第八怪 町並

 正門を出てからもう何度、肉が潰れる音を聞いただろうか。

 蔓延する腐敗臭には吐き気がする。顔の血の気は失せたまま、高月はよろよろと、半ばもたれかかるように自転車を押していた。籠には正門でトンカラトンになったばかりだった男の死体が詰まっている。こちらはこちらで、腐敗臭はしないものの血肉の臭いが漂う。高月は精一杯、口で呼吸をしながらただ歩く。自転車は、普通のものではなくかつてトンカラトンが使っていたものだからか、成人男性一人分の化物を積んでいるにしては軽いが、精神的にかかる重さで高月の足取りは重かった。だが、歩く以外の選択肢は、無い。

「かっすみーん、これなんかどうー?」

「そりゃ腐りすぎでしょ空音チャン、こっちの方がマシじゃない?」

「えー傘本のも大概じゃん」

「んじゃどっちもダメってことで」

 言いながら、空音と傘本は同時にそれぞれの武器――空音はバールで傘本はビニール傘である――に乗せていた腐肉を投げ捨てる。トンカラトンだったそれはあぜ道にぶつかって散って、それだけだった。また、それらにはそのうち魍魎が集るだろう。

「ふふ、協力的な友人達で助かるよ」

 高月の隣で、幽は美麗に微笑んだ。ただし、その手に血塗れた金属釘バットを携えて、である。

 高月の前を歩く空音と傘本は湧いて出る大量のトンカラトンを潰していく。それはそもそも今まさに向かっているカフェの店主への土産と代金代わりのためなのだ、と白戯から説明された時には、人肉が土産で代金とは一体どういうカフェなんだと、高月は肝が冷える思いがした。

 歩いて来た通学路はもう随分と赤く染まって、腐肉の破片が散らばっている。田圃にも血肉が飛んでしまっているが、どうせ誰にも咎められることは無いだろう。この町では、皆やっている事なのだから。現に、学校のすぐ側にある申し訳程度に整備された商店街を通り過ぎた時には、片手間に鈍器でトンカラトンを潰しながら、八百屋に値切る主婦が見えた。

 だから、この町では、こういうことなのだ。トンカラトンの大量発生など、通り雨に過ぎないのだ。日常の内の、些事なのだ。

 前を歩く友人達が軒並み化け物を殺していくおかげで、よろよろと自転車を押す高月に襲い掛かれるトンカラトンは居ない。だからこそ冷静に、高月はこの町の異常性に頭を抱えられる。青ざめた顔の高月に、その隣を歩いていた幽はゆるりと微笑みかけた。

「機嫌を直し給えよ高月君。こんなに頼れる友人が居て、君は幸運なんだぜ?」

「機嫌じゃなくて気分が悪いんだよ……」

 吐き捨てると、幽とは反対方向の隣に並んでいた白戯がえっと声を上げた。

「大丈夫? 酔い止め飲む?」

「そういうんじゃねぇんだよな……まあありがとよ」

 白戯は優しいが、やはり鬼島町的な感性の持ち主でもある。見当違いな提案に首を横に振りつつも、心配してくれたことには感謝を返そうと、血の気の戻らない顔でなんとか笑顔を作ってみせた。

「ちょっとー!! ちょっと見て!!」

 傘本の弾んだ声が聞こえて、高月は反射的に顔を上げた。


「すっごい綺麗に目ぇ貫通!!」


 ――それがまずかった。

 普段は絵本に描かれる狐のように細めた目を、興奮の為か見開いた傘本、自体には問題無い。傘本の両眼合わせて一つしか瞳がなく、その一つの瞳がどういう仕組みか二つの白目をびょんびょんと行き来していることは、鬼島町の住人なのだから許容範囲だ。白戯の薔薇のようなものだ。そんなに動かしたら目を回すぞ、と少しばかり心配になるだけだ。

 問題があったのは傘本が嬉しそうに振り回す傘の先である。

 傘には、ビクンビクンと痙攣するトンカラトンが突き刺さっていた。

 成程、傘本の言う通り、綺麗に貫通したのだろう。包帯が巻かれたトンカラトンの右目があるであろう部分を通って、傘の先が飛び出ているのが見えた。その先端に白いものが刺さっているのも――それが何かは、視界で認識する前に高月が顔を伏せたことで確認不十分ではあったが、推察することは容易である。

