三節:つる

 扉が閉まり、一瞬にして視界が薄暗闇に包まれる。

 背中を擦るように包んでいた暖かさは消え、今は不気味な冷たさが肌を刺していた。

 人が住むには不便であろう荒れた廊下を、麻祁が再度確認する。

 正面には先程入ってきた二階へと続く階段があり、そして左右には扉のない部屋が二つある。

 麻祁は左右を見渡した後、左へと向き部屋の中を覗いた。

 カーテンが閉まった薄暗い部屋。そこは台所になっていた。

 まるで誰かと争ったかのように床下には木屑が散らばっており、奥に置いてある水を貯めて置く為の樽ですら破壊されていた。

 近くに落ちてある錆びた斧を麻祁が拾い、表と裏を確認する。

 刃の部分は干からびた木屑がくっ付いてた。

「叩き割ったのか……?」

 斧を置き、今度は右の部屋を確かめにいく。

 台所と同じく、カーテンにより締め切られた部屋は異様な湿気で満ちていた。

 部屋にある家具という家具は破壊されており、辺り一面には木屑が散らばっている。

 部屋の入り口から一歩も動かず、窓から射す僅かな光だけを頼りに、辺りを窺う中、ふと視界にあるモノが目に入った。

 荒れた室内の奥、そこに一つの入り口があった。

 足元に散らばる物に気をつけながら、その場所へと麻祁が近づく。

 不自然に開けられた空間、中を覗くと異様な湿気と共にそこからは微かな風が吹き込んでいた。

 麻祁が入り口の右側の壁を確認する。そこには無理矢理に壊された蝶番が力なく垂れ下がっていた。あるべきドアがない――。

 何も無い入り口を潜り、中へと入る。

 湿気のある空間はアデールと同じような作りの場所になっていた。違う場所と言えば、ベッドやタンスのようなものなどはなく、何かを組み立てるための工具などが散らばり、天井や壁には太いロープがぶら下っていた。

 そして他の部屋と同じく、床一面には木の屑が散っている。

 唯一背中から差し込む明かりの頼りにし、入り口の横に掛かっていたランプを手に取る。

 冷たいランプを鼻に近づけ、油の臭いを確かめる。ツーンとした刺激が鼻腔を駆け走る。

 背中にある袋からラピデムの粉を取り出して、ランプへと入れた後、一息吐き、灯した。

 ぼんやりと灯る明かりが、相変わらずの細い目をした無表情の顔を浮かび上がらせる。

 ランプを前へと突き出し、更に部屋の中を映し出す。……奥に階段が見える。

 麻祁は階段へと近づき、ランプをその先へと向けた。

 暗く闇が染まる場所。どれだけランプを近づけようと中までは見えず、変わりに湿気を纏った異様な空気だけが、そこから吹き続けていた。

 表情を変えないまま、麻祁は階段を降り始めた。

――――――――――――

 先の見えない階段を一段、また一段と踏みしめる度に、肌を包む湿気が強さを増してくる。それは、まるで雨上がりのような感じだった。

 コツ、コツ、コツ、コッ――。

 木の軋む音から石の硬い音と感触が足元に伝わってくる。

 麻祁は一度立ち止まり、辺りへとランプを向けた。

 ひっそりと沈む薄暗い空間。辺りは石の壁で囲まれている。

 手元の光を辺りに蒔いた後、先を目指し歩き出した。

 冷たい反響音を耳にしながら、薄闇の中を一人歩く。

 目の前に現れる階段。一人がやっと通れるような狭い場所を更に下へとおりていくと、再び広めの空間にたどり着いた。

 麻祁がランプをかざし、辺りを照らす。ふと、二箇所、奇妙な造りの部分が目に入った。

 一つは右側の足元。片足がすっぽり入るような溝が掘られ、それが闇の先へと伸びていた。

 そしてもう一つ、それは麻祁の左側にあった。

 かざす明かりに浮かび上がったのは、レンガで組まれた壁だった。それは足元から天井へと、麻祁が見上げてもその天辺は見えない。

 自然ではない違和感のある造型物をしばらく見た後、麻祁はそのレンガの壁を伝い、奥へと歩き始めた。

 壁と溝は並列しまっすぐと走っていたが、突然左へと折り曲がった。

 麻祁もそれに合わせ左に曲がると、途中、溝だけが右へと曲がり、足元に造られた小さな穴へと消えた。しかし、溝はまるで蛇のように、同じ穴の左側から出てくると、そのまま右へと折り曲がり、また壁と並走を始めた。

