第20話 いつかまた時が流れても

 

 仕立て屋の店主・ゆうぜんはるかたちが出ていった後、店の奥に引っ込んでいた。

 術を込めたつむぎいとやハサミ、細かな道具などを眺めては、一つずつ術を解いていき、店を畳む準備を始めようとしている。


 思えば、ずいぶん長いこと働き続けたもんだな……。


 青鬼組は新しい店を用意すると言っていたが、それも断ろうと思っていた。当主に言った潮時という言葉はあの娘を捜すことだけではない。自分とこの店に対してもだ。


 もう十分だろう。幕引きの時だ。

 あやかしという存在は人間ほど確固としたものではない。ふとしたことで消えてなくなることもある。それが自らの意思であるならば尚更だ。


 しっかりと店を畳み、そして自らもしっかりと終わろう。そう心に決めながら道具を片付けていく。

 するとふいに入口の開く音がした。ごそごそと物音のようなものもする。黄昏館の当主が戻ってきたのかもしれない。


 考えてみれば、長い時のなかでちゃんと話した、二人目の人間だ。どうにもまだ青臭い当主だが、その心根のしんさは常に伝わってきた。

 せんべつ代わりに最後に何か仕立ててやろうか。紳士用の反物を手にして店先の方へ戻る。


 そして──目を疑った。

 眼前に広がったのは、奇跡のような光景。


「おじさん」


 手から反物が落ちる。手足が震えた。眩暈めまいでも起こしてしまいそうだ。

 目の前にあの娘がいた。

 まるで時をさかのぼったように、あの日と変わらない笑顔でたたずんでいる。


 着ているのは、とうとうしよくの桜柄。技術の粋をかけて仕立てた、自慢の着物。


「そんなまさか……わしはてっきり、お前はもう……」

「うん」

 小さな頷きが返ってきた。その一言ですべてを悟った。無精ひげの唇をみ締める。強く強く噛み締める。


「ごめんね、おじさん。すごく長く待たせちゃった」

 首を振った。そんなことはいいんだ。だがのどがつかえて言葉が出てこない。己の口下手をこれほど悔しいと思ったことはない。

 夕焼けがショーウィンドウから差し込んでくる。彼女の姿は光を帯びていて、夕日と混ざり合い、まるで桜が舞っているようだった。


「あのね、おじさん」

「……なんだ」

 ようやく絞り出した言葉は、やはりぶっきらぼうだった。けれどそれが嬉しい、と言うように彼女はきゅっと肩をすくめる。

 桜色の光をまとって、ゆっくりと近寄ってくる。


「わたし、結局、お嫁にはいけなかったの」

「そうか……」

「でもね、よかったと思ってる」

「……いいわけがあるか。お前はその着物を着て輿こしれする気だったんだろう」

「うん。でもね、やっぱりそうならなくてよかった」

「だからいいわけが……っ」

「わたしね」

 桜柄のそでを振り、どこか照れるようにはにかむ。


「わたし、本当はおじさんのお嫁さんになりたかったの」


「……っ」

 言葉が出なかった。

 彼女はこっちの気も知らず、からからと笑う。


「だってわたしが生きてきて、そばにいたいと思ったのなんて、おじさんだけだったわ。ずーっと思ってたのよ。おじさんのお着物を着て、おじさんのところへお嫁にきたいなって。子供の頃から……ずっと思ってたの。本当に」

