくる。これが何者であるのかの確認が必要であるから、不用意に殺害することが出来ない。

「可哀想だな、博士も。我が娘の血を使い、お前を作り出し、黒猫などという名を与え、そして人殺しをさせている」

 事情を、詳しく知っている。

「奪ったデータだけでは、やはりヴォストークは完成しなかったよ。サクマにその技術を持ち込んでも、同じだった。人間の、血とはね。私もまた独自にそのことに気付き、ヴォストークを作り出すことが出来たがね。だが、やはり、戦うための機巧に過ぎなかった」

 ゆっくりと、近付いてくる。黒猫が発砲出来ないことを知っているかのように。

「どうすれば、お前のように、こころを持つことが出来るのだろう。そのことばかりに、金と時間を費やしていた」

「わたしに、こころなど無い」

「そうかな」

 研究員は、はっきりと笑った。

「それで、だ。私は、もっと効率的な方法を考え付いたんだよ。最小限ので、最大限の効果を発揮する方法を」

 黒猫は、思い出そうとしている。この顔に、見覚えがあるのだ。記録メモリーの中に、消去の痕跡がある。

「お前達の身体は、IPS細胞から作られている。だが、その骨格や筋肉、関節などは、機械だ。そこに、やはり、金がかかる」

 黒猫は、何故自分が後ずさりをしているのか、分からない。

「だから、その使用を、最小限に留めることにしたんだよ」

 黒猫にも、会話の文章からその行き着く先を予測する力はある。

「それが、未知の機巧」

「賢いな。さすがだ。お前達が未知の機巧と呼んでいる私の発明。それは、一から私が作り出した、人間なのだよ」

 人間そのもの。それを、この研究員の格好をした男は作り出したと言う。

「一部の骨や関節のみを、人工物に取り替えて、ね。脳の具合なんて、どうでもいい。彼らのそれは、赤ん坊と同じさ。ただ、書き換えた遺伝子により、戦闘に対する本能は、極限まで高められているがね」

「人間――」

「そう、人間そのもの。人間を殺すためだけの機巧を作るより、人間そのものを作る方が、遥かに安上がりで生産的だとは思わないか?」

 表面上の理論では、そうなる。しかし、その理論には矛盾が多すぎる。

「そして、私の作り出した人間は、やがて、人間の数をあるべきところへと導き、この世界の歪みを正すだろう」

「お前の作り出した人間に、人間を殺させるということか」

「この世は、歪んでいる。人間が、社会が、文化が、膨れ上がり過ぎているのだ。お前も、いるだろう」

 遥か昔、人は、争うことはなかった。しかし、その進化に伴い、社会が形成された。それは持つ者と持たざる者を生み、やがてその構図は支配と被支配へと変化していった。

 持つものはより多くのものを得、あるいは奪われぬため、持たざるものは奪い、自らが持つため、争う。人類の進化の歴史は、戦いの歴史なのだ。

 そう、研究員の格好をした男は黒猫に説いた。


 ここまで来れば、思い返さずとも、この男が何者であるのか、黒猫にも推測が出来る。

「サクマミレニアム社生体開発部主席技師、村田晋作むらたしんさくか」

「そうだ。博士に、伝えろ。私が、現れたと。博士が対峙することになった政府に、私が技術供与をしていると。そして、私は、政府も企業もない、澄んだ世を作ると」

 黒猫は、会話が終了したと判断した。

 村田を、殺害すべきである。

 引き金に、指をかけた。

「その前に、お前の性能を、もっと見せてくれ」

 咄嗟に、振り返った。

 生体反応、多数。

 未知の機巧、いや、村田の作った人間。

 それが、非常階段やエレベーターを用い、廊下に群がり集まってきている。

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