あたらしい機巧

「黒猫、錦鯉、火鼠ひねずみ

 指導官と呼ばれる、作戦命令を伝達する役割の者が、三体の機巧からくりの名を呼んだ。

 強襲型生体機巧ヴォストークを使い、事を成すのは、内閣府特別公安委員会特務実行部、通称特公行とっこうこうと呼ばれる組織である。これは二十一世紀半ばに立ち上げられた治安維持組織で、表向きは国内における危険行為の取り締まりを行う。しかし、実際は、政府にとって都合の悪い者を葬り去る、あるいはそれに必要な諜報活動を行うための組織である。

 内閣府の直属となっており、無論、その実態が明らかになれば政府はただでは済まないから、諸刃の剣でもある。


 大企業はこぞって、国民の監督もままならずにただただ規制と抑圧ばかりを強める政府を封殺しようと、その実態を暴こうとしている。

 国民の間でも、政府に取って代わる新たな国家の核として、企業の更なる台頭を望む声は強い。このときの企業というものは、こんにちの我々が想像するような、経済的利益を得るための組織というものを超えた存在になっていた。


 たとえば、今まさに黒猫らがその関係者に接触を試みようとしている、サクマミレニアムという企業もそうである。サクマミレニアムの前身は、二一世紀初頭に創業したインターネット通販サイト運営の最大手の会社である。しかし日本経済の破綻に伴いその経営が不可能になりつつあるとき、再生の最後の切り札として、当時の医療機器やデジタルカメラなどの大手であったパルテノンコーポレーションを買収し、その事業を取り込んだ。

 その中にあったのが、当時まだ確立されたばかりの生体機巧技術である。


 はじめ、生体機巧はサクマミレニアムの独占技術であった。黒猫の設計者である平賀博士も、その元社員である。退職し、独立し、サクマミレニアムで培った技術とノウハウを駆使し、小さな研究所でヴォストークを開発したところ、それに目をつけた特公行に雇われたというわけである。

 平賀博士のことはさておき、サクマミレニアムは、生体機巧の技術を世に広めることで、再生を果たした。それどころか、その有用性を認めた国内外の様々な機関から注文を受けることで、一躍巨大企業に成長した。今では低所得者層に向けた住宅の斡旋や、生活必需品を格安で提供するマーケットチェーンなどを展開するほか、高所得者層に向けた投資事業などを展開している。


 日本経済は、サクマミレニアムほか僅か数社の企業によって辛うじて呼吸を許されているような状態である。

 言い換えれば、社会の存在の核。それが、国家から企業へと変わりつつあるのだ。それは、従前の秩序や規範では、もはや国民は存在出来なくなりつつあることを示す。

 企業は、その枠組みを超え、一度ばらばらに離散した個が再び衆となるための座標になると期待する者が多いのだ。


 政治的な俗語スラングを用いるなら、企業はアオ、政府はアカの極みとなりつつある。無論、その両者の意味する立場は、現代とはやや異なるが。

 どちらが大勢を占めているということはない。そして、国民に、それを判断する能力ももはや無い。

 だから、決して明るみに出ぬ場所で、企業と政府は、互いの存在を賭けて、間接的あるいは直接的な争いを繰り広げているのだ。


 ブリーフィングは、一度。機巧は、それで全てを記憶する。特にヴォストークの生体CPUとそれに接続された脳神経回路は精密であるから、命令を忠実に実行する上に、瞬間的に発生した選択肢の中から最適なものを取り、行うことが出来る。それが、もともとの指示から逸脱した結果をもたらすことはほぼない。AIと似ているが、違う。パターン化された学習に基づく選択ではなく、ヴォストークが行うのは、判断である。


