第二怪 大家

「まあ、高月君の言い分も分からんでもないさ」

 顔を隠すためか居た堪れなさか――恐らくは両者だろうが――蹲る高月に、笑いの波は引いたらしい、しかしまだその顔に意地の悪い笑みを浮かべている幽が声を掛けた。

「事実、鬼島町は君がいた頃とは随分変わったからね」

「……どういうことだよ」

「その話は、とりあえず鬼島荘に着いてからにしようじゃないか。どうせ君もそこに下宿することになっているのだろう? この町に下宿できる場所はそこしかないからね」

 言って、相も変わらず見るだけなら可憐な笑みを浮かべた彼女が座り込んだままの高月に手を差し伸べた。渋々ながらも高月はその手を取り、漸く立ち上がる。立ち上がったことで己より頭一つ分上になった高月の顔を、幽はどこか満足げに見上げた。


「鬼島町へ『おかえり』、高月君」

「……ただいま」


 好きで帰ってきたわけではない、と思いつつも、高月は目を逸らしてだが言葉を返す。そう、結局の所、高月の『故郷』が此処である事に変わりは無いのだ。高月はこの物騒でおぞましい、しかし居心地の悪くは無い、そんな町に『帰ってきた』のであった。

 そんな高月の複雑な心境を知ってか知らずか、幽はやはり笑ったまま、金属バットを持っていないほうの右手で高月の手を引いて歩き出した。どう見ても手を繋いで歩く、という構図である。高月が思わず顔を赤くして振り払おうとするが、案外力の強いそれが離される事は無く、幽はどんどん先を急ぐように歩いていく。自然とそれを追う形になり、「おい、」とつい高月は声を荒げる。

「離せよ! 何だよこれ」

「何って、どうせ高月君、鬼島荘までの道のりを覚えてないんだろう。鳥居から荘に行く道とは正反対だぜ、此処。だから私が連れて行ってあげようとしているんじゃないか」

「て、手を引く必要は無いだろ!」

 そこで漸く幽は立ち止まって高月を見上げた。その黒水晶の瞳には僅かに呆れが混ざっている。溜息をついて、彼女はその白い指で高月の後ろ――トンカラトンの肉塊が転がっているであろう方向を指差した。

 それにつられてその先を追うように振り返ると、少し離れた場所にある肉塊に三歳程の子供、のような形をした化物が数匹、集ってそれを貪っていた。ぎょろりとした赤い目は他に見向きもせず肉塊を凝視し、赤黒い色をした手がその肉を千切っては口に放り込んでいく。そのグロテスクな光景を目の当たりにしてしまった高月は、思わずひっ、と引きつった悲鳴を漏らした。

「あれに集っているモノに絡まれると面倒じゃないか。まだ『魍魎』ばかりだがね、どんどん他のも増えていくだろうさ。高月君を放置するのはいささか不安が残るよ」

「……」

 言い終えて、幽はまた手を引き歩き出す。今度は高月もその手を振り払おうとはせず、大人しく着いていった。

 実に情けない光景である。



「いらっしゃい高月君、待ってたわぁ。あら、幽ちゃんも一緒だったのね」

 暫く歩いて、漸くぽつぽつと民家の明かりも増えてきたあたりで、幽に手を引かれるまま他より大きい建物に辿りつく。高い塀に囲まれた和風の建物の入り口の前で、恐らく高月を待っていたのであろう、鬼島荘の主である咲夜が歩み寄る二人に気付いて声を掛けた。

 にこやかに笑むその瞳に本来あるべき白はなく、ただただ鏡のようにのっぺりと一面黒が広がっている。背後の玄関の両隣に備え付けられた灯りを確かに反射し光を宿しているものの、どうしても無機質なように見えた。黒目がち、という表現では優しすぎる。白目の存在しない瞳。初対面ならば、その異様さに固まるかもしれない――高月は初対面ではなく、咲夜の人柄もよく知っているので、そのようなことにはならないのだが。ただ、相変わらず焦点の分からない瞳だ、とだけ思った。

「遅かったから心配したのよぉ、ほら、この町は物騒だものねぇ。特に最近はそうだから、襲われてやしないかって。それに10年ぶりで、迷子になったりしてたら大変だわ」

「流石咲さん。どちらもビンゴだ」

「うるせぇな!」

 幽の暴露に高月が顔を赤くして吠える。言い合い――と言うには随分一方的だが――を始める二人を、咲夜は微笑ましげに眺めた。

「あらあら、仲良しねぇ。それじゃ幽ちゃんが守ってくれたのかしら。有難う」

「いいや、構わないよ咲さん。腰を抜かして情けなく座り込む高月君は愉快だったからね」

「愉しんでんじゃねぇよ! あと咲夜さん別に仲良くねぇですから!」

 そこまで言って、高月はふと、気がついた。

「……『特に最近は』?」

「ああ、そうね、高月君は知らないわねぇ」

 変わらずにこやかに、実に穏やかに咲夜は笑う。

 その足元に近づくように、何かが蠢いていることに高月は気付いた。それはやけに巨大な鼠だった。『旧鼠』だ、と。反射的に高月は思った。猫を喰らい、時に人も襲う妖怪。夜にその黒い身体は紛れてしまっていて、高月が見つけられたのはほぼ偶然だろう程に静かに潜んでいる。血走った目がぎょろりと動いた。口が開いて、歪に並んだ鋭い牙が覗く。高月が声を発しようとして、しかし恐怖と驚愕で乾いた喉は上手く震えてくれなかった。

 次の瞬間、ざくんと鈍い音が響いて、赤い液が飛び散る。其れが咲夜の足に躍り掛かることはなかった。

 上空から落とされた包丁はあっさりと鼠の首と胴体を切り離し、落とした張本人である咲夜は肉塊と化した其れを見下ろして、あら、と事も無げに呟いた。

「いけない、玄関が汚れちゃったわぁ。捕まえて首を捻るべきだったかしら。掃除しなくちゃ、私ったらはしたない」

「そんな時もあるさ。私も手伝うよ咲さん、高月君もいいだろう?」

「……ソウデスネ」

 咲夜の足元の首のない体はびくんと一度痙攣して、そのまま動かなくなった。夜の、灯りがあるとはいえ暗い中でその死体が見づらいのは救いだっただろう。幽と咲夜は和やかに会話を続けている。

 そうだこの町にまともな人間はいないのであったと、高月の脳は現実逃避と諦めに思考を浸した。そこのあたりは優秀な脳味噌だと我ながら思う。

「まあ立ち話もなんだから、入りましょう? お部屋も案内しないとだし、そうそう、お腹すいたでしょう。暖かいシチューを用意しているのよ」

 己の携帯のディスプレイを見ると、時刻は19時を半分ほど過ぎていた。それを自覚し、そういえばまだ昼から何も食べていなかったと自覚した所で、漸く腹の空きを感じ始めた。あんなグロ映像見た後でも腹は減るのかと、案外と図太い自身の神経に一種の呆れを覚えつつ、咲夜の言葉に頷いて彼女の後に従い建物の中に足を踏み入れた。

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