インプット:一 黒猫

ヴォストークという存在

 機巧からくり。その歴史は古い。最古の機巧と思われるのは、三國志の中に記述のある、車の上に載った人形が車輪の動作に合わせて向きを変え、常に南を示すというものであるらしい。進軍などの際にこれがあれば方角を見失うこともなく、便利であったろう。ちなみにこれは指南車という名で、ここから転じて人を導き教えるという意味の指南という語が出来た。

 我が国においても指南車についての記述が日本書紀に認められ、早くからその輸入があったものと思われるし、平安時代にも指南車とは別の、独自の機巧人形があったことを示す文献もあるらしい。


 糸を引いてものを動かすという動詞である「からくる」を語源とするこの技術は、我が国において特に独自の進歩を遂げた。江戸時代の初期くらいにはこの語が既に用いられ、非常に精巧なものが作られるようになっていた。さらに近代以降においてはコンピュータ制御によるロボットテクノロジーや人工知能が爆発的進化を遂げ、二十一世紀初頭に確立された、iPS細胞技術の応用を駆使した生体部品を使用したバイオオートマタ技術により、機巧と生物の境すらも曖昧になった。



 人はなぜ、ものに命を与えたがるのであろう。

 人は、古くはアニミズム信仰として、石や自然物に命を与えた。世界各地に見られる太陽や月に対する信仰もそうであろう。

 時代が降っても人はあらゆるものに魂が宿ると信じ、それは物を大切にしなければ化けて出るというような妖怪譚を生み、その心から宗教的感覚が薄くなってからも、たとえば自らの愛車を相棒と呼び、縫いぐるみに名を付け、大人になってそれが古くなってからも大切にしたりする。


 人は、ものを作る。道具を作り、道具を作るための道具を作り、人が持つものを奪うために必要な道具——それに人は武器と名を与えた——を作り、更には遊具や美術品など、生きるために必要ではない道具をも作った。

 きっと、おそらく、その極みが、いのちや魂、こころを作るということなのかもしれない。


 何故、人はそれをするのであろう。

 分からないが、人は、いのちに近づいて、知りたいのかもしれない。それが、何なのかを。

 それは、人のみが行う行為。

 返して言えば、それを行うものは人であると言えるかもしれない。

 人は、ものを愛でる。

 いのちあるものも、そうでないものも。

 そして、人は、自己以外のものに対し、ときに残酷である。

 いのちあるものに対しても、そうでないものに対しても。



 彼女は、人によって作られた、人のような、曖昧なもの。

 彼女に、いのちは無い。

 強襲型生体機巧バイオオートマタ、通称ヴォストーク。個体識別番号シリアルナンバー: V57605。

 コードネームは、黒猫。


平賀ひらが博士」

 黒猫は、本営に戻った。その名の通り、黒髪の美しい機巧であった。

「左前腕を、欠損しました」

 全身傷だらけであり、左腕の肘から先が無かった。

「おお、おお、すぐに修復する。横になりなさい」

 黒猫は装備を解き、焼け焦げや弾痕のある衣服を脱ぎ、人と見分けの付かぬ美しい白い肌を露わにし、言われた通り横になった。

 女性の形をしている。乳房もあるし、恥骨の膨らみもあるが、女性器までは必要がないため、備えられていない。

「随分、手酷くやられたな」

「ええ、博士。敵もまた、ヴォストークを放ってきました」

 生体機巧は、表向き、平和的な利用しかされていないことになっている。たとえば、人間が赴くのに危険な場所での取材や、救出活動。人工筋肉と人工関節、機能を高められた代謝用の臓器などが、そういう場において生きた。あまりに特殊でデリケートな技術を用いるために高額で、民間では一気に広まるということはなく、時間をかけて浸透している。上述以外のシーンにおいて特にその投入が見られるのは、医療系大企業がヒューマンエラーを起こさぬ医師として複雑かつ精密な手術をする生体機巧を開発、大病院に販売している種類のものであろう。その企業のCMは生体機巧がキャラクター化されたものを起用しており、可愛らしい見た目のそれがお茶目に踊る様は一定の層から人気を得ている。それ以外の水面下のことについては、あとで触れる。


 使い道のはっきりせぬまま、技術だけが先走っていると批判する者も多い。これがこんにちの日本なら、機巧に人権を与えろと声を上げる団体などが現れそうなものであるが、この時代にそのような呑気な心持ちを持つ者はない。あくまで、機巧は、人が作り出した道具であった。