 三体の機巧が、記者を装い、サクマミレニアムの広報部員と接触を持つ。

 ヴォストークと一口に言うが、その見た目は様々である。生体部品はiPS細胞から作られるが、その遺伝配列の具合により、様々な顔立ちの者がいる。黒猫はその名の通り、ちょっと吊り上がり気味の眼でくっきりとした二重。口角はいつも引き結ばれ、ほんの僅かに上がっている。黒髪の直毛で眉は下がり気味。見た目の年齢は、十八、九くらいから二十二、三くらいといったところであろう。同時に出動している錦鯉は、それよりやや年長けた印象。黒猫よりも肌の色素は濃く、栗毛の癖毛であり、眼は奥二重で切れ長。火鼠は長身で細身であるという具合に、があった。ただ、流れる血液が白いため、皆一様に血色が悪い。この頃は当たり前の道具になっている、オートメイキャッパーという、任意の化粧を自動で施してくれる機器で隠してはいるが。


 今回は、生体機巧の運用に関する情報を引き出すのが第一の目的。次に、その職員を葬り去る。これは、その必要の有無を、現場で判断する。ただ取材に応じるだけであれば見逃すし、突っ込んだ質問に対して、政府の差し金であることを勘繰ったり、三人が機巧であることに勘付いたりすれば、第二の目的を実行するのだ。

 質問も、記者らしい振る舞いも、全て記憶している。あとは、現れるのを待つのみである。


 果たして、男は現れた。三十がらみのスーツ姿の男で、差し出した名刺には斎藤有さいとうゆうとあった。

「それで、今回は、御社が新たに開発したと噂になっている、新型の生体機巧に関してお伺いしたいのですが」

 アイスブレイクと呼ばれる、世間話などを用いて座をほぐす会話の手法を十分に行ったあと、黒猫は質問を始めた。こういうことまで出来るのだから、やはりヴォストークは他の機巧とは一線を画す。

「そう、新型。これが、とんでもない代物でね」

 斎藤は、話に乗ってきた。広報部なのだから、自社製品の宣伝が上手いらしい。彼の語るところによると、こうだ。


 サクマミレニアムは、かねてから研究を重ねていた新型の生体機巧を、遂に実用化した。これは、従来の機巧とは全く異なる学習能力を持ち、たとえば事前にインプットを施すことなく、ものを覚えることが出来る。たとえば、人間と暮らせれば、その行動や習慣のみならず、突発的に人間の行う不測の行動や言動まで、自ら選択して行うことが出来るようになるらしい。それは、感情に似ている。そういう次世代の生体機巧の発表によって、市場は更に活性化する。人間が行うことが困難な作業も、人間の一員のようにして行うことが出来る。どれだけの長時間労働にも重労働にも不満を持つことはなく、人間のように権利の申請もしない。これを核に、経済を今一度立て直す。

 そういう話であるらしい。


 黒猫らは、判定した。

 斎藤は、生かされた。

 得た情報から想定される事実の中で最も有用であると彼女たちが判断したのは、サクマミレニアムもまたヴォストーク技術を持っており、なおかつそれを明るみに出そうとしていることである。

 それは、これまで影にしか存在しなかったヴォストークの存在を公表することで、政府による血なまぐさい運用を牽制する目的があるとも取れる。


 だが、彼女らが知りたかったのは、それではない。

 ヴォストーク技術を持って逃げた緒方という平賀博士の助手が、サクマミレニアムに戻っていないかということである。

 ヴォストークは、設計図があったとしても、簡単に再現できるような代物ではない。設計図通りに作ったとしても、大抵は失敗に終わるのだ。

 しかし、その技術を明るみに出すというくらいであるから、サクマミレニアムにおいて製造、量産の技術が確立されているはずである。平賀博士のヴォストークは量産が困難で、これまでで三十二体しか製造されておらず、今活動しているのは十九体である。