 横目で軽くそれを確認した後、麻祁は止まる事なく、再び壁と溝に挟まれながら薄闇を歩く。

 壁と溝が左へと折り曲がり、しばらく歩くと、目の前に階段が現れる。

 麻祁はランプを目の前に差し出し、上から下へと照らした後、左にある壁へと顔を向けた。

 頭の中で造られていく地図。レンガの壁はどうやら、箱のような造りになっており、この部屋の半分を陣取っているようだった。

 ふと、足元に目を向ける。そこにはレンガに挟まれるようにして組まれた木の板があった。大きさで言えば、人一人が潜って入れるぐらいであり、長年水を浴びたせいか、板の表面は黒く湿っている。

 麻祁はランプを階段に置き、木の板を横へとずらす。その瞬間、開かれた穴から大量の水が飛び出してきた。

 勢いよく噴き出された水は向かいの石の壁へとぶち当たり、そのまま溝へと落ちる。

 再びランプを手に持ち、流れる水へと向ける。

 薄明かりに照らされた水には、緑色をした水草のようなものが紛れていた。

 麻祁は数十秒その流れを見続けた後、階段を上り始めた。

 ランプを前へと差し向け、晴れることのない闇を照らし続ける。

「……?」 

 足を止めた。下から聞こえてくる激しく水が流れる音に紛れるように、上の方から微かに物音が聞こえてきた。

 ランプを闇へと突き出したまま、正面をじっと見る。

 何も答えることの無い静寂の闇、その先を見――。

「……ッ!?」

 突如正面から何かが走ってきた。

 咄嗟に身構えるも、それよりも早く走ってきたモノは麻祁の足元を通り抜けていった。

 数匹の小さな生き物。振り返り、それが何なのかを確かめるように暗闇の先へと目を向け、そして呟いた。

「……ねずみ……?」

 誰からの答えのないまま、麻祁は再び階段を上り始める。

 しばらくすると、開けた空間に出た。

 ランプで辺りを照らし確かめる。そこは下の階と同じように、また目の前にあのレンガで造られた壁があった。

 麻祁が近づく、そして眉間を歪ませた。――それは異様な光景だった。

 赤黒いレンガを覆い尽くすように、緑の草が蔦のように絡みついていた。

 一つ掴み、むしり取っては間近で見る。

「……これは」

 急ぎランプで周囲を照らす。

 天井、壁、足元、薄明かりに浮かぶ緑。部屋の半分以上がその草により染められていた。

 部屋の右隅には、幾つもの木材が雑に置かれている。木の形は様々であり、湾曲しているものや、丸みのあるもの、ノブの付いたままの四角形などがある。

 麻祁はこの部屋で起きた事を整理しつつ、左側へと移動した。

 奥に進むにつれ、緑は厚さを増し、足元には木材が散らばっている。

 葉を踏みしめる音を微かに鳴らせながら、部屋左隅まで来た時、麻祁の足が止まった。

 ランプを前へと出し、より鮮明にその場所を照らす。そこには、人の骨が散りばめられていた。

 蔦にまみれ、微かに赤黒く染まった草の上で座っているその格好からは、足を伸ばし壁にもたれまま、この場所で力尽きたのであろう。

 左側へと顔を向ける。そこには、三段ぐらい低く作られた少し広めの溝があり、ありとあらゆる木材が積み重ねられていた。

 椅子からタンスに樽など、無惨にへし折られているも、その名残を僅かに残したまま無造作に積み造られたそれは、蔦に覆われた事により、一つの山のようになっていた。

 麻祁はランプを置き、足元に散らばっていた骨の一つを摘み、明かりにかざした。

「……管理人か?」

 骨を置き、今度は部屋の奥で静かに麻祁を見る頭部へと手を伸ばした。

 綺麗に残された頭部の骨を片手に置き、正面、そして裏へと目を向ける。――後頭部にヒビが入っていた。

「ねずみ……いや、滑ったのか」

 麻祁は頭蓋骨を元の場所へと置き、一度、積み重ねられた木材の方へと視線を下ろした後、今度は右側へと顔を向ける。

 右側は下の部屋と同じようにレンガの壁が聳え立っている。

 ふとある物が目に入った。それは、下と同じようにレンガに挟まれていた木の板だった。

 レンガに絡み付くより蔦が多く、そしてより色が深かった為、間近で目にするまではそこに板があるとは気付かなかった。

 邪魔になる蔦を数箇所引き千切った後、緑の板を手にし、横へと引く。

 木の擦れる音と共に開かれる暗闇。その穴は下のものよりも大きく、人一人が余裕で入れる程だった。

 麻祁は顔を入れる前に、袋を下ろし、中から松明と小さな布袋を取り出した。

 布袋から粉を一摘みし、松明の樹脂の部分に振りかけた後、今度はランプの中心を止めていた金具を外し、液体の溜まってる底の部分と松明を手にし、溝の方へと近づいた。

 闇の中、麻祁が松明を溝へと突き出し、その上から液体を少しかける。

 その瞬間、松明が激しく燃え出した。

 火の揺らめきに合わせ、部屋中にチョコレートのような甘い匂いが漂う。

「なるほど、悪くない」

 一度松明を床に置こうとするも、その手が止まる。――あの草が視界に入った。

「ッチ、邪魔な草だ」

