無慈悲な判断
「待て、待て——」
黒猫は、懇願するように声を上げる斎藤の襟髪を掴み、大混乱となった喫茶店を出る。仕留めた店員の姿をした謎の
出てゆくとき、ちゃんとレジに伝票と三人分の代金を置いて行った。店員は、呆然としてそれを見送った。
そのまま、この時代では当たり前の道具となった水素電池で駆動する自動車に彼らを載せ、斎藤に目隠しを施し、発進させた。
「一体、何がどうなっていやがる。お前達、何者なんだ」
目隠しをされた斎藤が、悲痛な声を上げた。
「さっきの機巧について知っていることを、話しなさい」
前の座席に座る黒猫が、無表情な声を発した。この時代の車は、自律運転が基本である。ゆえに、運転席も助手席もない。ベンチのようなシートが、前と後ろにあるのみである。中には旧世代のようにハンドルとアクセル、ブレーキによって操作することが出来るものもあるが、一部の層を対象にした趣味の品のようになっている。現代の車とそれほどデザインは変わらぬが、この時代の流行に従って、一九八〇年代のそれのようにやや直線的な車体を持っている。
「俺は、関係ない」
黒猫は振り返り、火鼠を見た。尋問対象の様子やスキャンした生体データから、ほんとうに先ほどの未知の機巧についての情報を持っていないと判断した。その判断をより正確なものとするため、火鼠の下した判断との擦り合わせを行なっているのである。火鼠は、黙って頷いた。個体間コミュニケーションと平賀博士が呼ぶ行為だ。
「あなたについての処遇は、帰投してから決定される」
それだけを告げ、黒猫はまた前を向いた。
「お前達も、機巧なのか」
斎藤が、質問を投げかける。
「回答を拒否します」
「こいつら、死んだのか」
斎藤に力なく寄りかかるようにして後ろのシートに詰め込まれた錦鯉と未知の機巧のことである。
「それが機巧であるなら、はじめから生きていないため、死んだということにはなりません。もう一体については、回答を拒否します」
「なあ、教えてくれ」
水素電池自動車の駆動音は静かである。その車内に、斎藤の沈んだ声が広がる。
「これは、うちの機巧なのか?俺は、一体、何の宣伝をしていたんだ」
「それは、自問ですか?それとも、わたしへの質問ですか」
「分からない」
それならば、黒猫が答える理由はない。
しばし、沈黙。
「ずっと、俺は、勝ち組だと思っていた。食うにも困る連中がうじゃうじゃいる中、サクマで仕事を得て、家族も持つことが出来た。だけど、俺は、何の宣伝をしていたんだ。これは、一体——」
斎藤は言いながら気付いたのか、はっきりとした質問に変えた。
「噂は、ほんとうなのか」
「噂とは?」
「政府が、人殺しのための機巧を開発して企業に送り込んだり、政府にとって危険な人間を殺しているって」
「あなたが聞いたのは、噂です」
「その噂は、ほんとうなのか?」
「あなたは、噂を聞いた。だから、それは噂です」
はぐらかす、ということも黒猫はやってのける。斎藤は舌打ちをし、また黙り、また口を開いた。
「なあ、あんたらは、怖くないのか」
「怖い、とは?」
「死ぬのが。生きることが」
「何かに対して、自らの生命の危険を感じること。それは、生物が行うことです」
「それ、あんたらが機巧だって言ってるようなもんだぜ」
「いいえ、そうは言っていません」
「もういい」
車は、そのまま走ってゆく。目隠しをされているため、斎藤は自分がどこに向かっているのか分からない。
「なあ」
しばらく経って、斎藤がまた口を開いた。
「あんた、いい匂いがするな」
黒猫の髪のことである。
「シャンプーの匂いであると推察されます。今朝、シャワーを浴びたばかりですので」
「機巧でも、シャワーを浴びるのか」
「機巧であるか否かに関わらず、身体に付いた汚れは、落とさなければ」
「へえ。きれい好きなんだな」
「あなたは、少し体臭が強いようですね。こまめな入浴、衣類の洗濯をお勧めします」
「大きなお世話だ」
いきなり、衝撃。そして、天地が逆転する。
黒猫は、斎藤の生存と火鼠の動作を即座に確認し、横転した車から飛び出した。火鼠も、それに続く。悲鳴を上げる民間人が、大勢彼女らを見ている。
前方に、敵。四体。距離は十二メートル。ひたひたと、歩み寄ってくる。生体反応あり。
九ミリサブマシンガンとハンドグレネードで武装。
先ほどと同型の、未知の機巧である可能性を加味し、危険度を判定した。
そのうちの一体が、ハンドグレネードを投擲した。
黒猫が、踏み出す。
飛来し、落下しようとするハンドグレネードを掴み、投げ返した。
それは四体の敵のちょうど真上で炸裂した。一体が回避運動を取り損ね、飛散する破片の直撃を受け、無惨な姿となって沈黙した。他の三体は、ほとんど消えるような速さで効果範囲から離脱している。
間違いなく、機巧。
黒猫は、横転した車のフロントバンパーを外し、武器にした。火鼠は、丸腰。三体の未知の機巧が、サブマシンガンを構える。装弾数は、三十発。
民間人は、それを見てパニックになり、逃げ惑う。
機巧は、発砲しない。どうやら、民間人を巻き添えにすることを避けているらしい。
黒猫は手にしたフロントバンパーの端を踏みつけて割り、槍のようにした。火鼠と共に、突進する。