 使い道と言った。ヴォストークは、その使い道が決まっている。


 殺しである。

 政府はひそかにこの技術の研究に莫大な資金を投じ、人の手により作られたこのあやふやな存在による人殺しを進めている。

 二〇二〇年代には、様々な出来事があった。東京オリンピック。大阪万博。平成三年に施行された生産緑地法の期限失効による不動産価格の暴落。金融機関の金利再上昇とそれに伴う個人投資家への貸し渋りの再発。そして国内生産、雇用の減少に伴う海外への資金流出。日本経済はそれらの事象により乱高下を見せ、所得の上昇せぬまま物価ばかりが上がった。一部の富裕層や大企業のみがそれに適応することが出来、そうでない多くの者はただ経済の悪化に泡を吹くのみで、経済格差は極端に大きくなった。


 追い討ちをかけるように進む、少子高齢化。二〇三〇年代になってそれは更に加速し、徐々に若者よりも高齢者の方が目立つようになる。そして、著しい人口減少。二〇五〇年には日本の総人口は、かねてより政府が行っていた試算を遥かに上回る勢いで減少しており、八千万人を切っていた。

 日本のみならず、世界の民主主義、自由経済主義は、破綻しかけていた。たとえばアメリカは保守派がずっと大勢を占め、過激な排他的政策と極端な自国第一主義により、国際社会からも孤立しかけている。中国においても外国資本の相次ぐ撤退による失業者問題が致命的な打撃となっており、一人っ子政策の付けを払うかのように減少を見せる人口が生産の低下をもたらし、それでも多すぎる人口が弱体化した国家の運営を圧迫し、国家そのものの存続すら危ぶまれるような事態になっている。


 歴史を見ても、世界の形が整ったことはない。ずっと、人は歪んだ世界を自ら作り上げ、その中で苦しみ、生きてきた。それはまた別の歪みを生み、それを埋めるためにまた違う歪みを作り出してきた。

 それでも、まだ国家というものが公のものであった頃は良かった。メディアの、特にインターネットの発展が見られた時代から後、国家というコンテンツは、個人の手に渡った。誰もが手元の端末でその場の主義、思想を吐露し、それが拡散され、世論とすることが出来る場に立った。それは選挙などよりももっと瞬発的で、簡単であった。その場の感情によって発生した不満や、自らを受け入れぬ他者への攻撃は、それを放った本人の手を離れた瞬間から意思を持つかのように一人歩きを始め、知らぬ間に整然とした概念となる。その、根拠なく羅列された概念は世論となり、世論はいつしか常識となり、個人は間接的または直接的に国家および世界に参画することが出来るようになった。そして、人は、衆の集合としての国家を手放し、個の内側にそれを構築した。

 個人と世界との距離を縮めるはずのツールが、人類の首を絞めた。衆の意識の薄れが、個を強調した。そして、個は、世界に対し、あまりに無力で、あまりに危険であった。


 世界は、歪んでいる。歪みの極みにあると言ってよい。それでもなお存続しようとする企業は、社会への貢献や国家の安定を無視し、己がこの世に存在し得るか否かのみを追求するものとなっている。日本においてそれは特に顕著で、国家と企業は、対立するようになっている。国家は秩序を求め、企業は開放を求めた。そしてそれぞれに、個であろうとしながら個としては生きてゆけぬ貧弱な——人間としての本来の姿を持った——人々が支持を示し、勝手ばらばらに互いを攻撃し合い、自らの主義を世界に対し示すことで、自らの個を保ちながら、どうにかして衆に参画しようとしている。そうしなければ、個は破綻するということを、人は知っている。


 先に述べた武器とは、人の持つものを奪うためのものである。しかし、それが用いられるのは、一部の例外を除き、衆の利得のためであった。だが、この時代においては、個の存続のための道具として、いのち無きものがいのちを奪うのだ。


 ゆえに、彼女は、武器であった。

 政府という、従前の秩序の最後の砦、あるいは旧世代の残滓の形をした個が用いる、個への最終手段。

 早い話が、彼女は、政府の命を受け、危険であると判断された者や、都合の悪い者を葬り去るために作られたのだ。


 彼女が女性の形をしているのには、理由がある。強襲型生体機巧ヴォストークは、通常、単独もしくはごく少人数での任務にあたることが多い。中には、要人暗殺のようなものもある。相手が男性であった場合、それを屠るために接近するのに、が役に立つことがあるのだ。