「馬鹿野郎……っ」

 雨だれのように涙があふれてきた。顔の右半分の反物が濡れて湿ってしまう。


「儂は独りでよかったんだ。ずっと独りで仕立て屋をやっていれば、それで満足だった。なのに小うるさい人間の子供がきて……迷惑で仕方なかった」

「そんなに迷惑だった?」

「ああ、迷惑だったさ」

「その割にこんなに素敵なお着物こさえてくれたのね」


 袖を開いて、着物を見せてくる。

 その姿は想像していた通りに見目麗しい。

 夕日が傾き、ショーウィンドウの向こうがだんだん暗くなっていくのがわかった。それに呼応するように、桜色の光が徐々に薄まっていく。


 あやかしの勘でわかってしまった。

 彼女はもうここではない場所へ旅立とうとしている。その想いは天へとかえっていくのだ。


 もう、お別れの時間だ。


「おじさん。最後に教えて。わたし、このお着物……似合ってるかしら?」

 言わなければ。最後くらい、ぶっきらぼうでない、気の利いた言葉を言わなければ。

 だが気負いは必要なかった。桜柄の着物の彼女を見ていると、言うべき言葉が自然に溢れてきた。


「……言ったろうが。お前みたいなお転婆娘に似合う仕立てができるのは、街中探したって儂だけだと」

 頑固な職人は、いかめしい顔をくしゃくしゃにして笑った。


「よおく似合っているよ。街一番のべっぴんだ」

「ふふ、ありがとうっ」

 こぼれるような声と共に、夕日が沈んだ。


「大好きよ、おじさん──……」


 桜の光はただの光となって、彼女と共に消えていった。待ち人は去っていった。最後にとても満足そうな笑みを浮かべて。

 職人は天を振り仰いで笑っていた。


 長い時を経て、今、二人の約束はようやく果たされたのだ──。


               ○・○・○


 遥はその一部始終を見届け、ほっと安堵の吐息をもらした。

 完璧なハッピーエンドというわけではない。それでも店主と彼女の願いはきっと叶えられたのだと思う。


 安心したら、なんだかとても温かくなってきた。周囲には光が満ちている。安らかな気持ちのまま、遥は光に導かれていき──。


「遥様、お気を確かに! 遥様!」

 珍しく焦った様子の声が響いて、我に返った。

 瞼を開けると、目の前にみやの顔がある。どうやら抱きかかえられているらしい。


「雅火? あれ、僕は一体……?」

「あの女性と一緒に召されかけたんですよ、あなたは! だから危険だと言ったんです。いくら着物のためとはいえ、幽霊に体を貸すなど!」

「ああ、そうだったそうだった」


 遥は今、で雅火に抱かれている。

 先ほどまで友禅と話し、着物を着ていたのは、実は遥の体である。自分に彼女をとりかせ、体を貸すことで着物を着られるように取り計らったのだ。


 しかしどうやら彼女の想いが成仏していくのに引きずられて、一緒に召されそうになっていたらしい。雅火が声を掛けてくれなかったら危ないところだった。


「でもほら、これで全部丸く収まったろ? 僕を当主として認める気になった?」

「なるわけがないでしょう! 真剣に肝を冷やしました」

 雅火の返しに余裕がない。本気で怒っているようだ。


「えっと……ごめん。心配かけた」

 さすがに申し訳なくなって素直に謝った。ようやくりゆういんが下がったのか、雅火の表情からも険が取れる。


「まあ、いいでしょう……。ご婦人のような姿の遥様にきつく言うのも、紳士的ではありませんからね」

「……ご婦人のような? って、あ……っ」

 眉を寄せ、数秒して気づいた。彼女が着たまま成仏したので、今の遥は着物姿だった。

 上質な桜柄から細い手足が伸びている。顔立ちも中性的なので、少女と言っても通じそうだった。


 見れば、友禅もこちらに気づき、なんとも言えない顔をしている。

 ついでに若頭も青鬼たちに指示を出してちょうど戻ってきたらしく、店の戸を開いて入ってきていた。『なにを遊んでんですかい?』とでも言いそうな顔で眉を寄せている。

 そんななか、雅火がいつもの意地悪い顔になり、からかってくる。


「非常によくお似合いですよ? せっかくですから写真か何かに残しておきましょうか」

「やめろ、いらない! っていうか――みんな見るなぁ!」


 なんとも情けない声が店内に木霊した。

 悔しい。この執事に自分を認めさせるには、まだ当分時間が掛かりそうだ……。

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