四節:ゆうしょく
机の中心に置かれたランプの明かりが四人と食器を包む。
それぞれの目の前には一枚の鉄板が置かれていた。
油の弾ける音に合わせ、白い煙を立ち上がらせる一枚の肉。
香ばしい匂いが漂う中、龍麻はフォークで肉を押さえ、ナイフを突き立てた。
鉄と鉄が擦れ合う音を響かせながら、小さく切り分けた肉を口へと運ぶ。
数回噛み締めた後、顔を伏せ、そして声と共に静かにあげた。
「美味い……」
一人驚いた様子で目を見開かせ、鉄板一点だけを見つめる龍麻に、その向かい側に座っていたアデールとクリスタルは顔を見合わせた後、笑顔を浮かべた。
「なかなか美味いだろ? 俺が言うのもあれだが、喜んでもらえてよかったよ」
アデールの言葉を合図にするかのように、他の三人も肉を切り分け始める。
「でも、本当にエイベルさんのお肉は美味しいですよね。アデールさんがここに住みたくなる理由にも納得です」
「えっ、そうだったんですが?」
龍麻の言葉に、アデールが恥ずかしそうに笑顔を見せた。
「ああ、まあ……」
「このお肉を食べてすぐに決めたらしいんですよ? ね?」
追い討ちを掛けるよなクリスタルの勢いに、アデールは少し困ったような表情を浮かべる。
「いや……まあ、それだけじゃないんだけどね。ここから見える景色も良かったからそれも理由にあるんだけど……」
「そういう定住するような旅行者は他にも?」
麻祁の問い掛けに、アデールが両手を止めた。
「そいうのは沢山いるさ。……ただ、俺みたいその場所にすぐに住めるとは限らないが……」
「何か申告書みたいなものが?」
その言葉にアーデルが少しだけ首を傾け、考え始める。
「んー、そうだな。大きな街とかにいけばそういうのはあると聞いたことはある。なんでもそこの住人からお金を徴収して、変な像を立てたり、武器などを作ったりしている場所もあるらしい」
「武器? 争い事が?」
「ああ、ここら一帯ではないが、はるか北の方で隣同士の国が昼夜関係なしに争っている場所があると聞いたな。後、小競り合いみたいなので言えば、種族での対立で起きた領土問題とかだな」
「種族……」
麻祁の手が止まる。その姿を横目で見た龍麻が、代わりにアデールに問いかけた。
「種族ってのは……その……」
「……いろいろ居るからな。俺はそういうのは気にしないが、まあ、難しいものだよ」
「……は、はあ……」
龍麻の言葉を最後に、鉄の擦れ合う音だけが場を埋める。
麻祁がグラスに入った水を口へと入れた。
空になったグラスが置かれると同時に、目の前に現れ水瓶。
麻祁の視線が少し上へとあがり、アデールの目と合う。
軽く会釈した後、空のグラスにオレンジ色に灯る水が注ぎ込まれた。
「そういえば、噴水の方はどうだい?」
アデールの問い掛けに、麻祁は腕を動かしたまま答えた。
「順調。明日には道具が揃えさえすれば、完了する」
「ほ、ほんとですか! ありがとうございます!」
クリスタルが嬉しそうに言葉をあげた。
「いる道具があるなら何でも言ってくれ、あるものは全て用意しておくよ」
「それは非常に助かる。それじゃ食事の後で……。それと噴水に関しては、問題点が一つだけある」
「問題点?」
アデールの問い掛けに、麻祁は空になった鉄板の上にフォークを置き、顔を合わせた。
「噴水を動かすのには水が必要になる。仕組みを見た限りでは、その水はこの山の中を流れている流水を利用して動かしているようだ。――見た限り、ここの生活水はその流水から来ているとは思えないんだが……いったいどこから?」
麻祁の視線が中央に置かれた水瓶へと向けられる。アデールはそれを掴み、自身のグラスへと水を注いだ。
「これは山の中腹にある川から運んできている。以前はこの近くにもう一本川があったらしいが、今はほとんど干上がってしまっているせいで、他所から運ばなきゃいけなくなったらしい。毎日運ぶのは辛いから、樽を載せた台車をボスプリミに引かせて、数日分必要となる水だけを運んでいるよ。……ああ、飲む時には必ず沸かしているから、安心して」
置かれる水瓶を龍麻が掴む。
「上流からの水に関しては、今回で解決する。もうわざわざ遠くの川から水を運ばなくても、昔のようにすぐ近くから運べるようになる」
「おお、そりゃ助かるな。……で、問題点ってのは?」
「水が戻るには時間がかかる。雨や雪が降るなら早く戻るが、日照りが続くと数週間は戻らない可能性がある」
