第十二話 百話

 皆が集っていた部屋の隣、真ん中の部屋。真なる闇、その一歩手前まで暗さを増したその部屋を、高月は歩く。歩幅は自然と大きくなっていた。闇は、恐ろしい。恐ろしいものは避けねばならない。それは、高月には当然の事のように思われた。出来るだけ、部屋は見ない。何か恐ろしいものがそこにあるような気がして、見ることを恐れた。ただ、転ばないように目的の方向だけを見て、歩く。

 歩いて、襖を開いた。開けば、一番奥まった部屋に辿り着く。百の灯心を備えた行灯は、もうほとんど消されていて、残るは今から高月が消す一本と、もう一つ、百話目を示す一本の、ふたつのみである。青い紙を貼られた行灯が放つ光は、薄く青ざめて、底冷えするような心地を高月に味合わせた。

 何回か消しに来たが、当然ながら、今回が一番暗い。そのせいなのか否か――高月の心はどうも落ち着かず、学生服の下の肌が粟立っているのを感じていた。

 ――早く消してしまおう。そうすれば、皆がいるあの部屋に帰れる。

 そう考えて、高月は行灯の前に膝を突いた。そうすると、行灯を挟んで向こうにある文机が視界に入る。その上に置かれた鏡に、高月が映っていた。

 何の変哲もないにんげんが、そこには居る。白戯のように片目から植物が生えているわけでも、傘本や咲夜のように双眼に異常があるわけでも、鈴のように特殊な能力を持っているわけでも、直斗や空音のように特殊な趣味を持っている訳でもない。ただ、ひたすらに、にんげんだった。

 ――だからなんだと、高月は思い直す。にんげんだろうが、自分は普通の人間なのだから当然だろう、と。

 行灯を一つ、吹き消した。闇がまた、一歩、近付く音がした。



「さて、皆様お待ちかね――いよいよ百話目だ」

 高月が最初の部屋に戻り、座布団に座り直すと、そう幽は緩く微笑んで告げた。実に楽しそうなその顔は、高月の眉を顰めさせる。

「さっさとしろよ、その為にこれだけ茶番したんだろうが」

「おや高月君、茶番という割に君も楽しんでいただろう?」

 くすくすと笑われて、高月はバツが悪くなって口を噤んだ。幽の微笑みは苦手だった。何だか全てを見透かされているようで、落ち着かなくなる。

 幽はそんな高月に笑いかけ、そうして――次には、話者として、全員に視線をやる。部屋の全ての視線が幽に集まっていた。それを是として、幽は微笑む。


「百話目を紡ごう。それは――鬼島町の、『原初のトンカラトン』のお話」


 彼女がわらった。何故だか高月は落ち着かなくなって、ぐっと拳を握り締める。座布団の上に胡座をかいた、その足を、動かさないように押し留める。何故か――そうしなければ、立ち上がり、幽の話を中断させようと暴れてしまう気がした。それが何故かは分からない。話は始まってすらいないのに、何故か、酷く恐ろしい。これが百話目だから――百話、語り終えれば、青行燈が現れるから、では、ないような、恐怖だった。

 ――青行燈。それが幽の目的なのだ。百話語り終えた時、現れる禍。今までの全ての恐怖を蓄えて、百話目の姿をして現れる、そういう禍だ。鬼島町においては、鬼島茶屋の新月の間で行うことで、青行燈は現れる。

 そういえば、百物語を始めてからどれくらいの時間が経っただろうかと、高月は、どうでもいいようなことを、今にして考えた。この新月の間には時計が無くて、時間感覚が狂ってしまう。もう何時間も経っている気もしたし、数分しか経っていない心地もする。

 幽は微笑んでいた。

「トンカラトン――『外』において、とあるアニメにおいて、全身に包帯を巻いた人間の形の化物が、日本刀を持って、トン、トン、トンカラトン、と歌いながら自転車に乗って現れ、自分の言葉に従わなかった者を仲間にしてしまう――そういう怪異話として語られたものが『認知』の始まりだとされる。それはアニメ制作陣の一人の故郷に語られていたらしいが、真偽は不明のままだそうだ」

