第五怪 新聞

「……そんなに面白いかよ、新聞が」

 追撃は望まないので話を変える。幽も特に高月のあからさまな話題変更の意図を突っつくことはなく、ただ笑みを深くして新聞を閉じた。

「面白いとも。特に、今日のものは。高月君も読むがいい、時間に余裕はあるのだからね」

 閉じた新聞を一つ畳んで高月に手渡す。それを受け取って開き、まず目に入ったのは日付と新聞名であった。西暦2230年4月20日、鬼島新聞。

 そもそも、紙媒体の新聞を、触れるどころか見ることも、高月は随分と久し振りである。世の殆どがデジタル化した近年で、紙媒体の新聞が出回るなど、この鬼島町くらいであろう。数百年は時が止まっているようなこの時代遅れの町で幼少期を過ごした高月が、外に馴染むのはそれなりの時間を要した。それは高月にとっては苦い思い出である。しかし、苦労しながらも外に馴染んだはずの高月が、鬼島町で過ごした時間より外で過ごした時間の方が確実に長いというのに、久々に触れる紙媒体をあっさりと捲ることができるのは、幼き頃の記憶というものは侮れないということか、と、鬼島町を出てから電子盤の操作に苦心した思い出と比較してなんとも言えず複雑な思いがした。

「そのページの左端だよ」

 言われて、その記事を探すと、何やらアメリカで立ち上げられた、世界統一を目指す新興集団のことが書かれているようである。成程、人間観察を好むこの女が好きそうな内容であると、高月は納得の息を吐いた。

「ふふふ、面白いだろう? 1900年代、武力によってこの地球を支配下に置こうとした人類は、今度は平和的に、同意を以て、国々の垣根をとっぱらってしまおうとしている。未だ小さな活動だが、もしも彼等が肥大化し、それを実現させたとしたら――遥か昔、バベルの塔の建築以前の世界になるのかもしれないね」

「……下らね。作り話だろ、そんなの。こいつらも自然消滅がオチだ」

 溜息混じりに切り捨てた高月に気分を害した様子もなく、幽は目を細めて笑う。

「高月君は夢が無いなぁ」

「夢で腹は膨れねぇ」

 言って、籠から一つ、掌サイズの丸いパンを掴みあげて、齧る。少しの温もりと、淡いバターの味がした。

 パンを咀嚼しながら、何となしに新聞に目を通す。幽が楽しんでいたらしいそのアメリカの記事には全く興味が無かったが、ふと、そのページの右下の記事に目がいった。

 咀嚼する口の動きが止まる。いや、正確に言えば、高月の体の動き全体が、不自然に停止したのである。

 それは言うまでもなく、右下の記事の見出しが高月を殴りつけたことによって、だ。

「……トンカラ、トン」

「ああ、それかい」

 幽がにたりと笑みを深くする。まさかこのアマ、俺が油断してからこの記事を発見した時の反応を見るためにあの下らない記事のことを話したんじゃないだろうな、と高月が疑うほど楽しげな、悪魔的な笑みである。


 トンカラトン、鬼島町に大量発生中。注意されたし。


 そんな見出しで、その記事は、右下の角を控えめに囲っている。バケモノが町に蔓延っているというのにその記事が外国の下らない団体や桜前線の知らせより小さいのは流石は鬼島町頭がおかしい、と嘆息すべきか高月には判断がつかないが、鬼島町にとってささやかな日常の一部に過ぎずとも、高月にとっては一大事であった。

 ――記事に、『目撃者の証言によると、誰かを探しているようだった』などと書かれていたならば、特に。

「この、誰かって」

「まあ、十中八九君の事だろうさ。昨日のことが原因かもしれないね? トンカラトンはそれなりに結束が強い。獲物を取り逃して、仲間を殺されたとなれば、そりゃあねぇ」

「殺したのはお前だろ!!」

 高月の悲痛な叫びを嘲笑って、幽は「わかってないねぇ」とその細い指で高月の唇を柔くつついて黙らせる。

「鬼島町で住人に禍が殺されるなんてのは大して珍しい事じゃない。トンカラトンだって例外じゃなくね。ただ、そういうのは大体、襲われた被害者と、殺した本人が一致している。だから、禍は納得するのさ。だが君の場合はそうじゃない。君は、あのままならあっさりとトンカラトンに殺されるはずだった。それが、別の干渉で助けられてしまった。力が無いくせに、のうのうと生き延びた『被害者』が、トンカラトンの鼻についたわけだ。この野郎舐めやがって、とね」

