第13話 当主の生活②


 黄昏館の正門を出て、はるかはマウンテンバイクをぎだした。

 屋敷に引っ越してからというもの、学校からやや遠くなったので、今は自転車通学をしている。


 早朝の爽やかな空気を感じながら、坂道を下っていく。

 しばらく私有地の石畳が続き、やがて公道のアスファルトに変わった。ガードレールの向こうに学校や商店街の街並みが見えてきて、その先には青い海も見える。

「……軍手、どこかで買って帰らなきゃなぁ」

 ため息交じりにぼやいた。

 みやの前では反抗するが、結局、軍手を準備する辺り、手綱を握られていると自分でも思う。


 二十分ほどペダルを漕ぎ、学校に着いた。

 教室に入り、窓際の自分の席に座る。別段、誰かと挨拶することはない。クラスメートもとくにこちらのことを気に留めない。


 あやかしが出た時に迷惑をかけないよう、周囲とは常に距離を置いている。

 遥にとってはいつも通りの空気だった。

「…………」

 ただ、最近こういう独りぼっちの時間を淋しく感じるようになった。


 屋敷にいれば、雅火やこぎつねたちがそばにいる。それに慣れてきたことでこういう時間を心細く思ってしまうのかもしれない。

 鞄を机に置いたまま、居たたまれなさを誤魔化すように視線をさ迷わせる。

 すると、


「あ、軍手」


 つい口に出してしまった。斜め前の席、ちょうど座ろうとした男子生徒のポケットに軍手が収まっていたから。

 中肉中背の遥と違い、引き締まった体が振り向く。


「んん? 高町? なんか言ったか?」

「あ、いや……」


 首をすくめて口ごもる。

 振り向いた男子の名前は、ひろゆう

 以前、カラオケに誘ってくれた野球部員だ。広瀬は野球部のエースで、男女共に人気がある、クラスの中心人物である。


「……えっと、ごめん。なんでもないんだ」

「なんでもないってことはないだろ。滅多にしゃべらない高町がわざわざ話しかけてくれたんだぜ? あ、もしかしてカラオケいく気になったのか?」

「いや、そういうことでもなくって」


 社交性に富んだ広瀬は椅子をこちらに寄せると、人懐っこい笑みを向けてきた。

「なんだ、カラオケじゃないのか。でも今、ボソッとつぶやいてたよな? なんだっけ、グンテーだったか? グンテ、グンテ……あ、軍手か」

 大きな手が自分のポケットから軍手を取り出す。毎日、バットを振っているからか、その手は豆だらけで男らしい。


「軍手いるのか? だったら貸すぞ。部活の走り込みでつけるからさ、いくらでも予備あるんだよ。ほれ」

 無造作に差し出された。

 目の前の軍手を思わず見つめてしまう。


 ありがとう、と言ってすんなり受け取れたらどんなに楽だろう。

 以前と違って、今は雅火がいる。黄昏館にきてから悪いあやかしには襲われていないし、たとえそういうあやかしが出てきても大抵はなんとかできると思う。


 つまり。

 変わろうと思えば、きっと変われるのだ。

 でも……。


 どうしても勇気が出なかった。


「き、気持ちだけもらっとくよ。ありがとう。僕、ちょっと購買にいってくるから。それじゃあ」

「え、いいのか? 高町。おーい」

 逃げるように教室を出て、結局、購買部で軍手を買った。


               ○・○・○


 放課後。

 屋敷に帰ると、すぐさま購買の軍手を付け、こちらのやる気をアピールしてみせた。だが雅火は出迎えた玄関で小首を傾げ、目をまばたく。


「まさか本当に調達してこられたのですか? ただの冗談でしたのに」

 さすがに頬が引きつる。

「……それはないだろ。わざわざ買ってきたのに」

「お買いになったのですか? 軍手ぐらいご学友の方にでもお借りすればよろしかったのでは?」

 本当に痛いところをつく執事だ。

「……友達なんていない」

「なんと」

 わざとらしく目を見開き、雅火は胸元のハンカチでほろりと泣くような真似をする。


