人であるがゆえ

 黒猫が、戻った。

 傷だらけであった。部品の交換をする設備も交換用の部品もないから、ただ寝かせてやるしかなかった。

 武器を、持ち帰っていた。もともと持って行っていた九ミリハンドガンに加え、九ミリサブマシガン、十二ゲージセミオートショットガン、あとは手榴弾を数発。それに、腿には戦闘用の剣が備えられていた。


 ソファに横たわりながら、黒猫が村田の伝言を再生した。平賀博士の目に、何かの感情が宿った。

「政府に、技術供与——」

「ちょっと待ってくれ」

 斎藤が、情けない声を上げた。

「じゃあ、何か?俺が頑張って、こいつらのためにと思って仕事で宣伝をしてきたものは、村田が造ったの人間だったってのか。そんなものを、俺は世に広めようとしていたのか」

「そういうことに、なる」

「ふざけんな」

 涼が、びっくりしたような顔を上げた。父が声を荒げる姿を、あまり見たことがないのだろう。

「人が、人を作るだと。しかも、人を殺すために。涼が産まれるとき、どれだけ大変だったと思ってるんだ」

 斎藤の妻が、困ったような顔をしながら、そっと自らの夫の肩に手を添えた。

「産まれる前、急にこいつの体調は悪くなった。帝王切開でも、駄目かもしれないと言われた。危険を冒して分娩をするか、何かしらのをするか、選べと医者に言われた」

 涼が、じっと斎藤を見ている。

「結局、こいつは頑固だった。絶対に死んだりしない。だから、産む。そう言い切りやがった。結局、危険を承知で全身麻酔をかけ、涼は取り出された。予定より、ずっと早かった。ケースに入れられた涼はびっくりするくらい小さくて、そして、それでも、生きていた」

 ついに、涙を落とした。

「俺なんか、ビビって、おろおろするばかりだったよ。何度も、こいつに頼りないって叱られてきた。ケースの中の涼の方が、よほど強かった。生きる。絶対に、生きる。そうやって、息をしていやがったんだ。分かるか、博士」

 平賀博士は、黙ってゆっくり頷いた。

「それを、何だ。俺は、知らなかったとはいえ、人が人殺しのために作り出した人間を売るための宣伝をしていたのか。なにが、新型だ。なにが、機巧だ。もう、たくさんだ」

 黒猫は、再起動の準備に入ろうとしている。傷の修復には時間がかかるだろう。

「つくづく、嫌になる。黒猫ですら、博士を守るため、こんなに傷付くことが出来るのに」

 斎藤は、ソファに腰掛けたまま両手で顔を覆い、前のめりになった。

 ふ、と妻のものとは違う手が、その肩に乗るのを感じた。眼を閉じていても、触れてくる手が妻のものかそうでないか、分かるのだ。何となく、そのようなことを考えた。

「大丈夫」

 抑揚の薄い、感情の宿らぬ声。

「あなたのせいじゃない」

 黒猫。再起動準備を中断し、斎藤に語りかけた。伸びた腕には、痛々しいほどの傷が刻まれている。

 それを見た斎藤が、嗚咽を漏らした。



 黒猫の傷は、癒えるのに丸三日を要した。正月休暇の明けた斎藤は、何事もなかったかのように出勤してゆく。涼はまだ冬休みであるから、日中は、斎藤の妻と涼と平賀博士と黒猫の四人で過ごす。

 斎藤の妻は、黒猫に涼を預け、その間に買い物に出かけたりするようになっている。

「これ、よかったら」

 大型スーパーまで買い出しに出た斎藤の妻が、大きな袋を黒猫に渡した。

「わたしのじゃ、サイズが合わないから」

 黒猫がきょとんとした顔でその袋の中を覗き込むと、女性用の衣服が入っていた。

「あなたの好みが分からないから、適当にそれらしいのを選んだわ。あんまりいいものじゃなくて、ごめん」

 弾痕や焼け焦げや刃物の跡が付いた黒猫の平時服を見かねて、買ってきたものらしい。

「ありがとうございます」

 取り出し、それがどのようなものなのか確かめた。

 黒のワンピース。それに、ストレッチ素材のデニム。厚手のパーカーや、スウェットもある。部屋着に使えそうなジャージも用意されていた。

 斎藤の妻は、ひとつずつその衣類を広げて確認する黒猫の挙動を、じっと見ている。

 ふと、黒猫がそれを見返した。

「このようなとき、喜ぶ様を見せるのですね」

「べ、別にいいわよ。気を使わなくて」

「いいえ」

 黒猫が、まっすぐに、斎藤の妻を見た。

「とても、嬉しいです」

 斎藤の妻は慌てたように立ち上がり、キッチンへ向かった。

「別に、無理しなくていいのよ。気に入らないなら、着ないで」

「うわ、黒猫、何やってんだよ」

 涼が、悲鳴にも似た声を上げた。斎藤の妻がリビングを振り返ると、握っていたトランプを投げ出した黒猫が、おもむろに着替えを初めているところであった。涼はそれを見ないよう後ろを向いて、両手で顔を覆っている。