 小さな舌打ちをし、麻祁は草の生えてない部屋の右側へと移動し、そこに松明を置いた。

 ゆらゆらと揺れる明かりを頼りに、ランプを元通りに組み直し、火を点けた後、再び松明を取りに戻った。

 揺らぐ火を穴へと近づける。

 周りに燃え移らないように慎重に中へと通し、そのまま手を離した。

 中からは何も聞こえては来ないが、代わりに明かりが漏れ出している。

「ったく、手間ばかり。全部燃やした方が早い気がするな」

 悪態をつきながらも、麻祁は中へと首を入れ、そして、顔を出した。

 ふと息を吐いた後、頭蓋骨へと目を向ける。

 まるで嘲笑っているかのように歯を向き出したまま、辺りと同じような黒い視線に、麻祁はふとため息をついた。

「どこもかしこも草ばかり。とにかく水を入れてみるか……」

 右足で地面を踏みにじった後、辺りを見渡し、部屋の左側、木片が山積みとされた溝を見下ろす。

「これじゃ無理だな。仕方ない……」

 麻祁は道を戻り、階段を下り始めた。

 下の階層へと降りると、今だに水は噴き出し続け、部屋の隅に作られていた溝へと注ぎ込まれていた。

 背中にある皮袋を下ろし、中から鉈とラピデムの粉を取り出した後、水をその中へと入れ始めた。

 勢いは今だ強く、皮袋から溢れ出た飛沫が麻祁の体や足へと飛びついてくる。

 徐々に膨らんでいく皮袋。まるで水風船のようになった頃合いで、麻祁は水の中からすくい出した。

 階段に置いていた鉈と膨らんだ皮袋を持ち、ラピデムの粉が入った布袋を制服の胸ポケットに入れた後、ランプを頼りに階段をあがる。

 揺れる水に右側の重心が奪われるも、麻祁は体勢を崩すことなく、穴の場所まで行き、その中へと入れた。

 水が跳ねる音に紛れ僅かに聞こえる火の消える音。一瞬にして箱の中は暗闇に包まれた。

 麻祁が顔を入れ、少しの間待つ。

 チョコのような甘い匂いの後、僅かながら水の腐ったような臭いも混じり、鼻を刺してくる。

「何も変わりなしか……」

 顔を出し、手にしていた皮袋に目を向けた。

「水が必要だな。それと火か……ん?」

 麻祁の目にあるモノが入った。

 それはレンガの壁に絡み付いていた蔦。その一部が色づき、立ち上がっていた。

 色は薄緑から緑へと、よりその色の濃さを増し、そして、地面に芽吹いた若葉のようにまっすぐと背を伸ばしている。

 麻祁はそれを摘もうと鉈を持ったまま手を伸ばし、触れた――その瞬間。

「――ッ!?」

 体が無意識に仰け反った。

 その手に反応するかのように、周囲にいた蔦の全てが瞬時に芽吹いた。

 すぐにその場を離れようと、体を動かす――しかし。

「なにっ!?」

 激しい轟音が背中で鳴り響いた。

 すぐさま木材の山へと振り返る、同時――木片が迫っていた。

「くっ!」

 咄嗟に腰を下げた瞬間、頭がいた場所から砕ける衝突音が何度も響いた。

 上から振り落ちる破片、周囲を包む木屑を払い、立ち上がる。

 視界が晴れ、次第に景色が鮮明となっていく中、麻祁の目が自然と見開いた。

 目の前に奇妙なモノがいた。

 細く長く伸びる蔓、そしてその先に付く緑の葉。

 まるで生き物のように、ある程度の高さを保ちながら、じっと瞳を見てくる。

 麻祁は息を殺し、その葉のような部分から目を逸らさずにいた。

 ゆらゆらと動くランプの火が影を揺らす。

 蔓のような物体は、左右に葉を振った後、ゆっくりと麻祁の後ろにある穴へと向かい、伸び始めた。

 視線の横を通り過ぎる蔓を、瞳だけで追いかける。

 まるでワイヤーのようにまっすぐに張ったのを確認した後、麻祁はランプを少しだけ上へとあげ、辺りの確認を始めた。――蔓は一つではなかった。

 麻祁の横にあるのを含め、全部で五つの蔓がその部屋でワイヤーのように張られていた。

 蔓が出ている元、それは先程山となって詰まれてた木材の場所からだった。ぽっかりと空けられた穴からは何十本もの蔓が伸び、積んであった山の全てを吹き飛ばしては、麻祁の周りに残骸として散りばめていた。

 その場所から離れようと麻祁が静かに左へと体を向ける。

 目に入る蔓、蔓、蔓。まるでこの場から離れさせないように、それは遮り、レンガへと伸ばされている。

 麻祁は蔓を断ち切ろうと一瞬思いつくも、すぐにその案を掻き消した。

 蔓は一本で形成されているものではなかった。いくつもの細い蔓が絡み合い、まるでワイヤーロープのように、その頑丈さを見せつけていた。

 一回で断ち切れるなら、気付かれても急ぎその場から離れれば問題なく逃げきれる。しかし、錆びている鉈ではこれを断ち切れるとは思えなかった。

 仕方なく、麻祁は薄暗い足元に注意しながら、一歩ずつゆっくりと進めていく。

 その時だった。奇妙な感触が足元から伝わってきた。ランプを下へと動かし確認をする。

 踏みつけてのいたのは先ほど水を入れていた皮袋だった。中のモノを出した為、姿は元へと戻り、僅かに残った水だけが口元から漏れ出ては、倒れている草を鮮やかな緑へと芽吹かせていた。