「まさか坊ちゃまにご友人が皆無とは。申し訳ありません。主人の傷をえぐるような真似を致しまして、この雅火、痛恨の極みです」

「なんだそのわざとらしい泣き真似はっ。ぜんぜん痛恨とか思ってないだろ。あと坊ちゃま言うな!」

 まったく、と軍手を外し、嘆息。


「まあ、冗談だったならいいや。今日はまだ調停の依頼ないんだよね? だったら部屋で宿題してくるよ」

「いえ、冗談なのは軍手をご用意頂くことだけです」

 雅火は手を一振りし、どこからともなく銀のトレイを取り出した。そのまま流れるような仕草でドームカバーを開ける。無駄に高級そうな軍手が一組用意されていた。


「主人に日曜大工の道具を用意させるなど、執事にあるまじきことですので」

「……えっ。じゃあ結局、床の修理は?」

「やって頂きます」

「本当に?」

「やって頂きます」

 有無を言わさぬ笑顔だった。顔立ちが整っているので、迫力もひとしおである。逆らうと後が怖い。


「主人に日曜大工をさせるのはあるまじきことじゃないのか……」

 諦め交じりに再び嘆息。

 雅火は満足げな顔で頷き、シャンパンでも勧めるようにトレイを差し出す。

「軍手はどうなさいますか?」

「買ってきたのを使う。意地でも使う」

「かしこまりました。どうぞご随意に」


 軍手を付け直しつつ、二階の執務室へ向かった。主人のささやかな抵抗を微笑で承諾し、執事もその後に続く。

 向かうのは二階の執務室。今朝の双子地蔵のように、依頼者のあやかしがくると執務室で依頼を聞くことになっている。


 重厚な扉を開くと、正面に執務机があり、対面する位置に来客用のソファーがある。

 壁際には本棚があり、収まっているのは古文書のような資料の数々。調度品は少なく、代わりに街の地図が大きな額縁入りで飾られている。


「よし、やるか」

 執務室の真ん中でとりあえず気合いを入れてみた。

 雅火は見るからに静観モード。だが口は出してくる。

「遥様、ソファーを引きってはいけません。下の絨毯が傷んでしまいます」

「……」

「ああ、絨毯の持ち上げ方がなっていません。それでは木くずが舞ってしまうでしょう? 床が割れているのですから後先のことまで考えて頂きませんと」

「……」

「大工道具はこちらをお使い下さい。……おやおや、なんと慣れない手つきなのでしょうか。まるで浜に打ち上げられた小エビのようです。この雅火、これほど芸術的な作業風景を目にしたことはございません。感銘を受けました」

じゆうとか!? 横で文句言うならちゃんとやり方を教えてくれ!」


 トンカチを投げ出して叫んだ。執事は笑いを噛み殺しながら新たなトンカチを取り出す。

「はい、十分楽しませて頂きましたので、そろそろ作業に入りましょう」

「……横から茶々を入れて遊んでたんだな」

「とんでもない。執事として坊ちゃまをでていたのです」

「それは執事の仕事じゃない。あと坊ちゃま言うな」


 まったくひどい執事だ、と腰に手を当てる。

「……いつか坊ちゃまとか言わせない、立派な当主になってやるからな」

「楽しみにしております」

 ふふ、と雅火は微笑を浮かべる。


 と、その時だ。何やら廊下の方からパタパタと足音が響いてきた。

「みやびさま!」

 扉を開け、こぎつねが慌てた様子で入ってくる。その口には一枚の手紙がくわえられていた。

「お手紙きたよ! ちょーてーの依頼みたい!」

「手紙?」


 遥が首を傾げる横で、雅火が手紙を受け取る。

 すると、すでに中身を読んでいたらしく、こぎつねが依頼内容を口にした。

「依頼のひと、すぐにきてほしいみたい!」

 次に発せられた言葉は、あやかしに慣れている遥にとっても面食らう内容だった。


「急いできてくれないと――鬼に家を壊されちゃうって!」

 

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