 くつくつと幽は笑う。顔を真っ青にした高月の反応を面白がっているらしく、飽きずにその唇をむにむにと弄りながら、座っていた椅子から立ち上がって体を乗り出し、顔を高月に近付けた。

「結束の強いトンカラトンだったのは運が悪かったね? もっと、単独行動を好むものであれば、こんなことにはならなかったろうに」

「…………お、まえ、わかってただろ……」

「まさか! 私とて予想外さ、こうも面白い……もとい、大変なことになるなんてね!」

 目の前にある、幽の無駄に可愛らしい満面の笑みを殴ってやりたい。当然、それは願望に留まるしかなく、高月の握り締めた拳は新聞に皺を入れることしか出来ないのだが。

 ――兎も角、夜出歩くのは決してするまい。

 そう心の中で唱えて、皺の入った新聞をのばした。

 それを見て、幽は、高月の現実逃避を打ち砕くかの如く――新聞を抑える高月の手に白く細やかな己の手を重ねる。

「残念ながら高月君。こうなったトンカラトンに時間帯は関係ないぜ? そもそもトンカラトンは、元々、昼間でも現れうる禍だ」

「……」

 顔を真っ青にして、電池の切れたロボットのように動きを止めた高月に、幽は笑う。

「だから、警護してやろう、と言うのだ。感謝し給えよ高月くん。そして誇り給え、こんなにも美しく優しい幼馴染みを持つ己の幸運をね」

 今度こそ高月は顔を顰めもしなかった――正確に言えば、出来なかった。



 鬼島高校は鬼島町唯一の高校である。

 一つの町に一つの高校とは少なく思われる。しかも、鬼島高校はお世辞にも大きい校舎とは言い難い。寧ろ小さい方ではないかと、今まで通っていた外の高校を思って高月は嘆息した。

 小さな校舎でも、全体の住人も子供も少ない鬼島町では事足りるのだ。本当にド田舎なのだと改めて実感させられるもので、それは校舎の大きさだけでなく、古めかしい木造建築の内装を見ても思う。

 とりあえずは、何の問題もなく、鬼島高校に到着することは出来た。

 いや、幽が隣で延々とからかってくるのは紛うことなき問題なのだがそれはもう諦めるとして、トンカラトンは影も形も見せることなく、高月は無事生きて鬼島高校職員室前に辿り着いたのだった。現在はクラスに向かう幽と別れ、担任であるらしい男性教諭に廊下で待たされている状態である。何もすることもなく待つということはなかなかに退屈なもので、ぼんやりと古びてシミの付いた壁や天井を眺めながら時代遅れすぎる田舎にけちをつけるのも、いい加減飽きてくる所であった。担任にはもっと早くしてほしいところであるが――

 しかし、足取りも覚束無い老人を急かすのも悪いだろうと、高月は先程話した担任を思い出して息を吐いた。

 ――あの先生、定年超えてるんじゃないだろうか。

「ああ、高月君、お待たせしました」

 職員室の立て付けの悪い引き戸がガタガタと開いて、丁度脳裏に思い浮かべた男性が出席簿らしき冊子を抱えて顔を出す。そのつるりとした頭には頭髪は残っておらず、しかし不潔さよりは、小柄な体と丸眼鏡、口元にたっぷりと蓄えた白い髭も相まってマスコットのような愛嬌を感じさせた。その人畜無害そうな雰囲気は、あまりにも鬼島町には似合わない。

「それでは行きましょうか。高月君は3組になりますね、迷子にならないように着いてきてくださいね」

 担任が、歳のせいなのか小刻みに震えながらよぼよぼと先導して歩き出す。正直自分が迷子になるよりはこの先生が転ばないか心配である、とは高月の心の中だけに留めて、「はい」とだけ返事を返した。

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