「それぐらいなら大丈夫さ。水の蓄えもあるし、運ぶぐらいはもう慣れているよ」
「それなら水の件に関しては解決した。で、次の問題点は噴水自体に関して。上流から流れる水は噴水の下にある溝の中に貯められるようになっている」
「溝? この下にはそんなものが?」
「ああ、水樽のように山から流れる水がその貯水槽へと流れ、溜まるような仕組みになっていた。その下の階層にも溝があることから、多分水が溢れ出ないように、そこから川へと余った水が流れるように、上手く造られている。噴水から水を噴き上がらせるには、そこから掬った水を、今度は部屋の中央にある箱のような所に入れて満たせばいい。後は、外から噴水に水を一定数貯めておけば、自然と噴き上がるようになる」
「なるほど……。それじゃ、問題点ってのは、その外から水を入れる人の事か? それなら、俺でも出来そうだが……」
「外も大事だが、それともう一つ重要なのが、一番下の箱に溜まった水を抜く役目だ。外から入れた水は一番下の箱へと落ちて溜まり始める。溜まった水は空気を押し上げ、中央にある箱へと押し出し、そして水と共に外へと噴き上げる。そのため、下の箱には水が自然と抜けるような穴は開けられていない。つまり、人が蓋を開けて水を抜いて、循環させるしかない」
「管理人か……そういえば、噴水の管理人はどうだった? いたのか?」
アデールの言葉に、麻祁は首を横へと振った。
「姿は見えなかった。水が溜まっていなかったから、確かめるために山に向かった時に何かあったのかもしれない。数日以上戻ってきてないようだから、もしかすると……」
「そうか……なら代わりがいるか……。俺がやってもいいが、そこまでの管理をするとなると、ここを空けなければいけなくなる。一応両方は出来ると思うが、もし誰かが来たら困るしな……」
「町の人達は? 他に手が空いている人は?」
「ほとんどの人はそれぞれ仕事を持っているから多分難しいだろうな。俺みたいに他所から来たなら手は空いているだろうけど、俺が来る前からここにいる人達だから、自分の事で精一杯だと思うよ」
「なら、近くの町にいる人に声を掛けるしかないな」
「……募集でも掛けてみるか。定住を条件に出せば、誰かが来てくれるかもしれない。一応、町の人にも了承を得ないとな……」
「それなら無事問題は解決だ。後は心置きなく済ませておくよ」
空になった鉄板を前に、麻祁はふと息を吐いた。それに合わせるように、
「ごちそうさまでした」
龍麻がフォークを鉄板の横に置いた。
「……さて、もう夜も深いから後片付けは俺がやっておくよ。寝る場所は二階の二つ目の部屋を用意してあるから、そこで寝てくれ。ベッドも二つあるから」
「クリスタルはどこで?」
龍麻の言葉に、クリスタルは座ったまま身体を後ろへと捻り、階段上を指差した。
「私も二階ですよ。ほら、階段を上ってすぐが私のお部屋です」
「俺の部屋はすぐそこにあるから、もし何かあるならいつでも言ってくれ」
アデールが立てた親指を自身の後ろにあるドアへと突き立てる。
「わかりました、それじゃ……」
そう言って龍麻が立ち上がった時、同時に腰を上げた麻祁がそれを掻き消すようにある言葉を口にした。
「……えっ? 嘘だろ?」
思わぬ言葉に、龍麻が唖然とする。改めて、その言葉を強く認識させるように、麻祁がもう一度呟いた。
「せっかく用意してもらったのに申し訳ないが、今日は外で寝るよ」
突然の言葉に、その訳を一番知りたそうにしている龍麻を代弁するかのように、アデールがもう一度聞きなおす。
「外で寝るのか?」
「ああ、本当はこの疲れた体を休めるために、やわらかいベッドで寝たいところだけど、あの噴水が気になるから、今夜は近くで寝る事にするよ。外で寝ても、そのまま凍えて氷漬けになったり、何かの獣の餌になったりなんて事はないんだろ?」
「……そりゃ、そんな事はないけど……せっかくベッドがあるのに、わざわざ外で寝るとは……」
「心配性だから噴水が気になってね。一応、敷く布、それと朝まで明かりが保つランプなどを貸して貰えると助かる」
「それぐらいならすぐに用意できる。……まあ、どこで寝ようがそいつの自由だしな……少し待っていてくれ、すぐに持ってくるよ」
そう言って、アデールは自分部屋へと入っていった。
扉が締められると同時に訪れる静寂。
