第17話 仕立て屋の約束③


 はるかはあやかしの仕立て屋にいた。

 そばにはみやもおり、テーブルには青鬼の若頭がいて、桐箱のなかには美しい花柄の着物がある。

 それを見つめるのは、この仕立て屋の店主・ゆうぜん

 どうやら着物は友禅が昔、人間の娘に依頼された品らしい。


益体やくたいもない話だ……」

 ぶっきらぼうに前置きし、友禅はぽつぽつと語りだす。


 最初に出会った時、娘はまだ小さな子供だったらしい。三つ編みのおさげ髪に木綿のワンピースを着て、ちようちようを追いかけて店のなかに入ってきたという。


 それを聞いて、遥は雅火と話していたことを思い出した。

「本当に神隠しみたいだ……」

「そのままならな。だがわしは面倒事はごめんだ。きちんと縄張りの外へ連れていった」


 友禅は右も左もわかっていない少女の手を引き、人間の商店街まで送っていった。

 しかしその後も少女はちょこちょこ店にやってきたという。無意識に領域の波長を覚えてしまったらしく、自由に店と商店街を行き来した。


 面倒になった友禅は少女を放っておくことにした。自分の意思で行き来できるなら、おかしな場所へ迷い込むこともない。そのうち飽きてこなくなるだろう、と思った。


「……しかし娘はこの店にくるのをやめなかった」

「友禅さんに懐いたってこと? なんか微笑ましい話だね」

「馬鹿を言うな。こっちは仕事をしてるんだ。邪魔でかなわん」


 どうやら色とりどりの反物や布地を気に入ってしまったらしい。少女は仕事中でもお構いなしにそでを引っ張り、「おじさん、おじさん。これなあに?」と目についた端からたずねてくる。


 うつとうしい。仕事の邪魔だ。これだから子供は好かん……と、友禅はうんざりした。

 しかし口下手な職人気質だったので、無邪気な子供を上手いこといなすこともできない。


「心の底から願ったもんだ。早く大人になってほしい、とな。物心がついて、こちらが人間ではないと気づけば、気味悪がってこなくなるだろう。そう思って、儂は辛抱強く待った」

「でもそれで本当にこなくなってたら、今この着物はない……よね?」

「……そうだな。娘は店にくるのをやめなかった」


 背丈が伸び、三つ編みだった髪にカチューシャをつけるようになり、年頃の女学生になった。それでも少女は店にやってきて、こちらが黙々と仕事をしている横から楽しそうにしゃべりかけてきた。


 おじさん、おじさん。今日、お友達がこんなことを言ったの。


 今日は学校でこんなことを習ったわ。


 ねえ、カフェっていったことある? ミルクセーキがおいしいのよ。


 おじさんはいつも仏頂面なのね。でも不思議、その顔を見ていると落ち着くの。


「娘はいつもやかましかった。だが儂も焼きがまわったのか。いつの間にか……それが苦ではなくなっていた」

 店主は相変わらず口下手で、上手く返事ができたためしはなかった。それでも少女はいつも横で楽しそうにしていた。

 そうしてある日のこと。とても華やかな表情で彼女は言った。


 おじさん、わたしね、お嫁にいくことになったの。


「ええっ!? その娘、結婚しちまうのかよ!?」

「若頭、声が大きいよ」

「だ、だってよぉ……なんかさびしいじゃねえか」

「うん、それはそうだけど……」

「淋しいものか。儂はその時ほどせいせいしたことはない」


 遥は若頭と顔を見合わせる。嘘だな、と思ったが、へそを曲げられてしまいそうなので口には出さない。

 友禅は仏頂面で続けた。

「人間の成長は早い。いつの間にか、娘は輿こしれする歳になっていた。そして儂に言ったのだ」


 輿入れのお着物を仕立ててちょうだい。わたし、子供の時から決めてたの。お嫁にいくなら絶対おじさんのお着物でいくんだって。ずっとそう決めてたのよ?