 麻祁の表情が変わる。

 蔓の一つが皮袋へと伸びていた。先端にある葉の部分が水に触れている。

 ランプを周囲に向け、他の蔓も確認をする。

 蔓はある場所へと定めその葉先を向けていた。麻祁が瞬時に読み取る、それはあの水を運んだ時の道筋だった。

「水か……」

 相手が求めるモノを理解した時、瞬時に自身の状態を思い出す。

 水滴が滲みスカートと制服、濡れる右足。

 すぐさまその場から離れようと足をあげる、しかし――水を吸った葉の全てが、頭をあげた。

「――ッ!!」

 次の行動に移すよりも早く、蔓が動く。

 避ける麻祁の右足首に、瞬時に絡み付いた。

 激しい痛み、いくつもの針を刺し込んだような衝撃が右足を駆け上った。 

 歪める顔。そのまま足を引かれ、麻祁の身体が蔦の上へと倒された。

 ランプの火を頼りに、足元に絡み付く蔓に向かい鉈を下ろす。

 グッ、と反発する衝撃が手元へと伝わってくる。何重にも絡む蔓により、刃は止められ、それ以上押し込めない。

 麻祁は同じ場所へと鉈を振った。

 互いに絡み付く蔓が一本だけだが千切れた。再び振り上げ――。

「くっ!?」

 それを阻止するかのように、蔓が麻祁の足を強く引いた。体が勢いよく後ろへとずれ動く。

 怯む事なく刃を振り上げ叩きつけた。

 切れる蔓、それと同時に、体は更に後ろへと引きずられた。

 背中に敷いていた葉は潰れ、麻祁の居た跡を残す。

 ふと視線が足首へと向く。

 すがり付く様にして白の靴下に絡み付く蔓。その部分からは赤い血が滲み出していた。更に視線を僅かに前へと向けると、その先にはまるで大口を開ける怪物かのように暗い溝が待ち構えている。

