一節:ふんすいのそうじ

 外へと出た麻祁は辺りを見渡した。

 建物の左側、そこに龍麻とクリスタルは立っていた。

 白のシャツに、干からびた藻を付けたままで仁王立ちの龍麻へと麻祁が声を掛ける。

「何やってんの?」

「乾かしてるんだよ。濡れたままだとダメだって……それより、聞いたぞ! 噴水の修復だって?」

 龍麻の言葉に、クリスタルが笑みを浮かべた。

「はい! 麻祁さんが選んでくれました! 最初の頼み事ですよ! ビシバシささっと終わらせましょう!」

 鼻息を荒げながら、手を交互に前へと突き出し、クリスタルがやる気を見せる。

 その姿を龍麻は不安そうに見つめ、すぐに麻祁の方へと向いた。

「大丈夫なのかよ……?」

「やる気があるという事は悪いことじゃない。ほら、これが一応、依頼書」

 麻祁が手に持っていた赤い判の付いた紙を龍麻へと渡した。

 それを受け取り、上から順に読んでいき、そして……、

「……って、クリスタル!?」

最後に書かれた名前の部分を読んだ瞬間、目を見開かせた。

「はい! 私ですよ! ちゃんとお金も用意してますし、正式な依頼ですよ!」

 満面の笑みを見せるクリスタルに対し、目を開いたままの龍麻はその表情を見た後、すぐに麻祁の方へと向いた。

 龍麻の表情に、麻祁は振り向きもせず、胸元に両腕を重ねたまま口を開いた。

「依頼は依頼だ。さっさと終わらせよう」

 そう言った後、麻祁が広場の中心にある噴水へと歩き始めた。

「行きましょう! あそこですよ!」

 元気な声で噴水の方を指差すクリスタルが、龍麻の手を掴み、引っ張るようにしてその方向へと走った。

「わわ、ちょっと!!」

 勢いに負け、足元を絡ませながらも龍麻は手を引かれるまま、噴水の元へと近づいた。

 噴水に溜まっている水を二人が覗き込む。その後ろから、麻祁が遅れてやってきた。

 三人で覗く噴水の水。それは緑の藻が水面を覆い尽くし、微かながら異様な臭いを漂わせている。

「水が腐っているのかこれ……うっ……」

 鼻を緑の水面へと近づけた龍麻が、顔を歪め、すぐに頭を上げた。

「動かなければ、腐るものは腐る。……どこかに水を抜くための排水溝があるはずだ。水が溜まっているから、たぶんそこが詰まっている」

 その言葉に、横に居た二人はその場から動かずに、頭だけを上下左右に動かし始めた。麻祁が少し間を開けてから、口を開く。

「そんな所で眺めても見つかるわけがないだろ? 中に入ってまずは藻を出さないと」

「え? 入るったって……」

 龍麻が視線を水面へと向ける。

 藻で覆われ、緑色に染まる水面を何度見た所で顔は映らない。

「大丈夫なのかよ……これ?」

「誰かが入って掃除しなければ、いつまで経っても終わらないだろ? クリュ、藻を回収するから、何か入れ物を貰ってきて」

「分かりました。アデールさんに何かないか聞いてみますね!」

 駆け足で建物へと向かうクリスタルの背を見送った後、二人は顔を噴水へと戻した。

「さあ、帰ってくるまでの間に少しでも減らしておくぞ」

「はいはい……」

 その言葉を聞き飽きたかのように、軽く返事をした後、龍麻は靴と靴下を脱ぎ、ズボンの裾をめくっては、噴水の中へと足を入れた。

「うわあわ……最悪……」

 一瞬転びそうになり、急ぎ両手を前へと伸ばし体勢を保った。

 顔を歪め、中腰の状態でいる龍麻はそれ以降足を動かさない。

「滑る?」

「ああ、かなりな……。足元がぬるぬるだぞ」

「藻が下にも張り付いているかもしれない。まずは水面から掬えるだけの藻を掬い上げるしかないな」

