第19話 職人と少女
夕暮れの近づいた、仕立て屋の正面。
組紐が輝き、光のなかで
それは友禅が捜していた、約束の女性の記憶だった――。
──彼女はもともと旧家のご令嬢だった。そして今よりもずっと昔の時代の人だった。
子供の頃から厳しい
おじさんが人間ではないことは成長していくうちに気づいた。けれどだからどうしたとも思った。彼女はとても勝気な性格だったのだ。
寡黙で、不愛想で、でもこっちが満足するまでいつまでだって話を聞いてくれる。そんな人は彼女のまわりにはいなかった。
いつまで一緒にいられるかはわからない。それでもあと少しだけ、もう少しだけ……そう願って、おじさんのところに足繁く通った。
でもやっぱり……終わりはきた。
結婚が決まったのだ。
家の都合で決められた嫁ぎ先はとても遠く、一度他家に入れば、もうこの街には戻れない。
おじさんとも会えなくなる。
後生だからと父に泣きつき、どうにか
子供の頃、初めて仕立て屋に迷い込んだ時のこと。
綺麗な反物の数々を見ていると、まるで虹のなかにいるようだった。それがあまりに素敵で、いつか自分がお嫁にいくことになったら絶対このお店で仕立ててもらおう、と決めていた。
だから精一杯笑って、おじさんに頼んだ。
わたしね、お嫁にいくことになったの。だからね、輿入れのお着物を仕立ててちょうだい。
……本当はお嫁になんていきたくなかったけれど、でもおじさんに着物を仕立ててほしいのは本心だった。だから子供の頃の夢が叶うんだと思うと、自然に笑顔がこぼれた。
そんな自分を見て、おじさんがどう感じたかはわからない。
でも頷いてくれた。そっぽを向き、いつものぶっきらぼうな調子で。
……お前みたいなお転婆娘に似合う仕立てができるのは、街中探したって儂だけだ。
本当にそうだと思った。自分に似合う着物を仕立ててくれるのは、街中どころか日本中探したっておじさんだけだ。
お前に一番似合う着物を仕立ててやる。
おじさんはどこか泣きそうな顔でそう言ってくれた。だからこちらも精一杯、涙を
………………。
…………。
……。
「……でも結局、おじさんのお着物をもらいにいくことはできませんでした」
──その声で遥ははっと我に返った。
気づけば、雅火の腕に抱かれていた。どうやら気を失っていたらしい。……いや、そうじゃない。感覚的にわかった。今、自分は目の前の彼女の記憶を視ていたのだ。
ワンピースの体は今も半透明で、向こうの景色が透けている。
どう言葉をかけるべきか、迷った。すると頭上から雅火が心配そうに見つめてくる。
「大丈夫ですか、遥様。いきなり倒れられたのでとっさに支えましたが、力を使い過ぎたのでは……」
「……いや大丈夫。あとでちゃんと話すよ」
スーツの腕から離れ、自分でちゃんと立つ。そして意を決して尋ねた。目の前の、幽霊の彼女へ。
「どうして着物をもらいにいけなかったのか、聞いてもいいかな……?」
彼女は静かに目を伏せる。「……はい」と小さく返事がきた。幽霊であってもちゃんと話はできるらしい。
「……嫁ぎ先に婚儀を望まぬ者たちがいたようです。輿入れの準備をしている最中、その手の者がきて……」
そして、彼女は亡くなったという。
「理不尽過ぎるよ。そんなことあっていいのか……っ」
「なにぶん古い時代のことですから……」
女性は
だとしても居たたまれない。せっかく見つけることができたのに、こんな結末はあんまりだった。
「その……あなたはずっとここに? 亡くなってしまったのは哀しいけど、でもこの姿でも友禅さんに会うことはできたんじゃ……」
「遥様、残念ながらそれは不可能です。この方自身はすでにこの世におられません。残された想いを遥様が見つけたことで、どうにか想いが形を取ることができたのです。それが幽霊というものです」
「え、それじゃあ……」
「……はい。ここにいるわたしは、わたし本人ではありません。どうしてもおじさんとの約束を果たしたかった……そう願った、想いの
それでも、と女性はひどく懐かしそうに仕立て屋を見上げた。
「やっとここにたどり着くことができました。
また小さくお辞儀をされた。でもどう答えていいか、わからない。
彼女は亡くなってまで想いを
人とあやかしとは本来、重なり合わないものなのだ。
「遥様、この方を我々で仕立て屋へお連れしましょう。遥様がいらっしゃれば、店主とも会うことができるはずです」
「お願いできますか……?」
女性から
「雅火、これでいいのかな……?」
「何がですか? お二人が再会できれば、店主の願いも、この方の望みもどちらも果たされます」
「うん、でも……」
言い
「……それじゃあ、二人の約束が果たされないよ。幽霊の体だと……友禅さんの着物は着られないだろ?」
女性が小さく息をのんだ。
「ああ、おじさんは……やっぱりわたしのお着物を仕立ててくれていたんですね」
目じりから一滴の涙が伝う。それが喜びなのか、それとも無念なのか、どういう感情から流れたものなのかは想像もつかない。けれど報いなくてはならないと思った。
店主と女性は長い時間をすれ違ってきた。お互いを思いながら、それでも隔てられてきた。その壁を越える手伝いができるのは、きっと自分たちしかいない。
「雅火、何か方法はないか?」
「……当たり前のことですが、幽霊が物に触れることはできません。遥様を介して、店主に認識してもらうことはできても、着物を着ることは叶いません」
「それでもどうにかしたいんだよっ」
「残念ながら不可能なことは不可能です。それに……おそらく店主はこの結末に薄々気がついているはずです。これほど捜しても見つからないということは、すでに捜し人は亡くなっている……そう気づいたから、彼は先ほど『もう十分だ』と言ったのでしょう」
「分かってる! それは僕も分かってる。でもせめて……あの着物を着るぐらいはさせてあげたいんだ。雅火なら何かいい方法を知ってるんじゃないのか!?」
勢い込んで言った瞬間、銀髪の下の
それでピンときた。
「……あるんだな?」
「ございません」
「嘘だ。何かいい方法があるのに、雅火は僕に隠そうとしている」
「…………」
執事は黙して答えない。だがこうなったら我慢比べだ。じっと顔を見つめ続ける。
そうしてたっぷり一分ほど経った頃、雅火は深く深くため息をついた。
「……では、一つだけヒントを。お勧めしかねる方法なので、これでわからなければ諦めて下さい。ヒントは……軍手です」
「軍手? なにさ、それ?」
一瞬、適当なこと言ってるんじゃ……と思ったが、直後に
連想したのは、あの時、雅火と交わした会話。
軍手を買ってきたと言った時、雅火は友達から借りればいいのにと言っていた。あの言葉が答えだ。
「わかったぞ」
途端、雅火は『ああ、まったく……』と言いたげに顔を覆った。そのリアクションで正解だと確信する。
「簡単なことだった。幽霊なせいで触れられないのなら借りればいいんだ」
「いけません。それは霊力の強い遥様と言えど危険を伴います。黄昏館のご当主が自らを危機に追い込むなどあってはならない」
「当主だって言うなら、調停の結果に責任を持つのが当主だ。そうだろ?」
雅火はまだ納得のいかない顔をしている。でも構わず、女性に向き直った。
「僕が力を貸すよ。だから何も心配いらない」
まだ事態が飲み込めず、不思議そうな顔をしている彼女へ、遥は手を差し伸べる。
「あなたの思うように――友禅さんに会ってきて」
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