掛ける言葉すら無くした龍麻と、どう言葉を掛けていいのか分からずにいるクリスタルを余所に、麻祁は着替えていた小麦色のローブの裾を揺らしながら、二人から離れていき、鼻歌を交えながらカウンターの横に張られていた紙へと目を向けていた。
明るくもゆったりとした音だけが、三人の上でグルグルと渦巻いていた。
――――――――――――
「ああ、最悪だ最悪だ最悪だ、なんでなんで外に……」
薄ぼんやりと灯るランプの中に龍麻の姿があった。それはまるで悪夢に取り憑かれたかのように、一人ぶつぶつと呟いては、体に毛布を巻きつけ、噴水へと背を寄せ付けている。
その横には麻祁の姿。同じようにぼんやりとする灯りの中で、体に毛布を巻きつけては、噴水に背を付けて座っている。
ふと龍麻が空を見上げる。
暗く漂う空間の中に、輝く星達が幾つも浮かんでいた。それぞれがキラキラと光を放ち、まるで宝石を散りばめたようだ。
龍麻はぽっかりと口を開けたまま、星を見続けている。
その姿を横目で見た麻祁は、視線を前へと戻した。
「綺麗な星だろ。街じゃそうそう見れることはない」
「ああ、少し驚いた。こんなにハッキリ見えるなんて……」
「私は見せたかったんだ。この星を……だから今日は外で寝ようと思って……」
「ああ、なるほど……」
少しばかり頬が緩む龍麻、しかし――。
「って、嘘だろそれ」
すぐさま怪訝そうな表情を麻祁へと向けた。
「なぜ嘘だと?」
「そんな星を見るようなタイプじゃないだろ? 何か他に用事があるからわざわざ外で寝るとか言い出したんだろ? 一体何があるんだ?」
龍麻が左右に首を振り、辺りを見渡す。
「こんな暗い場所にこんな頼りない灯り一つで何を見るって言うんだよ」
「……それじゃなんだよ」
「ただのお話。……私と別れた後どうだった?」
声のトーンを少しだけ落し、龍麻の方へと首を少し傾ける。
「これと言っては何も……ただ、クリスタルがいつもやってることを手伝っただけかな」
「いつも?」
「ああ、町の人のお手伝いだよ。洗濯物洗ったり干したり、何かの物を運んだりで、それでいろいろな物とかお小遣いを貰っているらしい」
「それは大変そうだな」
「かあなり大変だった! で、貰った物は数日後に来るらしい行商の人に売ってお金にするんだってよ。今回の噴水修理のお金もそれで集めたんだってよ」
「それじゃしっかり直さないとな。……で、他に何か気付いた事は?」
「んーああ……後は無いかな……ってそっちはどうだったんだよ? そう言えば、なんであんなに濡れていたんだ? 噴水の水?」
「この噴水の下には水を貯めるためのタンクのようなものが二つ置かれていて、その水はこの裏手の山から引いているようだ。水が下に溜まっているのに、その水が噴き出さなかった理由は、新しい水が補充されてないからだ」
「それじゃ新しい水を補充したから、濡れたと?」
「私が濡れているのは、その水を横取りしているやつがいて、それに襲われたからこうなったんだよ」
「お、襲われた!? 誰に!? 誰かいるのか? まさか管理人?」
「管理人はいないって言っただろ? 襲ったのは樹だよ」
「樹? 何で樹が……?」
龍麻がぐっと視線を落し、地面に敷かれていたレンガを確かめるように手を置いた。
「樹が生えているのはこの下ではなく、この裏にある洞窟の中。ほら、私と鉢合わせた場所、あそこの奥にあるんだ。何か聞いてない?」
「そんな話はなにも……」
「山の奥にある洞窟の内部は大きな空洞になっていて、枝分かれした水の通り道が幾重にも出来ていた。多分、水道としての役割と噴水の水を貯める為に、町の人が昔に掘ったんだろうな。そこに樹が住みついたってわけ」
「その樹が水を吸っているから、近くの川や噴水の水が枯れていたと?」
「それとボスプリミの失踪の原因もそれになる。ありとあらゆる水分がそいつに吸われていた。水から血液から、多分体液もだろうな。私も吸われかけた」
麻祁が包帯の巻いた右足を出し、龍麻へと向けた。
「な、なんだよそれ……? どうしたんだ?」
「樹にやられたんだ。痛みは少しあるが、もう血は出てないから大丈夫だろう。毒も無さそうだし、早めに逃げ出せてよかったよ」
「毒って……一体何があったんだ?」
状況を詳しく頭の中で整理する為に、龍麻が問い掛ける。それ対し、麻祁は右足を毛布の中へとしまい込んだ。
