守りたいもの

 結局、斎藤の妻は、子である涼を連れて出て行くことはしなかった。それがどういう理由によるものなのかは、黒猫には分からないだろう。

 平賀博士は傷が痛むから、ほとんど動くことが出来ない。市販の鎮痛剤と消毒薬のみで処置をし続けるほかない。その間、平賀博士は、斎藤に様々な話をした。


 機巧について。特に、ヴォストークについて。斎藤は、それをサクマミレニアムの独創技術であると思っていて、まさか平賀博士による戦闘のための機巧であるとは思っていなかったらしく、大層驚いていた。

「それじゃあ、それで軍隊なんか作れば、日本だけじゃなく、世界も——」

 平賀博士は、それを否定した。

「それほどの数は、作れないようになっている」

「どうして」

「新しくヴォストークを作るとき、失敗が多すぎるのだ。そして、生体部品や人工筋肉、人工血液、強化骨格、機械関節。これを一体分用意するだけでも、驚くほどの金がかかる。それだけの金をかけても、普通に作ったのでは、まともに動作しないのさ」

「どうして」

 平賀博士は、手にしたカップを置いた。他人の家でも、コーヒーは手放せないらしい。煙草は、この時代のものは香りのみのものであるため無害だが、斎藤の妻や涼に気を使い、控えている。

「何故だろうな。私も、今もって分からん。人が作った、いのちに似た何かが蔓延せぬよう、神が規制を設けているのかな」

 口元に、皮肉な線が浮かんだ。

「じゃあ、黒猫は、なんで動いてるんだ」

 平賀博士は、斎藤を、じっと見た。やがて、意を決したように、そのことを口にした。

「血だ」

「人工血液のことか?」

 平賀博士は、言うべきかどうか、やはり迷っているらしい。もし、斎藤がこのことを漏らせば、世にヴォストークが溢れ返るようなことになるかもしれぬ。しかし、斎藤には、知る権利がある。そう思った。

「いや、人間の血だ」

「人間の?」

「そうだ。が終わり、最後に、人工血液を注入する。そのとき、僅かに、人間の血液を混ぜるのだ」

「人間の——」

「そのことを発見するまでは、何をやっても上手くいかなかった。金ばかりかかる研究は、打ち切りになりかけていた。蓄積してきたデータは、緒方という助手に複製され、流出した。妻も、娘も死んだ。俺は、ほんとうに、追い詰められていた。そう、どうかしていたんだ」

 涼が、黒猫と遊んでいる。この時代でもトランプというのは正月の遊びの定番らしく、涼が遊べとせがむのだが、黒猫はその演算能力を駆使し、あらゆるゲームにおいて涼を滅茶苦茶に打ち負かしている。それでも、涼は嬉しそうだった。もう一回、もう一回と次の勝負をせがみ、黒猫も、飽きずにそれに付き合っている。

「俺は、どうかしていたんだ」

 黒猫の姿をじっと見ながら、博士はカップをテーブルに置いた。視線に気付いた黒猫が、博士に視線を合わせ、小首を傾げた。

「黒猫の人工血液に、俺は、娘の血を混ぜた。娘が最期に着ていた服に付着し、乾き、黒くなったものを」


 涼がまた負かされて、笑っている。斎藤の妻は、疲れた様子でソファに腰掛け、それを見ている。黒猫に危険がないことは彼女も理解したらしいが、監視をやめるわけにはゆかぬのだろう。

「そうしたら、黒猫は、正常に動作した。ヴォストーク技術が、完成した。その産声は、なんだったと思う」

 無論、斎藤は、知る由もない。眉を少し上げ、続きを乞うた。

「——おはよう。あいつ、そう言ったんだ。一瞬、娘が帰ってきたような気がした。だけど、違った。あれは、俺が作った、機巧なんだ」

 黒猫をじっと見つめる平賀博士の眼に、涙は浮かんではいなかった。ただ、深い自責の奥に、慈しむような不思議な光があった。


「俺の方でも、あんたらに話そうと思ってたことがある」

 斎藤は、それを伝えに、わざわざ元日に黒猫に接触しようとしていたのだ。

「大晦日、会社のパーティがあってな。そこに、あの村田って奴が出席していた」

 新型という触れ込みの、未知の機巧の開発者である。それを、平賀博士は、緒方と同一人物であると見ていた。

「奴は、ちょっとおかしい。そう感じた。新製品の社内レセプションを兼ねていたんだが、これで世界の均衡が変わる、とか、人はあるべき数に収まる、とか、わけの分からないことを言い、会場は凍りついたさ」

「——緒方だ」

 平賀博士の言葉に、確信が宿った。

「緒方は、よく私に言っていた。世界は、歪んでいると。その均衡は古くからずっと崩れたままなのだと。それを整えるには、人の数はあまりに多すぎると」

「村田が言っていたことと、一致するな」

「奴にも、子供がいた。我が子を、こんな歪んだ世で、生きさせたくはないと。私たちの世代で、この狂いを、歪みを、正そうと。そう言い、奴は私のヴォストーク研究を手伝っていた」


 時刻は、夜の九時を回っていた。黒猫が涼を寝かし付けるため、寝室へといざなった。

「もっと遊びたいよ。まだ、九時だぜ。明日も、学校休みだぜ。冬休みなんだぜ」

 駄々をこねる涼を、黒猫の瞳が捉えている。

「就寝することを、お勧めします。規則的な睡眠は成長ホルモンの分泌を促すと多くの研究結果が出ています。ただし、一概に早寝をするのがよいとも限らないとする説も多くありますが、あらゆる論に共通して、規則的な生活こそが成長と健康に大きく寄与するということが挙げられます」