 政府は、量産、そして政府への牽制行動の指揮をしているのが、緒方ではないかという疑いを持っているのだ。

 最終目標は、緒方の抹殺。それで、当面の間、政府以外の組織がヴォストークを作り、用いることを阻止できる。


 設計者が誰かは、この斎藤は知らぬと答えた。それで、見逃されることが決まったのだ。

 だが、ヴォストークは、こういうこともする。

「ところで、わたしたちは、人を探しているのですが」

 斎藤が、一度手にした伝票を机に置いた。

「斎藤さんは、緒方という名に、心当たりがありませんか」

「緒方?いや、ないが——せいぜい、俺が小学生のとき、好きだった子が緒方だったくらいかな」

 そう言う斎藤の脇に、喫茶店の店員が来た。手に、冷水の入った水差しを持っている。

「ああ、もう出る。お冷やは——」

 斎藤が手を少し上げて、断ろうとする。

 店員の持つ水差しが、手から離れた。

 刃物。

 敵、と三体の機巧は即座に認識した。

 生体反応が確認出来る。機巧ではない。

 黒猫が、刃物を弾き落とそうとする。

 腕を振り上げたまま、店員の女は身を翻し、それを避けた。

 一歩、飛び下がる。

 錦鯉、火鼠がテーブルの上のものを蹴散らしながら左右に分かれ、対象の確保をしようとした。敵は、人間である。その運動機能を奪い、尋問の必要がある。

 黒猫。

 床を、強く蹴った。

 唸る人工筋肉と、軋む機械関節。

 あり得ぬほどの速さで、対象に突進した。ジャケットの下にコンバットナイフを携帯しているが、それは用いない。まず確保が最優先であると判断したのだ。

 腕を下から捉え、関節を捻る。それで女の肘は折れ、皮膚から白いものが飛び出した。

 確保。

 そのまま、地に引き倒そうとした。

 しかし、女は折れた肘を更に回し、組み付いた黒猫のいましめから逃れた。

 普通の痛覚を持つ人間ならば、あり得ぬことである。

 両側から、他の二体が飛びかかる。

 女は、身を低くし、地すれすれに旋回した。

 錦鯉が、そのままの勢いで、テーブルや椅子をなぎ倒し、転がった。

 動く方の女の手には、別の刃物。

 錦鯉は、頭をやられたらしい。

 再起不能。

「どうして、こんなに痛いことをするの」

 女が、口を開いた。黒猫と火鼠は、状況の再分析を始める。

 その結果を、黒猫が呟いた。

「これは——機巧?」

 人間では、絶対にあり得ない動き。

 しかし、明らかに、生体反応が認められる。

 それに、痛いと言った。

 今この瞬間も、戦闘態勢を取ったまま瞬間的な分析を続ける二体の前で、痛い痛いと涙を流している。

「ゆるさない」

 それが、別の言葉に変わった。女の顔に浮かんだのは、憤怒の表情。

「こんな思いをさせて。絶対に、許さない」

 女が、跳躍した。身を逆さにして天井を蹴り、その勢いを利用してくる。

 黒猫も、応じる。

 ジャケットの内側の、コンバットナイフ。それを逆手に抜く。

 再び人工筋肉と機械関節が唸りを上げて黒猫の躯体からだを宙へと舞い上げた。

 交差。

 女は、白い血を流しながら、膝をついた。

 その背後を、黒猫が取る。

 うなじの部分に、ナイフを突き立てる。そのまま脊椎、頸動脈、気道を断ち切るように回転させた。

 それで、女は沈黙した。

 白い血。

 これは、機巧の血。人間の血液が赤いのは、それに含まれる赤血球によるものであるが、そもそも赤血球が赤いのは、その中にヘモグロビンという赤色の波長の光を反射する物質を含み、なおかつ赤血球が扁平な形をしているためにヘモグロビンが反射した赤色を視認することが出来るためである。しかし、機巧は莫大な酸素を必要とするため、赤血球はより酸素の伝達効率のよい物質に置き換えられている。無論それにもヘモグロビンは含まれるが、球形の物質に含まれており、全ての波長の光を均等に反射するため、白く見えるのだ。

 その白い返り血を浴びながら、黒猫が、尋問対象に視点を定めた。

 呆然として尻餅をついている、斎藤である。

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