第三怪 住処

 鬼島荘は古い建物である。

 木造二階建ての、小さいとも大きいとも言えない和風な建造物は、古き良き、と言えば聞こえはいいが要するに古めかしく、その外観を裏切らず内部も実に古い。電気は通っている筈なのだが全体的に廊下は薄暗く、歩けばきしきしと嫌な音をたてる。時折みしりと鈍い音さえ聞こえ、高月はこの建物の耐久性に一抹の不安を覚えた。地震とか来れば一発で崩れるんじゃないのか、ここ――と。

 案内された、高月の部屋だという二階の一室は男子高校生一人が下宿するには丁度いい大きさであった。板の間には机と本棚とタンスが備えられており、廊下の老朽具合に比べて畳は案外綺麗な状態である。押し入れのものであろう襖を指差し、そこに布団が入ってるわ、と咲夜は朗らかに笑った。幽は一階で別れたので、この場にはいない。

「ご飯は一階で、皆で食べるの。ほら、二階に上がる階段の近くの広い洋室、あそこがリビングダイニングだから、ご飯の時間には帰ってきて頂戴ね。遅くなったりお友達と食べる、とかだったらちゃんと連絡してほしいわぁ、心配しちゃうから」

「分かりました」

「宜しくねぇ。ああ、そうそう、今この鬼島荘に下宿してる子は高月君を含めて三人いるのよぉ。高月君と、幽ちゃんと、もう一人鈴ちゃんって子。鈴ちゃんは13歳の女の子でねぇ、二年前に鬼島町に来たんだけれど、子供だからかしらねぇ。町に『溶け込む』のも早くって、今じゃあ立派な『住人』だわ。

 高月君は初対面ねぇ。いい子だから、仲良くしてあげて頂戴ね。ここから右に二つ隣の部屋が鈴ちゃんの部屋だから」

「……分かりました」

 高月が頷くのを確認して、咲夜は満足そうに笑む。そして「それじゃあ私はご飯の支度を仕上げてしまうわ。終わったら呼ぶからねぇ」と言って足早に階段を降りていった。

 咲夜が完全に降りきったことを確認し、高月は漸く肩の力を抜いて深いため息をつく。なんだか一気に疲れた気がする。まさか町に来て早々にトンカラトンに襲われるとは思わなかった。もう一度ため息をついて、羽織っていたフード付きの上着を脱いでみると、上着の裾が若干切れていることに気付く。十中八九、あの襲撃の時に切れたものだった。

「……本当に俺、死ぬところだったんだな」

「そうさ。助けてやった私に感謝してほしいね」

「っ!!??」

 一階で別れた筈の幽の声がいきなり背後から聞こえ、かつ独り言に返事された高月はいっそ大げさなまでに飛び上がる。声を上げなかったのは最後のプライドだった。

 勢いよく振り向くと、やはりそこにいたのは幽であった。いつもの意地悪い笑みを浮かべた彼女が、形のいい唇を開く。

「驚きすぎじゃないかい高月君」

「っう、うるせぇっ、気配消して背後に立つなクソッ」

「顔が赤いぜ。気配くらい読めるようになりたまえ。そんなんじゃいつ寝首かかれるかわかったものじゃない」

「お前等みたいな超人と一緒にするな!!」

「まあそんなことはどうでもいいのだがね」

 じゃあ言うな、と言いたい気持ちをぐっと堪える。言っても無駄だと分かりきっているからである。おまけに、この町では自分の方がイレギュラーだということも理解はしているのだ。幽を「超人」とは言ったが、超人でなければこの町では生き残れないことも確かなのである。

 だからといって超人になりたいかといえば別の話なのだが。幽に守られる情けないこの状態を良しとするわけではないが、平凡な感性を持つ平凡な一般人である高月としてはこの『平凡さ』を失いたくはない。


 ――失ったら何かが終わる気がする。


「荘にも着いたことだし、『今の』鬼島町についての話をしようじゃないか」

「……昔とは変わったんだったか」

「そう。君も片鱗を見ただろうが、マガ達が近年急速に凶暴化してきているのさ」

 禍、とは鬼島町の住人が妖怪や魔物を纏めて呼ぶ時の名だ。先程のトンカラトンを脳裏に浮かべ、高月は眉を顰めた。

 トンカラトンは本来、回避策のある禍である。しかしあのトンカラトンは確実に初めから殺しにかかっていた。「禍達が凶暴化している」ということは他の禍も同じような状態なのだろう。

