第四怪 早朝

「素晴らしいじゃないか高月君! 初日に鈴からの予言を受けることが出来るなんてね!」

「いや、いやいやいや」

 死んじゃうかも、などと言われて喜ばしいことが何処にあろうか。突然の死の宣告に顔を青ざめさせた高月とは対照的に、幽は輝かしい笑顔を浮かべている。

 鈴の言葉はただの子供の戯言だ、と高月には一笑することができない。何故ならここは鬼島町であり、鈴はそこの住人である。『ただの子供』であるはずがない。

 そんな高月に、幽がにんまりと口角を上げた。

「ふふふ、高月君も一応は鬼島町の住人であると言うべきか、きちんと弁えてはいるようだ。……そう、お察しの通り、鈴は普通の幼子ではない」

 芝居がかった身振りで幽は鈴の隣に跪き、その肩を抱く。三日月に歪めた口元はさらに吊り上げられて、幽は黒水晶の瞳を細めた。

「鈴の予言は絶対さ。決して、一度たりとも外れたことはない。鈴の瞳は光を失った代わりに、いずれ必ず起こる『未来』を映すのだよ」

「幽ちゃん、照れるよ」

 えへへ、といたいけな少女が照れ笑い、隣の美少女がまた微笑む――その様は成程絵になるものであるが、当事者である高月にはそれどころではない。明日、死んでしまうほどの出来事が己に起こる。しかも絶対の事柄として。顔を青くする以外の反応が果たして出来ようか、という話である。

「ふ、ふふふ! 面白い顔をしているね、高月君」

「お、もしろく、ねぇよこっちは……! す、鈴、明日っていつだ、明日の何時頃だ!?」

 叫んだ声はみっともなく震えていた。自身よりも遥かに幼い少女の前でこうも情けなく怯える高月の姿はさぞ幽には面白かったらしく、とうとう「あっはははは!」と高らかに笑い出す。

「笑ってんじゃねぇ幽!!」

「ははは、あー、ふふ、すまない高月君、君が、余りにも、っくく、格好悪いものだからね!」

 未だ笑いの波が引かないらしい幽はとうとう背を丸めて震え始めた。堪えようとはしているらしいが時々噴き出す声が聞こえて逆に高月の神経を逆撫でる。恥と苛立ちで顔に熱が集まるのがわかった。

 さて、問われた鈴はといえば、そんな二人の様子を大して気にしたようでもなく、「うんとね、」と可愛らしく小首を傾げた。

「ごめんね高月おにいちゃん、何時かまではわからないや」

「……いや、こっちこそ、すまん」

 大人気なく叫んでしまったことに謝罪する。幽は心の底から腹が立つが、鈴には罪はない。

 さて、幽は一通り笑い終えて満足したらしい。目尻の涙を拭い、未だ笑いすぎで乱れている息を整えながら、高月に向けていつも通りの意地の悪い笑みを浮かべた。

「いやぁ、すまないね高月君。どうも君が私の笑いのツボを尽く突いてくるものだから」

「……」

「そんなに恨めしげに見ないでくれたまえ。――そう、お詫びと言ってはなんだが、明日はきちんと私が警護してあげようじゃないか」

「要らん」

 つい即答してしまう。

 当然、無力な高月が一人でいるよりも超人である幽が守ってくれる方が安全であるに決まっている。そんなことは高月もわかっているが、幽に守られるのは何とも癪であった。他の誰に守られても仕方ないとは思えるが、幽だけは嫌だ。

 幽はそんな高月の心境などお見通しであるのだろう、至極愉快そうににまにまと高月を眺めている。

「ふふふ、全く高月君は実に――、いやはや、君も……能力はともかく中身は、確かに鬼島の住人だ、と言うべきか」

「は?」

「何でもないさ。そんなことより、君はどうせ鬼島高校への道程など知らないだろう?」

 幽の指摘に、返す言葉に詰まって口を閉ざす。当然、知るわけがない。高校など高月が鬼島町に居る時でさえ縁のない場所だったのだから。だが、それを正直に肯定するのは憚られた。それを問うた相手は、他の誰でもなく幽であるのだ。

