第十三怪 救済

「室内で暴れてくれるな」

 そう、直斗は平然と窘めて、懐から小さな小箱を放り投げる。部屋の中央に投げられたそれは中心にてぱかりと開き――

 ――部屋のすべてを、飲み込んだ。


 瞬きと、次。高月がいたのは、新月の間ではない。真っ白な空間――光の出処も分からない、果てもわからない、そういう空間。そこに、高月を含め百物語を行っていた全員と、トンカラトンの大群が居た。箱の中に入れられたのだろうと察しはつく。新月の間を血みどろにされては敵わないと、隔離を行ったのだろう。せめて自分だけは――どうせ戦えないのだから――新月の間に残してくれてもよかったのに、と、恐らく難しすぎたことを高月は思う。

 トンカラトンの群れは、呻き声を上げ、己が取り囲むにんげん達を見る。

 ――中心にて守られるかの如き、高月を見る。

「トン、トン、トンカラ、トン」

「とん、から、とん、と、」

 高月を、見る。

「とん、とん、とん、とん、とん、とん、」

「とん、から、とん、と、と、と、と、と、と、と、と、」

 平坦な声。喉が潰れたような嗄れた声。総て、全て、それは高月に向けられている。包帯越しの目が、いくつもの目が、高月を見ている心地がした。

 背筋が酷く冷たい。心臓が煩い。息が上手く出来なくなる。どうして自分なのか。どうしてこの化物は、こんなにも切実に、己を。

 ――自転車が、ぎしりと鳴った。


「うるさいなぁっ」


 ぎゅいんっ、と、いっそ小気味良い音を響かせて、前に踏み出した白戯がチェーンソーを横に薙ぐ。近くにいたトンカラトンが二匹ほど、胴体が切り離されて、チェーンに引っかかった腸が粉々になって白い床に叩きつけられる。そのうちの一部が飛び散って、高月の顔にぶち当たった。鼻に、強制的に異臭が刻まれる。

「あっ、ごめんね高月!」

「……きき、きに、しゅん、な」

 震えた声はどうしても、うまく呂律が回ってくれなかった。優しい白戯はそれに突っ込むことはなく、「次から気を付けるね!」と叫び返す。


 ――白い異空間は、どんどん赤く染まっていく。


「ひゃはははぁっ、おめめちょーだいっ!!」

 傘本が笑い声を上げてトンカラトンの一匹に飛びかかり、その片目を脳味噌ごとビニール傘で穿く。傘を引き抜けば、目玉と、脳味噌の破片がその眼孔から漏れてしまう。

「あんたらの声はぁ、耳障りなの!」

 空音はそう叫んで、バールを振り回す。彼女はそのままトンカラトンの群れに突っ込んで、その喉笛を中心的に、抉っていく。時折深く抉らせすぎて、その首が、千切れて落ちる。

「うふふふ、みんな元気ねぇ」

 咲夜は笑って、懐から数本の包丁を取り出し、握る。それを、まるで料理をするかのように軽やかに、くるりと舞って、トンカラトンの一匹の肢体を刻む。その体が、切り離されて、ばらばらと崩れていく。

「腐肉ばかりだ。こんなに沢山いるのに残念だな」

 そう、直斗は溜息を吐く。そんなことを言いながらも、素手で、トンカラトンの腹を抉り、首をもいでいく。一度、抉り取った心臓に噛み付いていたが、やはり口には合わなかったのか、直ぐに吐き出してしまった。


 無限に居るように思えたトンカラトンは――次第に、動く数を減らしていく。代わりにただの死肉となったそれらが床に積み重なって、白い床は、血の池に浸されていく。果ての見えない空間は、もうどこもかしこも赤色が侵食している。離れた場所でうずくまる高月の足元さえ、赤い液体が数ミリの高さを作って彼の膝を濡らしている。鼻は、もう麻痺してしまった。先程汚された顔にこびり付いた血の感触が気持ち悪い。もう、そんなことしか、高月には考えられなくなっていた。

「おにいちゃん、大丈夫?」

 可愛らしい、柔らかな高い声が高月の耳に届いた。周りの惨状を見たくなくて下を見ていた顔を、その方に向ける。

 そこにはしゃがみこんで高月を見る、鈴がいた。高月より遥かに小さく、細いその少女は、この惨状に堪えた様子もない。

 そういえば、この少女は目が見えないのだったかと、高月は思い出す。ならばこの惨状も見えないのか。だが、高月の様子は分かるのか。矛盾している。だが、そうだ、それこそがこの町だった。