 麻祁の言葉に、龍麻は嫌々ながらも両手を水の中へと入れ、掴めるだけ藻を掴んだ。

 水飛沫を上げながら、青空の下に緑の藻が打ち上がる。

「なんなんだよこれ!」

 龍麻は急ぎ、両手に掴んだそれを噴水の端へと投げた。

 ベチャっという音と共に藻がへばり付く。

「藻だな」

「んな事は分かってるよ! なんでこんなに緑なんだよ!」

 意味の分からない事を言い始め、一人荒れる龍麻を余所に、麻祁は噴水にへばり付けられた藻へと顔を近づけた。

 まじまじとそれを見た後、顔を上げる。

「初めて見るな……」

 その藻は水草のような姿をしていた。

 一本の茎を中心に、葉のようなものが左右対称で綺麗に並び、その一つ一つを見るとそこには脈のような筋が通っていた。

「見たことないのか?」

「こんな形の藻はな。水草ならありえるんだが……」

 龍麻に近づき、背中に付いていた藻を一つ掴み取る。

 水分が抜けきり、カラカラとなったその姿は糸のようなものではなく、料理によく飾り付けされているハーブのようだった。

 表裏を確認した後、払うようにしてそれを捨てた。

「藻も水草も一緒じゃないのか? ほら、こんなにいっぱい水の中にあるぞ?」

 まるでワカメでも打ち上げるかのように、龍麻は水面に水柱を高く上げながら、次々と噴水の縁へと被せていった。

「以前は、藻と水草は下等と高等で分けられ、一つの植物として見られていたんだが、今では別の言い方と捉え方をされるようになり、藻類と呼ぶようになった」

「そうるい? 藻類って言っても植物なんだろ?」

「いや、菌だ」

「へぇ、キンか……って菌!?」

 思わぬ答えに、龍麻は手にしていた藻を水面へと落した。

 叩きつけられた衝撃で、緑に染まる水が黒のズボンへと掛かる。

「き、菌って、大丈夫なのかよ!?」

 慌てた表情でキョロキョロと水面を見渡す龍麻に、麻祁は表情を変えないまま答えた。

「心配しなくても、あくまでそういう一つの捉え方としての言い方だ。そもそも光合成をして生きている生物の一つであり、種類も多くあるから、一概に全ての藻類がそう指すわけではない。海にいる海藻だって同じ藻類に分類されたりするんだからな。一応、植物は植物だ。だから、気にしなくてもいい」

「気にしなくたって……だって菌って聞いたらよ……」

 水面へと指先を入れ、何かを確かめた後、龍麻は先ほどと同じように水の中から藻を掬い上げ、噴水の縁へと置き始めた。

「所詮人が分けやすいように決めたものだ。それぞれの線引きが非常に曖昧だから、いちいち気にしていたら日が暮れてくる。大事なのは、その藻類がどういう生き方をして、私達にどんな影響を与えるのか。それだけ分かればいい話だ」

「分かるたって、どうやって調べるんだよそんなもの? 時間がかかるだろ?」

「藻を回収して、その後水質検査などもしないとダメだな。この形は初めてみる。もしかすると水草の可能性もある」

「……どっちにしても早く出たいんだけどな……。大体、どうして水草じゃないと思ったんだよ? 水の中に草みたいなのが生えていたら、水草とは思わないのか?」

「土じゃないからな。この噴水はレンガで出来ている。水草は根と葉と茎があるものを指すが、藻はそれがない。この場所では根が張れるわけもないから、そこで繁殖している緑のモノと言えば、藻類以外には考えられない」

「でも見た目は藻じゃないんだろ?」

「ああ、水草としての形はしている。ただ、根がないだけだ」

「それじゃ、新種の水草だな。まだまだ発見されてない種類だってあるんだろ?