「似合いますか」

 驚くほどの手際で着替えを終えた黒猫が、斎藤の妻に向けてポーズを取って見せた。

「いかにも安物、って服だけど、あなたが着ればそれなりに見えるものね」

 黒猫が選んだのは、灰色のロゴ入りのスウェット地のトレーナーに、紺色のデニム。それに焦げ茶のチェックのマフラーを巻いていた。

「この生地は伸縮率が高く、運動の妨げになりません」

 そう言って脚を高く上げ、静止して見せた。

 その上から、ケプラー繊維製の分厚いコートを羽織る。

「そういうことじゃないんだけどな」

 斎藤の妻は、苦笑するしかない。

「いいな、黒猫。カッコいい!」

 涼が、囃し立てる。

「続きを」

 黒猫はその格好のままソファに座り直し、散らばったカードを手に、またトランプ遊びを再開した。

「わたしの手札が四枚。場に捨てられたカードが八枚。すなわち、この山の中にダイヤのエースがある確率は——」

 なにやら、演算をしているらしい。涼にそれを教えてどうなるものでもないが、涼は何がおかしいのか黒猫の解説が入るたび、けらけら笑っている。

 斎藤の妻から、溜め息と共に、ほんの少し、笑顔が漏れた。その笑顔の先の黒猫と涼の向こうには、整然と並べられた武器。涼が誤って触れぬよう、弾倉などは全て外してある。

 それさえなければ、正月に久々に集まって遊ぶ従姉弟同士といった光景であった。


「奥さん」

 リビングの奥でずっと黙っていた平賀博士が、口を開いた。

「昨夜、ご主人と話したのです。近々、ここを出ます」

「傷は、まだ——」

「ええ。しかし、これ以上、ご迷惑はかけられない」

 迷惑である。得体の知れぬ手負いの男と、殺人機巧。そして、ものものしい武器や弾薬。そのうちのどれを取っても、この平穏であるべき家の中にあってはならぬものであった。

 しかし、どういうわけか、斎藤の妻は同意する気になれなかった。

「あの」

 代わりに、別のことを聞いた。

「うちの主人と、どんな話を——?」


 平賀博士と斎藤が話し合った結果導き出された、唯一の手段。

 何のための手段かは、分からない。だが、平賀博士も斎藤も、村田、いや、緒方を放置することは出来なかった。

 平賀博士は無論、緒方に対する恨みがある。そして、ヴォストークを産み出したことに対する、責任も。

「私の妻と娘のことを、話しましたね」

 つとめて穏やかな表情で、平賀博士は斎藤の妻に言った。

「ええ。お気の毒なことです」

「私がヴォストークの研究などしていなければ、今頃、妻と娘は生きていた。私は、この巨大な力の代償に、妻と子を支払ったのです」

「そんな風には、考えない方が」

「いいえ、奥さん」

 平賀博士の口調は穏やかなままであるが、その表情には翳りが出ている。

「私は、この黒猫を作るため、大きすぎる代償を支払った。そして、なんとも恐ろしいことに、彼女らの死なくしては、この黒猫を得ることは出来なかった、とも思うのです」

 斎藤の妻は、答えることが出来ない。

 恐らく、その答えを持つ者は、ない。

 妻と娘と、作られた機巧。較べてそのどちらが重いのかは明白である。しかし、黒猫は、事実、存在している。

 平賀博士のために自らを縛る鎖を断ち切り、平賀博士にとっての危険を排除するために特公行の本部に潜入して部長を殺害し、所有する全ヴォストークと、居合わせた緒方の連れていた五十の強化人間を葬り去り、そして涼とトランプをしている。

 どれだけ傷ついても、黒猫は平賀博士を守るだろう。たとえ、その身と引き換えにしても。

「二つのことは繋がっていながら、全く別個のこととして私の中に存在するのです。だから、それらを秤にかけるようなことは、私には出来ない」

 ですが、と平賀博士は言う。

「緒方を、許すわけにはゆかぬのです。個人的な恨みも大きい。そして、何より、彼のしようとしていることが、我々全てにとって、害悪でしかないと思うからです。そして、それは、私が、人だからです」

 そういう話を、斎藤としたと言う。

「あなたのご主人を巻き込んでしまったのは、本当に申し訳ないと思っています。しかし、には、ご主人の助けが必要なのです。もし、あなたが、それでもご主人に危険なことをしてほしくないと思うのなら、いや、それで当然なのですが、その場合は、私たちだけでやる」

 何を、しようと言うのか。そのことは、話さなかった。ただ、立ち上がり、

「今夜、ご主人と、よく話し合ってみて下さい」

 とのみ言い、寝室として使わせてもらっている斎藤の書斎へと入って行った。

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