第十怪 思惑

 到着した小部屋は、奇妙なものだった。

 畳張りの、人間が十人は入っても寛げそうなほどの広さの部屋。明かりはなく、二方は壁で閉ざされている。高月達が入った襖から見て右側に、もう一つ、襖で仕切られて部屋があるらしい。その部屋は、明かりがついているにしては不自然に、廊下が続く、その反対方向からのみ光が差し込んでいるようだった。

 兎も角、幽に続いて部屋に入る。中には広々とした卓袱台と、座布団が人数分――否、この場の人数よりも三つ多く、用意されていた。

 そこに座り、数分と経たないうちに、直斗が盆に注文の品を乗せてやって来る。彼女はそれらを注文者の前に置き、また歩いていってしまった。

「……で、俺達をここに連れてきて何するつもりなんだよ」

 砂糖もミルクも入れない、黒々とした珈琲を一口喉に通してから、高月は唸る。

「おや、高月君も察しているだろうに」

 くすくすと笑う幽はそう言って、ココアを傾けた。わざわざコップを両手で持って啜る姿は、成程美少女らしい嫋やかさと可愛らしさがある。だが、それが幽であるというだけで、高月に眉を顰めさせた。

 その反応を気にした様子もなく、幽はにこやかに微笑む。

「まあ少しくらい待ち給え。もう、役者が揃う」

 その言葉を飲み込む前に、高月の耳にはパタパタと足音が届いた。その、慌ただしく小さな、子供が走るような音。それに隠れて、大人が二人、歩いてくるような音。

 先程閉ざされた、廊下に繋がる襖が開く。

「幽ちゃん、来たよー!」

 一番最初に飛び込んできたのは鈴であった。ボロボロのライオンのぬいぐるみを振り回しながら、盲目であるはずの彼女は、当然のように己の足で走り、当然のように幽を見つけて、彼女の胸に飛び込む。その後ろから、申し訳なさそうに微笑んだ咲夜と、また、プレートにパフェと紅茶を乗せた直斗が居た。

「あらあら、若い人達がいっぱいねぇ。私なんかいいのかしらぁ」

「呼んだのは私なのだからいいのだよ咲夜さん。さぁ、直斗さんも鈴も、好きな席に着いておくれ」

 幽の言葉の通りに、後からやってきた三人はそれぞれの座り方で座布団に落ち着く。

 明かりのない、隣の部屋からの偏った光だけが届く薄暗い部屋で、幽が微笑んだ。


「さて、人数は揃った。百物語をしようじゃないか」


「……百物語?」

 まず声を上げたのは空音であった。非難の色は無く、楽しげに、彼女は言葉を弾ませる。

「いいじゃん! 楽しそうだし!」

「まーまー、幽チャンがそれ提案するってことはただの遊びじゃないんじゃない?」

 空音の言葉に、傘本がそう横槍を入れる。されどその傘本自身もにまにまと笑っていて、危機感、というものはほぼ無縁であるようだった。

「それに、鬼島町の『百物語』、だしねぇ」

 緩く微笑む白戯も、反対の意思は見えない。咲夜は相変わらずあらあらまあまあとにこやかで、鈴はどこか楽しげで、直斗は息を吐いて知らん顔をしている。

 だから、この場で、青ざめていたのは高月だけだった。

「……待て、『鬼島茶屋』で、『百物語』だと?」

 高月は、確かに思い出していた。

 鬼島茶屋とは、昔から鬼島町にあった、住民の憩いの場である。

 同時に――『呪具』を取り扱う、そういう店でもあった。そこには様々な呪具がある。『新月の間』と『百の行灯』もその一つ。

「そうとも」

 幽が緩く微笑んで、匂いだけで甘ったるさが分かるココアを一口啜り、コトリ、と卓袱台に置く。

 そして彼女は立ちあがり、ひらり、スカートを翻して、もうひとつの部屋に繋がる襖を開く。

 その部屋は、高月達が座る部屋と同じように、畳張りで広々としていた。襖が完全に開かれたことで、その部屋にも明かりがないことが分かる。どうも、その部屋の隣に、さらに部屋があり、そこからの光が漏れているようである。暗いはずだと、高月は恐怖を隠すように舌打ちを零した。

 L字型に配置された三部屋。一つの部屋に参加者が集まり、真ん中の部屋は何も無く、奥まった部屋に、恐らく百個の行灯があるのだろう。完全に、百物語をするための部屋だった。