 あと一度引かれれば、下へ――。

 麻祁の額に汗が滲み、頬へと垂れ落ちる。

 ランプと鉈を持つ手では、汗を拭う事すら出来ない。

 足首で血を啜る蔓を静かにじっと見つめ、他の手を考える。

 ランプの火を消し、松明と同じように火を点けようとも考えるが、それでは明かりを失い、その後の行動に不安が出る。ランプを離すことは出来ない。

 麻祁が出来る今の行動はただ一つ。

 鉈を上げ、蔓へと振り下ろす。

 繊維質を切る小気味よい音を無音の中に一つ鳴らし、ただ一途に、ただひたすらに。

 遂に鉈は蔓の中心まで切り込んだ。だが、そんな成果もあざ笑うかのように、蔓が麻祁の体を強く引いた。

 ずれ動く体。背中に僅かな熱を感じながら、麻祁の体は闇へと引きずり込まれた。

 落ちる前、咄嗟に体を横へと向かせ、右肩を下へと向けた。

「くッ!!」

 鈍い衝撃が骨へと伝わる。麻祁の体は木材の上へと落ちた。

 右手に持つ震える鉈を押さえ付けるようにグッと力を入れ、体を起こす。

 周囲を舞う木屑に鼻と喉が刺激され咳が出そうになるも、麻祁は気にする様子もなく、すぐさま足首を掴む蔓へと向かい、鉈を振った。

 視界の晴れない中で、音だけを響かせる。それを払うかのように、蔓が麻祁の体を強く引き、開かれた暗闇の中へと引きずり込んだ。

 まるでロープを手繰り寄せるかのように、麻祁の体は一定の速度を保ったまま暗い穴の中を突き進む。

 背中に熱を感じるも痛みはない。伝わってくる感触はゴツゴツとした岩肌ではなく、やわらかく冷たいものだった。

 麻祁がランプを壁の方へと向け、それが何かを確認する。

 薄明かりに浮かび、高速で麻祁の横を通り過ぎていくもの。それはあの部屋で見た蔦だった。

 隙間なく芽吹かせていた葉は、水気を帯びた事により、よりその緑を輝かせていた。

 ランプの火を足元へと向け、麻祁はただじっと、その先の暗闇、行く末を見続ける。そして、麻祁の体は突然宙へと浮いた。

 まるでウォータースライダーのように、体は弾かれ、そのまま地面へと叩きつけられた。草のやわらかい感触に紛れ、ゴツゴツとした硬いものが肌へと当たる。

 先ほどよりも緩やかに、麻祁の足は引かれ、そしてそのまま上へと吊るし上げられた。首と両手が自然と下へと向けられる。

 ぽたぽたと体から落ちる水滴とランプに映り出された地面。薄明かりに照らされたそれは、一面に敷き詰められた蔦と、それに紛れるように置かれた無数の小さな骨だった。

 ゆらゆらと揺れるランプの火を頼りに、さらに周囲を確認する。

 どうやら骨の種類は一つではなく、二つ、三つ、大きさがそれぞれバラバラであり、骨格も様々であった。

 麻祁がある一つの骨に注目する。欠けた大型の頭部、そのおでこの辺りに、二箇所だけ短い突起物があった。

「……ボスプリミ」

 一点だけを照らしていたランプを、今度は持ち上げ、出来るだけ前へと突き出した。

 先の見えない壁を照らし、辺りを確認する中、ふとある場所でその動きを止めた。――光の奥に何かがいる。

 それは一本の大木のようにその巨体を暗闇に溶け込ませていた。

 明かりに映るのは、影のみでハッキリとは姿は見えない。しかし、天井にはいくつもの蔓がぶら下っていた。

 まるで捕らえた獲物を干すように垂れるそれは、麻祁の足首を掴んでいる蔓と同じだった。奥にいる大木の巨体がその持ち主だと分かる。

 水のせせらぎだけが辺りを埋める。

 ふと、足元に暖かい感触が走った。