大発見じゃないか」

「ああ、これが本当に未発見のものなら、公表すれば献名がつけられる。――持って帰れればの話だがな」

「……あっ」

 思い出したのか、龍麻が動きを止め、口を開けたまま青空を仰いだ。

「俺達別の場所にいるんだったんだ……」

「すみませーん!!」

 突然遠くから声が響いた。

 二人が声のする方へと顔を向けた。そこには噴水へと向かい、二つの桶を持って走るクリスタルの姿があった。

「はあ、はあ、お、遅くなりました……!!」

 二人の前に着くや否や、両脇に抱えていた桶を地面に置き、膝の上に両手を置いては、肩の上げ下げを何度も繰り返した。

「ア、アデールさんに聞いたら、無いって言われたので、フランカさんから借りて来ました! これで大丈夫ですか?」

 クリスタルの言葉に、麻祁は小さく頷いた。

「ああ、これで作業効率が上がる。助かったよクリュ、ありがとう」

 お礼を言った後、麻祁は一つの桶を手に持ち、龍麻のいる噴水の外側へと置いた。

 木の渇いたような音が地面から響き、龍麻の横に少し黒ずんだ桶が置かれる。

「ここに藻を。後で処分しよう」

「はいはい」

 龍麻は軽く返事をし、噴水の縁へと打ち上げていた藻を桶の中へと入れて行った。

「わあ! ここまで凄いとは……」

 噴水の半分を覆う緑に、クリスタルは目をぱっちりとさせ驚いた。

 その表情に、横にいた麻祁が問い掛けた。

「今まで掃除をしたことはないのか?」

「掃除ですか? あまりしたことは……というよりも……」

 どこか後ろめたさを感じさせるかのように、目線を下げるクリスタル。それに対し、麻祁が代わりに答えた。

「――めんどくさい?」

「えへへっ」

 その言葉にクリスタルは、恥ずかしそうに笑顔を麻祁へと向けた。

「ごめんなさい、一人でしようと思っても、なかなか出来なくて……。アデールさんにもお願いしてみたのですが、お店とかの用事が忙しくって、ちょくちょく居なくなったりで結局そのまま一日が終わったりとか……ですので、他の方にも手伝ってもらおうかと思って、お金とか集めてお願いとして出したんです」

「わざわざ他の場所にいる人に頼むよりも、この村の人達に頼めばいいんじゃないのか? ほら、そこら辺に人がいるじゃないか」

 麻祁が辺りを見渡す。そこには数人の男女がいた。

 何かを話しながら広場を行き来する者や、家の前で立って話をするもの、日光浴を楽しむように、椅子を外へと出してはただ座っている者など、それぞれが、今という時間を楽しそうに過ごしている。

「それなんですよ! 聞いてくださいよ!」

 クリスタルがすがり付く様に、麻祁の近くへと駆け寄って来た。

「ここの人達に何度かお願いしたんですけど、全然手伝ってくれないんですよ! なんでも、『かんりにん』がいるとかどうとかで、その人に任せてるって」

「かんりにん?」

 その言葉が引っかかるのか、麻祁が何かを考え始めた。

「ひどいと思いませんか? アデールさんに教えてもらったんですけど、この村の名前って、『噴水』って意味らしいんですよ! 村の象徴でもあるはずなのに、ここまで置いておくなんて……」

「なら、それなら最初出会った時みたいな姿で呼びかければいいんじゃないのか? あの姿は女神としての一つだろ? そんな服装で呼びかけるよりも効果があると思えるが?」

「それがあの姿だと、全然見えないらしいんです。起きた時もあの姿だったんですけど、誰にも相手にされなくて……」

「起きた時?」

「あっ……はい。実は私、つい最近、目を覚ましたばっかりなんですよ。……気付いた時には、全身びしょびしょの緑で……」

「つい最近って事は、私達を導くとか、願いを叶えるという話も嘘じゃ……」

「ああ、いえいえ! それは本当です!」

 目を細め、睨むような視線を送ってくる麻祁に対し、クリスタルが慌てながら両手を振った。

「私が眠る以前から、そういうのをやってましたから。アーデルさんにも聞いてみてください、昔のお話でも、そういう事があったって残っていますから。……私、色々な人に声を掛けてもう一年以上は経つんですよ。会った時の喋り方とか雰囲気とかも変えたりしてるのに、誰も何を信じてくれないし、相手にもされないわで……結局誰かに取られてしまって……」

