第9話 花の舞う日に再会を②



「僕は昔、ここにきた。この花園、そして……この黄昏館に」


 そう言い、はるかは手のなかの組紐を握り締める。

 組紐からの光によって、すべて思い出した。幼い頃、確かに自分はこの屋敷にきたことがあった。

 記憶のなかと同じ、美しい花園を見つめてつぶやく。


「でも……どうして忘れてたんだろう?」


 するとそばにいるみやが答えた。

「それはみすず様の術によるものです」

「祖母の?」

「みすず様はかつて幼いあなたを黄昏館に招きました。そしてこの花園で少しばかりの時間を過ごした後、術によってあなたの記憶を封じたのです」


「なんでそんなことを……」

「幼い遥様にとって、黄昏館の存在を知ることは決してよいことではありません。この場所の記憶はよからぬあやかしに狙われることへ繋がります。それゆえみすず様はあなたの記憶を封じたのです。ご自分との思い出も一緒に忘却されてしまうことを承知で、遥様のために」


 それを聞いて、はっとした。

「じゃあ、ひょっとして生きていることを隠してたのも……っ」

「あなたやご家族に危険が及ばぬようにです。黄昏館の当主の縁者だと知られれば、あなた方にあやかしの魔の手が伸びかねません。ゆえに当主となることを決めた時、みすず様は世俗から離れることを決めました。皆に術をかけて、ご自身が亡くなったということにして」

「そんな……」


「あなたに組紐を授けた時がたった一度の例外でした。遥様は物心ついた頃から視える力が強まり、様々なあやかしを引き寄せるようになったそうです。そのため、みすず様はたった一度だけ屋敷へ招き、その組紐を授けたのです」

「じゃあ、これは……」

 手のなかの組紐を見つめる。雅火も同じように組紐を見つめ、どこか懐かしそうに言った。


「みすず様ご自身で結われた、あやかしけの術具です」

 確かに……覚えている。

 悪いモノから守ってくれる、そう言って祖母はこの組紐をくれた。他ならぬ、この花園で。

「そうか……」

 ふいに視界がぼやけた。


 今はもう遠いあの日。

 初めて祖母と会った時のことを、今なら鮮明に思い出せる。

 とても優しく、柔らかく笑う人だった。着物が似合い、背筋がぴんと伸びていて、格好良かった。

 この人が僕のおばあちゃんなんだ、ととても誇らしかったのを覚えている。


 あの日、この花園で確かに思った。

 おばあちゃんが大好きだ、って。


「僕は……ずっと守られてたんだな」

 胸に抱くようにして、組紐を握り締める。

 もうこの術具に力はないのだろう。祖母が亡くなって力が尽き、悪いモノを除けられなくなって、あの黒い狼のようなモノが現れるようになった。だから雅火が迎えにきたのだ。

 