 彼女の笑顔は晴れやかだった。けれど子供の頃から見てきた店主は気づいていた。その輝きのなかに、どこかあきらめに似た哀しみが交じっていることを。


「……人間の暮らしのことは儂にはわからん。だが幼い子供が、年頃の娘が、事あるごとにあやかしの店に顔を出す──それが自然でないことはずいぶん前から気づいていた。そうまでして目を背けていたい現実が娘の暮らしにはあったのだろう。そして……輿入れを機にその現実を飲み込む決意を決めたのだ。ならば儂にできることは一つだけ。娘の頼みを聞いてやることだけだ。仕立て屋としての腕のすべてを尽くしてな」


 嫁にいけば、もう彼女がこの店にくることはない。

 言わばこれは最後の頼みなのだ。

 すべてを理解し、店主は言った。そっぽを向き、ぶっきらぼうに。


 ……お前みたいなお転婆娘に似合う仕立てができるのは、街中探したって儂だけだ。お前に一番似合う着物を仕立ててやる。


 彼女は目じりに一滴の涙を浮かべ、うれしそうにうなずいた。


 約束ね。おじさん、わたし楽しみにしてるから。素敵なお着物、楽しみにしてるから。


「……儂はこれまで培ってきた技術のすべてを用いて着物を仕立てた」

 染め上げたのは、とうとうしよくの桜柄。鮮やかな春の日のようだった彼女を表した柄。それを桐箱に収め、彼女を待った。


「……だが期日になっても娘は姿を現さなかった」

「な、なんでだよ!? なんでその娘は取りにこねえんだ!?」

 騒ぐ若頭に友禅は「わからん」と短く答えた。


 結局、春が過ぎ、夏がきて、秋も越え、冬を通り、季節が巡っても、彼女が再び店を訪れることはなかった。

「だが約束は約束だ。その着物を渡すまで、儂は……この店は無くなるわけにはいかんのだ」

 これで話はしまいだ、とばかりに友禅は雅火の淹れた紅茶を飲み干す。

 遥は改めて桐箱のなかの着物を見つめた。


「そっか……友禅さんはその女性がもう一度会いにきてくれるのを待ってるんだね。だからここから離れるわけにはいかないんだ」

「……違う。儂は職人として依頼の品を引き渡したいだけだ」

「同じことだと思うけどな」

「まったく違う。なぜその違いがわからんのだ。これだから子供は好かん」


 友禅は羽織った着物を翻してそっぽを向いた。若頭が「素直じゃねえなぁ」とあきれたようにほおづえをつき、遥はあごに手を添える。


「たとえばだけど……店を取り壊したとして、別の土地じゃなくて、この場所に新しく店を建てるっていう案はどう?」

 いえ、と隣の雅火が答える。

「おそらくくだんの女性と店の波長が合ったのは、偶然の産物でしょう。よって一度店が無くなれば、たとえ建て直したとしても二度と訪れることはできない──という可能性は十二分にあります」

「んー、そっか」

「けどよー」

 若頭がなんとも言えない顔で口を挟む。


「その娘は輿入れの着物だって言って頼んだんだろ? だったらもうとっくに結婚しちまってるはずだろ? 受け取りになんてくるはずねえじゃねえか」

「それでも」

 ティーカップが強く音を立てて置かれる。

「約束は約束だ」


 断固とした口調だった。不器用な職人の信念が伝わってくる。何があっても譲りはしない、と表情が告げていた。

 雅火がこちらへ視線を向け、どこか試すように顔を覗き込んでくる。


「さて、どうなさいますか? これにて双方の言い分は聞き終えました。そろそろ審判のお時間です」

「審判って……意地の悪い言い方だな」


 内心、胃が痛くなりそうだった。

 あやかしの調停において、黄昏たそがれ館の当主の決定は絶対だ。たとえ本人たちが納得しようとしまいと、執事が拒否を許さない。それだけの力が雅火にあることはすでに若頭も店主も理解している。

 よって店内に緊張が走った。そのなかで執事が優雅に胸へ手を置き、水を向ける。


「さて皆様、ご静聴下さい。黄昏館が当主・高町遥がこれより調停の結果を申します」


 またプレッシャーを……と思いながら、遥はあやかしたちへ目を向けた。


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