敵は、応戦の構えを見せた。サブマシンガンから手を離し、両腿に備えた短剣を抜いた。
武器としての殺傷能力では銃器には遠く及ばぬが、至近距離での戦闘において刃物は非常に有効である。弾丸というのはそれを扱う者からすれば点、受ける者からすれば平行線となって運動するため、距離が近くなればなるほど効果範囲は狭くなる。しかし刃物ならば、それは薙げば扇型に広がり、突けば不規則に弧を描きながら前方に伸びる線となって有効効果範囲が広い上、軌道が非常に読みにくい。
つまり、未知の機巧は、黒猫らが即座に距離を詰め、超接近戦に持ち込もうとしたことを察知したことになる。
振り下ろした槍のようなフロントバンパーを、一体が腕で受ける。背を回すことでその衝撃を逃がし、黒猫の姿勢を崩してくる。背後を庇うように、火鼠。素早く振り回してくる二本の短剣にかからぬよう、巧みに回避運動をしながら、攻撃の拍子を崩す機会を伺っている。
黒猫に、もう一体がかかってきた。丸腰の火鼠は一体で当たらせ、武器を手にする黒猫を二体がかりで仕留めるつもりらしい。統率が、取れている。この未知の機巧は、ヴォストークのように、瞬間的に発生する不測の事態に即応し、判断しながら行動することが出来るらしい。
未知の機巧は、刃物を振り回しながら、脚も使ってくる。両手の刃物を振り切った一体が、その慣性を利用して身体ごと回転させ、踵を落としてきた。同時に、もう一体が身を低くし、刃物を突き出してくる。
黒猫が、バンパーで踵を受けた。ウエハースのようにそれを真っ二つに割ってもなお勢いの死なぬ踵が黒猫の眼前を通り過ぎた。
頭部損傷、ごく軽微。
二つに割れたバンパーを双剣かトンファーのようにして振るう。怒涛のように襲うそれをも未知の機巧は全て受け流し、二体がかりで更に激しく襲ってくる。
黒猫は、二体同時に応戦するより、一体のみに標的を絞ることにした。
それにより、標的から外した一体が振るう刃物への回避が間に合わず、軽微な裂傷を次々と追うが、標的と定めた一体を見る見る押すことが出来た。
刃物を弾き飛ばし、バンパーで頭部を激しく殴打する。
入った。
頭部を変形させた一体が沈黙した。
背後の一体。刃物を、真っ直ぐに突き出してくる。回避運動を取り切ることが出来ずに振り向いただけの黒猫の腹部を突き刺した。傷穴を広げるべく捻られようとする手首を、黒猫が捉えた。
一瞬、無機質な、感情の宿らぬ眼同士が合った。互いになにを思うのか、あるいは何かを思っているのかは、分からない。
黒猫が、刃物によって自らの腹部と連結した標的の腕を捻り折り、アスファルトの上にその身体を叩きつけた。
黒猫がかつて視聴したものの中に、似たようなシーンがあった。そのようなとき、往々にして主人公は、このようにした。
組み伏せた相手を見下ろし、うっすら笑って。
「終わりだ」
人工筋肉と機械関節の発する、独特の唸り。その激しい運動に耐えるべく通された、チタンやジュラルミンなどの金属を素地とした強化骨格を固く握り締めた拳が、組み伏せた未知の機巧の頭部を破砕した。
腹から白い血を流しながら、黒猫は立ち上がった。動脈や主要な臓器の損傷はない。刃物を抜き、打ち捨てた。
火鼠。未知の機巧が振るう刃物を防ぎ切れず、見る間に損傷が増えてゆく。やがて動作が鈍り、膝をついた。とどめを刺そうと未知の機巧が刃物を振り上げたが、それは黒猫が投げたナイフに弾き飛ばされた。
応じようと、未知の機巧がハンドガンを抜く。射線上に民間人の存在がないことを確認し、引き金に指をかけた。
それが、止まった。
黒猫は車道から歩道に跳んで移動し、逃げ遅れて硬直している民間人の少女を盾にしていた。未知の機巧は、それに危害を加えることが出来ないようになっていると判断したのだ。
照準を合わせたまま、未知の機巧は硬直している。少女を盾にしたまま、黒猫が一気に距離を詰める。
あと二歩の距離のところで少女を歩道の方へ突き飛ばし、未知の機巧の握るハンドガンに取り付く。
抵抗を示すそれに頭突きを食らわせ、生じた一瞬の隙にハンドガンをもぎ取る。
密着させて、二発、発砲。未知の機巧から、急速に力が失せてゆく。さらに、三発。それで、倒れた。最後に、頭部に一発。
標的は、全て沈黙した。火鼠は大きな損傷を受けてはいるが、まだ自律行動が可能であるようだった。
それと共に歩道の脇で泣いている少女の横を通り過ぎ、横転した車へと戻り、気を失っている斎藤と錦鯉と未知の機巧を引きずり出し、路上に停められている別の車に載せた。
水素電池自動車に標準的に搭載されている電子ロックの解除は簡単である。特定の周波数の信号に反応して施錠、解錠を行うため、それをスキャンして再生すればよい。倒した機巧やその破片をも、そこに詰め込んだ。
発進するとき、また少女の脇を通った。やはり、泣いていた。黒猫は、それは少女が自らの生命が危険にさらされたと判断したからであると認識した。しかし、未知の機巧は、民間人には危害は加えないのだ。だから、何の問題もないと黒猫は認識した。
それよりも、黒猫とっては、喫茶店に続きこの路上においても大勢の目撃者を出したということの方が問題であった。
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