 追い打ちをかけられた気分だった。もう吐くものがないことは、高月にとって幸運だったか分からない。

「ちょーコーフン!! トンカラトンにもちゃんと目ぇあったんねぇ! んにゃーテンション上がっちゃうぅ!」

 傘本は眼球フェチである。故に、禍を殺す時も目を狙うことが多く、目を持たない禍にはあからさまに落胆する。

「わぁ、綺麗に抉ったねぇ」

 白戯が明るい声で傘本を讃える。その隣で、高月は顔を伏せたまま、「よかったな……」と掠れた声で絞り出すしかできなかった。

「いーなぁ傘本は好きな部位があってさぁ。トンカラトン声帯あるけどどの声も濁ってるんだもん、好みじゃなーい」

 そう頬を膨らませる空音は、バールの先でトンカラトンの喉を抉り出し、捨ててしまう。

 空音は外からの見た目こそ高月と何ら変わらないが、彼女の得意の変声は声帯模写によって成されている。声帯模写、というのは、辞書的な意味ではなく、『文字通り』の意味だ。

 彼女の体は、声帯等の声を出す為の器官が物理的に作り変わっていく。彼女の本来の声というものは存在しない。彼女は、自分の気に入った声帯を集めて、保存して、自分の気に入った声を出すのが趣味だった。そして、トンカラトンの腐った声帯は、彼女には好かれなかったようである。

 幼馴染みである友人達もまた、変わり種ばかりなのだ。ただ、人間性は幽よりはマシだろうと、高月は諦め混じりの溜息をつく。

 傘本も空音も白戯も、高月には良い友人だ。少々高月のグロテスクなものへの耐性の無さを理解してはくれないが、良い友人なのだ。隣の白戯などは女子と見まごう可愛らしい笑顔で空音を宥めながら、先程トンカラトンを両断し血に濡れたチェーンソーを拭いているが。

 幽が傘本の――正確には彼が持つ傘に刺さったものを見て、ああ、と声を上げる。

「傘本君、それ、高月君の籠に積んでくれ給え。中々新鮮そうだ」

 その言葉の意味を高月が理解する前に、傘本が「あいよー」という軽い返事と共に傘を振るう。そのすぐ後、高月が押す自転車の前方にどすんと重さがかかった。そして漂う、噎せ返るような血のにおい。

「ヒッ」

「ナイッシュー!」

 引き攣った高月の悲鳴が、明るい空音の――好みじゃないと言った割にしっかり真似ていたらしい――トンカラトンの声帯を使った濁り声で掻き消されたのは、果たして幸運だったか、高月には分からなかった。



 あぜ道を抜け、ちらほらと道なりに古い家が建ち始めた団地をまだ歩き。

 辿り着いたのは瓦屋根のそれなりに広い古民家である。扉が開けっ放しにされた入口の上部には暖簾がかかり、鬼島茶屋、と安直な名前が記されて、隣に置かれた看板には『営業中』と赤く描かれている。

 鬼島町以外にあれば古臭すぎて浮くような、二百年は時代遅れな木造建築は、しかしここが鬼島町であるが故に町並みによく馴染んでいた。なにせ、他の家も似たようなものなのだ。古いのは鬼島荘だけではない。

 西暦2230年にもなってこうも旧式のままであるとは、本当にこの町は時代に取り残されている。そうしみじみ――現実逃避も兼ねて、高月は溜息を着いた。

「さあここだ、入ろうか高月君」

 そう笑う幽は、高月の諦めも逃避も全て見透かしたようで、居心地が悪い。目を逸らすと、逸らした先にいた白戯が首を傾げた。

 幽は素知らぬ顔で、金属釘バットをついと持ち上げ、自転車に積んでいた二体のトンカラトンを持ち上げる。幽といい白戯といい傘本といい、成人男性程の大きさの死体をなぜこうも簡単に持ち上げてしまえるのだろうかと、高月は息を吐いた。兎も角、血塗れた自転車などはさっさと手放してしまいたい気持ちで、その辺に立てておく。

「お邪魔するよ、直斗さん」

 幽がそう言って、トンカラトンを引っ掛けたバットを肩に、暖簾をくぐった。

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