 涼は、黒猫のこういう物言いも、気に入っているらしい。楽しそうに笑い、黒猫に従って寝室へ向かった。


「元気な、お子さんだな」

「そうさ。俺は、家族のために働いてる。あんただって、そうだったんだろう?博士」

「今だって、そうさ」

 平賀博士の表情が翳った。

「しかし、私は、結局、家族のためと言いながら、それを奪われた恨みを晴らすため、彼女を作り出し、使っているのだ。彼女が私に従順で、私のことを考え、行動してくれる度、わたしの心は懺悔を叫びたくなる」

「あんたは、つまり、黒猫を道具としては捉えていないんだな」

 言われて、平賀博士は、カップを持ち上げようとした手を、少し止めた。

「あんたが、黒猫を、ただの道具だと思っていれば、そんな気持ちにはならないさ。あんたは、自分がどうかしていると言ったな。そんなことはないさ。あんたは、黒猫を、家族のように思っている。それだけのことさ」

「家族のように――」

「娘さんの代わりじゃあない。黒猫は、あんたの家族なのさ。大事にしてやりな」

 斎藤の妻が、テレビに眼をやりながら、じっとそれを聴いている。おそらく、彼女も、自分の夫のこういう部分を、はじめて見るのだろう。

「涼とも、仲良く遊んでくれてる。機巧が、人間の子供の相手をするなんてさ。あんたの発明は、凄いもんさ」

「――そうか」

「あの」

 斎藤の妻が、言葉を発した。

「あなた方が、悪い人ではないということは、分かりました。しかし、やはり、涼を危険な目に合わせたくはないのです。あなたも人の親であったのなら、分かるでしょう」

「ええ、ごもっともです。動けるようになれば、すぐにでも。申し訳ありません、奥さん」

「いえ、いいんですけど」


 黒猫が、涼の部屋から出てきた。

「涼さんは、就寝しました。メタシンクロボイスを用いて脳波に働きかけ、アルファ波の分泌を促しました」

「おいおい、何だよそれ。大丈夫なのか」

 斎藤に向かって、平賀博士が苦笑しながら頷いた。

「博士。ただ今、博士と斎藤さんが話しておられた話題について、意見を述べます」

「なんだ、黒猫」

危険査定スレッドアサスメントを行いました。サクマミレニアムの未知の機巧については、こちらからその脅威を排除することは出来ません。しかしながら、わたし達を狙う特公行の脅威については、解消が可能です」

「どうするってんだよ」

 斎藤が、身を乗り出した。ちらりとそれを見、また黒猫は平賀博士に眼を戻した。

「特公行の本部に再び赴き、部長を殺害します。それで、全ヴォストークに下されているであろう、わたしと平賀博士の抹殺命令を、停止することが出来ます。あらたな人物が同じ立場に就き、同じ命令を下すまでは」

「しかし、そんなことが」

「お忘れですか、博士」

 黒猫が、博士と斎藤の腰掛けるダイニングチェアの一つに座った。

「わたしは、強襲型生体機巧ヴォストークなのです」

「しかし」

「殺人は、わたしに与えられた使命のうち、最も重要なもの。それを行うため、わたしは存在するのです」

「だから、殺しはお手のものってわけか」

 斎藤が、頬杖をつきながら言った。

「出来るのか、黒猫」

「可能であると考えます」

「部長を守るため、他のヴォストークが襲って来れば?」


 原則として、全てのヴォストークの戦闘能力は同じである。それは基本的な数値であるから、あとはその個体それぞれのによる。その点では、黒猫は最も優れていると言えるかもしれぬが、他の個体が寄ってたかって襲ってくれば、ひとたまりもあるまい。それを、平賀博士は心配した。

「心配ありません」

 黒猫は、断言した。

「今所持している、四挺のハンドガンとコンバットナイフ。それを使用し、戦います。特公行の館内は、閉鎖空間クローズドシチュエーションです。一対多の戦闘においても、市街などのそれに比べ、危険は少ないと考えます」

「ほんとうか」

「様々な危険について、査定を行いました。結果、これが、最も多くの危険を取り払うことが出来ると結論付けることが出来ました」

 平賀博士は、隣に座っている黒猫を、じっと見た。黒猫も、無表情に、見返した。

「頼めるか」

「承知しました」

 黒猫が、立ち上がる。

「ただし、条件がある」

「承ります」

「死ぬな。必ず、無事で戻って来てくれ。それが出来ないなら、行くな」

「断言は、出来ません。しかし、可能であると考えます」

 黒猫は、着たままの平時服のポケットからハンドガンを取り出し、それぞれの弾倉を確かめ、また戻した。

「もう行くのか」

「素早く行動すること。遅れれば、それだけ危険は大きくなります」

 黒猫はあっさりと斎藤の自宅マンションの居間を出、そのまま玄関に向かった。まるで、ジョギングを日課としている人が、それをしに出かけるように。



 ――嘘をつくのが、上手くなった。

 だけど、そう言うしかなかった。

 無事で済むはずがない。そんなの、分かりきったこと。

 それでも、必ず、無事で帰る。それを望んでくれる人がいるから。

 誰にも、守りたいものが、あるから。

 だから、戦う。

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