 鈴は、トンカラトンのそれよりも遥かに清潔そうな白い包帯を巻いた目で、高月を見上げている。

 鈴の眉が、八の字に垂れて、顰められた。

「私ね、怖いの」

 そう言って。

 鈴はぽすり、高月の胸元に寄りかかって、頭を埋める。

 その腕の中に、いつもの片目の外れた獅子を模したぬいぐるみは、居なかった。

 高月の背後にて、獣の唸り声が響く。自分に寄り掛かる鈴を反射的に抱き締めて、高月は弾かれるように振り向いた。

 そこで暴れていたのは――片目の無い、巨大な獅子。布の代わりに厚い皮膚を纏い、綿の代わりに強靭な筋肉を詰めたその獣は、トンカラトンを数匹咥え、飲み込んでいく。腐肉を食いちぎり、自転車は吐き出して、次の獲物を探して唸る。

「あの子は大丈夫。私のお友達なの。私のお友達で、私の目」

 呆然と獅子を見上げていた高月に、腕の中に収まったままの鈴が囁いた。

「大丈夫なの。みんな強いから……白戯お兄ちゃんも、傘本お兄ちゃんも、空音お姉ちゃんも、咲夜おばちゃんも、直斗お姉ちゃんも――幽お姉ちゃんも。大丈夫な、はずなの」

 高月の腕の中、そう、鈴は言う。震えた声だった。

「でも、でも――


『今日はまだ終わってない』の」


 鈴が顔を上げた。先程顔を高月に擦り寄せたからか、包帯がずれてしまっていて、その下の瞳が見えていた。

 眼孔に嵌っているのは瞳ではなく――透明に高月を反射する、人の目玉ほどの大きさの、ビーズがふたつ。ぬいぐるみのように、それが、高月を射抜く。


 ――何か、返事をしようと思った。泣きそうな、その、ぬいぐるみのような少女に。その材料を探そうと思った。高月の脳味噌には、返事が出来るほどの何かが未だ無かった。だから、顔を上げた。何かを探したかった。

 顔を上げた先、居たのは、トンカラトンの群れの中、釘バットを振り回す彼女。黒髪は舞い乱れ、スカートがひらめいて、血飛沫の中、それでも美しい彼女が、そこにいる。

 その彼女の、背後。


 一本の刀が、振り下ろされていた。


「――おにいちゃん、」


 腕の中の温もりを手放して、血の池を駆けた。

 駆ける高月をその黒水晶に映して――彼女は。

 幽は、きょとんと、珍しい顔を晒していた。


 高月の背に、衝撃が落ちる。


 熱くなる。

 血液の循環が遮られる。遮られて、外に噴出する。

 幽を襲う狂刃はとっくに幽自身によって潰されていた。高月は、幽の側まで辿り着いてもいなかった。

 視界の端に、己の腹を貫く鉈が見えた。

 その鉈を振り下ろした――原初のトンカラトン、それは、包帯をずり上げて、わらう。


 父のような笑みだった。


 目を開けていられなくなる。

 視界が闇に覆われる。

 身体が冷えていく。死、という文字が、脳を駆け巡る。鈴の予言を、ぼんやりと思い出していた。

 ――明日、危ないことが起こるよ。死んじゃうかも。


「格好悪いなぁ」


 幽が笑う声がする。

 遠くにいる筈なのに、やけにクリアに響く声が、耳を震わせる。


「とんでもないギャグだぜ高月君。守ろうと駆け出したのかい? 私を? その割には全然届いてないじゃあないか。格好悪いね、似合わないことするからそうなるんだぜ。ぷぷ、笑っちゃって、ふははっ、あぁ、ちょっと待ってくれ、君の間抜けな顔のせいで上手く言葉が紡げないよ」


 最後に、あっははは、と声高に笑って、幽は甘く囁いた。

「だけど高月君」

 ――『耳元で』、高月に向けて。

 まるで、ごたごたに混ぜたパフェのように。


「そんな君が、私は嫌いじゃないんだよ」


 そして――高月の意識は、そこで、ぷつりと途切れた。

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