「……なんでそんなことになってんだよ」

 幽の言葉に、高月が返せたのはそれだけであった。そんな高月に、幽は呆れたような目を向ける。

「それがわかっていたら早々に解決しているに決まっているだろう? 全くこれだから高月君は浅はかすぎる。人に聞く前に少しは自分で考えることをしたらどうかね」

「うるせえな! 口を開いたら俺を罵倒しなきゃ気がすまねぇのかお前は!!」

 高月が顔を真っ赤にして叫ぶのを華麗に無視して、まあそういうわけだ、と幽は優美な微笑みを浮かべた。

「せいぜい気を付けたまえ高月君。私とていつでも守ってやれるわけではないのだから、倒せなんて無茶は言わないが、せめて腰を抜かさずに逃げる程度の対応はできるようになってもらいたいものだ。幼馴染みが肉塊で見つかったとあらば、あまりに嘆かわしくて、私は毎晩枕を涙で濡らすことになってしまう」

「……」

 よくもまあ、こうペラペラと嘘を吐けるものだと高月は逆に感心した。この女は幼馴染みが死んだ程度で泣くような殊勝な心は持ち合わせていない、絶対に。涙で枕を濡らすことがあるとするならば、それは無様に死んだ高月の間抜けな死に顔に対する思い出し笑いに違いない。誰がこんな女の笑いの種になってやるものか、絶対に死んでなどやらないと、高月は密かに決意をして拳を握る。

 そんな高月を見て、幽はなお愉快そうに笑った。

「そんなことより高月君、明日から学校だぜ。君も鬼島高校に通うのだろう?」

「……つーか、この町に高校はそこしかねぇだろ」

「皆、高月君が来ることを楽しみにしていたよ。愛されていてよかったじゃあないか」

 そう言われて、思い出すのはかつての友人達である。覚えられていたのかと、少し胸が暖かくなった気がした――が、同時に、彼等は高月とは違いこの何年かを鬼島町で育ってきたのだということを考え、一抹の不安を覚えた。高月が鬼島町に居た頃、同じレベルで遊んでいた彼等は、今やどれほどの超人と化しているのだろうかと。

「幽ちゃん」

 高月が微妙な顔をして口を噤むとほぼ同時に、部屋の扉の向こうから声が聞こえた。高く幼い声だった。幽が、「なんだね、入りたまえ」とその声に優しく答える。高月が僅かに呟いた、ここ俺の部屋だぞ、という不服は当然の如く黙殺された。

 小さな軋みをあげて襖が開かれる。そこに居たのは、真ん中で分けられた薄い茶髪を後ろで二つの三つ編みにした、幼い少女であった。幼い少女であるのだが、そのいたいけな丸みを帯びた顔に、目を隠すように巻かれた包帯があまりにも異質である。彼女の腕には獅子を模した可愛らしいぬいぐるみが抱えられているのだが、その腕と耳は片方ずつもげて、目玉に該当する黒いボタンの一つは糸が緩んで今にも落ちてしまいそうだ。解れた箇所からは綿が飛び出ていた。

 ――この少女が『鈴』なのだろうか、と、高月は咲夜の話を思い出した。幽が少女に歩み寄り、その頭を撫でる。

「高月君、紹介しよう。鬼島荘に下宿している鈴だ。鈴、彼は高月君という。ヘタレで強がりで愚かでとんちんかんな男だが悪い奴ではないから仲良くしてやるんだぜ?」

「おい」

 大いに悪意の篭った紹介に高月が不満の声をあげたがやはり華麗に無視される。鈴が、わかった、と可愛らしく頷いた。

「よろしくね、高月おにいちゃん」

「……よろしく」

 鈴が小さな手を伸ばしてきたのでその手を握ると、鈴の動きが一瞬止まる。包帯の奥の瞳が見開かれた、気がした。それから、彼女の小さな口が動いて、三日月を描く。

「おにいちゃん、気を付けてね」

「……は?」

「明日、危ないことが起こるよ。死んじゃうかも」

 笑みを浮かべ、とんでもないことを言い放った少女に高月は硬直する。その後ろで、幽は至極楽しそうに笑った。

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