第七怪 正門

 今日は学校側の都合で午前中までであるらしい、と、白戯から聞いたのは、午前最後の授業が終わったことを知らせる鐘の音が鳴った時であった。積もる話もあるだろうと白戯や傘本、空音に誘われたのを躱して、高月は学校の玄関へと向かう。旧友達と話したい気持ちはあるが、鈴の予言のこともあり、今日だけはさっさと部屋に引っ込んで過ごしたかった。

 ――過ごしたかった、のだ。

「遅いじゃないか高月君、こんな美少女を待たせるなんて罪な男だね?」

 靴を履き替え、下校しようとした高月を待ち構えるように正門の前に立っていた幽の笑顔を見て、高月は己の顔が引き攣るのを自覚した。授業中など、己の隣でにやにやと己をからかい続けた悪魔のようなこの女は、最後の授業の鐘の音を皮切りにさっさと教室から出ていった。だから安心していたと言うのに、あれはただの先回りだったのだと知ってしまう。

「……なんで、いんだよ」

「愚問だね、高月君と一緒に帰るために決まっているじゃないか。君と行きたいカフェがあるんだよ」

 美少女のその提案は、相手が幽でなくて、高月の現状がこのような状態ではなくて、この町が鬼島町でなければ、願ってもないことだっただろうか。だがそれらの前提条件が全てひっくり返れば、それは絶望の提案へと成り代わる。

「っ、却下、だ――ッ」

「あっ高月、危ないよー」

 先程教室で別れた筈の白戯の声が呑気に響く。同時に高月の頭上で、ひゅん、と何かが風を切った。そしてその後、どちゃ、と大きな塊が土に叩きつけられる音が、高月の耳に届く。

 己の背後で起こったであろう事の詳細は、それらの音で察すことが容易すぎた。俯いた視界の端に自転車の車輪が見える。潰れた腐肉のにおいに、腹の奥が渦巻いた。吐き気を自覚して、己の口を覆う。振り向かなかったのは最後の理性だっただろうか。

 血に濡れたチェーンソーを拭きながら、平然と白戯が笑って高月の顔を覗きこんだ。白戯の顔だけは、優しく気遣わしげである。

「大丈夫? 高月って相変わらず無防備だよねー」

「……俺は、普通だ」

 そうだ。自分は普通なのだ。そう、高月は己に言い聞かせる。普通の学生は金属釘バットやチェーンソーを持ち歩いて、平然と化物を滅したりしない。自分のように、怯えて吐き気を堪えるのが当たり前なのだ。それを己があたかもビビリな腰抜けであるように言われるのは甚だ遺憾であった。この町で、そんな不満は通らないことくらいは知っているために、口に出すことは無かったが。

 白戯はそんな高月に首を傾げつつ、微笑んだままチェーンソーを肩に担いだ鞄にしまう。後者の方から、ぱたぱたと誰かが走ってくる音がした。二人分、呼びかけてくる声から、空音と傘本だと高月は察する。

「わーっ! トンカラトンだ!」

「うへー綺麗な切り口ぃ、さっすが白戯クンー写真撮っていい?」

「えー? 照れちゃうなぁ」

 空音と傘本が感嘆し、白戯がはにかむ。微笑ましい光景ではあるが、トンカラトンの死骸を囲んでする光景にはあまりに似つかわしくない。だがそんなことよりも、トンカラトンが決まり文句もなく高月の背後に現れ、殺そうと日本刀を振るったのであろう事の方が問題だった。

 恐る恐る、己の後ろを振り返る。危惧していたほどグロテスクではなく、成程傘本の言う通り綺麗な切り口でトンカラトンは腹部のあたりで上下両断されている。振りおろそうとしたであろう、日本刀を握り締めたまま掲げた腕が、逆に哀れだった。白戯がそのトンカラトンの死体の傍でピースサインを作り、何故か空音もその隣でポーズを決め、その写真を傘本が数百年ほど時代遅れな携帯電話を使って撮っている。