「あ、武器持って来ちゃったけど大丈夫?」

 呑気な声で、白戯がそう問うた。彼の武器であるチェーンソーは、血を拭われて彼の隣に鎮座している。

 幽が微笑んで、襖を閉める。

「構わないさ。青い衣装も必要ない。『彼』が現れるための、道筋になるならばそれでいい」

 そう言って、彼女は座布団に戻り、美しく正座した。

 彼女は他の誰にも目を向けず、高月を見ていた。

「百物語をしよう、高月君。この因縁を終わらせるために」

「……因縁だと?」

「トンカラトン……否、トンカラトンと呼んでいいのかも怪しいほどに、定義の歪んだ彼等が、ここまで大量に湧くのが、まさかまだ、君を殺し損ねたからだとは思っているまい?」

 ――鬼島茶屋が取り扱う『新月の間』と『百の行灯』。これらは百物語をするための道具ではあるが、鬼島町において、百物語に、『これら』を使うことには意味がある。

 百の怪談を語り、行灯が全て消え、真の闇が訪れた時、本物の怪が現れる。それが百物語である。

 これは一種の降霊術。そして、道具を使うことで、コントロールされるものだった。

 ――即ち。

「大量発生は何故なのか。高月君が帰ってきてから始まった。否、高月君が帰ってくる前から、この町は騒がしくなっていた。禍は活発化していた。何故なのか。高月君は、『何故』、帰ってくることになったのか――」

 歌うように、幽は笑う。

「それら全てが明かされるとは限らないが、なんにせよ、トンカラトンは根源を叩かなければこのまま増え続けることだろう。住人には些事かもしれないが、流石に町の景観に関わるだろう?」

「そうねぇ、血の掃除って大変なのよぉ」

「わかるよ咲夜さん」

 咲夜の溜息混じりの言葉に相槌を打ちつつも、幽の目は高月から逸らされない。その黒水晶が、全てを見透かしているようで、その深淵を覗くのが恐ろしくて、高月は目を逸らした。

 それを咎めるでもなく、幽は笑う。


「百物語をしよう。『新月の間』と『百の行灯』、これを使って、百物語をしよう。これらを使うことで、必ず、“百話目の怪談が禍になる”。それを利用するのさ」


 幽はどこまでも美しく微笑んで、言葉を続ける。

「人数は揃った。順繰りに、九十九話、語っていこうじゃないか。九十九話は、何でもいい。幽霊や妖怪が登場する怪談でもいいし、いわゆる不思議話や因縁話でもいい」

 歌って、謳って、幽は言葉を紡ぐ。全てが、彼女の掌の上であるように、高月には思えた。全ては、幽が思うまま、動かされているのではないかと――

「ただし百話目は決まっている。私が語ろう。題は、『原初のトンカラトン』、だ」

 幽の言葉に、傘本が頷いた。

「なるほどねー、確かに、トンカラトンって元々は人間だったのばっかだし。『本物』は、一番最初のトンカラトンだけなんだよね」

「そういうことさ。とはいえ、この百物語で現れる『原初のトンカラトン』とは、『鬼島町で大量発生しているトンカラトン』の原初、だから、必ずしも――」

 言いかけて、幽は口を噤む。そして、また、緩く微笑んだ。

「否。野暮なことを言うのはやめようか。さて置き、私のやりたいことは皆理解してくれたと思う」

「うんうん、いいと思うよ! 楽しそうだし!」

「ちょっと季節外れだけど、怪談って楽しいもんね」

「出てきた奴は私が貰うぞ」

 幽の言葉に、順に空音、白戯、直斗が頷く。直斗が言う貰う、とは、食肉としてだろうとは、高月にも理解出来た。

 もう高月以外の全員がやる気だった。だからもう、抵抗は諦めて、ただ一つ、幽を見る。

「……お前は、何をするつもりなんだ」

 高月は、ただ一つ、そう問うた。

 幽はただ、微笑んでいた。

「私はただ観るだけさ。人間観察が趣味なんだ」

 在り来りな答えだった。その答えに、幽は、「それに」と付け加える。


「知る権利のない高月君にも、垣間見る権利はあるかと思ってね」


 優美な微笑みとともに言われた言葉は、相変わらず訳が分からない。

 だが、よく考えなくとも、この女が訳が分からないのはいつもの事だったのだ。

 だから、高月は、いつものように、嘆息した。

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