「寝坊するくらいだからな。遅れるのは当然だが……まさか女神が寝坊するとは。一応、神と同等のはずなんだが」

「め、女神だと言っても色々な方がいますから! あるお話だと、二百年以上前から寝ていて、今も起きてないって方もいるって聞きましたし、私は、ほら、まだ早いほうでしたから!」

「クリュはいつから寝ていたんだ?」

「私!? わ、私はその……」

 バツの悪そうな顔をし、一瞬だけ目を逸らした後、麻祁に向かい頭を下げた。

「ごめんなさい! それが全く覚えてないんです! 目が覚めたら、ここにいて、それで色々して話とか聞いていたら、そういうことになってるってことで……」

「話というのは誰に? アデール?」

「違います。最初に話をしたのは、この街に初めて来た冒険者さんの後ろにいた、エリスさんという方です。その方は女神様の一人なんですけど、その方から色々と教えていただきました」

「どういう流れで?」

「ええーっと、私、目覚めた後に、色々な人に話しかけたんですけど、無視されて、どうしようもなくぼーっとここで座っていたんです。それから何週間かして、この村にその方達が現れて、それで後ろにいる女性の人、凄く綺麗だなーって見ていたんですよ。……で、そのまま見ていたら、どうやらその方、他の人には見えてないらしくって、あれ? 私と同じだなー、って見ていたら、エリスさんから話し掛けてくれたんです」

「その時エリスという人はなんて?」

「あら、あなたは私が見えてるようね? もしかしてあなたも……」

 クリスタルが声質を少し大人っぽく変える。

「私達今、願いを叶えるために色んな場所を歩いてるの。あなたももし叶えたい願いがあるなら、誰かを誘うといいわよ。って言われました」

「で、その後、そのエリスの言う通りに、願いを叶える為にあの場所で誘い始めたと?」

「はい! あの場所への行き方も教えてもらいました! そこで遠くから色々見て勉強したんです! でもやっぱり……」

「藻だらけの姿じゃダメだった」

「……そのようです。……ですから、やっと私の話を聞いていただける方に出会えたんです!」

 グッと麻祁の手を両手で握りしめ、キラキラとしたその瞳を向けた。

「お願いです! 何とかこの噴水を綺麗にしてください! そうすれば私もきっと……」

「綺麗になることで、あの姿に戻った時に何か起きるのか? 例えば変わった力が使えるとか」

「い、いえ……ただ、あの姿のままでいるのはちょっと……。服が体にくっ付いて動きにくいですし、それに……その、臭いもあったりで……」

「……まあ、本当の目的はどうであれ、依頼は依頼だ。受けたからには最後までするさ」

「あ、ありがとうございます!」

「ちなみに、そのエリスとやらは、今何処にいるのか分かるのか?」

「エリスさんと話をしてから一年以上は経つので、今はどこにいるかとかは……。お互いに連絡し合えるようなモノもありませんし……。確か、ドラゴンを倒すとか何とかで、北の方へ向かうとは言ってました」