 旧友の相変わらずさに最早溜息も出ず、高月は顔を逸らした。高月の目の前で、幽はにやにやと笑んでいる。

「分かるだろう高月君? トンカラトンは君を狙っている。君が鬼島荘に引き篭ったりなんてしたら、この町に今大量に湧いているトンカラトンが鬼島荘に集まってしまうよ」

 そう言われてしまえば、高月ももう、目の前の事態を見なかったことにはできない。己の知覚を無視しきれない。


 先程から絶えず聞こえる、車輪と鈴の音。この学校から少しばかり離れたくらいの距離で、何体ものトンカラトンが蔓延っている。学校の数時間の授業の間に、大量に活動し始めたのだ。

 今朝の新聞はトンカラトンが大量発生中だと知らせていた。だが、そんなレベルではないと高月には思える。

 きっと、高い所からこの鬼島町を見下ろせば、この街を覆い尽くすほどのトンカラトンが見えることだろう。それほどの量だ。その現実を、高月は直視せざるを得なかった。

 そんな異常が起こっても、この町にとっては花粉が例年より多く散布されている、程度の異常でしかない。

 ――それも仕方ないか。そう、高月は心の中で息を吐いた。

 何故ならば、この町こそが、異常なのだから。


「――あぁ! 人だ! 人が居た!」

 ドタバタと誰かが走ってきた。その方に目を向けると、正門にしがみつくように凭れて、過呼吸を起こしそうな程に切らした息を整えようとする男が居た。20代であろうか、顔を真っ青にしたその男は、血走らせた目を高月達に向けた。

「助けてくれ! 化物が、化物が――」

 男の口は、それ以上動かなかった。男の背後に現れた、包帯を巻いた化け物――トンカラトンによって、男の体が裂かれたからである。

「観光客?」

「多分? よりによって今日来るとか運悪いねー」

 目の前で死んだ男の体は、トンカラトンに掴まれ、その腕から伸びる包帯がぐるぐると巻かれていく。そんな光景を前にして、傘本と空音は平然と会話を投げ交わしていた。

 男の体が完全に、包帯に包まれる。先程切り裂かれて地面に吐き出した男自身の血から、日本刀が形成されていく。死んだはずの男が、その刀を手に掴む。

 トンカラトンと、かつては男だった新たなトンカラトンが、同時に顔を上げ――


 その頭は、二つ並んで吹き飛ばされた。幽の金属釘バットが横殴りに飛ばしたのだった。血飛沫が舞う。腐肉と、まだ新鮮な肉が、正門前の申し訳程度に舗装された道路を汚す。びくんと痙攣した、化け物だった二つの体は、その場に崩れ落ちた。

「……ふふ、どうやら随分と見境がない。彼等は、目に映るものは全て仲間にしたいらしい。決まり文句も忘れて、最早彼等は『トンカラトン』だと言えるのだろうか?」

 それは、その、音質だけは清らかな声は、トンカラトンの死体に語りかけているようで、高月に語りかけているようでもある。


「定義から逸れたそれは、何になるのだろうね」


 幽はゆるりと、美麗に笑んで、先程トンカラトンになったばかりであった新鮮な方の体を、その金属釘バットで掬いあげる。白く華奢なその腕で、己の体躯よりも大きな体を持ち上げて、いつの間にか白戯が起こしていた自転車の籠に積む。先程までトンカラトンを乗せていた自転車だった。

「それはそれとしてだ。うん、良い土産が手に入った」

 幽はそう言って、微笑む。そうして、美しい所作で、白戯と空音、傘本――そして、高月を見回した。

「私は高月君と、直斗さんの所に行こうと思うんだ。君達も来るかい?」

 白戯達の顔が輝く。口々に、いいの?だとか、行く行く、だとか、心からの歓迎と、楽しい放課後への期待で弾んだ声で、幽の周りに集まった。正門を汚した血も肉も気にせずに、それらを踏み躙り、何を食べようだとか、金欠への悩みだとかを笑い合う。幽がふわり、微笑んで、高月に顔を向けた。


「さぁ、行こうか高月君。君に美味しいカフェを紹介してやろうと言っているのさ」


 血と腐肉のにおいに包まれ、先程の男に負けず劣らず真っ青な顔をした高月に、拒否権は用意されていなかった。

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