 あとは、設計者である平賀博士の趣味によるところが大きい。ゆえに、平賀博士も、黒猫に対して並ならぬ思い入れを持っているらしい。

 欠損した左腕を修復したり、身体中のいたるところに刻まれた傷の手当てをする様は、単なる作業を超え、慈しみさえ感じられた。


 長時間に渡る作業が終わり、平賀博士は休憩を取った。この時代、煙草は無い。その代わりに販売されている、電気的に発生させた香り付きの蒸気を吸い込むものを愛用している。

 徹夜が続いている中、長時間に渡る黒猫の修復作業のためか、眼の下に深い隈が貼りついている。傍らには、コーヒーの紙カップ。この紙も天然資源ではなく、人工的に作ったセルロースなどを合成して生成したものである。

「博士」

 黒猫は、ちゃんと博士のいる喫煙室に入る前に、扉打ノックをすることも出来る。普通の機巧でも、ある程度の情報は生体CPUが司る人工知能に入力、学習させることが出来るが、未経験の自発行動の習慣化や、人の真似なども行うことが出来るというのが、単なる人工知能を搭載しただけの機巧人形と、平賀博士の二十年に渡る研究の結晶であるヴォストークとの違いであった。

「おう、黒猫。もう、再起動は済んだのか」

「滞りなく」

 表情は、薄い。人工筋肉の運動のパターンは顔だけでも数千種類学習させてあるが、それでもに基づく人間の表情変化と比べれば、やはりぎこちない。

「今回はまた、手酷くやられたもんだ」

「帰還のときに申し上げた通り、敵もヴォストークを投入していました」

 平賀博士のコーヒーが空になっているのを見て、黒猫は新しいものを販売機で求めてやった。

「やれやれ。俺のヴォストークが、あちこちで勝手に作られていやがる」

 ヴォストークとは、平賀博士の独自の研究によるものであるが、数年前にその技術を盗まれた。助手として雇っていた緒方という男が、その設計データのコピーを持ち逃げしたのだ。その緒方がどこに行ったのかは今もって分からぬが、それ以降、あちこちでヴォストークが出没するようになっている。


 政府の切り札として、ヴォストークは存在するはずであった。その戦闘力は、高い。たとえば丸腰の一体で、武装して訓練された人間の三十から四十は相手に出来る。そして、無慈悲で、命令さえあればいとも簡単にいのちを奪う。無論、その存在は公にはなっていないが、政府曰く、秩序を守る最後の盾であり、それを壊そうとする者に対する最後の矛であるらしい。だが、民間にもヴォストークの技術が広まると、大企業もまた、政府に対する切り札としてそれを用いるようになった。

 今日、黒猫が当たったのは、そのうちの一つであろう。

「俺の作ったものが、俺の黒猫の腕を切り落とす、か」

「短剣を使用しての近接戦闘プログラムの再確認と、フィードバックを要求します」

「それを、言いに?」

 平賀博士は、無精髭の生えた顎を一度撫でた。

「ええ。それを、言いに」

「熱心だな、お前は」

 電子煙草のカートリッジを捨て、吸引器を胸ポケットにしまい、タンクトップにショートパンツ姿の黒猫の腰を一つ叩いた。

「無理するな、黒猫」

 黒猫は、その意味が分からないらしく、そういうときに行う動作として記憶した通り、小首を傾げた。平賀博士が何も言わず退室したため、黒猫もそれに続いて演習場へ向かった。




 戦闘システム構築

 短剣を使用しての近接戦闘プログラム起動

 モード:演習

 監督者:平賀わたる首席技師


 対象物確認

 強襲型生体機巧:二体

 人間:十七体 九ミリサブマシンガン及び九ミリハンドガンで武装 模擬弾を装填

 敵対勢力と認識


 攻撃開始



 ——殺す。殺す。一人残らず。殺す。

 機巧は、白い血を。人間は、赤い血を。

 染めてみろ。

 わたしは、黒猫。

 この黒を、染めてみろ。

 殺す。

 殺してやる。

 わたしは、黒猫なのだから。

 そのために、わたしはここにいる。

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