 そう笑い、幽は続ける。

「さて、そのトンカラトンが、鬼島町に現れたのは、『原初のトンカラトン』が始まりなのだそうだよ」

 伝聞形をとりながら、しかし幽の言葉にはどこか確信が感じられる。それは話し方のせいなのだろうか、高月には分からぬ事だった。

 ――前置きは終わり、話は本題に差し掛かる。

「昔、昔。林業に携わる男がいた。妻と子供一人抱え、養いながら、おそらくは幸福に暮らしていたのだろうね。林業に携わり、男は鉈の扱いに優れていた。鉈一本、それを主軸に扱いながら、男は生計を立て、日々を暮らしていた」

 だけれども、と。幽は笑う。

「男は選ばれなかった」

 ――その意味を、高月が拾うより先に、幽がまた言葉を続けた。

「男は自転車も好きだった。息子が自転車の練習をするのに付き合いながら、我が子とサイクリングをするのを夢見ていた。日本刀も好きだった。鉈よりも刀の方が格好良いと、息子に笑って聞かせた。

そして――選ばれなかった男は、自転車に股がった。彼の趣向は、彼が創り出すものに影響された」


 ――何故だか。

 今にして、高月は、幽の言葉を思い出していた。

“君は、あのままならあっさりとトンカラトンに殺されるはずだった。それが、別の干渉で助けられてしまった。力が無いくせに、のうのうと生き延びた『被害者』が、トンカラトンの鼻についたわけだ。この野郎舐めやがって、とね”

 彼女は、トンカラトンが高月を狙う理由についてそう言った。あの時は素直に信じたそれを、高月は、今にして、疑い出していた。

 ――それは。

 ――それは恐らく、今日この時まで襲い掛かってくるトンカラトンに。

 ――昨日、初めて出会った時を含めて、トンカラトン達に。

 感じていたのはいつだって、『憤怒を向けられる恐怖』ではなかった。

 そこにあったのは。

 ずっと――訳の分からぬほどの、切実さ、だった。

 ――訳が分からぬほど。

 トンカラトンの儀礼を――返事を待つ、その儀礼を無視し、問答無用で切りかかるほどに。


 ずっと、切実だったのだ。


「そうして、男は。

トンカラトンに、『成った』のだ」


 幽がひとつ、語り終えた。


 ――ふっと。

 そこに、真の闇が訪れる。幽も、誰も、立ち上がってなどいない。自然と、最後の行灯が消えたのだった。

 闇の中で、何かが蠢いた。ちりん、と、鈴がなった。

「トン、トン、トンカラトン」

 ――幾重もの声が重なって、闇が、そう謳った。

 その声に、高月が震えるより先に――高月の体を見知った体温が引き寄せる。

「高月、危ないから離れないでね」

 高月を引き寄せた白戯はそう、いつも通りの声音で言う。誰かが蝋燭を灯した。闇なる部屋を、僅かな光が照らす。

「……ッ!!」

 高月には悲鳴も出せなかった。

 新月の間、高月達の他に、新たなる影が増えている。

 部屋の中だと言うのに自転車に股がって、全身に包帯を巻いて、日本刀を携えた、そんな――トンカラトンだと伝わる通りの形をした、化物達が、部屋に溢れ返っている。きっとそれはこの部屋だけではなく、真ん中の部屋、そして行灯のあった最後の部屋にも、同じように詰まっているのだろう。

 腐肉臭が部屋に充満して、高月は思わず手を口で覆った。珈琲だけにしておいて良かったと、冷静な部分が息を吐く。胃に吐くものが無ければ、酸っぱいものが舌を刺すだけで済むのだから。

 化物は、皆、同じような姿をしていた、かと思われた。だがそうではないと、ちりんと鈴の音を鳴らして畳をタイヤが轢く音で、高月達は気付くこととなる。

 襖が開かれた。奥の部屋に詰まった大量のトンカラトンが見える。だが、襖を開いたのはそれらではない。

 ――奥の部屋からやって来たであろう、一回り大きなトンカラトン、のようなものが、襖を開いたのだった。それは自転車を捨てて、高月達のいる部屋に足を踏み入れる。


 それは、日本刀を持たず――代わりに、一本の鉈をその手に携えていた。

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