 自分は独りだと思っていた。独りきりで生きてきたと思っていた。

 でもそれは……大きな勘違いだったらしい。

 組紐を握り締めていると、ほのかに温かい気がした。きっと大切な人の想いが込められているからだ。


「……お前の言う通りだ。僕は部外者じゃない」

 顔を上げる。

 目の前では今もこぎつねたちが泣いている。そこへ向けて、足を踏み出した。


 執事が道を空けながら尋ねる。

「どちらへ?」

「花園へ。ここは僕たちの思い出の場所だから」

 立ち去ろうとしていた時とは違い、背筋をぴんと伸ばして歩く。それは記憶のなかの祖母のように。

 花園へ入ると、こぎつねの一匹が足元へすがりついてきた。さっき抱いていたこぎつねだ。


「ねえ、はるか」

 しゃがみ込んで、視線を合わせる。こぎつねは哀しげに尻尾を垂らして聞いてきた。

「ひょっとして……みすずはぼくたちのこと嫌いになっちゃったのかな? だから帰ってきてくれないのかな?」

 胸が締めつけられるように痛んだ。


 ……ああ。きっと、僕も心のどこかでそう思っていた。

 両親に先立たれ、周囲の理解は得られず、祖母との思い出も失っていた。


 大切な人たちは誰もそばにいてくれない。


 それは僕のことが嫌いだからかもしれない。本当はみんな今もどこかにいて、でも僕のことが嫌いだから出てきてくれないのかもしれない。僕はみんなから嫌われているんだ。


 心のどこかでずっとそう思っていた。だから周囲から距離を置いた。傷つくのが怖かったから。


 けれど。

 今ならそうじゃなかったんだってわかる。

 組紐を握り締め、こぎつねに笑いかけた。記憶のなかの祖母のように、精一杯、柔らかい笑顔で。


「そんなことないよ。みすずはみんなのことが大好きだよ。今も昔もみすずはみんなのことが大好きだ」

「ほんとう?」

「本当だよ。みんなも聞いて」


 呼びかけると、こぎつねたちは涙にれた顔をこちらへ向けた。

 一匹一匹の顔を順に見つめる。そしてゆっくり言い聞かせるように言った。


「確かにみすずはもう帰ってこない。みすずは死んでしまったから」

 花園のなかにさらに泣き出しそうな気配が膨れ上がった。だがおくさずに「でも」と言葉を続ける。


「こんなふうにみんなに泣いてもらえるのは、人間にとってとても幸せなことなんだ。みすずは幸せだったよ。きっとすごく幸せだった」

「でも、もうみすずに会えない……」

「うん。だから一緒に泣こう」


 目の前のこぎつねを抱き締めた。今度はぎこちなくない。しっかりと抱き寄せ、柔らかい毛に頬を寄せる。

「泣いて、泣いて、ちゃんと哀しもう。そうしたら……きっとその後に大切なものが残ってるはずだから」


 腕のなかで「大切なもの……」とつぶやきながら、こぎつねはもう泣いていた。泣き声につられるように他の子たちも駆け寄ってくる。

 毛並みの海に揺蕩たゆたうようになりながら、遥はこぎつねたちが泣きやむまでずっと一緒にいた。


 風が流れ、花びらが揺れ、花園に泣き声が響く。


 やがてみんな泣き疲れて、空気がゆっくりとかんした。そのなかで小さな口が順番にぽつりぽつりと話し出す。


「……毎日ね、みすずとお水をあげてたの」


「朝、ごはんを食べる前、ぼくたちが水場からジョーロをくわえてくるの」


「みすずのジョーロはリスさんのジョーロ。ぼくたちのジョーロはゾウさんのジョーロ」


「みすずはね、黄色の花が一番好きって言ってた」


「ぼくたちと同じ色だからって。すっごくうれしかったよ」


「そっか」


 話を聞きながら、みんなと一緒に空を眺めた。そうしていると、いつの間にか涙の粒が浮かんでいた。


「……あ。はるかも泣いてる」

「……うん、僕も泣いてる。ちゃんと泣けた。……みんなのおかげだよ」

 そばのこぎつねに頬ずりし、尋ねる。


「みんなのなかのみすずは今、笑ってる?」

 一瞬、静寂が訪れた。

 けれどすぐに声が上がった。

「……笑ってる。ぼくのなかのみすず、笑ってるよ」

「……うん。ぼくのなかのみすずも笑ってる」

「笑ってるね」

「みすず、すっごく優しい顔で笑ってる」

「これがはるかの言ってた、大切なもの?」


 そうだよ、と頷く。

「僕のなかのみすずも笑ってる。きっと、こうやって想いは繋がっていくんだ」

 自分が思い出す祖母と、こぎつねたちが思い出すみすず。どちらも同じ笑顔を浮かべていることが誇らしく思えた。


 でも、この場にいるのは自分とこぎつねたちだけじゃない。

 ゆっくりと振り向く。

 そこにいるのは銀色の髪をなびかせた、妖狐の執事。

 脳裏に浮かぶのは、かつての記憶。それに従って、幼いあの日と同じように。

「お前のなかのみすずはどう? ねえ──」

 名前を呼ぶ。



「──雅火」



 その瞬間だった。

 スーツの腕が一振りされ、花園に強い風が吹いた。花びらが一斉に宙を舞い、白、青、黄、赤……と無数の色が綿毛のように舞い上がる。


 色鮮やかな空を見上げ、こぎつねたちが「わあ!」と歓声を上げた。みんなの顔に笑顔が戻る。

 遥は雅火を見て、くすりと笑み、こぎつねたちの方へ向き直った。


「きれいだね、みんな」

「うんっ、すっごくきれい!」

「これからもこの花園を守ってくれるかな? みんながお花を大切にしてくれれば、みすずとの思い出は──みすずの想いはずっと消えない。たとえ会えなくても、みすずは心のなかでずっとみんなと笑っていられるんだ」

「うん、わかったっ」

「ありがとう」


 手を伸ばし、こぎつねたちの頭を撫でる。皆、くすぐったそうに尻尾を振った。

 つぶらな瞳にはまだ涙の玉が浮かんでいる。それでもこぎつねたちは笑ってくれた。


「ねえねえ。じゃあ、はるかも?」

「僕?」

「うん。はるかもいっしょにお花にお水をあげてくれる?」

 一匹がそう言うと、みんなが期待を込めた目で見つめてきた。

 つい苦笑が浮かんだ。


 ……ああ、これはかなわないや。いじわるな妖狐の執事より、よっぽど強敵だ。


 降参だという気持ちで頷いた。

「うん、僕も一緒だよ。これからは僕もみんなと一緒に毎日、お花にお水をやるよ」

 そう言うと、こぎつねたちは「やったぁ!」と嬉しそうに尻尾を振った。みんな一斉に立ち上がり、元気に花園のなかを駆けまわる。


 遥もゆっくりと立ち上がった。視線の先には妖狐の執事がいる。

「ねえ、雅火」

 微笑を浮かべ、遥は執事へ語りかけた。

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