「ドラゴン? そんなのもいるのか?」

「いますよ。火を噴いて、空を飛んで、何でも食べる! ……と言っても、私もただ聞いたり、本を読んだだけで実際に見たことはないんですけど」

「本があるのか? また良かったら読ませてもらいたいんだが」

「構いませんよ。……っても、アデールさんに良いか聞かないと……」

「おい!」

 突然聞こえる声に、二人が前へと顔を向ける。そこには、桶を両手で持つ龍麻の姿があった。

「話してばっかりで、全然手伝う気ないだろ!? ほら、もうこれで全部だと思うよ」

 ドシっと地面に置かれた桶には、緑の藻が溢れんばかりに積まれていた。

「ご苦労さん」

 素っ気ない労いの言葉に、龍麻は顔を歪めたまま、噴水から外へと出た。

 ズボンの裾に染み込んでいた水がポタポタと足元に落ち、地面の色を変える。

「ったく……ああ、もう足とか手、洗いたいんだけどな……」

「水ならありますよ。洗いますか?」

「ああ、助かるよ」

 手を数回振るった後、龍麻はズボンを上へと持ち、裾をあげた。

「ああ、もうほんとびしょ濡れ……」

「洗い流すのはかまわないが、水は流したのか? 排水溝は?」

 麻祁が噴水の中を覗く。

「ちゃんと見つけてあるよ。なんかパイプみたいなのが刺さってるみたいだけど? そこにも藻があったから取り除いておいた。減ってない?」

 龍麻も同じように噴水の中を覗き、遅れてクリスタルも二人に続いた。

 噴水の水は先程よりも減り、そのレンガの色を浮かばせていた。

「……どうやら、底の方にはないようだな」

「ほとんど取り除いたからな。ああー、重たかった……もう二度と入らないぞ、絶対に! 後はやってくれよ!」

「これ以上する事はないよ。後は水が噴き出るかどうかだ」

「……そういえば、水ってどうやって噴きあがらせるんだ? やっぱり電気なのか?」

「大体は電気、中にはソーラーもあるが……多分この手のものはヘロンだな。クリュ、いつも暗くなったら明かりはどうするんだ?」

「夜になると、ルークスと呼ばれる石を使います。それ以外にはイグニスっていう燃える石を使ったり、後は近くに木があるのでそれの樹皮とかも」

「電気は通ってないって事だ。ヘロンで間違いないだろう」

「ヘロンって? 聞いたことないんだが」

「ヘロンとは学者の一人だ。昔、水圧や空気圧の原理を噴水を使って示したんだ。電気も使わずに水を噴きあがらせてな」

「電気も使わずにどうやって噴きあがらせるんだ? まず吸い上げる事すら出来ないんじゃ……?」

「それが水圧と空気圧の利用だよ。仕組みとしては簡単なものだ。まずこの噴水の下に二つの箱を用意する。で、最初に噴水の周辺を水で浸す。溜まった水は下へと落ち、密閉された一番下の箱へと溜まる。その際、そこに入れられていた空気が上へと押し上げられるんだ。押し上げられた空気は真ん中の箱へと移動する。真ん中の箱には水を一杯入れている為、今度は入り込んだ空気によって水が押し上げられ、そして噴水として上の箱へと押し出されるように噴き出されるという仕組みだ。噴水が止まるには、一番下の箱が水で一杯になるか、真ん中の箱の水がなくなるかだ」