「蔦のようなものが部屋中に敷き詰められていて、それが一種のセンサーのような役割になっていたんだよ。水などの水分がその蔦に付くと反応して、本体が蔓を出して獲物を引っ掛けるって流れ」
「んー……本当にそんな事出来るのか? 植物だろ? それが何かの生き物だったら分かるんだけどな……」
「嘘だと思うなら明日一緒に行ってみる? 暗くてよくは見えないが、中は骨だらけだからよく分かるよ」
麻祁の言葉に龍麻は眉間を歪ませた。
「いや、遠慮しておくよ……」
「それは残念、なら明日は私だけで行く」
「……大丈夫なのか、一人で」
「問題ない、楽なもんさ。相手は植物だからな。即座に考える知識がついていたら面倒だが、自然で生きているようなものだ。処理は簡単、もう手筈はアデールに伝えてある」
「そうか……」
その言葉を最後に静寂が流れ、ただぼんやりと灯る明かりだけが揺らめいていた。その空気に裂くように、龍麻が再び口を開く。
「って、それだけの話の為にわざわざ外で寝ることにしたのか? それなら中でも別にいいだろ? なんでわざわざここで……」
「実は気になる事が一つだけある。それを確認する為に、わざわざここで話すんだ。まだ信用は出来ないからな」
麻祁の言葉に、龍麻はふと深く息をつき、一間、空けた。
「……それで、気になる事って?」
「ここの人達と話してみて、何か違和感に気付かないか?」
「違和感? ……んー」
その言葉の答えを探そうと考えるも、龍麻の口からは、その問いに引っかかるような所は出てこなかった。
「別に何もないな……」
「よく顔を思い出して、そして自分と比べてみろ」
「顔……」
龍麻が目を開いたまま、頭の中に昼間出会った町の人達の顔を思い浮かべ、そして気付く、
「あっ……」
――その顔立ちが違うことに。
「言語が統一されている。ありえない話だ」
麻祁の言葉に、龍麻の思考が一瞬止まった。しかし、すぐに言葉を返した。
「でも、たまたま同じなだけじゃ。ほら、見た目は違うけど、元々この場所はあの場所と似ているわけだし……」
「なら、何故電気がないんだ? それに牛のような生き物ですら、呼び方が違う。服装も違えば、顔立ちも違う。他の町に行って見ないことには分からないが、私達が過ごしてきた文化とは違う歴史を辿っている。ここは私達の知っている世界ではないと知らしている」
「それじゃやっぱり死後の世界……?」
「もしくは異世界。理由がどうであれ、元いた世界ではないのは確かだろうな」
「まだここから移動もしてないのに、そう決めてもいいのか? もしかすると、ここだけってことも……」
「そう願うのは自由だが、目の前にあるものは事実でしかない。この噴水にしても、このランプにしても、今私が目にしているものが幻だとは思えない。例えば……」
麻祁が毛布の中から右手を素早く出し、龍麻の頬を思いっきり抓った。
「いだだあぁー!」
弾くようにして、すかさず伸びる右腕を龍麻が払う。
「痛ってぇ……」
赤くなる頬に手を重ね、何度も擦る。
「これで二度目。私のおかげでまた証明されたな」
「自分の頬でやってくれよ。なんで俺ので……」
「理解出来ない物事に対し、それを夢だと思い続けるのは自由なことだが、それを幻だと決めつけるのはあまり良くない。目の前にあるせっかくの貴重な情報をただただ見逃すようではこの先、長くは生きてはいけない。先人からの教えだよ」
「先人って誰だよ? 師匠なんているのか?」
「私が今さっき伝えただろ? それが教え」
「なんだよそれ……」
「言葉に関しては、大体の見当はつけてる。とは言え、ただの当てハメみたいなものだけど。なんにしても、今は情報がまだ少ないから、また明日って事だ。明日は噴水を修理して、準備を整えたらこの町を出る。準備金は噴水の修理代で多少貰える事になっている。それじゃ、私はもう寝る」
「寝るったって……」
龍麻の言葉を聞き終える前に、麻祁が目を閉じた。
ふとため息をついた後、龍麻はもう一度顔を上げ、星を見つめた。
先ほどと変わりなく、暗闇の中には星が散々としている。
「ああ……帰りてぇ……」
星に願いを届けるように、龍麻が力なくそう呟いた後、ゆっくりと目を閉じた。
いせかいじゃーにー 夏日和 @asagisiki
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