☆6

既に、とっくの昔に生まれていた支配欲や独占欲。どこかで感じていた優越感……それからただ愛おしいという素直な思いには抗えなかった。

彼が嘘を言っているかもしれない。時間が経てばこんな自分など夢から覚めて、なぜ一緒いたのだろうと捨てられてしまうかもしれない。そんな恐怖がありながらも、自分の人生はここがピークだろうと思った。ならば今後がどうであれ、私は今を生きたかった。後ろめたい気持ちもゼロではない。何度も後悔した。しかし彼が笑うたび、泣くたび、自分を求めるたびに、離れることなど不可能だと思い知らされる。

休暇の際、彼は私の家に来たいと言った。自分の家には帰りたくなくて、できれば出て行きたいのだと何度も話している。

それは母親が原因だった。いつもは放任気味のくせに、いざ何か問題を起こすと必要以上に責める。そして彼が家を出ると言っても、絶対に離れないとヒステリックに暴れるのだそうだ。

彼の辛そうな顔に動かされて、この期間は私の家で過ごさせようと決めた。

想像の数倍楽しい時間だった。このまま全てを捨てて、彼を閉じ込めてしまいたい程に。

だがうまくはいかなかった。母親に愛人との旅行を持ちかけ長期滞在をしてもらう予定だったが、不幸にもトラブルが起こり、旅行はキャンセルされてしまった。学校に残されたままの息子に帰って来いと連絡したところ、いくら校内を探しても息子は見つからない。そこで私の家にいることがバレてしまう。本人がこちらまで来てしまうと、もう何の言い訳もできなかった。

母親は激怒し私と彼を一生会わせないと、私のほとんどの財産を取った後に引越しをしてしまった。私は教師を解雇され絶望に打ちひしがれた。何度身投げしようかと考えた分からないが、その度に彼の顔が浮かんだ。どこかで会えないかと淡い希望を持っていたことも確かだが、記憶の中で彼が泣いていると、まだここにいなくてはいけないと思い止まる。

自分もあの土地から逃げて、名も知らないような田舎に来た。なんとか食い繋いで生活をしていた頃に、教育者募集の張り紙が目に入る。もう勘弁だと思ったが結局受けることにして、あの時とはあまりに違う幼児達を預かっていた。どこにでも悪ガキというのはいるもので、ストレスのせいもあるのか、子供に舐められた態度をとられた私はすっかり禿げ上がり太った。若い頃にはこんな男になりたくないと思った風貌の自分がそこにいた。

この年になれば見てくれなんてどうでもよくなって、子供にいじられるのも可愛いものだと思えていた。実際にノってみるとゲラゲラと笑い楽しむものだから、こちらも面白くなってしまった。親からも信頼されるまでになった面白いおじさんは昔の理想像とは違ったけれど、これで死ねるなら不満など一つもなかった。

私はこのまま穏やかに過ごすのだと信じて疑わなかった。もう過去は過去のものだったからだ。彼のことを思うと胸がちくりと痛むこともあるが、これだけの月日が経ったんだ。頭の良かったあの子なら幸せに過ごしているのだろう。そう……思っていた。


散歩の途中、少し遠くまで行きたくなり、足を踏み入れたことのない地に来た。あとは森が続くだけの、周りには何もない場所だ。

どうせならと森の中へ一歩踏み入れた。前を向いても後ろを見ても木ばかりの空間に、懐かしい記憶が一気に蘇る。

落ち葉の広がるあの場所の匂いや陽の暖かさ、誰の声も聞こえない静かな空間で、彼の声が遠くから聞こえた気がした。

私はいつの間にか涙を流していた。

生涯で愛していたのは彼一人だった。二人とも同じ気持ちだったのに……それなのに叶わなかった。

不意に誰かの足音が聞こえて、咄嗟に身を隠す。手入れがされていないここは誰かの土地でもなさそうだから、今思えば隠れる必要もなかったのだが。

そこに現れたのは、予想に反して小さい男の子だった。キャスケットをかぶった可愛らしい子は初めて見る顔だ。私の預かっている子の中にはいない。

様子を見ていると、慣れているのか迷うことなく何処かへ向かっている。なんとなく惹かれてつけていくと、そこには古びた建物があり、窓から覗くと教会のようだった。なぜこんなところにあって、整備されていないのか疑問に思いながらも、その周りを一周してみる。二人の子供の楽しそうな声が聞こえた。

ああ、さっきの男の子はここを秘密基地みたいにして会っているのか。可愛らしい結果が分かって満足した私はそこから去った。

その密会を自分と重ねなければ、彼のことを忘れていれば……そんなこと思っても遅い。私は度々ここを訪れるようになった。もちろん二人の邪魔はしないように。いつもは声が少し聞こえただけで満足するのだが、ふと窓から覗いた時に、二人の姿を初めて見た。

男の子の隣にいたのは何だか個性的な格好をした女の子だった。なぜあんな格好をしているのだろう。包帯は遊びで巻いたに違いない。本当に怪我をしているわけではないだろう。

二人の風貌も分かり、次はどうしても話を聞いてみたくなった。あの子たちはどんな話をしているのだろう。しかし二人が外に遊びに来ることはない。室内へは入れるが見つかってはいけない。なんとか考えている中で、あちらからチャンスが来た。二人は裏に回ったところにある窓を開けて、そこから話をしていた。だがその窓は二階、内容までは分からない。なんとかしようともがいたが木に登ることもできず、諦めたその時に、二人も中へ引っ込んでしまった。もうやめようと帰ろうとして木から降りた際に、つい尻餅をついてしまった。それが幸いしたのか、一階の窓を開けた女の子にギリギリ見つかることなく、草むらに隠れられた。

「あれ? 何かいたと思ったんだけど……」

「どうせ猫とかリスだろ。それよりこれ見てよ」

足音がして室内へ戻ったのが分かった。近くで開いた窓をそっと覗き込むと、二人は地べたに座って何かを作っている。画用紙を切ったり色を塗ったり……その中で男の子は、女の子のことを凄く気遣っていた。ハサミは危ないからと何度も注意して、長い包帯で転ばないように調節したり、クレヨンで汚れた場所を拭いてあげたり。ずっと二人は楽しそうだった。

神聖な場所だからか、余計敏感になっていたのかもしれない。ハンカチでそっと目元を拭ってから、彼らのことをこれから邪魔する人がいませんようにと願った。

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