「それじゃ、この噴水に新たに水を足せば、後は勝手に水を噴き上げると?」

「そういう仕組みになっている。……一応、水は溜まっていてそれが下に流されたはずだから、待てば自然と噴きあがってくる」

「……もし、上がらなかったら今度はどうするんだ? まさか穴を掘れとか言うんじゃないだろうな?」

「必要ならば――」

 麻祁の目が横にいる龍麻へと動く。

「ああー嫌だ嫌だ! 俺は絶対に嫌だぞ! どうやってこんな硬い地面に穴開けろっていうんだよ? スコップなんてもんじゃ無理だぞ?」

「誰だって嫌だよ。だから別の方法がある。とりあえず、出る事を祈るんだな」

「……ったく」

 三人は噴水の前で立ち、その中心にある突き出た部分をじっと見ていた。

 影が傾き、周りで動いていた人達もその姿を減らしていく。

「……全然出ないな」

「水が足りないのかも。足せば出てくるかもしれない」

「それじゃ、水もらって来ますね」

 クリスタルがもう片方の空の桶を手に取り、アデールのいる建物に走ろうした。その時、麻祁の言葉がその足を止めた。

「待て、龍麻も一緒に。一人じゃ重いだろうし」

「えっ? なんで俺も……」

 麻祁が龍麻の耳元へと顔を寄せる。

「情報収集だ。何でもいい、なにか珍しいものがあるかついでに見てこい。会話は十分には、より集まる」

 麻祁が軽く肩を叩く。

「ああ、分かったよ」

 龍麻はふと溜め息を吐いた後、クリスタルの元へと行き、手にしていた桶を受け取った。

「俺が運ぶよ。重たくなるだろうし」

「え? でも、さっき噴水の中で……」

「ああ、大丈夫大丈夫。それは気にしなくても……って、俺、中に入れてもらえるのか……」

よれよれになった干からびた藻付きの白シャツに、今だ裾が冷たい黒のズボン。龍麻は自分の姿をあらためて見回した。

「大丈夫ですよ! 私がちゃんと説明しますから、行きましょ!」

 クリスタルに手を引かれ、龍麻は足元を絡ませながらもアデールのいる建物へと走っていった。

 一人残された麻祁は、その後ろ姿を見た後、顔を正面の噴水へと戻した。

 桶に溜まった藻の塊が目に入る。

 近づき、それを手にしては、表と裏を何度も繰り返し、くるくると見回す。

「水草か……それとも藻か……」

 しばらくし、二人が帰ってきた。

 重たそうに、龍麻が桶一杯の水を運ぶ。

 体が揺れるたびに、桶からは少量の水が溢れ出ていた。

「そ、そのまま……い、入れればいいのか……?」

「ああ、そのまま真っ直ぐ、直接入れればいい」

 ふらふらと麻祁の横を通り過ぎ、そして、空の噴水の中へと水を入れた。

 溢れる出る風呂のように、桶から水が一気に飛び出し、勢いよく広がった。だが、量が少なかったのか、それはほんの僅かな部分だけでしかなかった。

「足らないな。もう後、五、六回はしないとダメだな」

「へっ? へぇっ? もうお手上げ! もう絶対に無理! 俺は穴を掘る! 何年かかってもいいから穴を掘る!」

 全てを諦めた龍麻は噴水の縁へと座りこんだ。

「……仕方ないな。それじゃ別の方法でいこう。クリュ、この辺りに管理人がいたって言ってたな。どこにいるんだ?」

 麻祁の言葉に、クリスタルは噴水の前にある建物から右に二番目を指した。

「あそこにいるって話ですよ。……でも、何度呼び掛けても出てこなくって……」

「姿を見た事もないのか?」

「はい、一度もです。もし見ていたなら、直接言ってますよ。全然姿を見せないんです。ですから……本当にいるかどうかも?」

 その言葉を聞くと、麻祁はその指差した建物へと向かい歩き出した。

 縁に座る龍麻の前を通り過ぎる。

「ああ? 今度はどこいくんだ?」

「管理人の所へ」

「管理人? なんだよそれ、そんな人いるのかよ!」

 建物へと近づいて行く麻祁の背を、龍麻とクリスタルが追いかける。

 三人が建物の前に着くと、先に麻祁が窓へと近づき中を覗いた。しかし、白のカーテンにより視界は邪魔され、中まで見えない。

 次に木のドアを開けようと、取っ手の部分に手を掛ける。

 何度か引いたり押したりを繰り返してみるも、ドアはガタガタと答えるだけで、開くことはなかった。

「鍵が掛かっている」

「この辺りには夜中に人の家に入ってくるような人はいないですけど、獣とかがいるのでその為に鍵をつけているんです」

「ドアを壊してもいいが、後で面倒事になると厄介だからな……代わりの鍵を持ってる人とかはいないのか?」