 麻祁は体とランプを足元へと上げ、揺れる火を向けた。

 赤く染まる靴下から、一筋の線が走っていた。それは止め処なく流れ続け、足に付く水滴に紛れ、スカートの方へと流れてくる。

 声一つあげることなく、それを無表情で確認した後、再び体を戻し、地面と自身の上げられている高さを考え、ランプを下へと落した。

 小さくなる火はそのまま地面へと転げ落ち、ゆらゆらと揺れた後、消えることなくその場所で横になった。

 暗闇の中、麻祁は左足を右足首のアキレス腱の辺りに当て、体を起こすと同時に、空いた左手で右足の靴下を掴み、蔓へと向かい鉈を入れた。

 一回、二回……。先程まで切り付けていた場所を、暗闇の中で迷うことなく的確に打ちこんでいく。

 そして、四回目――。

「ッ――」

 強く引き千切れるような音と同時に、麻祁の体が地面へと向かい落ち、鈍い音を上げた。

 痛みを堪え、声を出す間もなく、麻祁は体を起こすと、すぐさま目の間に落ちていたランプを拾い、正面へと掲げた。

 明かりに照らされ映し出される巨木。それは洞窟の主であるかのように、堂々としたその体を天井や両端の壁一杯に膨らませ、その場所で巣くっていた。

 辺りに散る骨の数、流れる水のか細いせせらぎからも、その大喰らいの性質は躊躇いもなく伝わってくる。

 じっと睨むような視線を大木に送った後、麻祁はランプと鉈を手にしたまま、身を翻し、暗闇を走った。

 散らばる骨が刺さらないように気をつけながら、迷いを見せずただ一点だけに向かい、足を進める。

 麻祁はある事に気付いていた。それはこの空間の中では自然的に存在しないもの、吊るされていた時に感じたランプの火を揺らすもの、それは――風だった。

 広大にも思えるこの洞窟の中に強い風が吹き込んでいた。

 外へと繋がる出口が近くにある。そう考えた麻祁は、その風が吹き込んでくる場所へと向かい走った。

 時々道が左右に別れるも、悩み立ち止まることはない。

 しばらく走り続け、そして光に包まれた。

 晴れる視界、冷たい風が肌をなでる。

 鳥のさえずる中、麻祁はふと、息を吐き、振り返った。

 目に入ってきたのは、自身が出てきた穴。それは、管理人の家に行く前に立ち寄ったあの洞窟だった。

 暗い闇が、まるで招き入れるようにその大口を開けている。

 前髪から頬へと垂れ落ちる水滴を鉈を持つ右手で拭い、洞窟へと振り払った後、町へと続く坂道を下り出す。

 両脇から聞こえる葉音を耳にし、地面に濡れた足跡を付ける中、ふと目の前に二人の男女が現れた。

 小麦色をした布で出来た服が目にはいる。それはこの町に暮らす人達が着ているものだった。

 男は桶のようなものを持ち、女は枝のようなもの片手で振りながら、一緒にこちらに向かい歩いてくる。

「あっ――」

 男が麻祁に気付き立ち止まる。

「あっ――」

 女が麻祁に気付き手を止める。

 麻祁の前に立ち塞がったのは、龍麻とクリスタルだった。

 まるで池の中にどっぷりと浸かったかのような草まみれの濡れた麻祁の姿に、

「なにやってんだよ?」

「なにしてんですか?」

二人の疑問が重なる。

 問い掛けられた麻祁は、無表情のまま答える。

「噴水の修理」

 風が吹き、小鳥が鳴く。

 長く垂れる髪先から止め処なく滴り落ちる水滴が、水音をあげた。

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