 そんな高月の抵抗にさえならない抵抗に、幽は嘲笑うような、幼子を見るような、そんな色を乗せて黒水晶を細める。ああ、全く、嫌だ。と、高月は心の中で呻いた。幽のそのような目はあまりにも見慣れたものだ。

 幽がその薄く桃色に色付いた唇をぱくりと開いて、その端を吊り上げた。

「道案内も兼ねて、明日は共に登校しようじゃないか。なぁ、高月君?」

 物凄く嫌だ。

 見目だけは実に可憐な、この女と仲良く登校なんて嫌でしかない。この女がああやって笑う時は、大抵、禄なことにならないのである。しかし高月の拒否が受け付けられた試しはなく、かつ、高校までの道がわからないことは事実で、詰まるところ、高月に『拒否権』などという贅沢品は用意されていないのであった。せめてもの無駄な抵抗、という名の意思表示としてあからさまに嫌そうに顔を顰めた高月に、やはり幽は恐ろしいほど美麗に笑うのだから。

 下から咲夜が三人を呼ぶ声がする。ばんごはんだ、と、鈴が無邪気に笑って階段へ駆けた。



 こんな常識外れの町でも例外なく、時とともに太陽は昇降を繰り返す。窓枠に張られた和紙を通して、朝日が、けたたましく鳴る目覚まし時計を叩いた高月の顔を照らした。

 鬼島荘は咲夜が毎日綺麗に『掃除』しているため基本的に安全地帯である。窓の外から誰がしかの悲鳴が聞こえてきたり、何か肉を引きずるような音が響いたりはするが、鬼島荘の中で禍に出くわすことは無い――とは、昨晩の幽の談だ。その話をする間、やはりにまにまと意地の悪い笑みを浮かべていたのは、鬼島荘は安全だと聞いて明らかに安堵して力を抜いた高月への嘲笑だと考えて相違ない。分かりやすく態度に示してしまう自分と、それを愉悦の糧とする幽を殴りたくなったことは記憶に新しかった。

 ずるずると体を起こす。四月の中頃というこの時期、春に相当するとはいえ鬼島町の早朝はまだ寒い。だが、体を覆う布団が重く、剥がすのも億劫になってしまうのは、その寒さのせいではない。

 脳裏に浮かぶのは鈴のあの言葉である。

「……引き篭もりてぇ……」

 溜息をついて半身起き上がった体を前に倒すと、顔がぼふんと布団に埋まり、微かに木の匂いがした。


 当然ながら、高月の切なる社会不適合的な願いは叶わない。真新しい制服――鬼島高校のそれは前時代的な学ランであり、相変わらずこの町は古臭い等と高月は嘆息した――に腕を通して、階段を降りると、既に高月以外の人間は揃って食卓を囲んでいた。高月にいち早く気付いた咲夜が、「あらぁ、おはよう高月君」などと言いながら、彼の席の前に湯気を上げるベーコンエッグと、その隣に添えられたサラダが彩る、一枚の大きな皿を置く。そして横にその皿より一回り小さな皿と、空のガラスコップを添えた。

「籠の中のパンは好きに取って食べて頂戴ねぇ。野菜ジュースと牛乳はどちらがいいかしらぁ」

「……牛乳で」

 高月の返事ににっこりと笑って、咲夜は冷蔵庫の方に足を向ける。その後ろ姿を横目に、木製の、やはり古めかしい椅子を引いて座ると、何やらニヤニヤと嫌な笑みを浮かべながら新聞を読む幽が正面になって、高月は密かにこの席順に不満を覚えていた。

「やぁ、御早う高月君。よく眠れたかね」

 新聞に目を落としていた筈の幽が、目を上げないまま三日月に歪んだ口を動かす。

「……普通だよ」

「ふむ、それはそれは。散々怯えていた割に『普通』に眠ることが出来たとは、ふふ、私も安心するというものさ」

「…………」

 この女の口はよく回る上に己を実に苛立たせる。しかし、彼女に口で勝てた覚えはないので、朝っぱらから無駄に精神を削るのは止めようと口を閉ざした。なお、物理的戦闘でなら勝てるかと言うと否であるのだが、そのあたりは高月とて自ら省みたいことではなかったのである。

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