「ええーっと……どうなんでしょうか? 私は知りませんけど……」

「この村で一番昔からいる人は誰? その人に聞けば分かるかもしれない」

「それなら、トルニーさんに聞きましょう。ほら、あそこでいつも座っているのがトルニーさんですよ」

 クリスタルが指差す方向。そこには年老いた一人の男性がいた。

 ロッキングチェアに座り、ゆらゆらと前後にリズムよく動いては、日光浴を楽しんでいる。

 三人はその老人へと近づき、麻祁が声を掛けた。

「すみません。少し聞きたいんですが?」

 麻祁の言葉に、トルニーは何の反応を示さない。

「トルニーさん、耳がちょっと遠いですよ。少し待ってくださいね」

 クリスタルが急ぎトルニーの横へと行き、声を出す。

「トルニーさん! あの少し聞きたい事があるんですが!」

「…………ああ?」

 大声から数秒遅れ、トルニーが震えるような声で返事をした。それをクリスタルは確かめた後、更に言葉を続けた。

「あの、この村に昔からいる噴水の管理人さんの家の鍵って別のありますか!?」

「…………ああ?」

「鍵です! かあーぎー! 噴水の管理人さんの家の鍵ですよ!!」

「…………ああ?」

 先程目にしたのと同じ反応。二人は顔を見合わせ、そして麻祁は呆れるようにして、両手を軽く広げ、首を横へと振った。

「あーのーですからーか――」

「あらあら、クリュちゃんじゃない」

 突然、ゆらゆらと動くトルニーの後ろから、女性が現れた。その姿はトルニーと同じく歳を重ねている。

 女性は落ち着いた様子で、大声で喋っていたクリスタルに優しく問い掛けた。

「どうしたの?」

「ああ、フランカさん! ごめんなさい、大声出して……」

「いいのよ、それよりどうしたの急に、何かあったの?」

「あのですね……」

 クリスタルが話そうとした時、そこへ麻祁が入り込んだ。

「すみません急に。実はあの噴水を管理していると方がいると聞いて、その方と話をしようかと思い訪ねたのですが、家にはどうやら居ないらしいんです。どこかに出かけたりしているのでしょうか?」

 麻祁の質問に、フランカは、うーんと唸り、悩んでいた。

「……そんな話は聞いてないけどね……。それに鍵が掛かってるのなら外には出てないんじゃないかしら?」

「外へ出てない? それはいつからか覚えてます?」

「んー、どうかしら……あまり気にした事なかったし……ね……」

「それじゃ、すみませんがもう一つ鍵ってありますか? 鍵が掛かっているらしくって、窓から中を覗いても見れなくて……」

「鍵? そんなものはないと思うわよ。……ここの村にはそもそも鍵なんてついてなかったんだけど、昔、よく獣とかが餌を求めて、山から降りてきてはこの広場をうろついていたのよ。その時につけたものだから、古いものでね……近くに鍵を作る人なんていないし……」

「……そうですか分かりました」

 そう言った後、麻祁は軽くお辞儀した。

「フランカさん、ごめんなさい急に来て」

「いいのよ。それよりクリュちゃん、少しお願い事があるんだけどいいかしら? もし手が空いてたらでいいんだけど……」

「あっ、はい。あっ……でも……」

 クリスタルが麻祁へと顔を向ける。

「私の方は気にしなくていい、どうにかして入るから」

 麻祁は振り返り、龍麻の横へと近づいた。

「私は今からどうにかして中へ入ってみる。噴水の下には必ず水を汲み取るための場所があるはずだ。その入り口の情報を集める。その間、クリュの手伝いを」

「ああ、分かったよ」

 龍麻は軽く頷くと、麻祁と入れ替わる形でクリスタルに近づいた。

「俺も手伝うよ。どうやら麻祁一人で何とかするみたいだから」

「いいんですか? 手伝った方が……」

「ああ、いいよいいよ。どうせ手伝っても俺だけが動かなきゃダメだし、滅茶苦茶な事言ってくるのは分かってるしさ。こっちの方がいいよ」

「そうですか……すみません、それじゃ一緒にぱぱっとやりましょう!」

 笑みを浮かべるクリスタルに、龍麻は、軽く返事をした。

「それじゃお願いね」

 フランカと一緒に部屋の奥へと歩く。その中、龍麻は、ふと後ろへと振り向いた。

 そこには噴水横を一人で通り過ぎる麻祁の姿があった。龍麻はその白い背を少しの間見た後、顔を戻し、そのまま部屋の奥へと姿を消した。

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